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神父と白い野獣―呪われた村で出会ったのは、神に縋る青年と、獣と呼ばれた異教徒だった。  作者: あともす


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第三話「アーサー・ドミニク・クロムウェル、正気じゃないな」②

 陽が天高く昇るよりも少し早い頃、ウルフは食料を得るべく川にいた。

 六月だというのに風には冬の名残のような冷たさが混じっていたが、水の中は命の躍動に満ちている。

 ウルフは柳の枝を編んで自作した、目の粗いザルを手に腰の深さまで水に浸かった。

 そして泥の濁った場所を見つけては足で底を乱し、一気にザルで浚い上げる。

 ザルの中では、六十から八十センチはある丸々と太ったウナギが二匹、鈍い光を放ってのたうち回った。

 先日の嵐による増水が川底をかき乱したせいか、今は、この滋味溢れる獲物が面白いように手に入る。

 これほど肉厚な大物となれば、屈強なウルフといえど一匹を平らげるだけで一日の活力としては余りあるだろう。

 彼は同じ作業を繰り返し、五匹ほどの動く肉の塊を岸に打ち上げた。

 それは、今ここで腹を満たすだけでなく、これらを保存食に仕立てるつもりだった。

(こんなもんで良いか……)

 漁を始めてからほんの数十分で川での用事を終えたウルフは、岸へ上がるとウナギが逃げないように砂で揉んでぬめりを取ると、水で洗って砂を落とした。

 それから頭蓋骨と背骨の境目にナイフを入れて骨ごと断ち切り、事前に川岸に立てておいた木の竿へフックに引っ掛けて吊るした。

 こうやって重力に任せてウナギの血抜きをしている内に、ウルフは森と川の境に生えている草むらの中から、調理に必要なハーブを採取していく。

 フェンネル、野良ニンニク、そして葉の広いフキやゴボウなど。

 ウナギ五匹分の下処理に使う量を集めれば、気が付けばあっという間にウルフの体の幅ほどある柳のザルに山盛りの量になっていた。

 これだけの量があっても調理には足りないので、ウルフは一旦集めた野草を持って川に戻った。

 なるべく水が清らかな場所を石で囲って流れをせき止めると、集めた野草をすべてそこに放り込んだ。これで他の作業をしている間に、川が野草の汚れを落としてくれるという寸法だ。

 ウルフはもう一往復して必要な量の野草を集め終えると、今度は森の中に入って木から直接、葉の付いた枝を集めて回った。

 枝なら何でもいい訳ではなく、主にオークの若枝だ。ヘーゼルやブナも交じっていたかもしれないが、そこは無造作に手際よく刈り取っていく。

 地道にハーブや木の若枝を集め終わる頃には、太陽は頂点を通り過ぎていたが、ウルフの作業はこれからが本番だった。

 地面に作った窪みに鹿の革を敷き、その上にフキやゴボウなどの葉の広い草を敷き詰める。

 そこに、洗い場で汚れを落としてきたハーブを、洗った石の上で刻んで投入すると、その上から拳大の岩塩をナイフで削り落とし、必要最小限の量だけを混ぜ合わせた。

 当然、塩をたくさん入れた方が美味しいが、貴重な備えを無駄にするわけにはいかない。

 これを手で混ぜ合わせると、血抜きをしていたウナギの身を二十センチ程度に切り分け、塩とハーブの中に放り込んだ。

 ウナギの持つ独特な臭みを上書きするように匂いの強い薬味の味を丹念に揉み込んでから、中に水気を切ったハーブを詰め込んで枝の串で閉じる。それを、丈夫な草のツルで物干し竿に吊るし直した。

 そしてその物干し竿を、集めておいたオークの若枝でテントのように覆い、中に薪で火をつけた。

 薪を燃やしながら、そこにオークの若葉を追加して生木の煙で燻せば、保存食としてのウナギの燻製が完成だ。

 ウルフは無心で作業していたが、ふと息を吐いて空に昇ってゆく煙を見ていると、子供の頃の記憶が蘇る。

 父が獲ってきた魚を母が調理し、家族で火と煙を囲んで談笑していたあの日を。

 作業を終えた母の手は、今のウルフのように爪まで草の緑に染まっており、顔を近づけると土と草が混じった良い匂いがした。

──「兄さんの手、母さんと同じ匂いがするね」

 家族が死に、妹と二人きりになった後──妹はそう言って、ウルフの手を慈しむように頬を寄せてくれた。

 人の血と死で染まりきった、俺の手を……。

 ぼんやりとウルフが見詰める視界を、真っ白い燻しの煙が覆い、その合間に赤々とした炎が覗いていた。滴る脂に合わせて、パチパチ、ジュウジュウと。

 現実の音が、追憶を塗りつぶすように周囲へ漂った。


 そこは、教会の裏手の森から真っすぐ向かえる場所にあった。

 アーサーはアリスと一緒にルーシーの案内で流浪人がキャンプしてる所に向かうと、そこには森の木を活用して設えられたテントがあり、流浪人の男──ウルフはそのテントの前で火を焚いていた。

 彼は相変わらず雪の様に白いフードを深くかぶっていたが、三人を見付けると、フードから覗く白い長髪の隙間からじっとりと睨みつけてくるのをアーサーは感じた。

 こんな怪しい風貌でよく一カ月以上、村で問題にならなかったなと誰もが改めて思ったが、おそらくこの獣のような威圧感と警戒心が恐ろしくて誰も近づけないでいるのだろう。

 それが、特に問題を起こしてないからと言う名目で放置されているのだ。

 トーマスもいざとなれば代官として村の男達と対処する気ではいると思うが、たった一人とはいえ、こんな強そうなダガーを腰から下げている男相手に下手に仕掛ければ村側の損害がどうなるか見当もつかないので、及び腰になってしまうのは仕方ないだろう。

 焚火の上には鍋があり、流浪人の手には匙が握られているところを見ると、彼は食事中だったようだが、自分の前で立ち尽くす三人の来訪者を気にしてか身動きひとつせず何かを待っていた。

 男は、鍋をかき混ぜる手を止めていた。その白いフードは、この森の影の中でも異様なほど清潔に保たれており、それがかえって彼と周囲の境界線を鋭く引き直しているようだった。

 無言の空間の中、鍋の中身がフツフツしている音だけが響いていて、野良ニンニクと川魚が混ざり合った野性味のある香りが漂っては、万年空腹のアーサーの意識をかき乱した。

(何だか美味しそうなものを食べていらっしゃる……!)

 思わずアーサーが鍋の方をチラチラ見ると、その気配に気が付いた男の肩が一瞬揺れたように見えた。

 この一見緊張したような、それでいて気の抜けた空気の中、最初に声をかけたのは場の中心であるアーサー自身だった。

 自分が連れて来てくれと頼んだ以上、自分が責任を取るべきだと思ったのもあった。

「あの、あの後大丈夫でしたか?」

「……」

 問いかけに対し、彼は返事をしない。それでもアーサーは言葉を続ける。

「嵐の中でせっかく頼ってくれたのに、僕がちゃんとしてなかったせいで見送りの挨拶もできなくてごめんなさい……でもこんな素敵なプレゼントくれて、すごく嬉しかったです」

 アーサーは彼から貰ったペンダントを取り出して掲げては、興奮気味に感謝の気持ちを伝えるが、それでも男からの反応は無い。

「……」

 男がひたすら無言を貫いていると、そこにルーシーも声を上げる。

「あの、私も! いつも助けてくれてありがとうございます。最近一人で森に来てるから仕事を手伝ってくれるの、すごく助かってて……他にも、色々、ありがとうございます……」

 緊張しているのか、はたまたアーサーには詳しく言えない「他にも」を飲み込むように、ルーシーは俯き加減に言葉を絞り出した。

 そんな彼女の含みに気づく様子もなく、アーサーは勢いよく続けた。

「そ、そうなんですよ!ルーシーからあなたに助けてもらったって聞いてから実はずっと気になっていて……だからあなたが教会に来てくれた時本当にうれしかったんです。急にやってきていきなりお願いするのは失礼かと思いますが、お友達に……なってもらえませんか?」

 友達になりたいとアーサーが言うと、そこで初めて男が声を発した。

「…………は? お前、頭おかしいのか?」

 歌うような発音が特徴的なウェールズ訛りをした、力強い低めのバリトンボイスをした男の声色には、明確な侮蔑と軽蔑が含まれていた。

「え?」

 やっと男の声が聞けたと思ったのも束の間、突然の罵倒にアーサーはギョッとする。

 そのまま返事に困っていると、男は続けて問いかける。

「貴族で、しかも聖職者の人間が、俺みたいな野蛮人と友達になりたいって?」

「そりゃ、ほとんどの人は駄目っていうかもしれませんが、僕はあなたと友達になりたいです」

 そんな、的外れに近いアーサーの返しに男の方が絶句してしまう。

「…………お前はイングランド人、俺はケルト人。わかるか?」

「わかります」

「俺はドルイド、お前はカトリック。しかも司祭……つまり俺はお前から見て異教徒だ。わかるか?」

「わかります。みんな神の教えの解釈を間違えてるだけなんです。本当は誰とでも友達になっていいんです」

 男はなおもアーサーの正気を確認しようとするが、いくら問答を続けても模範解答は返ってこないと分かると、対話を諦めてしまった。

「…………話になんねぇな。」

 話のかみ合わないアーサーとの掛け合いに、男は堪らず二人のやり取りを見守っていた女たちに助けを求めた。

「すみません。アーサーってこういう人なんですよ」

「ねー」

 最初は初めて間近で見る流浪人を前に怯えていたアリスだったが、男たちの間の抜けたやり取りを訊いてる内にすっかり平静と心の余裕を取り戻しており、男のSOSに対してルーシーと共に諦めてと言わんばかりに肩を竦めた。

 そんな孤立無援を悟った男は、駄目押しとばかりに最終手段に出た。

「それじゃあ、これでもか?」

 男は被っていた白い革のフードを外すと、異形の白い髪を掻き上げて赤い瞳を露わにして見せたのだ。

 その異様な姿に女達は堪らずすくみ上るが、アーサーひとりが恍惚の表情で答えた。

「とても奇麗です」

 嵐の日に教会で流浪人と対峙してから、アーサーは彼のこの美しい瞳をもう一度間近で見たいと願っていた。

「き……え……。ああ……お前ら、その変態男を今すぐ連れて帰れ。聞いてるこっちが頭おかしくなりそうだ……」

 教会での施しの礼にと男が渡したペンダントや、貴重な宝物を見るようなアーサーの眼差しに彼は思わず肌が泡立つのを感じた。

 ケルト人から見て異教の司祭であるアーサーの大きな緑の瞳は、一点の曇りもなく澄んだ輝きでウルフの姿を捉えていた。

 本当に彼はウルフの姿に何の嫌悪も忌避感も感じていないらしい。

 こんな反応を見せたイングランド人はアーサーが初めてかもしれない。

(まずい、こいつはまともに相手をしてはいけない)と、男の本能が危険信号を発した。

 男はあまりのことに意識を遠くしかけながら、女たちにアーサーを連れて帰るように指示し、火にくべていた鍋を抱えてテントの中に引っ込んでしまった。

「ああっ、流浪人さん! 待ってくださいっ。もう少し話を……」

「アーサー、もう帰りましょ。これ以上は彼の迷惑になるわ」

 放っておくとテントの中にまで押しかけていきそうなアーサーの腕をアリスが掴んで引き留める。

「そうだよアーサー。誰もがあなたみたいにチャレンジャーじゃないんだよ」

「話せば、話し合えばきっと分かり合えるんだよ! 行かせてくれ、ルーシー!」

「だからいきなりは無理だって。時間を掛けようよ!」

「うう……分かったよ……」

 アーサーは女たちに説き伏せられ、一先ず帰ることにした。

 だがその前にふと、彼が座っていた焚火の方を見て気が付いた。

 焚火の周りに魚の内臓が刺さった串が数本置きっぱなしになっているのに気が付いた。

 それは昼間に彼が川で獲ったウナギの肝であった。

 泥抜きをし、ハーブと塩であえてじっくりと火で焙られている脂ののったそれは、えもいわれぬ香ばしい芳香を放ってはアーサーを惹きつけた。

(よく分からないけど、凄く美味しそうな匂いがする……! 流浪人さんが普段食べてるもの……? 食べてみたい!)

 初めて見る未知の食材を前に、アーサーは生唾を呑んでは、おもむろに串へと手を伸ばしては、掴む寸前でアリスに叩き落とされる。

「アーサー! 聖職者が人の食べ物に手を出しちゃダメでしょ!」

「だって、流浪人さんが食べてるの、気になるじゃないか! 一本だけ! 一本だけだから!」

「行くよ、アーサー、ルーシー! このまま騒いでいたら村の人に気付かれちゃう。まだみんなが働いてる時間なんだから!」

「う、うん! アーサーったら、仕事から離れると小さい子より聞き分け悪くなっちゃうんだから!」

 アリスとルーシーは駄々こねるアーサーを引きずって教会の方へと引き返して行く。

 強引に司祭館に帰還したアーサーは、帰還してからもひとりで「何が駄目だったんだろう」と項垂れていたが、アリスとルーシーからしたら、とち狂ってるのはアーサーであり、こんなアーサーを拒否した流浪人の感覚のほうが極めて正しいのは明白だったので、慰めようがなかった。

 女二人でこんこんと、今日の行動は性急すぎだったとアーサーに説教をしたが、彼は最後まで「僕はどうしてもあの人と友達になりたい」としか言わなかった。

 そして、アーサーは結局持ち帰って来たウナギの肝の串をかじっては、苦いと顔をしかめたのだった。

 どうにも曲がりようにもないアーサーの強い信念に、お守と目付け役のアリスとルーシーはこれからの苦労を思ってため息を吐いた。

 何より、流浪人の静かな生活を脅かしてしまうことを申し訳なく思った。

 そんな懲りないアーサーの熱意の波動を感じてか、森のどこかで流浪人が寒気に襲われたとか襲われなかったとか。

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