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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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第6話「温泉まつりと勇者の再訪!」

◆市役所前・午前


 夏の終わりの空気は、まだ湿り気を残していた。蝉の声が「もう少しだけ」と言い張るみたいに街路樹に張りついて、庁舎前のアスファルトを温め続けている。その熱の上を、テレビ局の黒いケーブルが何本も蛇のように這い、スタッフの足音が途切れなく往復していた。

 ひまわり市役所前。ほんの数週間前までは、ここに並ぶのは選挙ポスターと移住相談ののぼりくらいだったのに、今日は「異界観光」「温泉まつり」「生中継」と、看板の文字がやけに派手だ。


「それでは中継、いきまーす! はい、3、2、1……!」


 カメラが回る瞬間、現場の空気が一段引き締まる。職員も屋台の人も、通りがかった住民も、つい背筋が伸びる。そういう空気を作るのが、テレビの強さだと勇輝は思う。強さと、勢いと、そして一度乗ったら止まりにくい危うさ。

 その中心に立っているのは市長だった。出張用のスーツではなく、今日は浴衣姿の「温泉まつり仕様」。背筋がまっすぐで、表情は落ち着いている。隣には、同じく浴衣姿のリリアが立っていた。角を隠すためのヘアバンドが少し不器用で、結び目がどうしても可愛らしく見えてしまう。本人はそれが気に入らないらしく、時々指で結び目をつまんでいる。


「ひまわり市、異世界転移から三週間! 今や『異界でいちばん行きたい町』として話題になっています!」


 レポーターの声が明るい。明るすぎて、現場の苦労が置いていかれそうになる。

 勇輝は、カメラの外側で、加奈と美月と並んで立っていた。三人とも、仕事用の表情のまま、同時に同じポイントを見ている。画角の端に入る住民の人数、背後の屋台に置かれた火器の位置、そして「映るとまずい書類」を持った職員がうっかり通らないかどうか。


「主任、現場、わりと安定してる。やっぱり市長、こういうの慣れちゃったね」

 加奈が小声で言った。穏やかな声なのに、言葉の端がきちんと実務の温度をしている。

「慣れるのが早すぎるんだよ。普通は『慣れた』って言う前に、もう一回くらい絶叫するだろ」

「絶叫は美月が担当してくれてるから、枠が埋まってるってことじゃない?」

 加奈が視線だけで美月を示すと、美月はタブレットを抱えたまま、笑っているのか焦っているのか分からない顔で肩をすくめた。


「主任、魔力通信のトレンド、いま『#ひまわり温泉まつり』が1位です。次が『#魔王妹さん浴衣』で、三つめが……えっと、『#勇者来るらしい』って噂タグが伸びてます」

「噂、もう出てるのか」

「はい。こういうの、広まる速度だけは異界でも同じです」

 美月は淡々と言いながら、画面を素早く切り替える。注意喚起の固定投稿、迷子案内、救護の場所、そして「危険な遊びはしないでください」という一文。短く、まっすぐに、誰でも読める言葉で。


 中継では、市長がいつもの調子で話している。

「ええ、ひまわり市は観光立市です。温泉と花畑と、そして今は異界の皆さんとの交流が加わりました。難しいこともありますが、町は暮らしで回っています。今日はその『暮らしの延長』として、まつりを楽しんでいただければと思います」


 言い回しは柔らかいのに、内容はしっかりしている。勇輝は小さく息を吐いた。こういうとき、市長は「盛り上げる」と「守る」を同じ手でやる。できる人間は、そういうふうにやるのだと、少し悔しいくらいに分かってしまう。


 その横で、リリアはマイクを向けられて、ほんの一拍だけ間を置いた。たぶん、言葉を選んでいる。

「……この町は、妙に落ち着きがあるわ。最初は理解できなかったけれど、みんながみんなの顔を知ってるのね。だから……うん、油断できない」

「油断できない、は褒め言葉ですか?」

 レポーターが笑いながら聞き返すと、リリアは視線をそらさずに答えた。

「そうよ。油断できない場所は、簡単に壊れない。魔界で学んだの」


 カメラが止まって、スタッフが「ありがとうございます!」と頭を下げる。市長がさっと浴衣の袖を整えたのと同じタイミングで、勇輝は近づいて声をかけた。

「市長、リリアさん、次は会場の巡回に入ります。屋台の火器チェックと、誘導導線の確認、あと……異界通貨の両替案内、更新しました」

「頼もしい。主任がいると、現場の心配が半分になるな」

「半分は残してください。油断すると、残りの半分がまとめて来ます」

 軽口に見せて、本音を混ぜる。勇輝がそう言うと、市長は小さく笑って頷いた。

「その残り半分は、俺が受け止める。だからお前は、ちゃんと足元を見てやってくれ」


 その言葉が、妙に胸に残った。足元。役所の仕事は、派手さよりも足元にある。今日みたいに派手な日ほど、それがよく見える。


◆温泉まつり会場・昼


 温泉街の坂道は、人で満ちていた。湯気とソースと香草の匂いが混じって、鼻の奥がくすぐったい。

 屋台は、見慣れた焼きそばや串焼きだけじゃない。エルフの射的屋が「風の狙い方」を教え、ドワーフが簡易鍛冶台で「記念のスプーン」を叩かせ、魔王領のフードトラックが「溶岩焼きステーキ」と書いた看板を掲げている。名前だけ聞くと危なそうだが、実際は熱した鉄板で焼いた肉に赤いソースをかける、ちゃんと食品衛生の範囲内に収まるメニューだ。


「主任、溶岩って書かれてるけど、加熱はガス? 魔力?」

 加奈が屋台の裏側を覗き込みながら言う。

「ガス。魔力は照明だけ。あと、店主が『雰囲気』って言ってた」

「雰囲気なら安全に管理できる。よかった」

 加奈がほっとしたように笑う。彼女は喫茶ひまわりの看板娘で、観光客相手の顔が自然にできる。そのまま、こういう現場にいると、なぜか「職員の一員」みたいに見えてしまうのが不思議だ。


 美月は、タブレットを片手に、屋台の列の流れを確認していた。

「いま、混雑ゾーンが二つあります。エルフ射的と、ドワーフ鍛冶。どっちも体験型で滞留が長い。導線を一回、外に逃がしたいです」

「逃がすって言い方、ちょっと強いな」

「じゃあ、『回遊』。回遊のために、案内板の矢印を二つ増やします。あと、迷子の集合場所に『ひまリス』の旗、立てます」

 美月は言い切ると、すぐに指示を出し始めた。声は大きくないのに、届く。現場で必要なのは、そういう声だ。


 ひまリスの旗は、住民ボランティアがすぐに用意してくれた。高校生が笑いながら手伝っている。

「これ、ほんとに役立つんだよな。迷子が『黄色いリス』って覚えてくれるから」

「ありがとう。あと、撮影してるなら、通路の真ん中は避けてね。人が詰まると危ない」

「了解。撮るけど、邪魔はしない。うちら、こういうのは慣れてる」


 慣れてる、が増えていく。増えていくことが強さで、同時に怖さでもある。勇輝は思いながら、次の案件に足を向けた。

 問題は、通貨だ。

 異界の人たちは、王国の銀貨、魔王領の魔石、そしてなぜか「竜族の鱗札」まで持ってくる。屋台の人たちは受け取りたい。受け取れば儲かる。けれど、受け取った後の換金ができないと、ただの「きれいな石」になってしまう。


「主任、両替所、いま行列です。『魔石を日本円に』って、看板の前で言ってる人がいます」

「日本円って言えるのが、もう異界慣れしすぎだ」

 勇輝は苦笑して、臨時両替所のテントへ向かった。テントの中では、財務課の職員が真顔で計算機を叩いている。横には、レフィアが通訳として立っていた。


「主任、助かります。今、単位の取り扱いが混ざってます。『金貨一枚=軽トラ』が分かりやすすぎて、みんなそれで話すんです」

「分かりやすいのはありがたいけど、会計仕訳の欄には書けないな」

 勇輝がそう言うと、レフィアが小さく笑った。

「王国でも同じです。市民は『パン何個分』で語ります。数字は、後から整えるものだと考えている」

「後から整えるのが役所の仕事、ってことですね」

「そう。だから、あなたの町は役所が強い」


 レフィアの言葉が、妙に励みになる。勇輝はテントの外に出て、掲示を貼り替えた。

 『本日の両替は、3種類まで対応します。金貨・銀貨・魔石。その他は相談窓口へ』

 長く書かない。迷わせない。必要な人が見つけられる形にする。

 美月が横から覗いて、指でチェックを入れた。

「いいです。短い。しかも『相談窓口』って言葉が柔らかい」

「ありがとう。現場は、柔らかいほうが動くことがある」

「動く前に止まるべきところは、止めますよ」

 美月が視線を向けた先で、子どもが「溶岩浴チャレンジ!」と叫びながら、魔界トラックの鉄板に近づこうとしていた。


 加奈がすっと前に出る。

「危ないよ。熱いからね。見るのはいいけど、触っちゃだめ。写真はここから撮ろう」

 声は優しいのに、距離の取り方が的確だった。子どもは「はーい」と返事をして、少し離れた。

 その瞬間、美月がタブレットで告知を更新する。

『熱い調理器具には近づかないでください。スタッフの指示に従って、楽しく安全に!』

 そして、屋台の店主に短く頼む。

「すみません、鉄板の周りにコーン置いて、境界線作れますか。人が寄りやすいので」

「おお、了解。魔界でもそれはやる。人がやけどすると、客が減るからな」

 商売の理屈は世界を超える。だから話が通じる。勇輝は少しだけ笑った。


◆温泉街・坂道の途中


 人の波が、ふっと割れた。視線が一斉に坂の上を向く。そこに立っていたのは、金髪の青年だった。青いマント。腰には剣。肩口には、王国の紋章を刻んだバッジ。

 絵に描いたような「勇者」だった。

 そして、困ったことに、本人もその自覚があるらしく、姿勢が綺麗すぎる。


「あれ……ニュースで見た人だよね」

「異世界の英雄って、ほんとにこういう服なんだ」


 ざわめきの中、青年はまっすぐに歩いてきた。周囲の人にぶつからない距離を取り、足音を乱さない。護衛らしき騎士が二人ほど後ろにつくが、彼らはむしろ「目立たないように」している。

 その青年が、市役所の特設観光ブースの前で立ち止まる。

 勇輝が、反射で名札を直した。役所は、こういうときに「名札」が盾になる。


「初めまして。私はカイル。アスレリア王国より派遣された、特別親善大使です」

 青年は丁寧に頭を下げた。形式が整いすぎていて、逆にこちらが慌てる。

「ひまわり市役所、異世界経済部の主任、勇輝です。ようこそお越しくださいました。今日は視察、ということでよろしいでしょうか」

「はい。温泉と、市民の暮らしと、そして観光の仕組みを学びに来ました。戦いの後に残るものを、私はきちんと見たい」


 言葉は真面目で、誠実だった。けれど、その横で、空気の温度が変わる。

 リリアが、浴衣の袖をきゅっと握っていた。視線が硬い。ヘアバンドの結び目をつまむ指が止まっている。


「……あなた」

 声は低くない。ただ、芯がある。周囲の音が少し遠のくような、そういう芯。

「私を見て、気づかないの?」

 カイルは一拍置いて、ゆっくり頷いた。

「ええ。あなたは、魔王領の……」

「第二魔王、リリアよ」

「存じています。あなたの名は、戦場でも、そして今は平和の場でも」


 言葉が、変に重くなりそうになる。勇輝はその前に、丁寧に割って入った。

「ここは温泉まつりです。過去の話を避ける必要はありませんが、今の場に合う言い方にしましょう。来ているのは、町の人と、観光の人と、そして『今日を楽しみに来た人』です」

 役所の言い回しだ。けれど、こういうとき、役所の言い回しが一番役に立つ。


 市長も頷いて、二人の間に自然に立った。

「リリアさん、カイルさん。ひまわり市では、まず『今、何をするか』を決めます。今は観光の場です。だから二人とも、ここでは観光客でいてください」

「……観光客?」

 リリアが眉を上げる。

「そう。観光客。つまり、この町のルールに従う人だ。難しく考えなくていい」

 市長の声は落ち着いていた。強く押さえつけるのではなく、場の枠を作る。枠ができれば、人はそこに乗れる。


 カイルが先に、柔らかく息を吐いた。

「理解しました。私は視察に来た観光客です。もし失礼があれば、ここで学びます」

 リリアは、少しだけ視線を外した。

「……なら、あなたの度量を見せてもらうわ。観光客として」

「ええ。喜んで」


 言葉の棘が、少し丸くなる。周囲の人の肩の力も少し抜けた。加奈が、間合いを見て、さらっと話題を変える。

「お二人とも、屋台の試食はいかがですか。今日は限定で、ひまわり蜂蜜のソフトクリームがあります。甘いけど、後味がさっぱりしてて、湯上がりに合うんです」

 加奈の「観光の声」は、こういうときに強い。リリアの耳がぴくりと動いた。

「蜂蜜……? それは、興味があるわ」

「カイルさんもどうぞ。甘いもの、苦手じゃなければ」

「ありがたい。実は、こういう場で食べる甘味は、戦場の記憶を薄めてくれる気がします」

 言葉が真面目すぎて、加奈が少しだけ困った顔をする。そこで美月が、横からさらっと救った。

「今の一言、広報に使っていいですか。『心が軽くなる温泉まつり』って、強い」

「強いのは困る」

 勇輝が即座に返すと、美月は笑って頷いた。

「じゃあ、『心が軽くなる』にします。柔らかく、誤解が生まれないように」


◆特設ステージ・夕方


 予定されていたステージは、本来「屋台紹介」と「子ども向けクイズ」だけのはずだった。

 なのに、気づけばプログラムに一行増えている。

 『特別ゲストによる温泉PRトーク』。

 誰が書いたのか。書いた人の顔は、だいたい想像がつく。市長だ。けれど本人は「自然に増えた」とでも言いたげな顔で、壇上に立っている。


「皆さん、今日は楽しく安全に! そして、異界の皆さんにも、ひまわりの湯の良さを知っていただきたい。そこで特別ゲストです」


 拍手が起きる。拍手が起きてしまうと、もう引けない。

 勇輝は舞台袖で、加奈と美月と目を合わせた。三人とも「やるしかない」という顔になる。こういうとき、現場は同盟を結ぶ。


 壇上に上がったのは、カイルとリリアだった。並ぶと絵になる。絵になりすぎて怖い。

 カイルがマイクを受け取る。

「ひまわりの湯は、身体を温めるだけではありません。旅の緊張を解き、知らない土地でも深呼吸できる場所です。私は今日、この町でそれを体験しました」

 丁寧な言葉が続く。観客はうっとりしそうになる。そこで、リリアが少し鼻を鳴らした。

「深呼吸はいいわね。でも、深呼吸だけで強くはなれない」

「強くなる必要はありますか?」

 カイルが穏やかに返す。

「あるに決まってるでしょう。守るために」

 リリアの声は真剣で、観客も笑いに変えにくい温度になる。市長がすぐに間に入る。

「守るために強くなるのもいい。でも、守るために『休む』のも強さだ。温泉は、そのためにある」


 そこで、加奈が舞台袖から「今!」と目で合図した。勇輝は頷いて、マイクの追加を持って壇上に上がる。役所が出てきて場を整える。こういう出方をすると、空気が落ち着くことがある。

「補足します。ひまわり温泉まつりは、皆さんが安全に楽しめるように、救護と案内を増やしています。熱い場所には近づかない、夜は足元に気をつける、迷ったら黄色い旗。これだけ覚えてください」


 客席から笑いが起きた。笑いは、緊張をほどく。ほどいた上で、必要なことを入れる。

 美月がすかさず、スクリーンに簡単な案内図を映す。トイレ、救護、迷子、相談窓口。大きなピクトだけで、文字は最小限。

「今、画面に出てます。写真を撮っておくと便利です。困ったときは、一人で抱えないで、相談してください」


 その流れで、リリアが少しだけ表情を柔らかくした。

「……この町は、相談って言葉が多いのね。魔界だと、相談は弱さ扱いだった」

「ここでは、相談は手順です」

 勇輝が答えると、リリアは小さく頷く。

「手順なら、従える。分かりやすい」


 カイルが、その言葉を受け取るように言った。

「戦場でも、手順が人を救うことがありました。叫び声よりも、短い合図のほうが届くときがある」

 真面目な話が続きそうになって、観客が少し静かになる。その静けさを、リリアが意外な方向に折った。

「じゃあ、ひまわり温泉の合図は何よ。『入れ』って言われたら入るの?」

「合図は『無理はしない』だね」

 市長がさらっと返す。

「……合図が優しすぎない?」

「優しい合図のほうが長続きする。観光は、続いたほうが勝ちだからな」

 市長の言葉に、観客が笑って頷く。リリアが少し悔しそうに視線を逸らした。

「ほんと、あなた、油断ならないわね」

「褒め言葉だろ?」

「たぶん」


 その「たぶん」が、今日いちばん柔らかい火花だった。


◆温泉街・夜


 日が落ちると、温泉街の灯りが輪郭を持つ。提灯の赤が湯気の白に溶けて、道路の端がゆっくり光る。

 花火が上がる音が、山に反射して少し遅れて返ってくる。その遅れが、なんだか心地いい。

 祭りの熱気が少し落ち着いた頃、リリアは屋台通りの端に立って、灯りの揺れを見ていた。視線は遠いのに、表情は怖くない。思い出しているようで、確認しているようだった。


「……戦っていた頃は、こういう夜が来るなんて、想像してなかった」


 小さな声だった。けれど、ちゃんと届いた。

 隣にはカイルがいて、少し離れて市長が立っている。勇輝たちは少し離れた位置で、見守るように立った。必要なときだけ近づける距離。役所の「見守り距離」だ。


 カイルが、花火を見上げたまま言う。

「私もです。勝った後に残るのは歓声だと思っていました。でも実際は、日々の買い物と、朝の挨拶と、湯気の匂いでした。英雄は、それに慣れていない」

「慣れてないなら、慣れればいい」

 市長が淡々と言った。

「慣れるには時間がかかる」

「時間は作るものだ。ひまわり市は、そうしてきた」


 リリアが、二人の会話を聞きながら、ふっと息を吐いた。

「魔界には、暮らしの灯りが少なかった。灯りが少ないと、影が濃くなる。濃い影は、戦いを呼ぶのよ」

 言葉が真剣で、少しだけ胸が締まる。けれど、リリアは続けた。

「でも、ここは影が薄いわけじゃない。灯りが多いから、影が散るのね。散った影は、誰かの足に絡みにくい」


 加奈がそっと頷いた。勇輝は、言葉にしないまま、同じように頷く。

 この町は、きれいごとだけで回っていない。困りごとも、面倒も、ちゃんとある。それでも「灯りを増やす」ほうを選び続ける。それが、観光立市のしぶとさで、役所のしぶとさで、住民のしぶとさだ。


 花火の最後の一発が上がって、空に金の筋を引いた。

 その光に照らされて、リリアが少し照れたように言う。

「……あなたたち、ほんとに変。恐れより先に、手を出す。掃除もする。相談もする。温泉も作る」

「作ってない。元からある」

 勇輝が小さく突っ込むと、リリアは視線だけこちらに向けた。

「整えてる。整えるのも、作るのと同じよ」

 その言い方が妙に大人で、勇輝は返す言葉を失った。


 カイルが、少し笑う。

「私も、今日学びました。勇者がやるべきことは、剣を振ることだけではない。列に並び、足元を見て、迷った人に声をかけることも含まれる」

「それ、勇者じゃなくて地域ボランティアでは?」

 美月が小声で言うと、加奈が肩を揺らして笑った。

「でも似てるかも。どっちも、誰かを守るために動くんだし」


 リリアが、ふいに市長を見た。

「ねえ、市長。あなたは、どうしてそんなに平気なの。こんな騒ぎの中で」

 市長は、少しだけ考えてから答える。

「平気じゃない。だけど、平気なふりをすると周りが動ける。町は、動いたほうが落ち着くことが多い。だから、動かす」

「……やっぱり魔王みたい」

「それ、褒めてるのか?」

「たぶん」


 また「たぶん」だ。たぶん、で言える距離が、いちばん安全なのかもしれない。


◆翌日・異世界経済部


 翌朝、市役所のフロアはいつも通りの匂いに戻っていた。コピー用紙と、古い空調と、朝のコーヒー。

 ただし、机の上に置かれた新聞だけが「いつも通り」を許してくれない。


『勇者と魔王の妹、温泉まつりで共演!』

『異界交流、ひまわり市が先導』


 見出しが踊っている。踊りすぎて、足元が見えなくなりそうな踊り方だ。

 美月がタブレットで、魔力通信の反応を確認する。

「好意的な反応が多いです。ただ、昨日の『溶岩浴』が変に切り取られてる投稿がいくつかあります。『挑戦』って単語が走ってる」

「単語が走ると、足が追いつかない人が出る」

 勇輝が言うと、加奈がすぐに頷いた。

「注意喚起、もう一回出そう。怖がらせるんじゃなくて、『安全に楽しむためのお願い』って形で」

「了解。『熱い場所には近づかない』『スタッフの案内に従う』『困ったら相談』。この三点で固定します」

 美月が指を動かす。文字数は少ないのに、言葉の選び方が丁寧だ。


 そのとき、内線が鳴った。勇輝が受話器を取る。

「異世界経済部、主任の勇輝です」

 向こうの声は、観光課でも広報課でもない。生活環境課だった。

『主任、すみません。下水管の点検で、スライムが……えっと、保湿コーナーから流れてきた水が増えて、詰まりかけてます』

「祭りの影響、来たか」

 勇輝は額を押さえる代わりに、手帳を開いてスケジュールを確認した。押さえても状況は変わらない。変えるのは手順だ。

「分かりました。生活環境課と連携します。異界対応として、スライムの方にも案内が必要ですね。保湿の水は大事だけど、流し方はルールが要る」

『助かります。あと……観光客が増えて、夜間の見回りも要望が出てます。防衛予算の話、次の議会で……』

「……来ますね。次の嵐」


 受話器を置くと、机の上の新聞がやけに軽く見えた。昨日の花火の光は綺麗だった。でも、町は光だけでは回らない。水も流さなければならないし、詰まったら直さなければならない。

 それでも、勇輝は口元だけで笑った。

「まあ、やることが増えるのは、町が動いてるってことだ。止まってるよりいい」

 加奈が、少しだけ安心したように微笑む。

「そうだね。動いてるなら、整えられる。整えたら、また楽しめる」

 美月がタブレットを閉じて、次の資料を差し出した。

「主任、次回の議会資料、叩き台できました。タイトルは『ひまわり市・安全安心体制(異界対応)』です。変な文学になってません」

「それは助かる。今日はそれだけで、だいぶ救われる」


 窓の外では、祭りの片付けが続いていた。提灯が外され、通りが少しずつ元の顔に戻っていく。

 元に戻るのに、ただ戻るだけじゃない。昨日の経験が、少しだけ町に積もる。積もった分だけ、次が楽になる。たぶん。


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