第四話「境界を超えるもの」①
──「坊ちゃん。〝お父様〟からのプレゼントですよ」
──「父上からの、プレゼント……?」
行商人の男から差し出された美しい銀色の鳥籠の中に、自分の身長の半分を超える大きな隼が居て、その大きな金色の瞳に、幼い少年の自分の顔が映りこんでいた。
それが、アーサーと愛鳥の隼『ノヴァ』との出会いだった。
父であるクロムウェル伯爵の命令で、アーサーが母エレインとペンストレイト領アッシュワース村にある聖ヒュー教会に来て二年ほど経った頃。
年季の入ったハーフティンバー方式で建てられた司祭館の門をくぐり、アーサーはエレインの隣を歩き出した。
数百人が暮らすこの荘園において、広場へ向かう道すがら、野良仕事へ向かう村人とすれ違うのは日常の光景だ。村人たちは、司祭館の「使用人」であるエレインと、その傍らを歩くアーサーに会釈をしたり、あるいは遠巻きに眺めたりしながら通り過ぎていく。
ピーターが二人の斜め後ろを、護衛というよりは付き添いの下働きとして、落ち着いた足取りで続いている。
広場の中央、大きなオークの木の下には、すでに行商人が荷を解いていた。
三、四人の農家の子供たちが荷を覗き込んでは騒がしく声を上げ、泥だらけの服で走り回る彼らの声が、広場にありふれた賑わいをもたらしていた。
その賑やかさから数メートル離れた場所に、代官トーマスが立っている。
彼は村人や子供たちの動きを検分するように眺めているが、こちらへ歩いてくるエレインとアーサーに気づいても、特に歩み寄るようなことはしない。
表向き、エレインはアーサーの養い親ということにされている。
貴族の私生児という存在は、それ自体が父である伯爵家への侮辱であり、未婚の母となることはふしだらな罪とされるからだ。
だが、二人が実の親子であることは村の公然の秘密だった。
トーマスもそれを知った上で、親子のように寄り添う二人の姿を、あえて咎めるまでもない日常の一幕として見逃しているに過ぎない。
ただし、もし二人が開き直って実の親子であることを喧伝し、伯爵の名誉を傷つけるような真似をすれば、代官としての彼の対応は一変するだろう。
二人は常に、風紀を乱す存在として領地の人間の監視下に置かれていた。
そんな大人たちの事情など知らない振りをしながら、アーサーは楽しげに騒ぎ立てる子供たちを横目に、エレインの歩調に合わせてゆっくりと歩を進めた。
司祭館の私生児という、周囲と一線を画す静かな立ち振る舞いを保ったまま、三人は行商人の前へと辿り着いた。
商品を置くために広げた布の周りには、すでに村の主婦たちが数人集まっていた。
「あら、エレインじゃない。今日は早いのね」
真っ先に声をかけてきたのは、村の上役である粉挽きのサイモン・ミルナーの妻であるエディス夫人だった。彼女は手に取っていた粗末な麻の束を一度置き、親しげな、それでいてどこか「司祭館の者」に対する敬意の混じった笑みを浮かべる。
彼女は村人から厳しい目を向けられている外様の母子に対し、常に優しく気をかけてくれる貴重な存在で、彼女のおかげで一部の村の女たちもエレインに対し友好的だった。
エレインとエディスが親し気に会話していると、周囲の主婦たちは、エレインとアーサーの姿を見て、作業の手を止めて会釈を返したり、小さく囁き合ったりした。
「坊ちゃんも、今日は珍しいものを見に来られたのね」
別の主婦が、アーサーの顔を覗き込んで目を細める。
「っ……」
アーサーは、エレインの腰のあたりにそっと手を添え、少しはにかんだような、年相応の子供らしい笑みを浮かべて会釈をした。
数メートル先で腕を組むトーマスの視線が、一瞬こちらを掠めた。
今のところ彼は引き続き、主婦たちが交わす他愛のない挨拶や、エレインの袖を引くアーサーの仕草を、何の変哲もない「荘園の日常」として受け流している。
「さあさあ、奥様方! 北の街から仕入れたばかりの、上質な針も糸もありますよ」
行商人は、集まった主婦たちに威勢よく声を張り上げ、布の上の品物を手際よく並べ替えた。主婦たちが「先週の者より高いじゃない」と野次を飛ばすと、彼は「滅相もない! 質が違いますよ」と大げさに肩をすくめて笑いを取る。
そんな喧騒の中、行商人の目は、主婦たちの輪の中に加わったエレインとアーサーの姿を捉えた。
泥だらけの服で騒ぐ子供たちとは明らかに違う、整った身なりのアーサー。そして、主婦たちが自然に道を譲り、どこか敬意を持って接しているエレインの佇まい。
行商人は、この二人がこの荘園において「格上の家」に仕える、あるいは繋がりのある者だと即座に察したようで、それまでの威勢のいい口調に、少しばかりの丁寧さを混ぜた。
「……そちらの奥様、そして坊ちゃん。お目が高い。これなどは、そんじょそこらの木切れとは訳が違いますよ」
行商人は、大切そうに包みから白い独楽を取り出した。
「わ……」
珍しいオモチャを前に、アーサーの瞳が輝き、行商人の眼光が強まる。
「動物の骨を削り出して磨いた独楽です。重心がしっかりしているから、この踏み固められた土でも、まるで鏡の上を滑るように長く回りますよ。坊ちゃん、一度手に取ってみてください。この滑らかさは、実際に触れてみないと分かりません」
それをアーサーは受け取り、楽しそうにいじり始めた。
アーサーは一目でこの独楽が気に入り、欲しくなったが、その選択権は持ち合わせていなかった。
言葉でねだる前に周囲を見渡し、母のエレインと教育係のピーターに視線で訴えかけるが、二人共小さく首を横に振った。
それで分を弁えたアーサーは渋々独楽を行商人に返した。
「そうかい、やめるのかい。じゃあ、これとかどうだい?」
経験豊かな行商人はそれでアーサーの出自を察し、進めるおもちゃを変えた。
新たに出されたのは、錫で作られた銀色の兵隊や騎士のセット、真鍮の金色の指輪やボタン、磨かれた石のビー玉、小刀だ。
「すごいよ、お母さん」
アーサーは独楽こそ許されなかったが、新しく出された物も十分幼い好奇心を刺激するものだった。
「どれも素敵ね、アーサー。どれか欲しい?」
エレインはそう言いながらピーターに視線で予算を確認する。
「アーサー様。この小刀などはいかがでしょう。自分で何でも作れますよ」
「そうなの?」
「ええ、ちゃんと練習すればですが」
「じゃあ、ほしい! あとこのピカピカの石と、きれいなの!」
ピーターは頷くと、小刀とビー玉と真鍮の飾りボタンをいくつかを行商人に求めた。
行商人はお礼を言いつつ、商品を粗末な麻布の切れ端で手際よく包み、アーサーに渡した。
代金を支払うピーターの様子を伺いながら、行商人はふと、差し出した商品を受け取るアーサーの手元と、その顔をじっと覗き込んだ。
何かを値踏みするようなその視線に、エレインがわずかに身を強張らせる。
行商人はにこやかな笑みを崩さないまま、世間話のついでといった体で、しかし探るような低い声で訊ねた。
「……ところで、これほど賢明な買い物をされるお方は、この荘園でも滅多にいらっしゃらない。失礼ながら坊ちゃん、お名前を伺っても?」
その問いに、アーサーは胸を張り、淀みなく答えた。
「ありがとうございます! 僕の名前はアーサー・ドミニク・クロムウェルです!」
その名が響いた瞬間、行商人の顔から商売人の卑屈な笑みが消えた。
彼はハッとしたように目を見開き、まじまじとアーサーを見つめると、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「アーサー、坊ちゃん……。左様でございましたか。失敬、これは驚いた……」
行商人は慌てて姿勢を正すと、自分の横に置いていた、これまで厳重に布を被せて隠していた大きな箱のようなものへ手をかけた。
「あなたのお父様からプレゼントをお預かりしております」
「プレゼント……フレデリック様から、アーサーに?」
何も聞いていないエレインはピーターに事情を尋ねるように視線を送ると、ピーターの表情も強張っていた。
その横でアーサーは何も知らずに、行商人から包みを受け取る。
「坊ちゃん。〝お父様〟からのプレゼントですよ」
「父上からの、プレゼント……?」
男から差し出された美しい銀色の鳥籠の中に、自分の身長の半分を超える大きな隼が居て、その大きな金色の瞳に、幼い少年の自分の顔が映りこんでいた。
「鳥さん!」
「隼です。最低限の訓練は済んでおります」
こうしてアーサーに命ある家族が増えた。
そんな、一見和やかな光景だが、それを見過ごせない者が居た。
「おい、ピーター・フィンチ! どういうことだ。今日こんなものがあるなど、私は聞いていないぞ!」
クロムウェルの人間三人を監視していた、トーマスが怒鳴りこんできた。
いきり立つトーマスの様子にピーターは、とっさに澄ました顔で「おや、何も聞いておりませんか? 執事殿から」と言った。
「ウィットニー様に? 執事殿が承知しておられるというのか。そんな話は……」
「トーマス殿がお知りでないのは、もしかしたら何らかの伝達ミスがあったのかもしれません。ご確認ください」
「くっ……」
「エレイン、アーサー様。買い物も済みましたし、帰りましょうか」
「え、ええ……さあ、アーサー。行きますよ」
隼の鳥籠はピーターが持ち、エレインはアーサーの手を引いた。三人はトーマスの厳しい視線に見送られながら広場を去って行こうとする。
「あら、もう品定めは済んでしまったの?」
買い物に少し遅れてやってきたマーサが、人垣を押しのけるように割り込んできた。
彼女は行商人の荷の上に広げられたばかりの、色鮮やかな刺繍糸の束を見つけると、躊躇なくそれを手に取った。
「あらエレインはもうお帰り? ちょっと待って。司祭館に必要なものを選びたいんだから」
マーサは、引き留められて戻って来たエレインに向けて、司祭館のタペストリーの修繕に必要だと強く主張した。さらに、実際に金を払う権限を持つピーターを、逃げ場のない理屈で追い込んでいく。
ピーターは、アーサーの手を引いたままオロオロするエレインと自分達をにらんだままのトーマスを見比べて深い溜息をついた。
「……マーサ、私たちは司祭館に戻らなくてはなりません。お金を渡しますから、その範囲でお任せします」
マーサは周囲の視線も、トーマスの監視もどこ吹く風で、実質上のお小遣いを手に入れてご機嫌になった。
アーサーやエレインは買い物さえ自由に出来ないのに、使用人のマーサの方が伸び伸びと過ごしているのは皮肉と思いつつ、ピーターたちは司祭館へ帰っていった。
後日、執事に贈り物の確認をしたトーマスから「やはり何の連絡も来ていないと聞いた!」と苦情を言われたのは言うまでもない。
それに対し、クロムウェル伯爵側からの返答は「必要な書状は行商人に持たせてあったはずで、執事の居るペンストレイト領のマナーハウスに直接行くはずだったのを届け忘れた」との返答が返って来たのだった。
ともあれ、伯爵に捨て置かれていると思っていたアーサーは、この最初で最後のプレゼントをこの先ずっと心の支えにしてゆくことになったのだ。
隼ノヴァも設定は色々あるのに、キャラの重要度が低くて活躍の機会がなかなか用意できずにいる。
一章では難しかったから、スピンオフ作るか、制作予定の二章以降で頑張るか?




