第97話「広報炎上:美月の訂正が一番拡散する」
◆朝・市役所広報机まわり(静かなはずの通知欄が、ある瞬間から“読まれている”ではなく“燃えている”速度で伸び始める)
朝の広報は、たいてい地味だ。
地味であることに、わりと大事な意味がある。イベントの開始時刻、防災放送の試験日、窓口の階数変更、粗大ごみの申し込み方法、休日開庁の案内。どれも生活に要るのに、誰かの感情を大きく揺らさない。その“揺れなさ”を保つために、文面は削られ、余計な比喩は落とされ、言い切るべきところだけが骨みたいに残される。広報の机は、そういう慎ましい文の積み重ねで回っている。
だから、美月は、最初の通知が増えた時にもまだ深刻には受け取っていなかった。
ドラゴン停留所の新しい案内は、前の日の夕方に出したばかりだ。市役所裏の駐輪場は自転車用で、ドラゴン等の大型生物は河川敷の停留所を使ってもらう。その運用自体は、都市整備課と観光課と異世界経済部で擦り合わせたもので、唐突にひっくり返る類の話ではない。むしろ、最近のひまわり市の案件の中では、かなりきれいに線が引けた方だと思っていた。
通知が三件、十件、二十件と増えるまでは。
「……あれ?」
自分の端末を持ち上げたまま、美月は一度だけ瞬きをした。更新ボタンを押していないのに、数字だけが勝手に変わる。返信、引用、再投稿、メッセージ、問い合わせ。画面の上の方だけが、急に別の生き物みたいな速度を持ち始める。
その時点でまだ、内容は読めていなかった。ただ、広報の机でいちばんいやな瞬間というのは、だいたい内容より先に“伸び方”で来る。見られている時の増え方と、解釈されている時の増え方と、燃えている時の増え方は違う。長く触っていると、それが数字の並びだけで分かるようになる。いま起きているのは、良い意味の拡散ではなかった。
美月は返信欄を開き、引用投稿をたどり、そこでようやく喉の奥が少しだけ冷えた。
『ドラゴンも住民なのに排除?』
『市役所が大型生物を危険物扱いしてる』
『河川敷送り、実質的な隔離では』
『子どもの安全を盾にして追い出してない?』
『ドラゴンを“等”でまとめてるの失礼すぎる』
「うわ」
自分の口から出た声が、自分でも軽すぎると思った。軽いのに、背中の方からじわじわ嫌なものが上がってくる。いまの“うわ”は、驚きより、もう始まっているものを見つけた声だった。
投稿を開く。そこに出ているのは、前夜に自分が整えた短い案内文だ。
『【重要】市役所裏の駐輪場は自転車専用です。
ドラゴン等の大型生物は河川敷の停留所をご利用ください。
皆さまの安全のため、ご協力をお願いします。』
文面だけ見れば、極端に荒いわけではない。乱暴でもない。事実も間違っていない。なのに、その事実の切り方が、誰かには“整理”ではなく“追い出し”に見えている。そして一度そう見えると、今度は“安全のため”という言葉そのものまで、強い側の理屈に見えてくる。
美月は椅子を引く勢いで立ち上がった。
こういう時に席で考え込むと、たいてい遅れる。広報は、慌てて書き足しても燃えるし、放っておいても燃える。その真ん中の細い道を探すには、一人で画面に閉じこもっていたらだめだ。
廊下へ出るころには、通知欄の数字がまた一段伸びていた。
◆朝・異世界経済部(正しいことを短く言ったのに、その短さが誤解の足場になる日がある)
勇輝は、その朝、各課から集まってきたドラゴン停留所の案内文の最終版を印刷していた。紙で読むと違和感が見つかることは多い。画面の上では平気でも、印刷するとやけに角の立つ言葉がある。だから最後は紙で、というのは最近の異世界経済部ではかなり重要な習慣になっていた。
そこへ美月が飛び込んできた瞬間、勇輝は、たぶん広報の火だなと察した。息の切れ方がそういう日のものだった。
「やばいです!」
「何がどうやばい」
「私の投稿、燃えてます!」
「広報机でその顔してるなら、もう“しかけてます”じゃなくてだいぶ始まってるな」
美月は端末を差し出した。勇輝が画面を見て最初にしたのは、投稿本文を読むことではなく、引用されている切り抜きの方を先に追うことだった。そこに、もう答えが半分出ている。
『ドラゴン等の大型生物は河川敷の停留所をご利用ください』
その一文だけが、前後を失って広がっていた。市役所裏の駐輪場がなぜ危ないのか、河川敷の停留所がどう整備されたのか、ドラゴン代表とどう合意したのか、その全部が切り落とされている。切り落とされた結果、残ったのは“ドラゴンはここを使うな”という命令の形だけだった。
「来たな……」
勇輝は低く言った。
「正しい情報ほど、切られた時に強い形で誤解されるやつ」
「私、訂正します! 今すぐ!」
「待て」
勇輝はそこで顔を上げた。
「訂正は薬じゃない。タイミングと出し方を間違えると、いちばんよく燃える」
「でも放置したら、“追い出した”が定着します」
「それも分かる。だから、まず誤解の種類を分ける」
加奈もその時には部屋へ入ってきていた。状況を美月の端末越しに見てから、コーヒーを置く手つきだけが少しゆっくりになる。
「これ、“ドラゴン差別”って話だけじゃないね」
「うん」
勇輝は頷いた。
「排除、隔離、危険生物扱い、決め方が不透明、合意が見えない。混ざってる」
「河川敷って言葉だけで、“遠い場所へ追いやった”感じになる人もいるかも」
「そこもある」
市長が少し遅れて部屋へ入ってきて、状況を聞き終えるより早く口を開いた。
「ドラゴンは追い出していない。移動してもらっただけだ」
「その“だけ”が炎上の種なんです」
勇輝は紙を机へ置きながら答えた。
「正しいけど短い言い方ほど、切り抜かれた時に冷たく見える。だから今回は、短さの戦い方を変えないといけない」
ホワイトボードが引っ張り出され、勇輝は迷わず五つの見出しを書いた。
『誤解① 排除』
『誤解② 隔離』
『誤解③ 危険扱い』
『誤解④ 誰が決めたか見えない』
『誤解⑤ ドラゴン側の意思が見えない』
「一つの投稿で全部解こうとすると長文になる」
勇輝は白ペンを持ち替えながら続けた。
「長文は読まれない。読まれないと、一番強い一文だけ抜かれる」
「じゃあ、どうするんです」
美月の声は半分泣きそうで、半分だけ仕事の顔に戻っていた。
「分ける」
勇輝は即答した。
「固定の一次情報を先に作る。そこへ全部整理して書く。そのうえでSNSは短く、でも“短いだけでは意味が壊れない形”で誘導する」
「固定投稿……」
「そう。戦う場所をSNSのコメント欄に置かない。市のページに戻す」
◆午前・現地確認の河川敷停留所(“どこへ移したか”を自分の目で見ないと、広報の言葉は机の上だけで固くなる)
言葉を整える前に、勇輝は現場をもう一度見に行くことを選んだ。前の日に決めたからといって、今日も同じ角度で理解できるとは限らない。炎上しかけている時ほど、机の上の正しさが少しずつ硬くなる。だから現場へ戻る。
河川敷の停留所は、市役所裏から歩いて七分ほどの場所にあった。もともと広めの空き地だったところへ、停留用の柵と案内看板、見守りのベンチが置かれ、歩行者の導線とドラゴンの待機位置が分けられている。広さも風通しも十分で、物理的に見れば市役所裏の駐輪場よりずっと合理的だった。
ドラゴンたちも、その場所自体には不満がなさそうだった。翼をたたみ、尻尾を巻き、ちゃんと間を取って並んでいる。市役所裏の自転車ラックに無理やり収まろうとしていた時の妙な窮屈さがない。体の大きい生き物が、体の大きさを縮めずに待てる場所としては、むしろ自然に見えた。
だからこそ、なおさら広報の難しさが出る。
この場所を“追いやった先”と見る人がいる一方で、現場に立てば“ようやく合った場所ができた”とも見える。その差は、物理の差ではなく説明の差だった。
停留所の端では、代表役のドラゴンが案内板を見上げていた。人間の言葉もだいたい読める個体で、以前の協議にも出てきたグラン=ドゥルである。こちらに気づくと、低い声を落ち着いて響かせた。
『朝から騒がしい。紙が走っているのか』
「走ってる」
勇輝は正直に答えた。
「しかも、だいぶ速い」
『我らはここで構わぬ。あの裏の狭い場所より、こちらの方が翼も尻尾も気を遣わずに済む』
「その言葉、広報に欲しいんだよな……」
美月が思わずこぼすと、グラン=ドゥルが目を細めた。
『なら、言おう。だが、“危険だから追い出された”と聞こえるなら、それは我らも不本意だ』
「そこなんです」
加奈が河川敷の風を受けながら答える。
「人間側は“歩く人と自転車が多いから分けた”って言ってるつもりでも、ドラゴン側が“厄介だから離された”って読まれたら、結局、誰のための場所か分からなくなる」
グラン=ドゥルは、少しだけ長く黙ったあと、地面へ視線を落とした。
『我らは、待つ場所が欲しかった。人間の邪魔をしたいわけではない。だが、“邪魔だから移せ”の響きで広まるなら、停留所そのものが不名誉になる』
「その通りです」
勇輝は頷いた。
「だから、“排除”じゃなく“合意して場所を分けた”を、ちゃんと前へ出す必要がある」
そこへ、河川敷のベンチで休んでいた子ども連れの親子が、停留所の方を見ながら話していた。母親の声は、こちらへ聞かせるつもりではないくらいの自然な大きさだった。
「前より安心して通れるね」
「ドラゴンさん、ここだと広いね」
「うん。ちゃんと場所があると、お互い楽なんだと思う」
その何気ない会話が、勇輝には一番大きかった。理想の広報は、たぶんこれだ。敵味方や差別と擁護の二択ではなく、“ちゃんと場所があると、お互い楽”という理解。それを、市の言葉へ訳して返す必要がある。
◆昼・庁舎会議室(説明したいことを全部入れると読まれない。だから順番を決める)
庁舎へ戻ると、広報、観光課、都市整備課、総務、それに異世界経済部が急ぎの打ち合わせに入った。SNSの画面は机の端へ伏せられ、代わりに紙が並ぶ。こういう時、画面だけ見ていると人は相手の速度に引きずられる。市役所が持てるのは、相手より遅くても崩れない紙の順番だった。
勇輝は、まず今日出すべきものを二つに分けた。
「一つ目。固定のお知らせページ。ここに、事情と理由と合意と問い合わせ先を全部書く。二つ目。SNSの補足投稿。これは短くする。でも、“訂正”とは書かない」
「え、訂正って書いちゃだめなんですか」
美月が聞き返す。
「だめです、とは言わない。でも、今回は危ない」
勇輝はホワイトボードへ新しく見出しを書いた。
『誤解です → 相手が悪いように聞こえる』
『補足します → 足したい情報があるように聞こえる』
「“誤解です”って言い方は、言われた側に“じゃあ私が悪いのか”って反発を作りやすい」
加奈が静かに補う。
「特にもう気持ちが動いてる人には、説明より先に刺さっちゃう」
「そう。だから反論しない。事実を足す」
勇輝は続けた。
「市役所裏がなぜだめなのか。河川敷がどう整備されたのか。ドラゴン側も合意していること。この三つは絶対に要る」
市長がそこで手を挙げた。
「市長名で出した方が権威がつくのでは」
「権威はつきます」
勇輝は素直に認めた。
「でも、今回は権威が前に出すぎると“上からの押しつけ”にも見える。市長名を使うなら、ドラゴン代表のコメントと並べてください。片側の言い分だけだとまた燃えます」
「並べるか」
「並べます」
都市整備課の担当が資料を開いた。
「市役所裏の駐輪場、幅員の数字出します? 自転車ラックの間隔と歩行者導線の残り幅、ちゃんと測ってあります」
「要る」
勇輝は頷く。
「“危険です”だけだと主観に見える。数字が一つあるだけで、少なくとも手順がある話にはなる」
「河川敷側の整備内容も書きます。停留枠、見守りベンチ、誘導線、試行運用の開始日」
「それも全部固定ページへ」
美月は、端末のメモ欄へ必死に打ち込んでいた。通知欄はまだ増えている。でも、その増え方を止めようとして短い言葉を投げ返すより、今は出すべきものの順番を整える方が先だと、ようやく体が理解し始めている顔だった。
◆午後・ドラゴン代表との文言調整(呼び方一つで、整理が尊重にも排除にも見えるなら、その言葉は現場で選び直した方がいい)
図解の骨格ができたところで、勇輝はもう一度だけ河川敷停留所へ連絡を入れ、グラン=ドゥルにも文言の確認を頼んだ。広報でいちばんまずいのは、「人間側がそう言っているだけ」に見える時だ。実際に合意した当事者の感覚と、紙の上の言い回しがずれていると、内容が正しくても関係だけが削れる。
オンライン会議の画面越しに、グラン=ドゥルは案内画像の試作をじっと見ていた。ドラゴンの視線は、人間が一行で済ませたがるところほど長く止まる。
『“ドラゴン等の大型生物”という括りは、行政には便利であろう』
低い声が静かに響く。
『だが、読んだ者によっては“雑に一まとめにされた”と受け取るだろうな』
「そこ、やっぱり引っかかりますか」
美月が身を乗り出した。
『我らは巨大ではある。だが、ただ大きい生き物として整理されたいわけではない』
「そうだよなあ……」
勇輝は腕を組んだ。
「制度文書だと分類が要る。でも広報では、分類語がそのまま感情へ刺さる」
加奈が、画面の横にメモを出した。
「“ドラゴンの停留場所”って言い切った方がいいのかもね。その他の大型生物の話は、別の案内に分ける」
「それ、いいです」
美月がすぐ修正に入る。
「広報では“ドラゴン”を主語にする。要綱とか条例案では“大型生物等”を使っても、画像と投稿は分ける」
「その方が、人を雑に束ねてない感じは出る」
勇輝も頷いた。
「今日はドラゴンの停留所の話なんだから、主語を逃がさない」
グラン=ドゥルは、修正された見出しを見てから、ようやく少しだけ表情を和らげた。
『“ドラゴン停留所のご案内”ならよい。どこへ行けと言われているのではなく、どこへ来ればよいかが先に立つ』
「それだ」
勇輝は小さく机を叩いた。
「“使えません”より“こちらをご利用ください”を前に出す。裏の駐輪場の話は理由として後ろへ置く」
「主任、それ、最初の投稿でやるべきやつでしたよね」
美月が弱々しく笑う。
「そうだな」
勇輝も苦笑した。
「でも、広報って、燃えかけて初めて文の骨格が見える時がある」
市長はそこで、机上の原稿を読み直しながら短く言った。
「行政文書の書き方と、広報の書き方は同じではないのだな」
「かなり違います」
加奈が返す。
「制度の文章は、漏れなく書く方が強い。でも広報は、“最初に何を主語に置くか”で空気が決まることが多いから」
最終的に、画像の見出しは少し変わった。
『ドラゴン停留所のご案内
安全に、待ちやすく、町と一緒に使うために』
大きな変更ではない。けれど、“だめ”から入る案内と、“どう使うか”から入る案内では、読む側の肩の入り方がまるで違う。広報机の上では小さな修正でも、町へ出た時にはその差が大きくなることを、勇輝たちは最近ようやく身にしみて理解し始めていた。
◆午後・最初の補足投稿(短くしようとするほど、一番切られやすい言葉だけが前に出る)
固定のお知らせページは、文章としてはかなり整った。市役所裏の駐輪場は歩行者・自転車・来庁者の動線が集中すること。ドラゴンの体格では安全確保が難しいこと。河川敷に停留所を新設し、見守りと誘導を付けたこと。ドラゴン代表との協議と合意があったこと。試行運用であり、意見受付を続けること。窓口と問い合わせ先。抜けはなかった。
問題は、その固定ページへどう誘導するかだ。
美月が最初に作った補足文は、かなり短かった。
『【補足】市役所裏は自転車用のため、ドラゴン停留は安全上できません。
河川敷停留所を新設し、合意のもと運用しています。
詳細は固定のお知らせをご確認ください。』
勇輝は、その文面を一度紙に印刷してから読んだ。悪くはない。悪くはないのだが、“安全上できません”が一番強く残る。実際、その一行が切り抜かれたら、また別の燃え方をする。
「これ、危ないですね」
加奈も同じところを見ていた。
「“できません”だけが先に立つ」
「でも、削ると今度は理由が薄い」
美月の声が揺れる。
「長くすると読まれないし、短くすると刺さるし、どうしたら……」
「だったら、文章だけで戦わない」
勇輝はそこで決めた。
「一回、この文で出す。反応を見る。ただし、次の手を最初から用意しておく」
補足投稿は出された。
数分後、反応は、予想した通りの方向で一気に伸びた。
『ドラゴン停留は安全上できません』
そこだけが画像つきで切り抜かれ、文脈を失って広がる。
通知欄の数字が、また別の速度を持ち始めた。
「主任……」
美月が、机に両手をついたまま青ざめている。
「補足の方が、元の投稿より拡散してます……」
「うん」
勇輝は画面を見ながら答えた。
「こうなると思ってた」
「思ってたなら止めてくださいよ!」
「止めるだけだと、次の手の説得力が弱くなるんだ」
勇輝は顔を上げた。
「ここで分かった。文章だけだと、相手が一番燃えやすい一文だけ抜く。だから次は、切り抜いても意味が崩れにくい形へ行く」
加奈がすぐに頷く。
「図解」
「図解」
勇輝も同じ言葉を返した。
「文章は順番が切られる。図は位置関係が残る」
◆午後・広報机の上の図解(切り抜かれてもなお残る意味を作るのは、文章より絵の方が早い時がある)
美月は、そうと決まると速かった。端末の画面を横向きにし、白地へまず四つの枠を置く。市役所裏の駐輪場。歩行者の導線。自転車の列。河川敷停留所。ドラゴンの待機位置。ベンチ。見守り。言葉より前に、位置が見える絵。
「タイトル、どうします」
「“安全と共生のために”」
加奈が言う。
「排除じゃなく、どっちも入る言葉の方がいい」
「それ、使います」
美月の指が速く動く。
一枚画像の上半分には、市役所裏の簡単な見取り図が入った。狭い通路、並ぶ自転車、出入り口、そして大きい体のドラゴンが入るとどう動線が交差するか。下半分には河川敷停留所。広い待機枠、歩行者の通路、見守りベンチ、誘導看板。横へ、小さめの文字でこう添える。
『ドラゴンは住民です。排除ではなく、停留場所を整理しています。』
『ドラゴン代表と協議し、河川敷停留所の運用を試行しています。』
都市整備課が、その画像に数字を一つ足した。駐輪場の有効幅員。河川敷停留枠の面積。理屈を支える数字は少ない方がいいが、ゼロだと感情論にしか見えない。最小限の数字が入るだけで、市が“思いつきで言っている”印象は薄まる。
市長も、ここでようやく役割を得た。短いコメントを一行だけ添える。
『安全と利便の両立のため、試行しながら改善します。』
その隣へ、グラン=ドゥルのコメントも並べる。
『河川敷停留所は、我らにも待ちやすい場所である。』
「これなら、片側だけの理屈じゃなくなる」
勇輝は画像全体を見て言った。
「誰が困って、誰が納得して、どこが代替になったかが、一枚で見える」
「切り抜かれても、“危険扱い”だけじゃなく“場所を分けた”が残りますね」
美月の声に、ようやく少しだけ力が戻る。
「そう。完全には止められない。でも、燃え方は変えられる」
投稿ボタンを押す前に、勇輝は一度だけ美月の手を止めた。
「文頭に“訂正”は入れない」
「入れません」
「“誤解です”も入れない」
「入れません」
「“補足”も、今回はなしでいい。図解のタイトルだけで行く」
「……はい」
「じゃあ、出そう」
画像投稿が流れたのは、最初の炎上から二時間少し経った頃だった。
◆夕方・問い合わせ対応室(燃えたあとの広報は、投稿だけで終わらず、電話と窓口と現場の説明が同じ向きを向いているかで強さが変わる)
図解が流れてから三十分ほど経ったところで、広報だけではなく、代表電話と観光課窓口、それに河川敷の案内スタッフのところへも質問が流れ始めた。投稿が落ち着く時は、コメント欄の勢いより先に、問い合わせの内容が変わる。怒りだけの電話が減り、「どこに行けば見られますか」「ドラゴンに会いに行く時の通路はどこですか」「河川敷の停留所って雨の日はどうなるんですか」といった、具体の確認が増える。
だから勇輝は、その時間帯に小さな対応室を作った。大げさな対策本部ではない。広報、美月、総務の電話交換担当、観光課、都市整備課。机を寄せて、図解と固定ページを印刷し、答えを揃えるだけの小さな島だ。
「同じ質問に、部署ごとで違う答えを返さない」
勇輝は最初にそれだけ言った。
「広報では“安全のためです”と言って、観光課では“見学もしやすいです”と言って、都市整備では“幅員が足りません”とだけ言うと、受け取る側は“本当の理由を隠してる”って思い始める。だから順番を合わせる」
机の真ん中へ、三つの答え方が並べられた。
一つ目、なぜ市役所裏がだめなのか。歩行者、自転車、来庁者の導線が重なり、待機には狭いこと。
二つ目、なぜ河川敷なのか。広さがあり、停留と見学と通行を分けられること。
三つ目、誰が決めたのか。市だけでなく、ドラゴン代表とも協議した試行運用であること。
総務の交換担当が、その三つを読み上げる練習まで始めた。
「“危険だから追い出した”ではなく、“待機に適した場所を分けた”」
「そう」
加奈が頷く。
「同じ事実でも、先に置く言葉が違うだけで、相手の心の動きが変わるから」
「“危険”という単語自体は消せませんけどね」
都市整備課の担当が言う。
「数字も現場も、それは本当なので」
「消さなくていい」
勇輝は答えた。
「ただ、“危険”だけで止めない。何が危なくて、代わりにどこが整ってるかまで同じ息で言う」
その時、観光課の窓口から内線が入った。
相手は、ドラゴンを見に来る観光客の家族連れらしい。子どもが河川敷まで歩けるか、途中で車道を横切らないで済むか、停留所で写真を撮ってもいいか。その全部が、批判ではなく実用の質問になっている。
美月は受話器を見ながら、少しだけ目を丸くした。
「……空気、変わってきてます」
「うん」
勇輝は頷いた。
「“怒るために読む”だけじゃなく、“使うために知りたい”人が増え始めた。この段階に入れば、ようやく役所の広報は仕事になる」
問い合わせの中には、ドラゴン側からのものもあった。河川敷停留所の運用時間、雨の日の屋根、夜間の見守り、給水桶の位置。つまり、向こうも“追い出された先”ではなく“使う場所”として見始めている。グラン=ドゥルの短いコメントが、その向き直しに効いたのだろう。
市長は、その変化を机の端で聞きながら、珍しく満足を隠さなかった。
「やはり、当事者の言葉を並べるのは大きいな」
「ええ」
勇輝は答えた。
「“行政が決めた”だけだと、人はどうしても押しつけられた絵を想像しやすい。でも、向こうも“この場所が待ちやすい”と口にしたと分かるだけで、話が整理から共生の方へ寄る」
窓口の時計が一つ進むごとに、対応室の空気は少しずつ平熱へ戻っていった。炎上の完全な終わりではない。それでも、同じ説明を何度も言い換えながら、電話の向こうの声が最初より尖らなくなっていく。広報が“出して終わり”ではなく“説明が通るところまで伴走する仕事”だということが、こういう机の寄せ方の中で一番はっきり見えるのだった。
◆夕方・問い合わせの山(鎮火は、コメントが静かになることより、電話口の声が少しずつ尖らなくなることで分かる)
投稿の効果は、SNSの数字だけではすぐには分からなかった。通知欄はまだ増え続ける。肯定も批判も混ざっている。けれど、役所にとって本当に大事なのは、むしろ別の場所だ。電話と窓口だ。
図解が流れ始めてしばらくすると、代表電話から広報へ転送される問い合わせの質が少し変わった。最初は「ドラゴンを追い出したのか」という怒気のある確認が多かったのに、今は「河川敷停留所はどこですか」「見学できますか」「市役所裏はなぜ狭いのですか」という具体の質問が増えてきている。
内容が具体になるということは、少なくとも“説明の土台”が見えたということだ。
総務の電話交換担当が、少しほっとした顔で言った。
「さっきから、“とりあえず図を見ました”って前置きが増えてきました」
「よし」
勇輝は小さく息を吐いた。
「怒りの前に一枚見てもらえるなら、次の説明がやりやすい」
窓口でも同じだった。来庁した高齢の男性が、印刷された図解を指差しながら都市整備課へ尋ねている。
「これなら、たしかに裏は狭いねえ。最初の文だけ見た時は、また変なこと始めたのかと思ったけど」
「そこなんです」
職員が苦笑する。
「最初の言い方がちょっと足りなかったんです」
一方で、完全に収まったわけではもちろんない。
『“住民です”と言いながら停留場所を分けるのは差別では』
『そもそもドラゴンが歩いて通れない町づくり自体が問題』
『河川敷に見守りが必要なら、やはり危険視しているのでは』
こういうコメントは残る。残るし、すぐには消えない。だが、図解の下にはそれと同じくらい、別の反応も増え始めていた。
『図で見ると分かる』
『停留所の方がドラゴンにも広そう』
『代表コメントがあると安心する』
『試行運用で意見受付中なら、改善前提なんだね』
加奈が、その流れを見ながら静かに言う。
「全部を納得させるのは無理でも、“何を考えて決めたか”が伝わるだけで空気は変わるんだね」
「うん」
勇輝は頷いた。
「広報で一番危ないのは、実は批判そのものじゃなくて、“勝手に決めたんだろう”って見え方だから」
美月は、ようやく椅子に深く座り直した。まだ頬は少し強張っているが、目だけは朝よりだいぶ戻っている。
「主任……私、最初から図解にすればよかったです」
「それは結果論だ」
「でも、文章がきれいなら通るって、ちょっと思ってました」
「文章は通る」
勇輝は言った。
「ただ、“通る相手”が限られる日がある。炎上しかけてる時は、相手が文章の順番を守って読んでくれる前提が崩れる」
◆夕方・広報机のメモ(燃えたあとに残すべきなのは、反省文より次の順番である)
終業が近づくころ、広報の机には新しいメモが一枚貼られた。勇輝が書き、美月が清書し、加奈が横から言葉の角を少しずつ落としたものだ。
『炎上時の広報ルール(暫定)
一、まず固定情報を作る(一次情報)
二、SNSは短く、固定情報へ戻す
三、“誤解です”から始めない
四、反論より、理由と代替と手順を示す
五、文章で切られるなら図解へ切り替える
六、合意があるなら当事者の言葉も並べる』
美月はそれを見て、苦笑いに近い顔をした。
「これ、今日の私の反省文みたいですね」
「反省文にするな」
勇輝は答えた。
「次に同じことが起きた時、最初から走れるようにするための順番だ」
「でも、たぶんまた焦ります」
「焦るのはいい。順番まで捨てなければ」
市長は、そのメモを読んでから珍しく余計な比喩を足さなかった。ただ一言だけ言う。
「広報も、結局は行政の一部だな」
「かなりそうです」
加奈が笑う。
「しかも、人に届いた瞬間に勝手に別の意味が生まれるから、窓口より先に火が走ることもある」
「今日がまさにそうだったな」
そこへ、総務の若い職員がそっと顔を出した。
「広報さん、“訂正が一番拡散する人”って呼ばれ始めてます」
「称号にしないでください!」
美月が机に突っ伏しそうになる。
「誰ですか、そんなこと言い出したの」
「たぶん、市場のまとめアカウントです」
「市場にまで届いてるの、広いなあ……」
勇輝は半分だけ呆れ、半分だけ笑った。
「でも、そこで終わりにしていいんじゃないか。最初の投稿で燃えて、補足でさらに伸びて、最後に図解で落ち着かせた。だいぶ広報としては濃い一日だった」
「濃すぎますよ」
「今のひまわり市は、そういう町だ」
◆夜・庁舎の外階段(広報は、正しいことを言う仕事ではなく“正しさが届く形を探し続ける仕事”になっていく)
仕事を終えて庁舎の外階段へ出ると、夜風が少しだけやわらかかった。空気は静かで、通知欄の数字だけが別の時間を生きていた数時間前が嘘みたいに、階段の金属手すりは冷たいだけの普通の手すりへ戻っている。
美月は端末を胸の前で持ったまま、ようやく深く息を吐いた。
「広報って、もっと“出して終わり”の仕事だと思ってました」
「昔は今より、そういう部分も多かったかもしれない」
勇輝は夜の庁舎前を見ながら答えた。
「でも、異界転移してからは特に、“出した瞬間から別の解釈が増える”のが早い。だから出して終わりじゃなく、どこへ戻すか、どう補うかまで含めて広報なんだと思う」
「訂正が怖くなりました」
「訂正が悪いわけじゃない」
加奈がやわらかく入る。
「“訂正”って言葉ひとつで済む場面と、そうじゃない場面があるだけ」
「今日は後者だったな」
勇輝は頷いた。
「人の気持ちがもう動いてる時は、“違います”より“こういう事情です”の方が届く」
河川敷の停留所の方角には、街灯がいくつか小さく並んでいた。昼間に見たドラゴンたちは、たぶん今もあそこで静かに休んでいる。市役所裏より広く、でも町から遠すぎない場所で。そう考えると、今日一日やっていたことは、結局その光景をちゃんと伝えるための仕事だったのだと思えた。
市長は階段を一段下りたところで立ち止まり、街灯の並びを見たまま言う。
「場所を分けたこと自体より、その分け方が誰かを下に見ているように響いたのが問題だったわけだ」
「そうです」
勇輝は答えた。
「行政って、内容が正しくても言い方で関係を壊すことがある。今日はそこを、かなりはっきり見せられました」
「次は最初から図解だな」
「そうかもしれません」
美月が疲れた声で笑う。
「文章を削るより、図にして“ここが狭い”“こっちは広い”の方が早かった」
「言葉が悪いんじゃない」
加奈は空を見上げながら言った。
「でも、言葉だけだと順番を飛ばされる日があるんだよね。そういう日は、図や位置関係みたいに、切っても残るものの方が強い」
勇輝は、貼ったばかりの広報ルールのメモを思い出した。固定情報を先に作ること。SNSはそこへ戻すこと。反論より説明を置くこと。合意があるなら並べること。どれも当たり前といえば当たり前だ。けれど、燃え始めた時にその当たり前を思い出すには、机の横に貼ってあるくらいがちょうどいい。
広報は、たぶんこれからもっと戦場みたいになる。
何を出しても注目される。何を言っても解釈が増える。訂正は時々、最初の投稿より速く遠くまで飛ぶ。
それでも役所が黙るわけにはいかない。黙れば、別の言葉が先に町の説明になってしまうからだ。
正しいことを言うだけでは足りない。
正しさが届く形を、その都度探し直さなければならない。
ひまわり市の広報は、どうやらそういう仕事に変わりつつあるらしかった。
通知欄の数字は、明日もまだ少し増えるだろう。全部が落ち着くには時間がかかる。けれど、その時間の中で、最初の短い文だけが独り歩きする状態から、固定の説明と図解へ戻れる流れができたのなら、今日はそれで十分だった。
役所は明日も開く。
窓口案内も、イベント告知も、災害情報も、たぶんまた変わらず出さなければならない。
そして広報は、そのたびに思い出すのだろう。
短いことと、伝わることは、同じではない。
訂正は悪ではない。けれど、出し方を間違えると一番遠くまで走る。
だから、次は最初から、燃えた時に戻れる地図を一緒に置いておく。
夜の市役所は、外から見ればただ静かな建物だった。その静けさの中で、今日も机の上に一枚だけ増えたルールが、たぶん次の朝の広報を少しだけ助ける。そういう小さな積み重ねでしか、町の言葉は守れないのかもしれなかった。




