第84話「保育園の寝かしつけ担当がドラゴンになった」
ひまわり市役所の朝は、だいたい“静かな絶望”から始まる。
静かに積み上がった書類の山を見て、勇輝が「……今日も生きてるな」と確認する。そんな朝だ。
そこへ――。
「主任! 至急です! 保育園が!」
走り込んできたのは、子育て支援課の職員だった。顔が青い。
「落ち着け。保育園がどうした」
「寝かしつけが……寝かしつけが……」
「寝ないのか?」
「寝ます!! 寝るんです!!」
「どっちだよ!」
美月が隣でスマホを構え、目を輝かせる。
「え、なにそれ。“寝すぎ問題”ですか!? それバズ――」
「バズらせるな!」
加奈が、机にそっと差し入れのクッキーを置いてから言う。
「で、何が起きたの?」
「ドラゴンが……寝かしつけを担当してます……!」
勇輝の脳が一瞬、停止した。
「……担当?」
「はい! 園児が泣き止まなくて困ってたら、ドラゴンが来て、子守歌みたいなのを――」
「待て待て待て。誰が呼んだ」
「誰も呼んでません! 勝手に来ました!」
「勝手に来るなぁ!」
市長が通りがかり、耳だけで拾ってすぐ参加してきた。
「ドラゴンが子育てに協力か。いい話じゃないか」
「市長、いい話で済むなら役所は苦労しません」
「泣き止むなら保護者も助かる」
「泣き止むのは助かるけど、ドラゴンが園にいるのは別問題です!」
子育て支援課の職員が、さらに小声で追い打ちする。
「それと……寝かしつけ成功しすぎて、今……園児が全員、爆睡です」
「それは……まあ、良い」
「でも、保育室の空調が……壊れました」
「良くない!」
勇輝は立ち上がった。
「現場行く。加奈、美月、市長――来ます?」
「当然だ」市長。
「行く!」美月。
「私も。園のお母さんたち、心配してそうだし」加奈。
こうして異世界経済部は、“保育園ドラゴン案件”に出動した。
ひまわり保育園は、ひまわり市役所から歩いて十分。
町が異界に転移してからも、園だけは不思議と“いつもの日本の保育園”のまま残っている。
――残っていたはずだった。
園の前に着いた瞬間、勇輝は足を止める。
「……園庭に、でかい影があるんだが」
「影というか、本人ですね」
園庭の隅に、ドラゴンが丸まっていた。
翼をたたみ、尻尾を丁寧に巻き、まるで“自分は植木です”みたいな顔でじっとしている。
サイズは、観光バスの代わりに来る巨大なやつより小さい。
それでも、軽自動車三台分くらいはある。
園長先生が泣きそうな顔で出迎えた。
「主任さん! 助けてください! ええと……これ、通報案件ですよね!?」
「まず状況確認します。園児は?」
「今、全員お昼寝中です。……あり得ないくらい静かです」
「あり得ないくらい静か、って怖いな」
保育室のドアをそっと開けると――
確かに、静かだった。
十数人の園児が、まるでスイッチを切られたみたいにすやすや寝息を立てている。
保育士さんたちは、逆に目がギラギラしていた。寝かしつけ不要で余った体力が、困惑に変換されている。
「こんなに全員が同時に寝るなんて……人生で初めてです……」
「それはそれで複雑そうですね」
美月が小声で言った。
「これ、“ドラゴン式寝かしつけ”って動画にしたら……」
「しない!」
加奈が園児の寝顔を見て、柔らかく笑った。
「でも、安心して寝てるね。怖がってる感じはない」
「そこは良い。問題は……空調が壊れたってやつだ」
勇輝が壁のエアコンを見ると、表示ランプが点滅している。
室内はほんのり暑い。というか、妙に“あったかい”。
園長が説明した。
「ドラゴンさんが、寝かしつけのときに……“ふぅ……”って、息を吐いて」
「火?」
「いえ、火じゃないんです! 温かい風、みたいな」
「それ、暖房と同じじゃないですか」
市長が感心したように言う。
「なるほど。ドラゴンの体温は高い。子どもは眠くなる」
「市長、感心してる場合じゃないです。設備は死にます」
そのとき、園庭のドラゴンが、のそっと顔を上げた。
こちらをじっと見ている。目が思ったより穏やかだ。
園長が震え声で言った。
「その……会話、できます。たぶん。
私が“ありがとうございました”って言ったら、頷きました」
「頷いたら会話成立って、だいぶ雑ですよ!」
勇輝は園庭に出て、ドラゴンと距離を取りつつ声をかけた。
「……えっと。君、保育園に来た理由は?」
ドラゴンはゆっくり瞬きをして、低い声で答えた。
『……泣き声が、森まで届いた。
小さいものが苦しむのは、耳に刺さる』
「耳に刺さるから来たのか」
『……眠らせれば、刺さらない』
「目的がストレートすぎる!」
加奈が横から、優しく言う。
「来てくれたのは、ありがたいよ。子どもたちも怖がってないみたいだし」
ドラゴンは少しだけ胸を張った。
『……我は、静けさを作れる』
美月が感動した顔で小声になる。
「なんか、いい話っぽい……」
「いい話っぽいけど、行政案件だ」
勇輝は咳払いした。
「ただし、園にはルールがある。勝手に入るのは困る」
『……ルール』
「そう。子どもは弱い。安全が最優先」
『……安全。ならば、我は動かない。踏まない』
「踏まないのは最低条件だよ!」
市長が一歩前に出る。
「協力してくれるなら、市として“役割”を考える。
だが、条件がある。火は使うな。強風もやめろ」
『……火は出していない。温い息だけだ』
「その“温い息”で空調が壊れた」
ドラゴンは首を傾げた。
『……箱が弱い』
「箱が弱いって言うな。予算の箱も弱いんだ」
勇輝は園長に向き直った。
「空調の修理はすぐ手配します。
ただ、根本は――ドラゴンの寝かしつけを“続けるかどうか”です」
「続けたいです……! 現場としては……!」
保育士さんが思わず言って、口を押さえる。
園長も頷いた。
「寝かしつけの時間が短くなると、保育士の負担が減って……その……救われます」
「ですよね。そこはわかる」
加奈が、ぽつりと言う。
「保育って、毎日が体力勝負だもんね」
「……それをドラゴンが補うのは、魅力的だ」
市長が顎に手を当てる。
「なら、制度に落とし込む。
“ドラゴン寝かしつけ協力”の枠組みだ」
「枠組みが雑に聞こえるんですよ!」
勇輝は、行政モードに切り替えた。
「よし。整理します。
①園児への直接接触は禁止(爪、鱗、尻尾、全部危険)
②寝かしつけは窓越し、または園庭から
③息は“温風禁止”。代替手段を検討
④来園は事前連絡。勝手に来るな
⑤保護者への説明と同意」
美月が即座に言った。
「⑤は私が広報文作ります! “ドラゴンさんは安全に配慮してます”って!」
「余計な敬称つけるな。“さん”とか付けると神格化する」
「じゃあ“ドラゴン氏”」
「役所っぽくするな!」
ドラゴンが、不満そうに鼻息を鳴らした。
『……窓越し? 声は届くか』
「届く。園児は声で寝る」
『……ならば、歌う』
「歌えるのか」
『……昔、巣で卵を温めるとき、歌った。
子は、低い音で眠る』
その瞬間、園舎の中から――
「おおおお……」
「んん……」
園児の寝返りが一斉に起きた。
ドラゴンの声だけで、空気が揺れる。
勇輝は背筋がぞわっとした。怖いというより、“効きすぎ”だ。
園長が慌てて手を振る。
「今は! 今はやめてください! みんな起きちゃう!」
『……起こしたくない。なら、もっと低く』
「低くすると逆に地面が揺れそう!」
市長が笑った。
「うまく調整すれば、寝かしつけのプロだな」
「プロの方向が規格外なんですよ!」
結局、その日の落としどころはこうなった。
ドラゴンは園庭の大木の陰に伏せ、
保育室の窓の外から“極小音量の低音子守歌”を流す。
そして息は吐かない。絶対に吐かない。
保育士が合図を出し、時間は十五分限定。
試験運用。
結果――。
園児は、全員、すとんと寝た。
空調は壊れなかった。
保育士さんは、泣きそうな顔でガッツポーズをした。
「……神……」
「神って言うな! 聖水騒動が蘇る!」
美月がすかさずメモする。
「“ドラゴンは神ではありません”注意書き、入れます!」
「注意書きが多すぎる!」
加奈はドラゴンに向かって、そっと頭を下げた。
「ありがとう。助かったよ」
ドラゴンは目を細めた。
『……小さいものが静かに眠るのは、良い』
勇輝は、手帳に新しい項目を書き足した。
――異界協力人材:ドラゴン(寝かしつけ支援)
・窓越し
・音量制限
・温風禁止
・事前連絡
・保護者説明会実施
役所は、今日もまた一つ、マニュアルが増えた。
でもそれは、町がちゃんと“生きてる”証拠でもある。
帰り道、市長がぽつりと言った。
「ドラゴンが子育てに関わる町。悪くないな」
「悪くないけど、二度と“勝手に来る”のだけはやめさせましょう」
「それは同意だ」
美月が振り返って言う。
「課長! 次は“ドラゴン保育士資格”とか――」
「作らない! 作らないからな!」
加奈が笑う。
「でも、今日の園は救われたね」
「……そうだな」
勇輝は、少しだけ肩の力を抜いた。
「ただし、次は何が来るかわからない。
この町、油断するとすぐ“伝説”になるからな」
次回予告
オンデマンド交通の目的地に、なぜか「洞窟」と「空中庭園」が登録された。
運転手は泣き、市長は目を輝かせる。
「デマンド交通、目的地が洞窟と空中庭園」――役所の交通担当、胃が終わる!




