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第85話「デマンド交通、目的地が洞窟と空中庭園」

 ひまわり市役所の朝には、二種類の静けさがある。

 ひとつは「まだ何も起きていない静けさ」。

 もうひとつは――「起きる気配が濃すぎて、誰も口を開けない静けさ」。


 今日は後者だった。


 交通政策係の職員が、顔面から色を抜いて異世界経済部に入ってくる。

 手にはタブレット。画面が、もうイヤな予感で光っている。


「主任……デマンド交通の、予約画面が……」

「予約が増えた? 観光客?」

「増えた、というか……行き先が……」


 職員は言いづらそうに、指で画面を拡大した。


【目的地:洞窟(“ひそやかなる試練の穴”)】

【目的地:空中庭園(雲の階段・第三踊り場)】


「……は?」

 勇輝の声が、乾いた。


 美月が横から覗き込み、ぱっと目を輝かせる。


「うわっ! “雲の階段”って何それ、映える~!」

「映えるな! 交通じゃなくて観光だろそれ!」


 加奈は、いつもの落ち着いたトーンで確認する。


「デマンド交通って、元々“買い物とか通院”の足だよね?」

「そうだよ! お年寄りの移動支援だよ! 洞窟に通院すんな!」


 そこへ市長が、コーヒー片手にしれっと現れた。

 そして、しれっと言う。


「洞窟と空中庭園か。いいじゃないか」

「よくないです!!」


 勇輝が即ツッコミを入れると、市長は肩をすくめた。


「町の魅力が広がる。交通が観光を呼ぶ。理想だろう?」

「理想の前に、運転手が泣きます!」


 交通政策係の職員が、泣きそうな声で言った。


「もう泣いてます……今、運転手さんから“どこ走ればいいんですか”って……」


「だろうな!」


 デマンド交通――ひまわり市では、電話やアプリで予約すると、乗合の小型車が迎えに来てくれる仕組みだ。

 路線バスが細かく走れない地域をカバーし、高齢者の足を守る。地味だが大事。地味だが尊い。


 その画面に、洞窟と空中庭園。


 尊さが、ファンタジーに飲み込まれている。


「原因は?」

 勇輝が聞くと、職員は震える指でログを示した。


「目的地リストが“オープン入力”になってまして……住民が新しい目的地を追加できる仕様で……」

「なんでそんな仕様に!?」

「“住民主体のまちづくり”って……導入当時のスローガンが……」

「スローガンが今、首絞めてる!!」


 美月が手を挙げる。


「たぶんそれ、私の投稿が原因です!」

「自首が早い! で、何をした!」

「“ひまわり市のデマンド交通、異界スポットにも行けたら最強じゃない?”ってアンケしたら……」

「するな!!」

「“行けるなら行きたい!”が92%でした!」

「そりゃ行きたいだろうよ! でも行けないんだよ!!」


 加奈が首を傾げる。


「行けない、っていうのは……道がないとか?」

「それもあるし、そもそも安全確認ができてない。保険も、運行区域も、料金も全部ズレる」


 市長がニヤリとする。


「なら、確認しに行けばいい」

「市長、軽く言わないでください。洞窟ですよ? 崩落とか魔物とか、普通にありますよね?」

「普通にあるな」

「普通にあるのかよ!」


 職員が小声で追撃する。


「実は……もう一件、予約が入ってまして……今から出発予定で……」

「止めろ! 止めろ止めろ!」


 勇輝が叫ぶと、電話が鳴った。

 デマンド交通の委託先――運行会社だ。


『主任さん! 今、迎えに行ったお客さんが“洞窟まで”って言ってまして!

 断ったら“アプリで選べた”って! どうしたら!』


 勇輝は目を閉じた。


「……とりあえず、出発は止めてください。安全が確認できない」

『でも、お客さんが怒ってて……』

「怒ってもダメです! 洞窟は……洞窟は……」


 言いながら、結局、勇輝は腹をくくった。


「……現地確認します。市長、行きますよね」

「当然だ」

「当然って言うな!」


 美月が跳ねる。


「私も! 実況――」

「ダメ!」

「じゃあ、記録係!」

「それもダメ!」

「えー! 役所って“現場主義”じゃないんですか!」

「現場主義だけど、炎上主義じゃない!」


 加奈がやんわり言った。


「私も行く。お客さん対応、必要でしょ」

「……加奈、それは助かる」


 こうして一行は、ひまわり市デマンド交通の車両に乗り込み、問題の“洞窟”へ向かった。


 運転手さんはハンドルを握りながら、ずっと眉間にシワを寄せていた。


「主任さん、すみませんね……

 デマンドって“家と病院とスーパー”が基本じゃないですか。

 洞窟って……洞窟って、住所あります?」

「ないです。ないから問題なんです」


 車は町外れへ。

 舗装路が途切れ、森の方へ入る。

 そこに――ぽっかりと口を開けた黒い穴があった。


 洞窟。ガチの洞窟。


 入口には、手作りの看板。


『ひそやかなる試練の穴(初心者歓迎)』


「初心者歓迎って書いとけば安全みたいな風潮やめろ!」


 市長はなぜか満足げだ。


「いいネーミングだな」

「市長、褒めると増えますよ。炎と同じです」


 そこへ、予約したらしい住民(若い男性)が近づいてきて、期待の目で言った。


「おお! 来た! やっぱ行けるんですね!」

「行けません」

「えっ、でもアプリで……」

「アプリが間違ってる!」


 加奈が間に入って、柔らかく説明する。


「ごめんね。デマンド交通は、生活の移動を守るための仕組みなの。

 安全確認が取れてない場所には、行けないんだ」

「じゃあ、いつ行けるようになるんです?」

「……それは、これから検討です」


 勇輝がすかさず付け足す。


「検討はします。ただし、行けるようにするなら――

 運行範囲、道路状況、安全対策、保険、料金、全部整備が必要です」

「そんなに……」


 男性がしょんぼりした瞬間、洞窟の奥から――ひゅう、と冷たい風が吹いてきた。

 それだけで、空気が変わる。


 運転手さんが小声で言う。


「……ここ、車で入ったら戻ってこれる感じしませんね」

「しませんね」


 勇輝は看板を指さした。


「そもそも“初心者歓迎”の前に、車両通行禁止って書け」


 市長が頷いた。


「洞窟は観光資源だ。だが、生活交通に混ぜるべきじゃない」

「……やっと分かってくれました?」

「分かっていた。現場で言うと説得力が増す」

「最初から言ってください!」


 次の問題は“空中庭園”だった。


 運行会社の画面には、すでに予約が入っている。


【目的地:空中庭園(雲の階段・第三踊り場)】

【備考:花を見て帰るだけです】


「帰るだけです、じゃないんだよ……」


 空中庭園は、異界側の浮遊地形にある観光スポットだ。

 行くには“天空橋”の途中から分岐し、雲の階段を上る。

 つまり――車で行く場所じゃない。


 なのに、予約が入っている。


 勇輝が頭を抱える。


「誰だよ、そんな目的地をリストに追加したの」

 美月が目をそらす。

「……追加ボタン、押しました」

「押すな!!」


 市長が楽しそうに言う。


「まあ、気持ちは分かる。行きたい」

「市長まで!」


 加奈が苦笑して、勇輝の肩を叩いた。


「大丈夫。整理すればいい。

 “デマンド交通の目的地”と“観光の目的地”を分けよう」

「……分ける。そうだ。分ければいいんだ」


 勇輝は、役所の顔になった。


「よし。今から決める。

 デマンド交通は“生活優先”。目的地は、住所と安全確認が取れる地点だけ。

 異界スポットは、別枠で“観光シャトル”にする」


 運転手さんが、心から救われた顔をした。


「主任さん……その一言、待ってました……」


 市長が腕を組む。


「観光シャトルは、ルートと時間を固定する。

 安全管理をし、料金を明確にし、案内も整える」

「そこまでやるなら、ちゃんと観光事業です。予算も取りますよ」

「取ろう」

「軽い!」


 美月が手を挙げる。


「じゃあ私、告知を――」

「“先に制度が決まってから”な」

「えー!」

「えーじゃない! 広報は最後!」


 加奈がさらっと提案する。


「あと、目的地の追加ボタン、消そう」

「消します! 今日消します! 今消します!」


 交通政策係の職員が、涙目で頷いた。


 市役所に戻ったあと、緊急でミニ会議が開かれた。

 議題はひとつ。


「デマンド交通に洞窟と空中庭園が混ざった件」


 勇輝はホワイトボードに、大きく二つの枠を書いた。


生活デマンド(通院・買い物・行政手続き)


観光シャトル(異界スポット・体験型)


「これで分離。

 生活側は“登録済み停留所”方式にして、目的地は固定。

 観光側は、週末限定の実証から。予約制」


 市長が即決する。


「よし。やろう」

「やるのはいいけど、段取り! 段取りが!!」


 美月がニヤニヤする。


「課長、洞窟は“初心者歓迎”でしたよね。

 じゃあ観光シャトル第一弾、洞窟ツアー――」

「しない! まず安全確認! ガイド! 保険! トイレ!」

「トイレ大事!」

「そこだけ素直に頷くな!」


 加奈が笑いながら、まとめに入った。


「ほら、方向は決まった。

 住民の足を守りつつ、観光は別でちゃんと育てる。ひまわり市らしいよ」

「……だな」


 勇輝は最後に、運行会社へ正式に指示を出した。


デマンド交通は運行区域内・登録地点のみ


異界スポットは予約画面から除外


“洞窟”“空中庭園”は観光課へ連携、別事業で検討


 送信ボタンを押した瞬間、肩の荷が少しだけ軽くなった。


 ……その瞬間。


 美月のスマホが鳴る。


「課長! 今、アンケ結果が――」

「見るな! 聞かない!」

「“次に行きたい目的地”一位が、“空中庭園(雲の階段)”です!」

「だから増やすなって言ったのにぃぃ!!」


 市長が笑って言った。


「人気があるのは良いことだ」

「良いことだけど、順番がある!」


 加奈が、しみじみ言う。


「この町、ほんとに“日常”が増えるね」

「増え方が変なんだよな……」


 それでも勇輝は、ペンを取ってメモを残した。

 役所は、混乱を“制度”に変える場所だ。


 洞窟だろうが空中庭園だろうが、

 最後は――申請書と運用ルールに落ちる。


「よし。次は空き家対策だ。

 ……頼むから、目的地が“勝手にリフォームするスライム”とかになってませんように」


 美月が、にっこり笑った。


「なってたら面白いですね!」

「面白くない!」


次回予告


空き家が勝手にピカピカに!?

住み着いたスライムが、リフォーム職人化して止まらない。

「空き家対策:勝手にリフォームするスライム」――所有権と景観とゼリー建築、どう落とす!?

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