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神父と白い野獣―呪われた村で出会ったのは、神に縋る青年と、獣と呼ばれた異教徒だった。  作者: あともす


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第三話「アーサー・ドミニク・クロムウェル、正気じゃないな」③

 キャンプ地を襲撃してきたイングランド人たちが帰った後。

 ウルフは周囲が静かになったのを確認してテントから出てくると、焚火の周りで焼いていたウナギの肝の串が一本足りなくなっていることに気が付いた。

「はぁ……なんて連中だ……。急に押しかけてきた上に、人の食糧を盗んで帰るなんて……あの男、とんだ生臭坊主だな。よく出来た司祭と聞いていたが、噂と全然違うじゃないか」

 何より、白い髪に赤い目をした醜悪な異形の見た目をしているウルフの姿を前にして、臆することなく「友達になりたい」だなんて、正気とは思えなかった。

「いや、ある意味血は争えないか。変わり者という、意味ではな……」

 貴族は変態が多い──それはウルフからしたら風説ではなく身をもって思い知らされた事実であった。

 風変わりな白い髪と赤い目を珍しがって、ウルフを飼おうとした貴族は一人や二人じゃなかった。

 それは──あの頭のおかしい司祭、アーサーの実父である貴族の男もその一人だった。

「胸糞悪い……」

 一人呟いた言葉が、日の落ちゆく森の夕闇に溶けて消えた。

 次にあの男が来たときは、燻製にしたウナギをすべて背嚢に詰め、この地を去るべきかもしれない。

(アーサー・ドミニク・クロムウェル。あの男は危険だ)

 色んな意味で動揺する、ウルフの背中に走る得体の知れない寒気は、まだ止まってはくれなかった。


 司祭館のホールの中心。ハーフティンバーの太い梁が渡る吹き抜けを、赤々と爆ぜる暖炉の火が琥珀色に染め上げている。

 熱源である火の傍らに据えられたのは、大きな酒樽を半分に断ったような、丸い木桶だ。

 その足元には、零れた湯を吸わせるための厚手のリネンが幾重にも重ねて敷き詰められ、その周囲を囲むように、物置から抱えてきたばかりの乾燥したイグサのラッシュが新たに解き放たれている。

 沐浴のために剥き出しにされた石床は、そのままだと氷のように足を凍えさせる。

 だが、桶の下に布と共に敷き詰められ、暖炉の熱に炙られたこの新しい草の層は、まるで初夏の草原を思わせる瑞々しい香りを放ち、踏みしめればカサリと小気味よい音を立てる。お湯で濡れた素足を冷たい石床から遠ざける、それは主人のためだけに用意された柔らかな天然の絨毯だった。

「お加減は、いかがですか」

 傍らに跪いたピーターが、温かな湯を含んだ天然の海綿をアーサーの肩に置いた。

 それが優しくアーサーの肌を撫でるたびに、クシュッ、と微かな水音がして、贅沢な湯が傷一つない白い背中を伝い落ちる。

 畑の上や森の冷気の中で泥にまみれ、生きるための労働に没頭する者がいる一方で、ここはただ、貴族の「血」と「美」を維持するためだけに設えられた、温かな聖域だ。

 ピーターは壊れ物に触れるような手つきで、海綿の柔らかな繊維を滑らせ、指の先から爪の隙間に至るまで丁寧に汚れを拭い去っていく。

「こうやってお湯に浸かってると、溜まっていた疲れが溶けていく感じがするね」

「そうですね、先週は嵐への対処で沐浴どころじゃありませんでしたからね……さあ、力を抜いて。今はただ、温かな湯に癒されてください」

「うん」

 アーサーはピーターに促されるまま、膝を抱えて収まるほどの窮屈な桶の縁に頭を預けて目を閉じた。

 最近色んなことがあった気がする。嵐と言えば何と言っても、あの流浪人の男との邂逅だ。

 教会で二人きりになったあの日。嵐除けの祈祷のことが無ければ、あのまま膝を突き合わせて色々な話をしてみたかったが、嵐が来なければ彼は教会まで足を向けたりはしなかっただろう。

 あの出会いのせいでアーサーの我慢のタガは外れてしまった──彼と仲良くなりたいという強い欲求が理性を駆逐してしまった。

 だから今日、会いに行った。

 しかしやはり気持ちが逸ってしまった。

 落ち着いた今なら、急に「友達になってください」と言われた流浪人の戸惑いの強さは当然だと感じるわけだが。

「何か、ありましたか?」

 アーサーが考えごとに耽っているのを感じてか、ピーターが訊ねてくるが、流浪人の件を教育係でもある彼に明かせる訳もなく、もごもごと「いや……」と誤魔化すしかなかった。

「そうですか」

 ピーターはそれ以上深く追及せず、静かに手桶でお湯を汲んでアーサーの体に掛け流した。

 アーサーの若く瑞々しい肌を跳ねたわずかな飛沫を、桶の下のリネンがじわりと吸い込んでゆく。

 手桶の湯が続いて髪を流すと、滝のような水音がホールに低く響いた。

 ピーターの身じろぎに合わせて芳しく沈み込む草の絨毯の気配を子守唄のように感じつつ、自分を磨き上げるためだけに捧げられる従者の手の温もりを、湯と共に全身で受け止めていた。

 そして最後の一桶を注ぎ終えられると、ホールの静寂に混じって、湯気を孕んだ甘い草の香りが一層濃く立ち上がった。

「さあ、お上がりください。冷えないうちに」

 そう言って、ピーターが広げたのは、暖炉の火にかざして温められていた大判の厚手のリネンだ。

 アーサーが桶から立ち上がると、濡れた白い肌が火影に照らされ、真珠のような光沢を放つ。ピーターはその身体を逃さぬように素早く、けれど羽毛を扱うような慎重さで包み込んだ。

 幾重にも折り重なったリネンが、アーサーの肌に吸い付くように密着する。ピーターは、ごしごしと肌を擦るような粗野な真似は決してしない。背後から包み込むようにして、大きな掌の熱を伝えるように、リネンの上から優しく肌を叩いていく。

 一叩きごとに、リネンがアーサーの体温を吸って重みを増し、代わりに彼の肌からは湿り気が消え、陶器のような滑らかさが取り戻されていく。

 アーサーは、ピーターの胸元に後頭部を預けるような形で、されるがままにその温もりに身を委ねていた。

 ピーターの指先が、布越しにアーサーの体温を確かめるように動き、うなじから肩先へ、そして指の一本一本へと移る。その一連の動作には、汚れを落とす「洗浄」の後に続く、慈しむような「磨き上げ」の情熱が宿っていた。

「……ピーター、もういいよ。あとは自分で」

 丹念な優しさに包まれていたアーサーだったが、ふと森で遭遇した厳しい環境を一人で生きる流浪人の姿を思い出してしまった。

 指先の一本まで他人に委ねる、このあまりにも無力で甘美な『支配』に、ふと耐え難いほどの居心地の悪さを感じ、ピーターにそう申し出るが、何も知らないアーサーの庇護者はそれを却下する。

「いいえ。あなたは、髪の一房まで乾かさねばなりません。万が一にも、あなたが熱を出されるようなことがあれば、私は司祭館の従者としての面目が立ちませんので」

 普段はアーサーにとって厳しい教育者であるピーターが、アーサーの沐浴時にだけ見せる穏やかな微笑みを崩さず、新しい乾いたリネンでアーサーの濡れた髪を優しく包み込んだ。

 そんな彼なりの誠意を見たらアーサーは何も言えず今まで通り身を任せるしかなかった。

 幼い頃から慣れ親しんだ大きな手で頭を包まれ、アーサーは心地よい圧迫感の中で水気が吸い取られていく。

 足元では、濡れた足の裏を新鮮なラッシュがカサリと受け止め、その芳香が体温に混じって鼻腔をくすぐる。

 アーサーが目を閉じてその微睡みに浸っている間、ピーターはアーサーが知る由もない「外」の雑念を、その場所ごと「なかったこと」にするように、丁寧に、丁寧に、拭い去っていくようだった。

 この甘やかで穏やかなひと時の中、アーサーの口の奥に先程齧った魚のはらわたの苦みが人知れず蘇った気がした。

【続く】

やり方がよく分からないまま投稿している……これでいいのだろうか?

感想とか欲しいです!

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