第83話「給食が強すぎる:異界食材で全員ムキムキ」
◆朝・ひまわり小学校 校門前(元気があるのは良いことだが、良すぎると話が変わる)
校門の引き戸が、朝の光の中でやけに軽く見えた。
ふだんなら当番の先生が横で少し手を貸しながら開ける重さがある。古い学校の門というものは、だいたい少しだけ頑固で、毎朝同じ音を立てて動く。その音を聞きながら子どもたちは「おはようございます」と言い、ランドセルを揺らして校庭へ入っていく。ひまわり小学校の朝も、本来ならそういう順番で始まるはずだった。
ところが、その日は違った。
「先生、開けときましたー!」
校門の前で、まだ背の低い三年生の男子が、片手で門を支えたまま満面の笑みを浮かべている。しかも、支えているというより、ほとんど軽く押さえているだけに見える。門はいつもより大きく開き、その横を通る上級生たちが「おおっ」と妙な歓声を上げた。
生活指導の大谷先生は、一瞬だけ「助かった」と言いかけてから、その言葉を飲み込んだ。助かるかどうかの前に、まず違和感が勝ったからだ。
「えっと……ありがとう。でも、それ、重くなかった?」
「ぜんぜん! 今日なんか、朝から身体が軽いです!」
身体が軽い、という表現だけなら珍しくない。よく眠れた朝もあれば、遠足の日みたいに妙に気持ちが先へ走る日もある。けれど、その子は次の瞬間、門の脇に置かれていたプランターを何の気なしに持ち上げて、花壇の陰へ寄せてしまった。土がぎっしり入った長方形のプランターは、教師でも「ちょっと待って、二人で運ぼうか」と言う種類の重さがある。なのに本人は善意しかない顔をしている。重さを認識していないのだ。
「ちょっと待って、置いて、置いていいから!」
大谷先生が慌てて声をかけると、子どもはきょとんとした。
「え、これだめでした?」
「だめっていうか、だめじゃないけど、朝から力持ちの基準が変わってる」
校庭のほうでも、似たようなことが起きていた。うさぎ小屋へ運ぶ飼料袋を、いつもなら六年生が二人がかりで抱えていくのに、今日は給食当番でもない五年生が一人でひょいと持ち上げている。体育館へ続く渡り廊下では、雑巾がけの準備に出された長机を、四年生の女子二人が妙に手際よく動かし、見ていた用務員が「待って待って、足を挟むからゆっくり」と追いかけている。元気というより、力の出し方に遠慮がない。しかも当人たちに悪気がなく、むしろ「今日はみんな働き者だね」と言われたがっている気配まである。
職員室の前を通りかかった体育の森本先生は、子どもたちの様子を見て最初は笑っていた。
「なんだなんだ、今日は朝からやる気満々だな。いいぞ、その感じ――」
そこまで言ったところで、二年生の男の子が雑巾バケツを片手で持ち上げ、その勢いで廊下の角を曲がろうとして、床へ水を豪快にこぼした。やる気はある。だが、力の加減が明らかに追いついていない。
森本先生の笑顔が、そこでようやく「これは少し様子がおかしいかもしれない」という顔に変わる。
「……あれ。ちょっと待てよ」
校長室の扉が開き、校長が顔を出した。髪はきちんと整っているのに、目の下だけがすでに疲れている。
「森本先生、六年生が朝礼の前に鉄棒を拭いてくれているのは大変ありがたいのですが、その……一本、少し傾いていませんか」
「えっ」
校長と森本先生がそろって校庭を見ると、鉄棒の端に集まっていた六年生が「先生ー、ぐらつくのでもうちょっと奥まで差し直します!」と元気よく叫んだ。
「差し直すなぁっ!」
校長の声が、朝礼前の校庭へ思いのほかよく響いた。
たぶん、この時点でもまだ学校側は「変な朝だな」くらいに思っていたのだろう。妙に元気な日、力が入りすぎる日、そういうものは子どもにはある。けれど、異常はだいたい「少し変だ」の顔で始まり、「少し変だ」で止まってくれない。その日のひまわり小学校も、まさにその流れへ乗りかけていた。
給食室から漂ってくる匂いだけは、朝の時点ですでに大成功の気配を放っていた。出汁の厚い香りと、焼きたてのパンの香ばしさ、それに甘いものの深い匂いが、廊下の窓をすり抜けて職員室まで届いている。食欲を引く香りという意味では完璧だ。問題は、その完璧さが、昼になってから別の方向で力を持ち始めたことだった。
◆朝・ひまわり市役所 異世界経済部(紙はいつも静かに始まり、内容だけが騒がしい)
異世界経済部の朝は、机へ積まれた紙の厚みでだいたい機嫌が決まる。回覧だけの日はまだましだ。相談と苦情が半々くらいなら、午前中を使えば何とか整う。ところが教育委員会からの緊急協議依頼が、昨日の聖水騒動の名残が残る朝に紛れ込んでいるとなると、話は違ってくる。
勇輝は封筒から書類を引き抜いたところで、一度だけ天井を見た。まだ出勤して十五分も経っていない。コーヒーは半分残っていて、端末も完全には立ち上がり切っていない。なのに表紙へ印字された太い文字だけが、朝からやたら元気だった。
『学校給食に関する緊急協議依頼』
教育委員会の書面というものは、本来もっと乾いていてほしい。学区調整、予算執行、施設管理、そういう真面目な単語が似合うはずだ。それなのに今日は、紙そのものから「また異界だぞ」と言ってくる感じがある。しかも持ってきたのが、なぜか水道課の佐伯課長だった。
「どうして佐伯さんが」
勇輝が訊くと、佐伯課長は自分でも理不尽だと思っている顔で両手を上げた。
「昨日の火の件以来、庁内で『説明しにくいことはとりあえず異世界経済部へ』という流れが生まれまして……教育委員会のほうが『たぶん異界食材なので、まずこちらへ』と」
「最悪の前例を作ったな……」
「私もそう思います」
そこへ、美月が勢いよく入ってくる。今日はスマホではなく、カラーで刷られた給食献立表を片手にしていた。紙を振りながらやって来る様子は明るいが、その明るさが今回はあまり信用できない。
「勇輝さん、見ました!? ひまわり小学校の今日の献立、異界食材の試験導入です!」
机の上へ広げられた献立表には、たしかに見慣れない単語が並んでいた。
・竜骨スープ(※竜骨は比喩)
・ドワーフ式岩塩パン
・森エルフの薬草サラダ
・魔界プロテインプリン
最後の一行だけが、どう見ても給食というより鍛錬施設の貼り紙に近い。
「待って。どうして学校給食に『プロテイン』が入ってるんだ」
「ドワーフ連合からの食材提供だそうです。昨日、市長が受けたって」
「受けたんですか」
勇輝が顔を上げると、ちょうどそのタイミングで市長が扉を開けた。今日も妙に落ち着いている。こういうときの市長の落ち着きは、半分は頼もしさで、もう半分は嫌な予感だ。
「受けた」
あっさり言った。
「地域連携の一環として、異界食材の試験導入を教育委員会が打診してきた。ドワーフ連合側も『子どもたちに良いものを食べてほしい』と熱心でな」
「熱心な方向が筋肉の気配しかしないんですが」
「食は大事だ」
「大事です。でも給食はさらに慎重に大事です」
加奈が喫茶ひまわりの紙袋を抱えて入ってきて、会話の流れを聞きながら首を傾げた。
「商店街でも昨日ちょっと話題になってたよ。ドワーフさんたち、『育ち盛りには芯のある食事を』ってずっと言ってた。私はてっきり、味がしっかりしてるって意味かと思ってたんだけど」
「今の流れだと、芯って筋繊維の話をしてた可能性がある」
勇輝が言うと、美月が我慢しきれないように資料をもう一枚差し出した。教育委員会から届いた状況報告だ。
『児童および教職員の体調変化が複数報告されている。念のため、市役所として状況確認を求む。』
「体調変化の内訳は?」
「口頭の先行連絡だと、『妙に元気』『力が強い』『落ち着きがないわけではないが、やる気の向きが筋力方面』だそうです」
「最後の日本語がおかしい」
「教育委員会の人も、たぶん相当困ってます」
市長は腕を組み、しかしさすがに少しだけ慎重な顔になった。
「学校側は怪我の心配をしているようだ。なら早いほうがいい。現場を見よう」
勇輝は頷き、書類をまとめた。
「行きます。確認するのは三つ。献立の決定経緯、成分表の中身、人間基準での量が妥当だったか。その上で、子どもと教員にどの程度の影響が出ているかを見る」
「あと、広報になるかどうか」
美月が目を輝かせかけたのを、勇輝は先に止めた。
「今日はならない。まずは学校を止めないことが先だ」
「分かってます。でも、もし『異界食材給食の安全基準』みたいな話になるなら、それは後でかなり大きいテーマになりますよね」
「それはそうだ。だからこそ、今日は浮つかずに行く」
佐伯課長がそこで、なぜか少しだけほっとした顔を見せた。
「給食の話なら、水道課は関係なさそうで助かります」
「いや、スープで水使ってるので完全には逃げ切れませんよ」
「そういう巻き込み方をするんですか!?」
「冗談です」
「今のタイミングで冗談に聞こえません」
半分本気で言う佐伯課長を残し、異世界経済部の面々は急いで庁舎を出た。今日もまた、紙の上では静かな案件が、現場へ行けばだいたい大きな声を出し始める。その予感だけは、もう誰も疑っていなかった。
◆午前・ひまわり小学校 校長室(元気と危険の境目は、たいてい現場にしか見えない)
学校へ着くと、まず空気の熱さが違った。校門のところからすでに子どもたちの声が明るく高く、廊下を抜ける靴音までいつもより弾んでいる。別に騒ぎになっているわけではない。泣き声が響いているのでも、誰かが倒れているのでもない。ただ、全校の身体に一段ぶん余計なエンジンが積まれているみたいな感じがある。
案内された校長室で、校長は深く頭を下げた。表情は穏やかな人だが、今日は目元の疲れが隠し切れていない。
「お忙しいところ申し訳ありません。状況だけ申し上げると、重篤な体調不良は出ていません。発熱も、嘔吐も、腹痛も、現時点ではありません。ただ……」
「ただ、元気が過剰なんですね」
勇輝が言うと、校長は心底ありがたいと言いたげな顔で頷いた。
「そうなんです。言葉にすると冗談みたいで、教育委員会へ電話しながら自分でも困ったのですが、本当にそれで……。まず朝の準備段階で、机の移動が妙に速い。掃除が異様に丁寧。給食のあとには、校庭へ出た子どもたちが腕相撲を始め、しかも加減を知らない。さらに教員側も、どうも身体が軽いらしく、体育の森本が調子に乗ってしまいまして」
ちょうどそのとき、廊下の向こうから「うおおお、先生すげぇ!」という歓声が上がった。内容を確認しに行く前から嫌な絵が浮かぶ。
教頭が慌てて校長室へ飛び込んできたのは、ほぼその直後だった。
「校長、六年二組が鉄棒の前で、先生対児童の腕相撲大会を……!」
「やっぱりそっちか」
校長が目を閉じる。心の準備はもうできていたらしい。
勇輝はその間に、目の前の書類へ視線を落とした。異界食材の栄養データ。紙自体は妙に丁寧で、ドワーフらしい几帳面さがにじんでいる。ただし書かれている単位がよくない。
『滋養:高』
『骨格支援:強』
『筋力補助:+3』
『闘争心促進:微』
「最後の項目を誰が通したんですか」
栄養教諭の杉本先生は、すっかり肩をすぼめていた。
「その……『微』だったので、香辛料の刺激みたいなものかと……。それに、ほかの成分表は本当に丁寧だったんです。ミネラル量も、たんぱく質も、鉄分も、かなり詳細で……」
「詳細なのに、単位が筋力なんですよね」
「はい……」
加奈が資料を覗き込んで、あきれたように苦笑した。
「これ、人間向けに翻訳されてないんだね。ドワーフの世界では普通に読める表なのかもしれないけど、学校へそのまま入れたら、そりゃどこかずれるよ」
「まさにそこです」
勇輝は頷いた。
「ドワーフの『育つ』と、人間の学校現場で求められる『健やかに育つ』は、たぶん同じじゃない」
市長も資料を手に取って、珍しく少しだけ反省の色を見せた。
「提供の熱意に引っぱられたな。異界側が好意で出してくるものは、ついこちらも善意で受けたくなる」
「善意の相互事故です。悪意がないぶん止めにくい」
校長はそこで、ようやく一番心配していることを口にした。
「子どもが元気なのは良いんです。ただ、学校は力比べをする場所ではありませんし、先生が一緒になって盛り上がると、加減を覚える前に事故が起きます。怪我がまだないうちに、今日のうちに止めたいのです」
「止めましょう」
勇輝はすぐに答えた。
「ただし、給食そのものを全部悪者にしないほうがいい。子どもって、禁止だけ強く出すと逆に『あれはすごい食べ物だった』って記憶します。だから、まず何が効きすぎたのかを分けます。全献立が駄目だったのか、特定の品が強すぎたのか、量の問題か、食べ合わせか。その確認を先に」
「お願いします」
教頭が深く頷いたところで、また廊下の向こうから歓声が湧いた。今日はとにかく、静かな説明の最中に、校庭が全部台無しにしてくる。
「現場、見に行きましょう」
勇輝が立ち上がると、校長も半ば覚悟を決めた顔で続いた。
◆午前・給食室(香りが良いことと、学校向きであることは別問題)
給食室の前まで来ると、空気はさらに濃かった。スープの香りには深みがあり、パンは焼き上がりの香ばしさがまだ残っていて、サラダの薬草も青臭さより爽やかさが先に立つ。味だけで言えば、かなり良くできている。給食にここまでの厚みが出れば、たしかに大人は喜ぶだろう。問題は、その厚みがそのまま身体の出力へ回っている気配があることだった。
作業台の上には、今日の献立の試作記録がまだ並んでいた。竜骨スープの鍋はすでに空に近く、岩塩パンのバットには細かなパンくずだけが残り、薬草サラダのボウルには緑の葉が少し付着している。いちばん問題の気配を放っていたのは、やはり最後のデザートだった。黒に近い紫のプリンが小さなカップに整然と並び、そのラベルには渋い銀文字でこう印字されている。
『魔界プロテインプリン ―闘争心を育む―』
「育む方向が違う」
勇輝がほとんど反射で言うと、給食室の奥からずんぐりした体格のドワーフが胸を張って歩いてきた。ひげはきっちり整えられ、腕は太く、エプロンの下からも職人の体つきが分かる。紹介を待たずとも、この人が今回の元凶ではなく出発点なのだと分かる類いの存在感だった。
「おお、人間の役人か。どうだ、給食は。よく食べ、よく動く、理想的な反応ではないか」
「よく動きすぎて鉄棒が抜けかけてます」
勇輝が答えると、ドワーフは一瞬だけ考え込み、それから真面目な顔で言った。
「強いではないか」
「強いと安全は同じ意味じゃないんです」
その一言は、相手にも少し届いたらしい。ドワーフは眉をひそめ、作業台へ太い指を置いた。
「我はゴルド。料理担当だ。食材の品質には自信がある。骨を育て、血を厚くし、筋を支え、午後まで気力を落とさぬ。学ぶ者にとって、これ以上何がいる」
「加減です」
勇輝は即座に返した。
「学校では、一日だけ強ければいいわけじゃない。毎日、安全に、長く続くことが優先なんです。子どもが机を持ち上げられるようになるより、怪我なく授業を終えられるほうが大事だ」
ゴルドは口を閉じた。反発ではなく、計算している顔だ。加奈がそこへ、もう少し柔らかい角度で言葉を入れる。
「ゴルドさん、味は本当にいいんだよ。スープもパンもすごく評判だったって先生たちが言ってた。でもね、良いものでも、学校で使うなら『ちょうどいい』にしないと駄目なの。強すぎると、喜ばれる前に怖がられる」
「怖がられる……」
「そう。怪我が出たら、次は二度と給食へ入れられなくなる。あなたの食材も、異界の料理そのものも」
ゴルドの顔が、そこでようやく本気で曇った。職人は、自分の仕事が締め出される話には敏感だ。
「それは困る」
「なら、ここで調整しましょう」
勇輝は試作記録を一枚ずつ確認した。
「竜骨スープ、名称はともかく中身は問題なさそうです。『竜骨』は比喩で、実際には高ミネラルの根菜出汁と鶏の骨出汁ですね」
栄養教諭が慌てて頷く。
「はい、そこは大丈夫です。出汁が強いだけで、成分的にも許容範囲でした」
「岩塩パンは塩分が強め。成長期なら完全に駄目ではないけど、日本の給食基準だと少し攻めすぎです。量か塩の種類を落としたい。薬草サラダは、香りが立つぶん覚醒作用が少し強い。これは半量か、混ぜる葉を変える」
加奈がプリンのカップを見ながら言う。
「で、最後がこれだね」
ゴルドはそこで妙に誇らしげな顔になった。
「魔界の黒豆、深層乳草の抽出液、夜鍛え樹の樹液を合わせた。筋の伸びを助け、骨へ熱を入れ、闘志を軽く目覚めさせる」
「最後の一文がいりません」
「だが、子どもは戦って育つだろう」
「戦わないで育ちます」
勇輝はきっぱり言った。
「少なくとも、給食のあとは算数と国語です。闘志はそこまで要らない」
給食室にいた調理員の一人が、必死に笑いをこらえていた。笑うところではないが、言いたいことは皆同じだったのだろう。
美月が興味津々のままメモを取っている。
「成分名、全部強そうですね。これ、人間に換算するとどうなるんですか」
「そこが必要なんです」
勇輝はゴルドを見る。
「ドワーフ基準で『微』でも、人間の小学生には『多』かもしれない。換算表を作ってください。年齢、体格、活動量ごとに。あと、『筋力+3』みたいな書き方は禁止。人間の給食現場では意味が変わりすぎる」
ゴルドは腕を組んだまま、しばらく黙っていた。反論が来るかと思ったが、彼はやがて低い声で言った。
「我らの表は、我らには分かりやすい。だが、貴様らには粗いのだな」
「粗いというより、方向が違います。鍛冶場と教室は同じじゃない」
「……なるほど」
そこへ、外からまた大きな歓声が上がった。もう説明の途中で何か起きるのが、この日の様式美みたいになっている。
「校庭で何してるんですか、いま」
勇輝が訊くと、教頭が顔を覆いながら答えた。
「腕相撲です。しかも、途中から森本が本気になってしまって」
「先生が一番駄目です」
「分かっています」
◆昼・校庭(元気の出口を間違えると、学校はすぐ体育祭未満・事故寸前になる)
校庭へ出た瞬間、その場の熱気が肌へまとわりついた。夏というほどの暑さではない。けれど、集まった子どもたちと先生たちの身体が、一段高い温度で動いているのが分かる。輪の中心には簡易の机が一つ置かれ、その左右に腕まくりした六年生と体育の森本先生が向かい合っていた。周囲では学年の違う子どもたちまで声を張り、「先生いけー!」「六年生がんばれー!」と応援している。普段なら微笑ましい光景で済むかもしれない。だが、今日は違う。机の脚がきしむ音がしているし、手首の角度にも加減のなさが見える。
森本先生は完全に乗っていた。
「よし、次は先生の番だ! でも肘は浮かせるなよ、反則はなしだぞ!」
「先生がいちばん楽しそうなんですが」
勇輝が声を張ると、森本先生はそこでようやくこちらに気づき、ばつの悪い顔をした。とはいえ、腕はまだ組んだままだ。
「いや、これ、みんなやたら元気で。だったらちゃんとルールを付けてやらせたほうが……」
「机がきしんでる段階で、ちゃんとじゃありません」
加奈が前へ出て、子どもたちの輪を見渡した。彼女が声を出すと、なぜか子どもは少しだけ聞く態勢に入る。喫茶ひまわりで積み上げた“近所のお姉さん力”というのは、こういう時にやたら効く。
「はい、いったん止まろう。みんな、今日ちょっと元気すぎるのは分かる。でも、その元気をどこへ出していいかは別の話だよ」
「えー、でも全然いけるよ!」
「机も持てるし!」
「鉄棒も重くない!」
口々に飛ぶ言葉が全部危ない。悪い子たちではない。ただ、身体が先へ行きすぎていて、自分たちの出力の変化をまだ面白がっている段階だ。こういうときに「危ないから全部禁止」とだけ言うと、今度はこっそりやる。子どもはそういう生き物だし、それを責めても仕方ない。
勇輝は少し考え、言い方を変えた。
「じゃあ、質問する。今日みたいに身体が軽い日、怪我して給食そのものが中止になったらどうする」
輪の空気が少し止まる。
「えっ」
「中止なの?」
「異界のやつ、もう出ない?」
「出ません。学校のルールを守れないなら、二度と試験導入できない」
その一言は、かなり効いた。元気な子ほど、新しいものを気に入る。しかも今日はパンもスープも評判が良かったらしい。給食が終わるという想像は、怪我そのものより現実的な痛さを持つのだろう。
加奈がそこへ、さらにやわらかく言葉を重ねる。
「元気なのはいいことだよ。でも、元気って、なんでも壊していいって意味じゃないでしょう。学校の机も、鉄棒も、みんなで長く使うものだし、友だちの腕も大事だよね。だから、その力をどう使うかのルールを先に決めよう」
美月がすぐに乗ってきた。
「そうそう。せっかく異界食材を試すなら、『上手に使えた学校』のほうが絶対に格好いいです。『給食でテンション上がって物を壊した学校』は、広報としてかなり難しい!」
校長が思わず小さく頷いていた。最後の一言だけは教育より広報だったが、方向性としては間違っていない。
勇輝はそのまま校庭の真ん中で、急ごしらえのルールを整理した。
「今日の臨時ルールを言います。腕相撲や力比べは、授業外では禁止。体育の時間に先生の監督のもとで、身体測定に近い形でやるなら検討していい。机と鉄棒は持ち上げない。用具は先生が許可したものだけ触る。先生は煽らない」
「えー!」
「煽るの禁止ー!?」
「禁止だ!」
体育の森本先生が、残念そうに手を下ろした。
「……俺、ちょっと楽しかったんだけど」
「先生、大人が一番危ないんですよ」
輪の後ろから一人の六年生が手を挙げた。
「じゃあ、この元気って悪いことなんですか」
その問いには、勇輝より先に加奈が答えた。
「悪くないよ。悪くないから、もったいなくしないで使おうって話。走るのが速くなったなら、転ばない走り方を覚えたほうがいいし、力が出るなら、友だちを痛くしない力の使い方を知ったほうがいいでしょう」
子どもは少し考えてから、素直に頷いた。その頷きが広がると、さっきまで湧いていた熱気も、少しだけ方向を探し始める。元気を消すのではなく、出口を変える。それが教育なのだと、校長の顔が言っていた。
◆昼・臨時協議 小会議室(善意で入れるなら、善意のまま制度へ落とす)
給食の時間が終わり、子どもたちが午後の授業へ戻ったあと、学校の小会議室で臨時の協議が開かれた。校長、教頭、栄養教諭、養護教諭、教育委員会の担当者、異世界経済部、そしてドワーフ側からゴルド。机の上には今日の献立表と、残った食材サンプル、それに栄養データが並ぶ。こうして並ぶと、町の会議らしい地味さの中へ、妙な単語だけがぽこぽこと浮いていて可笑しい。
養護教諭からの報告は、ひとまず安心できるものだった。
「怪我人はいません。脈や体温にも大きな異常はなく、興奮状態というより、筋出力と活力が一時的に高まっている印象です。午後に入って少し落ち着き始めた児童もいます」
「持続は短めか」
「そう思われます。ただ、継続摂取した場合の影響は分かりません」
その言い方は重い。今日だけなら笑って済ませられるかもしれない。だが、毎週続けたとき、成長期の身体へどう効くかは別の話だ。
勇輝はそこを明確にした。
「試験導入を続けるなら、条件が要ります。まず、異界食材のデータは人間基準へ換算すること。ドワーフ基準の『筋力+3』や『闘争心微増』ではなく、栄養素、刺激成分、体感効果、持続時間を学校側が読める表記へ直すこと」
ゴルドはむっとした顔をしたが、反論はしなかった。すでに校庭でひと通り現実を見ている。
「次に、献立は週一回以下。しかも一品ずつ段階的に入れる。スープ、パン、サラダ、デザートを一度に全部異界寄りへ振るのは、効いたときの原因が分かりにくい」
栄養教諭が急いでメモを取る。
「はい。今日の反省として、それが一番大きいです。味に引っぱられて、全部一度に試したのがよくなかった」
「三つ目。『行動変化を促す』類いの食材は禁止。闘争心、興奮、競争心、挑戦欲、そういう文言がデータにあるものは、学校給食には入れない」
美月が横から小さく言った。
「広報としても、そのほうが安心です」
「今日は広報基準じゃなくて学校基準だ」
「分かってます。でも、こういうのは後でだいたい同じ線になります」
それはたしかにそうだった。教育現場に耐えないものは、広報に使ってもたいてい危ない。
加奈は、資料の端へ目を落としながら言う。
「あと、子どもだけじゃなくて先生の分も考えたほうがいいね。今日、いちばん張り切ってたの先生だったし」
会議室の空気が少しだけ和んだ。森本先生本人がいないから笑えるが、笑い話だけではない。
校長も真面目に頷く。
「教職員も同じものを食べますからね。給食は大人にも効く。その前提で、午後の授業や校庭活動のルールと一緒に考える必要があります」
「そこです」
勇輝はペン先を置いた。
「異界食材を入れるなら、食べ物だけの話にしない。導入日には午後の運動量、遊びの制限、見守り体制もセットで決める。食材だけ先に走らせない」
ゴルドは腕を組んだまま聞いていたが、やがて重い声で言った。
「貴様ら人間は、強さを嫌うのではないのだな」
「嫌ってません」
勇輝は即座に返した。
「ただ、学校が欲しいのは瞬間的な強さより、長く壊れない成長です。今日みたいに元気が出るのも悪くはない。でも、それで備品や友だちの身体が危なくなるなら、教育ではなく事故になる」
ゴルドはしばらく黙り、それから低くうなった。
「なるほど。鍛冶場では、一度熱を入れて強く打つ。だが、子どもは鍛冶材ではない。長く使う器だということか」
「だいたい合ってます」
加奈がそこでそっと補った。
「それに、給食ってね、『食べると楽しい』も大事だけど、『毎日食べても安心』がもっと大事なんだよ。昨日だけすごい、じゃなくて、ずっと大丈夫、が先」
その言葉は、ゴルドにかなり効いたらしい。職人は一発の派手さより、長く使えることに価値を置く人種でもある。
「ならば、調整しよう」
彼は真正面から言った。
「プリンは今日の配合を停止。代わりに、豆成分を三分の一へ落とし、夜鍛え樹は抜く。薬草サラダは、覚醒寄りの葉を香り付け程度へ減らす。パンの岩塩も、人間基準の塩分表へ合わせて組み直す」
栄養教諭が目を丸くする。
「そこまでしてもらえるんですか」
「学校へ残りたいならする。二度と出せぬのは困る」
即物的だが、正しい動機でもある。善意だけに頼るより、継続したい理由があるほうが制度は回る。
市長はそこで、ようやく一番大きな線を引いた。
「では、試験導入は継続可。ただし、教育委員会と異世界経済部の共同監修とする。献立名も見直そう。『魔界プロテインプリン』は給食名として強すぎる」
「そこも大事です」
美月が元気に手を挙げた。
「名前が強いと、子どもはまずそこに引っぱられます。『強くなれるプリン』って聞いたら、絶対に午後の校庭が変な方向へ行く」
「じゃあ、何にしますか」
栄養教諭が聞くと、ゴルドが真面目な顔で答えた。
「黒豆やわらかプリン」
全員が一瞬だけ黙った。
地味だ。しかし、給食としては圧倒的に正しい。加奈がふっと笑った。
「それ、すごくいいね。強さを隠してるんじゃなくて、まず食べ物として落ち着いてる」
「異界要素は薄れるが」
ゴルドが少し残念そうに言うと、勇輝は首を振った。
「学校では、それくらいでちょうどいいんです。異界を入れないんじゃない。異界を生活へ入る言葉に変えるんです」
◆午後・校庭の落ち着き(事故が出ないうちに、熱を別の形へ移す)
協議を終えてもう一度校庭へ出ると、昼前の熱はかなり引いていた。子どもたちはふだんの休み時間みたいに走り回っているが、さっきのような「何かを持ち上げたくて仕方がない」空気ではない。臨時ルールの紙は昇降口に貼られ、教員たちにも回っているらしく、森本先生も今度はちゃんと笛を首から下げて見守りに回っていた。
「先生、腕相撲やんないの?」
子どもに聞かれると、森本先生は少し残念そうに笑った。
「やらない。その代わり、体育でちゃんと測る。今日は走るほうにしよう」
その言い方なら悪くない。力の増え方を面白がるだけで終わらせず、授業の中へ回収する。学校は本来、そういう場所だ。
校庭の隅では、さっきまで鉄棒の周りで盛り上がっていた六年生たちが、今度はリレーのバトンを持って競っている。持ち上げるから走るへ、壊すから測るへ、熱の向きを少し変えただけで、景色はだいぶ学校らしく戻る。教育というのは、禁止するだけではなく、向きを変える技術なのだろうと勇輝は思った。
加奈がその様子を見て、肩の力を抜いた。
「よかった。ちゃんと普通の校庭に戻った」
「戻ったな」
「朝はほんとにどうなるかと思ったけど」
「俺もだよ。机を持ち上げ始めたって聞いた時は、給食じゃなくて別の何かを入れたのかと思った」
美月はそんな二人の横で、すでに別の角度から今日を見始めている。
「でも、これ、かなり大きい事例になりますよ。『異界食材を学校へ入れるなら、人間基準換算と行動影響評価が必須』って、今後ほかの学校にも使えます」
「使えるようにしないと困る」
勇輝はメモ帳へ書き足した。
『異界食材給食導入基準(暫定)
・週一回以下、単品試験から開始
・人間基準換算表必須
・刺激・競争・闘争促進成分は禁止
・導入日は午後活動の見守り強化
・名称は効果誤認を避ける
・教職員分も影響確認対象とする』
文字にすると少し硬いが、学校という場所にはその硬さが必要だ。子どもたちの元気さは可愛い。可愛いけれど、制度の側が柔らかすぎると、可愛いまま事故へ届いてしまう。
ゴルドは校庭の向こうで、しばらく子どもたちの走る姿を見ていた。やがて、小さく言った。
「腕を太くするだけが強さではないか」
「そうです」
勇輝が答えると、ゴルドは頷いた。
「長く走れること、折れずに続けられること、壊れぬこと。そういう強さもあるのだな」
「学校では、そのほうがずっと大事です」
「……ならば、給食もそう作り直す」
その言葉が本気だと分かったので、勇輝はそれ以上何も言わなかった。異界側の職人が一度腹へ落としたことは、案外ちゃんと守る。だからこそ、最初の言葉を間違えると厄介でもあるのだが。
◆夕方・小学校の昇降口前(ほどほど、という言葉は地味だが、だいたい一番強い)
下校の時間になるころには、学校全体の空気はかなり穏やかになっていた。子どもたちはふつうにランドセルを背負い、昇降口で靴を履き替え、友だちと「また明日」と言い合って校門へ向かう。今日一日だけ切り取れば、朝のあの妙な熱気が嘘みたいだ。けれど、嘘ではなかったからこそ、こうして終わり方まで見届けることが大事なのだろう。
校長は昇降口の柱にもたれ、ようやく少しだけ笑顔を取り戻していた。
「本当に助かりました。禁止だけで終わらせず、ルールと基準の話にしていただけたのが大きかったです。子どもたちも、異界食材そのものを嫌がる流れにならずに済みました」
「そこは守りたかったので。珍しい食材って、それだけで記憶に残りますから。嫌な形で残すのはもったいない」
「ええ。スープ自体は本当に好評でしたから」
栄養教諭も、かなり反省しつつも前向きな顔になっていた。
「次は、絶対に単品からやります。あと、単位に『筋力+3』が書いてあった時点で、一回止まるべきでした」
「それはぜひ止まってください」
美月がそのやり取りを聞きながら、にこにこと頷いている。
「でも今日の件、後から庁内向けにまとめると、かなりいい資料になります。『異界の善意を生活へ入れるときは、翻訳が必要』って、食だけじゃなくて全部に通じますよね」
「そのまとめ方なら正しい」
加奈は、帰っていく子どもたちの後ろ姿を見送りながら、ぽつりと言った。
「結局、今日の話って『強すぎる』が駄目なんだよね。味も、力も、言葉も、全部。ほどほどにして、ちゃんと毎日の中へ入る形にするのが一番難しい」
「そして一番大事だ」
勇輝は答えた。
「異界の良さって、派手なところから先に目につくけど、町へ入れるなら地味なほうへ翻訳しないと続かない」
「地味だけど、おいしい給食」
「地味だけど、安全な運用」
「地味だけど、ちゃんとバズらない広報」
美月が言うと、勇輝はすかさず返した。
「最後の一つが一番難しいって分かってて言ってるだろ」
「分かってます。でも、今日はそこも我慢しました」
「それは本当にえらい」
市長が最後に校庭を見回しながら言った。
「観光資源にはならなかったな」
「少しだけ考えてたんですね」
「少しだけだ。だが、学校が学校のまま面白い学びを得たなら、それで十分だろう」
その言い方なら、たしかに反論しづらかった。無理に町の外へ売らなくても、まずは町の中で安全に使えること。それが積み重なって初めて、外へ話せる価値になるのだろう。
ゴルドは帰り際、給食室の扉を振り返って小さく言った。
「次は『持久力寄りのやさしい豆煮』を持ってくる」
「その方向なら歓迎です」
勇輝が返すと、ゴルドは少しだけ胸を張った。
「単位は付けぬ」
「それが大事です」
校門を出るころ、空はもう柔らかい夕方の色へ傾いていた。今日の騒ぎは、たぶん明日には半分くらい笑い話になる。けれど、残るべきものもちゃんとある。人間基準への換算、行動影響の評価、名前の付け方、現場ルールと食材導入をセットで考えること。笑いだけでは終わらない形へ、今日の一日を残しておけるなら、それで十分だ。
勇輝は歩きながらメモ帳を閉じた。ページはまた一枚増えた。異界対応マニュアルも、給食導入基準も、気がつけば紙の束になっていく。面倒だが、その面倒を積み重ねた先にしか、町の日常はたぶん守れない。
「……まあ、元気なのは悪くなかったな」
ぽつりとこぼすと、加奈が横で笑った。
「でしょ。ほどほどならね」
「ほどほどが一番難しいんだよ」
「だから役所がいるんじゃない?」
その言い方が妙にしっくりきて、勇輝は少しだけ笑った。たしかに、町の仕事というのは、たいてい派手な正解を作ることではない。強すぎるものを弱め、弱すぎるものを少し押し上げ、ちょうどよく毎日の中へ置き直すことだ。給食だって、結界だって、聖水扱いされた水道だって、火だって、結局は同じところへ戻ってくる。
美月が明るい声で言う。
「じゃあ次は、“ほどほどに異界で、ちゃんと日常な給食”の庁内資料、私が整えます!」
「頼む。ただし、タイトルに『ムキムキ』を入れるなよ」
「入れません。……たぶん」
「たぶんをやめてくれ」
子どもたちの笑い声が、校門の向こうで少しずつ遠ざかっていく。もう誰も机を持ち上げていないし、鉄棒もちゃんと土に収まったままだ。学校はようやく学校の顔へ戻り、その中に、ほんの少しだけ新しいルールが増えた。
それでいいのだと、勇輝は夕方の校舎を見上げながら思った。異界の力が強すぎるなら、生活のほうへ寄せてやればいい。強さを消すのではなく、長く続く形へ変える。その地味な翻訳作業こそ、ひまわり市が異界と一緒に生きていくための、本当の筋力なのかもしれなかった。




