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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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第82話「消防訓練なのに火が消えない。褒めると消える火」

◆翌朝・ひまわり市役所(開庁前)


 昨日の“聖水騒動”の余韻が、まだ庁舎の空気のどこかに残っている気がした。廊下を歩くたび、掲示板の端に貼り足された案内文が視界に入り、給湯室の蛇口を見るたびに「今日は普通の蛇口だぞ」と自分に言い聞かせたくなる。

 落ち着いたはずなのに、落ち着いたからこそ次の波が見えてしまう。役所の朝は、そういう勘だけは外れない。


 勇輝が席に着いて、机の上の書類を整えていたときだった。


「主任……これ、見てください……」


 水道課の佐伯課長が現れた。顔色がいつも以上に薄く、目の下に薄い影ができている。昨日は現場と窓口の両方を走り回ったのだろう。手には申請書が一枚。役所の紙は、たった一枚でも存在感がある。なぜなら、紙一枚で現実が動くからだ。


「……また何か来ましたか」

「来ました。来たというか、提出されました。正式な顔で」


 佐伯課長が差し出した紙を受け取る。

 上段の件名を読んだ瞬間、勇輝の呼吸が一拍遅れた。


「“聖水採取許可申請”……?」


 文字が整いすぎている。役所の書式に寄せてきている。

 つまり、相手が真面目に役所を攻略しようとしている。


「提出者が……“巡礼団代表・聖務官”です……」

「役所を、何だと思ってるんだ……。いや、役所は役所なんだけど、そこに肩書きを載せてくるのは違うだろ……」


 勇輝が額を軽く押さえたところへ、別の勢いがドアから飛び込んできた。


「主任ーーっ! 今日は消防訓練ですよ! 忘れてませんよね!?」


 美月が訓練計画書を抱えて、机にどん、と置いた。音が大きい。音が大きいのに、本人はなぜか得意げだ。

 美月の「訓練」は、だいたい「イベント」の顔をしてやってくる。


「忘れてない。忘れてないけど、今日の朝にこの紙を見せられた直後に言われると、頭の中の棚が全部倒れる」

「倒れた棚、訓練で直しましょう! 防災は、最悪のときに強いです!」

「理屈は正しい。理屈だけ正しいのが悔しい」


 そこへ、いつものノック。加奈が紙袋を抱えて入ってきた。袋の中身は、たぶん差し入れだ。

 朝の喫茶で仕込んで、そのまま寄る。町がどれだけ騒がしくても、加奈の生活のリズムは大きく崩れない。崩れないから、場が戻る。


「おはよ。差し入れ。今日は訓練って聞いたから、みんなこまめに飲めるやつ」

「……助かる。今日は“水”って言葉が妙に刺さる日だから、飲み物って言ってくれると助かる」

「あ、そっか。じゃあ飲み物。塩分も少し入ってるやつね。汗かくとき用」


 加奈が机に袋を置いた瞬間、また足音。今度は落ち着いた足音だ。

 市長だった。すでにヘルメットを被っている。妙に似合う。似合うのが腹立つというより、似合うから余計に「今日は本気の日だ」と分かってしまうのが嫌だった。


「よし。今日は防災の見える化だ。異界側の方にも見学してもらう」

「見学って、誰が来るんですか。話、聞いてないんですけど」

「言ってなかったか。エルフの商会代表、ドワーフ連合の代表、それと魔族の安全管理官だ」

「最後が強い。しかも“管理官”って職が、だいたい厳しいやつです」

「厳しいから呼ぶ。厳しい目で見てもらって、足りないところを直せる」


 市長はさらっと言う。さらっと言うが、役所の現場はその“足りないところ”を直すのに、紙と時間と人手が必要になる。

 でも、直すべきところを見ないと、直せないのも事実だった。


 勇輝は深呼吸して、計画書を手に取った。


「分かりました。消防訓練、予定通りやります。聖水申請は……後で水道課と整理します。今日の優先は、防災と安全」

「それでいい。聖水も火事も、結局は生活の話だ。役所の仕事はそこに戻すことだ」


 加奈が小さく頷く。美月はすでにスマホを構えて、何か撮りたそうにしている。


「美月、撮るのはいいけど、言葉の火種は持ち込まない。今日は“盛り上げ”より“伝わる”が大事」

「はい。今日は真面目担当です。たぶん」

「たぶんは要らない。今日は確実に真面目担当」


◆午前・市役所駐車場(訓練会場)


 駐車場には赤い消防車が一台。消防団の制服がずらりと並び、空気がいつもより硬い。

 いつもなら、ここで少し笑いが混じる。慣れた顔がいて、声をかけ合って、照れを隠すような軽口が飛ぶ。

 だが今日は違う。見学者がいる。しかも異界側。つまり、町の“いつも”を外に向けて出す日だ。


 エルフの商会代表は、柔らかな笑みで整列を眺めている。

 ドワーフ連合の代表は、消火器を見て真顔で言った。


「おい、あれは武器か? 白い煙が出るやつ」

「武器じゃなくて、命を守る道具です。……まあ、見た目が強いのは否定しませんけど」


 そして、最後の一人。

 黒い外套を纏った魔族の安全管理官が、ゆっくりと視線を巡らせた。顔立ちは冷静で、感情が出にくい。だが目が鋭い。厳しい、というより「見落とさない」目だ。


「火災対策を水と砂で済ませる文化。なるほど。合理的で、同時に脆い」


 言い方が硬い。だが、煽りたい感じではない。評価の言葉として出している。

 勇輝は、そこで一歩だけ態度を変えた。反発ではなく、説明のモードに入る。


「水と砂だけじゃ済ませませんよ。消火器、通報、避難誘導、初期消火の判断、そして延焼防止。今日はそこまで含めてやります」

「ふむ。手順で勝つ、ということか」

「手順で勝てるように、毎年やるんです。事故は、派手な瞬間より、手順の抜け目から始まるので」


 市長が隣で頷いた。


「交流だと思って見てほしい。形式に見える部分ほど、守っているものがある」

「ならば、よく観察しよう」


 消防署の隊長が前に出て、拡声器で説明を始める。


「本日は、庁舎内火災を想定した避難訓練を行います。初期消火、通報、避難誘導、そして点呼まで。役割分担を守り、落ち着いて行動してください!」


 美月がスマホを構えているのが視界に入る。

 勇輝は、念のため釘を刺した。


「美月、今の掛け声に変なキャッチコピーつけるなよ」

「分かってますって。『市役所、燃えるほど熱い防災魂』とか言いません」

「言わないで。頭の中で試すのもやめて」


 加奈は見学者側に回って、通訳のように説明している。真面目に説明しているのに、時々言葉が現実に合わせて柔らかくなる。


「火事のときは走らないで、出口へ。……えっと、翼のある方は、ぶつからないように畳んでね。通路が狭いから」

「翼の話、今いらないと言いたいけど、必要な人がいるのがこの町だった……」


◆訓練開始・庁舎裏(想定出火点)


 館内放送が流れる。係は市長だった。妙に迫真だ。

 声の抑揚がしっかりしていて、聞いた瞬間に背筋が伸びる。


「こちらはひまわり市役所です。庁舎内で火災が発生しました。落ち着いて避難を開始してください」


 訓練用の煙筒が焚かれ、薄い煙が立つ。

 そして、訓練用の小さな炎が点いた。安全距離を取った囲いの中で、ちろちろと、素直に燃えるはずの火。


 消防団員が消火器を構える。


「初期消火、開始!」


 白い粉が噴き出し、炎を覆う。

 普通なら、ここで「消えました」となる。


 だが。


 炎が、消えない。

 消えないだけではなく、ふわりと揺れて、粉の向こうで形を変えた。まるで「それ、違う」と言っているみたいに。


「……え?」


 消火器を持つ団員が、もう一度噴射する。

 それでも炎は、ちろちろから、ふわふわに変わる。揺れ方が、生き物っぽい。


 そして、とんでもないことに。

 炎が、ぷいっと横を向いた。

 見学者の方を向いて、少しだけ大きくなった。


「今……火が、見られて喜んだ?」

 加奈がぽつりと呟く。

 勇輝は、そこで笑えなかった。笑えない理由が、ちゃんと現場にあるからだ。


 魔族の安全管理官が腕を組み、淡々と言った。


「自意識を持つ訓練火だな。俗に“褒め待ち火”とも呼ぶ」

「呼ぶな。そんな俗称、初めて聞きました」

「叱るほど燃え、無視すると増える。反応が薄いと不安になり、反応が強いと調子に乗る。火として最も扱いづらい性格だ」

「性格って言わないでください。火です」

「火にも性格はある。あなた方も、昨日それを学んだだろう。水が言葉で変わるなら、火も言葉で変わる」


 昨日の“聖水”が頭をよぎる。

 確かに、言葉は現実を揺らす。異界では、それが露骨に表面化する。


 隊長が焦りを抑えながら指示を出す。


「追加噴射! 水バケツも準備! 安全距離は崩すな!」


 エルフの商会代表が、眉を上げた。


「火が……意思を持っているのですか?」

「持っているように見えます。対処は、いま考えます」


 バシャッ。

 水がかかる。

 ジュウッ、と音がして、炎が一瞬縮む。


 よし、と思った次の瞬間。

 炎がふわぁっと大きくなった。水滴をまとって、きらきらしている。

 まるで「冷たいのも刺激だね」とでも言いたげに。


「おい、今の火、遊んだぞ」

「昨日は水が神格化して、今日は火が水で遊ぶ。因果の並び方が雑すぎる」

「主任、SNSで『火が消えません!』って言ったら伸びますよ!」

「伸びなくていい。伸びたら現場が増える」


 市長が隊長の横に立ち、冷静に手を上げた。


「避難誘導は継続。初期消火は一旦中止し、安全距離を取れ。訓練でも、危険の兆候が出たら段階を切り替える」


 その声で、現場の空気が変わる。

 訓練が、一瞬だけ本番に寄る。寄ってしまうのは怖いが、寄れるのは強い。切り替えられるから、守れる。


 職員が整列して避難する。加奈が見学者の間を動き、動線を開ける。美月は撮影の角度を変え、炎そのものより、避難誘導の様子を映す。

 それぞれが、それぞれの役割に戻る。ここは、役所が得意なところだ。


◆対処検討・安全距離の外(臨時判断)


 勇輝は、炎を睨みつけた。

 怒っているわけではない。状況を読む目に切り替えている。


「魔族さん。止め方があるなら、手順で教えてください。現場に落とせる言い方で」

 魔族の安全管理官は、少しだけ顎を上げた。


「褒めろ」

「……は?」

「褒める。具体的に。評価する。承認を与える。すると満足して火が収まる」

「火に承認って、どこに出すんですか」

「口で出す」

「口で出す承認が、いちばん難しいんですよ。役所は」


 ドワーフ連合の代表が、妙に納得した顔で頷いた。


「つまり、火にも礼儀が必要ってことか。道具扱いされると拗ねるやつだな」

「道具扱いされる火、最悪に面倒ですね」


 加奈が一歩前に出た。

 距離は保っている。危険の線は超えない。超えないのに、空気を変えられる位置に立つ。加奈はいつも、そういう立ち方をする。


「じゃあ、やってみる。危なくない距離で、声だけね」


 加奈は深呼吸して、炎に向かって声をかけた。


「えっと……今日、ちゃんと役目を果たしてるよ。みんなの注意、集められてる。すごい」

 炎がぴくっと揺れた。

 揺れ方が、さっきより少し素直だ。


「見てもらえてるし、訓練の大事さも伝わってる。だからもう、十分だよ。休んでいい」


 炎はふわっと小さくなる。

 おお、いけるか。と思った、そのとき。


 消えない。

 消えないが、迷っている。揺れ方が、決めかねている。


 魔族の安全管理官が小さく息を吐いた。


「足りない。褒めが抽象的だ。火は評価に敏感だ。何が良かったか、どこが優れていたか、具体が要る」

「火、評価面談が必要なんですか」

「必要だ。自意識を持つ火は、雑な褒めを嫌う。雑に扱われたと感じると、逆に燃える」

「褒めが雑だと燃えるって、今の世の中みたいな火ですね……」


 勇輝は、そこで一瞬だけ考え方を切り替えた。

 褒めるのが苦手なら、役所の得意分野に寄せればいい。

 役所は、評価の言葉を“定型”にできる。定型にすると、誰でも同じ品質で出せる。


「……市長。感謝状のテンプレ、あります?」

 市長が、当たり前のように頷いた。


「ある。表彰、感謝、協力依頼。役所は、だいたい全部テンプレがある」

「今日ほど、その文化がありがたい日、そうそうないです」


 市長はポケットから紙を一枚取り出した。

 どこから出したのかは考えない。考えると怖いので、ここは“市長だから”で処理する。


 市長が一歩前へ。安全距離は守ったまま、声を張る。

 声は大きいのに、角がない。訓練放送のときと同じ、伝える声だ。


「本日、あなたは訓練火として、非常に優れた存在感を示した。消火器の噴射を受けても形を変え、こちらの初期消火の手順を確認させ、避難誘導への切り替え判断を促した。結果として、訓練の精度が上がった。よって、ここに感謝する。ひまわり市長」


 炎が、ゆらぁ、と揺れた。

 揺れ方が、明らかに違う。

 照れたみたいに、少し丸くなる。


 市長が続ける。


「あなたの働きにより、参加者は『火は軽く見てはいけない』を体で理解した。これは防災意識の向上に大きく寄与した。よくやった。もう十分だ。休んでよい」


 炎が、ふわり、と小さくなった。

 そして、ふっ、と消えた。

 消え方が穏やかだ。燃え尽きたのではなく、「満足したから帰った」ような消え方だった。


 その場が一瞬静まり返り、次の瞬間、消防団員から拍手が起きた。

 見学者側も拍手した。エルフは感心した顔で、ドワーフは大きく頷き、魔族の安全管理官は、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「……消えた」

 隊長が呆然と呟く。

 勇輝は、呆然としている暇がないので、すぐに現場の戻しに入る。


「隊長、訓練は続行できます。想定は切り替え。『特殊火源の発生』として、避難判断と連携の確認までやった、で総括しましょう。危険距離の取り方は、今のが良かった」

「……はい! 切り替えます!」


 美月が目を輝かせて叫びそうになるのを、勇輝は視線だけで止めた。

 美月は慌てて口を押さえ、代わりに小声で言う。


「主任、今の、めちゃくちゃ映えました……じゃなくて、めちゃくちゃ勉強になりました」

「言い直せたなら今日は勝ちだ」


 加奈がほっと息を吐く。


「火にも、褒められたい日があるんだね」

「ある。そして今日がその日だった」


 魔族の安全管理官が腕を組んだまま、淡々と付け足した。


「次からは最初に言っておく。自意識火は、叩くより評価だ。評価は短くても良いが、具体が要る」

「具体、ですね。役所の評価文化が、まさか火に刺さるとは」

「文化は異なるほど、思わぬところで役に立つ」


◆午後・庁内(総括会議とマニュアル追記)


 訓練が終わると、役所はすぐに“まとめる”作業に入った。

 現場で終わらせない。次に生かす。次に生かすために、紙に落とす。

 役所の強みは、そこにある。


 会議室には、隊長、水道課、庁舎管理、異世界経済部、防災担当、市長、美月、加奈(差し入れ担当兼、見学者対応の意見枠)が集まった。

 加奈が会議室にいる光景は、もう珍しくない。珍しくないのが、この町の面白いところだ。


 勇輝はホワイトボードに、今日のポイントを書いた。

 箇条書きにしたいが、妙な記号で区切ると見た目が硬くなる。だから短い文章で並べた。


「今日の総括です。

 まず、避難誘導の切り替えができた。これは良い。

 次に、見学者がいる中で、声かけと動線確保ができた。これも良い。

 最後に、特殊火源への対応。これは、今日の学びとして正式に記録する」


 隊長が頷く。


「最初は焦りましたが、市長の判断で距離を取れて助かりました。訓練とはいえ、予想外が起きたときの切り替えが大事だと、皆で再確認できました」

「切り替えができると、怖さに飲まれにくい。これは異界でも共通だろう」


 魔族の安全管理官が、淡々と言った。

 口調は硬いが、評価はちゃんとしている。厳しさの種類が“攻撃”ではない。だから受け取れる。


 加奈が小さく手を挙げる。


「見学者側の反応を言うと、今日の訓練は『ルールがあると安心する』って印象が強かったみたい。火が消えなかったときも、みんなが騒がずに動いたのが、すごいって言ってた」

「それ、現場で一番嬉しいやつだな」


 美月がメモを取りながら言う。


「広報の出し方も学びました。『火が消えない!』は刺激が強すぎるから避けて、『避難誘導と連携の訓練を実施』に寄せます。見学者の方にも伝わるよう、写真は整列と点呼中心にします」

「いい。火の話は、内部のマニュアルに落とす」


 市長が頷いた。


「“褒めて消える火”は、観光に使えるかもしれないが……」

「使わないでください。今日は本気で危なかったので」

「分かった。使わない。だが記録はする。次に同じ火が出たとき、動けるように」


 勇輝は頷き、ノートに書く。


「異界対応防災マニュアル、追記します。

 項目名は『自意識型火源への初動対応』。

 中身は、危険距離確保、避難誘導継続、物理消火が効かない場合の“評価による鎮静”手順。

 感謝状テンプレは、市長決裁で正式に添付資料にする」


 隊長が、少し笑って言った。


「感謝状が防災に入る時代ですか」

「この町は、昨日から水が勝手に神格化してます。今日から火が評価を求めます。だったら、役所の持ってる道具で守るしかないです」

「そうですね」


 会議が終わり、皆が立ち上がる。

 加奈が差し入れの飲み物を配り、美月が最後に一枚だけ写真を撮る。

 燃えた話ではなく、守った話として。


◆夕方・異世界経済部(静かな締め)


 勇輝は自席に戻り、机の上に置いた“聖水採取許可申請”を見た。

 紙は静かだ。静かなのに、そこから今日の騒ぎがまた始まりそうな気配がある。


 市長が通りがかりに言った。


「明日は水の申請の整理だな」

「はい。今日の火の件はマニュアルに落としました。明日は水の件を制度の言葉に落とします」

「この町は、落とす仕事が尽きない」

「尽きないから、役所が要るんです」


 美月が椅子を回して、こちらを見た。


「主任。今日の教訓、ひとつ言っていいですか」

「どうぞ。短くなくていい。今日の教訓は、短くすると誤解される」

「ありがとうございます。えっと……“物理で止まらないものがあるなら、手順とことばで止める”。これ、異界対応の基本ですね」

「いい。基本だ。覚えておくと、明日も助かる」


 加奈が帰り際に、手を振った。


「じゃ、喫茶戻るね。今日は火だったから、明日は水かな。どっちでも、飲み物は用意しとく」

「ありがとう。飲み物、助かる」


 勇輝は息を吐き、ペンを持ち直した。

 役所の一日は、派手な騒動で始まって、紙で終わる。

 そして、その紙が、次の日の誰かを守る。

 それなら、今日の火に感謝状を出したのも、きっと役所らしい結論だったのだろう。


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