第96話「福祉窓口:申請理由が『呪いで働けません』」
福祉窓口は、役所の中でもいちばん“人の生活”が濃い場所だ。
困っている人が来る。迷っている人が来る。追い詰められた人が来る。
そして職員は、紙と制度で支える。
――ただし、今日の相談は、紙が震えるタイプだった。
「主任、福祉課からヘルプです……」
総務の職員が、半分泣きそうな顔で異世界経済部に入ってきた。
「福祉課が助けを求めるって、だいぶだな」
「申請理由が……」
「嫌な予感」
「呪いで働けません」
「来たぁぁぁ!! 制度が一番困るやつ!」
美月が目を輝かせる。
「呪い!? ファンタジーっぽい!」
「福祉はファンタジーじゃない! 現実だ!」
加奈が心配そうに言う。
「でも、異界だと本当に呪いあるもんね」
「ある。だから余計に困る。
“あるかもしれない”と、“制度が扱えない”が同時に来る」
市長が通りがかりに、さらっと言った。
「困っているなら助けよう」
「それはそうなんですけど、助け方が問題なんです!」
福祉課の相談室。
担当職員が、机の上に置かれた申請書を前に固まっていた。
「主任……申請書の“病状欄”に、呪いって……」
「落ち着いて。まず事実確認だ」
向かいに座る申請者は、異界の住民――獣人の青年だった。
耳が垂れていて、目の下にクマ。姿勢が弱々しい。
「名前は?」
「……ルカ」
「ルカさん。今日は生活の相談ですね。働けない理由は“呪い”と書いてある」
「……うん」
ルカは、小さく手を見せた。
指先に、薄い黒い模様が走っている。墨みたいな線が、皮膚の下でうっすら動く。
美月が思わず言う。
「うわ、本当に呪いっぽい……」
「っぽいじゃなく、慎重に!」
加奈が柔らかく尋ねる。
「いつから?」
「……二週間前。市場で揉めて……
それから、体が重くて、眠れなくて……仕事に行くと、息が苦しくなる」
福祉課の担当がメモを取りながら、震え声で言う。
「診断書……はありますか?」
「……医者、いない。
異界の呪術師なら……いるけど、怖い」
勇輝はここで、いちばん大事な線を引いた。
福祉制度は、“困りごと”を支える。でも“真偽判定”を魔法でやる機関じゃない。
「ルカさん。
まず、あなたが困ってることは分かった。
生活を支える手続きはできます」
ルカの目が少しだけ上がる。
「……ほんと?」
「ただし、制度には条件がある。
“働けない状態”の確認が必要なんです。呪いでも、病気でも、ケガでも」
ルカがうつむく。
「……確認、できない」
「確認できる形に落とします。そこを一緒に作る」
問題は二つあった。
呪いが本物かどうか
本物だとして、誰がどう証明するか
そして福祉課の職員が一番恐れているのは、こういうケースだ。
本当に困ってる人を追い返す
逆に、制度の穴を突かれて不正が起きる
どっちも地獄。
勇輝はホワイトボードに書いた。
「福祉は“原因”より“状態”を見る」
「まず、原因が呪いかどうかは、ここでは断定しません。
福祉は“今、働けない状態か”を確認します」
福祉課担当が頷く。
「状態……なら、面接と生活状況の確認で……」
「そう。そして医療的な確認が必要なら、連携先を作る」
加奈が言った。
「異界の呪術師って、怖いんだよね?」
「怖い。
でも、“公的に信頼できる窓口”があれば行けるかも」
市長が口を挟む。
「なら、“異界相談医”のような認定制度を作るか」
「すぐ制度増やす! でも……必要だ」
美月が手を挙げる。
「“呪い解除クリニック”って名前に――」
「するな!」
勇輝は、現実的な落としどころを提示した。
「ルカさん、まず“短期の生活支援”を出します。
いわば緊急対応。
その間に、状態確認と治療・解除のルートを作る」
福祉課担当が補足する。
「生活保護に準じた支援でも、緊急対応はできます。
ただ、継続には確認が必要になります」
「そう。継続の条件を明確にする」
ルカは不安そうに言う。
「……追い出される?」
「追い出さない。
ただ、“一緒に確認する”のが条件です。
あなたが協力してくれるなら、支える」
ルカの肩が、少しだけ下がった。
安心したときの動きだ。
「……わかった。協力する」
次に、“確認の方法”だ。
勇輝は加奈を見た。
加奈は地域の顔だ。異界の人とも距離が近い。
「加奈、異界側で“比較的信頼できる解除屋”とか、いる?」
「いる。
温泉街で働いてるエルフの薬師さん。
怖くないし、説明も丁寧」
「よし、その人を“協力者”として呼ぼう」
福祉課担当が驚いた。
「え、福祉課が呪術師と連携するんですか……?」
「連携じゃない。“確認書の発行協力”です。
医師の診断書に近い位置づけ」
市長が頷く。
「公的に認定し、発行基準を作ればいい」
「市長、今日は黙って頷くだけでお願いします」
美月が小声で言う。
「課長、今日のあなた、強い……」
「呪い相手だからな。弱いと負ける」
数日後。
福祉課の相談室に、エルフの薬師が来た。
白衣ではなく、森色のローブ。だが態度は穏やかだ。
「ルカさん、手を見せてください」
「……はい」
薬師はルカの手の模様に触れず、光の粒を浮かべた。
――魔法っぽいが、やってることは“観察”だ。
「これは、強い呪いではありません。
“恐怖と疲労”が絡んで、症状を固定しています」
「え……呪い、じゃないの?」
「呪いの“きっかけ”はあったかもしれません。
でも、今の状態は“回復できる”」
勇輝はここが大事だと思った。
呪い=終わり、ではない。
回復可能性があるなら、支援設計も変わる。
薬師が紙を差し出した。
『状態確認書:
現時点で就労困難な症状あり。
休養と環境調整が必要。
定期的な確認を推奨』
「……出た。異界版診断書」
福祉課担当が、感動と恐怖が混ざった顔で受け取る。
美月が小声で言う。
「これ、フォーマット化したら全国の自治体が――」
「全国って言うな! 異界だ!」
ひまわり市役所は、その日から一つだけ新しい仕組みを作った。
制度を増やしすぎないために、あくまで“運用”で。
「異界状態確認書(試行)」
発行者:市が協力関係を結ぶ薬師・治療者
内容:状態の確認(原因断定はしない)
期間:一か月ごとの更新
目的:福祉支援の継続可否の判断材料
ルカは、少しだけ顔色が良くなった。
支援が決まって、治療ルートも見えて、恐怖が薄れたのだろう。
「……ありがとう。
役所って、冷たいと思ってた」
「冷たいときもあります。
でも、冷たいのは“公平”のためです。
その中で、できるだけ温かい形にする。それが仕事です」
加奈が笑った。
「勇輝、たまにいいこと言うね」
「たまにって言うな」
美月が手を挙げる。
「課長、これで次は“広報炎上”ですね!
私の訂正が一番拡散するやつ!」
「不吉な予告をするな!」
次回予告
美月が出した訂正投稿、なぜか“訂正の方”が爆発拡散。
火消しが燃料になって、広報が地獄を見る。
「広報炎上:美月の訂正が一番拡散する」――訂正は、短く! でも短いと誤解される!




