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神父と白い野獣―呪われた村で出会ったのは、神に縋る青年と、獣と呼ばれた異教徒だった。  作者: あともす


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第五話「守るべき者」②

 ルーシーには、自分が無実である確信があった。

 患者の症状から、ジキタリスと間違えてドクニンジンが混入された薬を摂取したのは明白だった。

 だが、ルーシーは最近ジキタリスを採取していない。ましてやドクニンジンが生えているような水辺での作業など、ここ最近は一切行っていなかった。

 つまりこれは、完全な言いがかりだ。

 犯人ではない以上、いわれなき冤罪を受け入れるわけにはいかない。

 ここで認めたら最後。親が無く、荘園の民として相互保証の後ろ盾のないルーシーは即座に死刑が決定してしまう。

 毒殺は、相手が防御できない「不意打ち」であり、かつ「食事を共にする」という信頼を裏切る重罪──ましてや身寄りのない下層民が村人に毒を盛ったと確定すれば、慈悲の余地など欠片も望めない。

(私、死んじゃうの?)

 何度か罪人が首吊りになる光景を見たことがあり、怖くて眠れなかった。今度は自分があそこに吊られるというのだろうか。もしかしたら魔女として火あぶりにされる可能性もある──そんな事、あってはならない。

 だからこそルーシーは必死に抗っているし、おかげで村はこの大騒ぎになっているのだ。

 濡れ衣を拒む理由は、他にもあった。

 今まで懸命に働いて積み上げた信頼を失いたくないし──何より、アーサーにこの騒ぎを知られて、失望されたくなかった。

 こうなったら駄目で元々。徹底的に抵抗してやろう。

 それで殺される前に裁判にでも持ち込んで、アーサー兄さんとアリス姉さんだけでも自分の潔白を信じてくれるなら、ルーシーも諦めがつくかもしれない。

 いや、きっと二人は信じてくれるし、命を救おうと尽力してくれるだろう。

 彼らさえ味方でいてくれるなら、死刑になっても構わない。

 けれど、誰かの嘘によって、アーサーに失望されることだけは……それだけは、何としてでも避けたかった。

 ルーシーはその一心で、厳しい尋問に耐え続けた。

 視界の端では、トーマスが相変わらず冷静に成り行きを見守っている。

 いつの間にか彼の側にはアッシュワースの村長バーソロミューも立っており、数人の男たちと密談を交わしていた。

 そして、少し離れた場所では、友人のアリスが真っ青な顔で立ち尽くしている。

 アリスはしきりに周囲をきょろきょろと見回している。きっと、アーサーを探しているのだろう。

 そういえば、アーサーの姿をまだ見かけていない。

 思考の鈍った頭で、ルーシーはぼんやりと思った。

 診療所と教会は目と鼻の先だ。夜に彼がいないなんて、あり得ないのに。

(アーサー、早く来て……!)

 ルーシーはもう一度、強く、強く願った。


 その時だった。

 興奮と不安で沸き返る広場に、すべてを切り裂くような鋭い声が響き渡った。


「静まれ!」


 それは、いつも説教台から降る慈悲深い司祭の声じゃない。底冷えするような、有無を言わせぬ絶対的な断絶。

 泥と涙でぐしゃぐしゃになったルーシーが顔を上げると、そこには待ち望んでいたアーサーが立っていた。

 そしてその背後――影のように寄り添うのは、森の怪異と噂されるあの流浪人だ。

 白い革のフードで隠した不気味で、巨木のような体躯が、そこにいるだけで周囲の空気を凍らせていく。

 そんな周囲の動揺を意に介さず、代官トーマスが、不機嫌そうに目を細めて一歩前に出た。

「これはこれは、アーサー様。神に仕える身の方が、こんな野蛮な騒ぎにわざわざ首を突っ込むとは。ですが、これは村の『掟』による裁きです。高貴な血を引く貴方様が、泥にまみれた孤児一人のために、その服を汚す必要はございませんよ。ここは私にお任せいただき、教会で祈りでも捧げていらしては?」

 慇懃無礼な言葉の端々に、『部外者は引っ込んでいろ』という刺が混ざる。

 だが、その不敬な制止を、村長バーソロミューが手で遮った。

「トーマス、弁えろ。その方のお言葉を遮ることは許されん」

 村長に睨まれ、トーマスは「……失礼いたしました」と、苦虫を噛み潰したような顔で一歩下がった。

 そう、村長がトーマスを制したのは、この場において、アーサーの持つ伯爵の血筋は、村の代官より優先されるべきものだったからだ。

 アーサーはそんな彼らを視界の端にも入れず、ルーシーの前に膝をついた。

「ルーシー、恐れずに答えなさい。あなたが調合した薬には、何が入っていたのかを」

「……本来ならジキタリスが入った薬です。でも、患者様の症状は……ドクニンジンが混入した時のものでした。私、絶対にドクニンジンが映える場所に立ち入ってないんです……!」

 彼女の絞り出すような叫びを聞き届けると、アーサーは静かに立ち上がった。

 彼はウルフに軽く合図を送る。その瞬間、ウルフが纏う「野生の殺気」が爆発的に膨れ上がり、騒いでいた村人たちは悲鳴を上げる間もなく硬直した。ウルフは一言も発さない。だが、その沈黙はどんな言葉よりも雄弁な「暴力の予感」としてアーサーを守る盾となっていた。

「聞いたか。彼女は『ドクニンジン』だと言った。そして、ドクニンジンは清浄な丘陵地には決して生えない。泥と水が混ざり合う、不純で汚れた川辺にのみ群生する毒だ。最近ずっと川から離れた森で仕事をしていた彼女が手に出来るはずがない!」

 アーサーの張る声が、広場全体を支配していく。

「さあ、告白せよ。誰が、あの汚れた場所に足を踏み入れ、診療所に災いを運び入れたのか? それを私は知っている。そして――この野生の男も、すべてを見ていた」

 アーサーの視線が、無言のまま村人を射抜くウルフへと移る。

──(この男は森のすべてを知っている。嘘をつけば、次に食い殺されるのは自分だ)

 村人たちの脳裏にそんな恐怖がよぎった瞬間、一人の女が耐えきれずに叫んだ。

「わ、私が……! 川べりには私が行きました……少しでも多く薬草を持ち帰ろうと思い、籠の中の確認を怠りました!」

 自白──その瞬間、ルーシーに向けられていた憎悪の矛先が一気に女へと反転する。

 手のひらを返したように女へ罵声を浴びせる群衆を、アーサーは冷ややかに一喝して追い払った。

「誰も死んでいない。それに、代官でも無い人間に人を裁く権限は無い!」

 いつになく強く威厳を放つアーサーに恐れをなしてか、人波が引くように去り、広場に静寂が戻ると、トーマスがこれ見よがしに深くため息をついた。

「……やれやれ。真実がどうあれ、騒ぎを収めるだけならこれほど劇的な演出は不要でしたでしょうに。司祭様がこれほど『ご執心』では、村の規律も形無しですな。まあ、今回は貴方様の顔に免じて引き下がりましょう」

 負け惜しみを吐き捨てるトーマスだったが、ウルフの鋭い眼光に射くすめられ、舌打ちを漏らすと、彼の袖を妻のヘレナが引いた。

 ヘレナは、伯爵令息に無礼な態度をする夫を元貴族の女として制すと、アーサーと村長に一礼し、二人で去って行った。

「ルーシー!」

 物陰から飛び出してきたアリスが、傷だらけの彼女を抱きしめる。

 そしてそんな彼女たちをアーサーがまとめて抱きしめた。

 そう、ルーシーの危機は去ったのだ。

 夕闇の中、ウルフはただ一人、救われた少女たちとアーサーが抱き締め合う光景を、感情の消えた瞳で見守り続けていた。

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