第35話「異界ゆるキャラ選挙!」
民主主義は、種族を選ばない。
◆朝・ひまわり市庁舎 廊下
温泉まんじゅうフェスから一週間。
湯けむりの甘さと、商魂の熱気と、なぜか最後に残る「後片付けの書類」の山。ひまわり市は、その全部を飲み込んで、ようやく普通の顔に戻りかけていた。
戻りかけて、である。
庁舎の廊下に貼られた新しいポスターは、そういう「戻りかけ」を、容赦なく引っくり返す力を持っていた。
加奈が、紙の端を折らないよう両手で丁寧に掲げる。顔は誇らしげで、目はきらきらしている。朝から元気が良すぎる。嫌な予感が、勇輝の背中に軽く張り付いた。
「見てください、勇輝さん。第1回・異界ゆるキャラ選挙のポスター、刷り上がりました! 貼り出し許可も取ってます。庁舎内はもちろん、温泉街と商店街の掲示板にも同じデザインで統一です」
「統一って言葉だけ聞くと、すごくいいことしてるように見えるのに、なんで俺は身構えてるんだろうな」
勇輝が半笑いで答え、ポスターを覗き込む。
中央にいるのは、湯けむりタオルを頭に巻いたまんじゅう型の着ぐるみ、『まんまるん』。ふわっとした輪郭、丸い手、胸の「湯」の文字が妙に堂々としている。これはまあ、理解できる。温泉街の顔として、むしろ分かりやすい。
問題は、その隣だった。
ポスターの片隅に、黒いオーラをまとったシルエット。
輪郭が鋭い。目が赤い。マントが風もないのに揺れている。ゆるさが、どこにも見当たらない。これは候補というより、夜に出会いたくないタイプの存在感だ。
「……ん? 魔王推薦キャラ・マオーン様?」
勇輝が眉を寄せた瞬間、加奈が待ってましたと言わんばかりに頷いた。
「はい。推薦状が正式に届きました。封蝋が黒くて、開けるのに手袋が必要でしたけど、書式は完璧でした。行政文書として」
「魔界の方が書式ちゃんとしてるの、地味に困るんだよな……突っ込みづらい」
背後から、ヒールの音が軽く響く。振り返ると、魔導錬金士のミーネが、腕に資料を抱えたまま歩いてきた。今日も香水の匂いが上品で、雰囲気だけは会議向きだ。
「魔王様、最近はゆるキャラ界の覇権を真面目に狙っておられるそうですの。魔界では『笑顔の統治』が流行っておりますから」
「笑顔の統治って、なんでそんな物騒に聞こえるんだろう。俺の耳が悪いのか」
その会話の脇を、広報担当の美月が早足で通り過ぎる。タブレットを抱え、顔がすでに半分仕事、半分楽しみになっていた。
「課長、貼り出し開始した瞬間から、タグが立ちました。『#まんまるん』と『#マオーン様』。様が付いてるの、もう強いです。敬称が強い」
「敬称が強いって何だよ。選挙で勝ちたくて敬称増やすの、聞いたことない」
美月は笑いながら、でも真面目な声に戻る。
「ただ、空気は分かれてます。かわいいは正義派と、闇のカリスマ派。……その間に、絶対『面白いから全部推す派』が出ます」
「うちの町、最後の派閥が一番強い気がする」
勇輝がため息を落とし、ポスターを見つめ直した。
ゆるキャラ選挙。聞こえだけは平和だ。けれど、ひまわり市で「平和そうな企画」が平和だった試しはない。
その時、廊下の奥から、落ち着いた声が飛んできた。
「朝から賑やかだね。……ああ、貼ったのか」
市長だった。スーツの襟を整えながら、ポスターの前に止まる。表情は穏やかで、しかし視線は仕事の人のそれで、状況を一瞬で測っている。
「市長、おはようございます」
「おはよう。……勇輝、選挙管理の体制、どうする?」
質問が直球だった。
勇輝は一瞬、返事を飲み込み、素直に頷いた。これは祭りだ。けれど、祭りほど揉める。揉める前に、線を引く。
「今日の午前中に、選管の臨時会議を立てます。投票方法、魔力干渉の対策、オンライン投票の扱い、各界の身分証の扱い……やることは山ほどです」
「よし。『楽しく』『公正に』『誰も置いていかない』。この三つを優先で。相手を貶めるのは禁止。推し方も含めて、町の顔になる」
市長が言い切ると、不思議と廊下の空気が少し締まった。
加奈は背筋を伸ばし、美月はタブレットに何かを書き込み、ミーネは小さく微笑んだ。
勇輝だけが、内心で小さく呻く。
(この町の「楽しく」は、だいたい試練とセットなんだよな)
◆午前・ひまわり市庁舎 特設選挙管理委員会室
会議室のドアに貼られた仮の札には、太い字でこう書かれていた。
「異界ゆるキャラ選挙管理委員会(臨時)」
括弧の中が、ひまわり市の現場感を全部語っている。
長机の上には、立候補届、推薦状、同意書、出演同意、撮影許可、グッズ販売申請、そして「着ぐるみ内部の安全確認チェックリスト」まで並んでいた。イベントのくせに、書類の質量が公的。
勇輝は座る前に、机を一度だけぐるりと見回した。
人間の職員だけではない。獣人の事務員、スライムの局員、エルフの商会スタッフ、ドワーフの観察員、魔族の連絡係。ひまわり市が転移してから積み上げてきた「混ざり方」が、こんなところにも出ている。
勇輝は椅子に腰を下ろし、いつもの調子で口を開いた。
「はい、始めます。まず最初に確認する。これは町の役職を決める選挙じゃない。ゆるキャラ、つまり町のPRと交流の顔を決めるための企画。だからこそ、誰でも参加しやすく、そして納得できる形にしたい。ここまで、異論ある人いる?」
しん、と一瞬静まる。
次に手が上がったのは、魔界商人ロッソだった。温泉まんじゅう戦争で顔を売った彼は、今日も妙に堂々としている。
「異議あり。魔界では投票は魂で行う。魂の票は、偽れない。公正だ」
「それ、聞こえはいいけど、導入した瞬間から『魂をどこに保管するか』の規程が必要になる。うちは保管できない。返却手続きも作れない」
「……魂は返すものではないのか?」
「返さない運用、怖すぎるだろ」
勇輝が淡々と返すと、加奈が小声で補足する。
「それに、魂投票だと、亡くなった方も投票できてしまいます。想いがあるのは分かりますけど、今回の企画は『今の町の顔』を決めるものなので……そこは線を引きたいです」
ロッソは頬を掻き、しぶしぶ頷いた。
「ふむ。人間界の線引きは細かいな」
「細かいから、いろんな人が一緒にやれるんだよ」
勇輝は話を戻す。
「投票方法は二本立て。会場投票とオンライン投票。ただしオンラインは、投票券と紐づける。一人一票、種族に関係なく。コピーや分裂で増やすのは不可」
その瞬間、スライム局員がぷるんと震えた。悪気はない。ただ、ルールが自分の身体仕様に刺さっただけだ。
「わたしたち、ふえるの、だめですか~?」
「だめじゃない。増えていい。仕事は増えていい。でも投票だけは同一個体一票。増えた分だけ投票するのは、ちょっと違う」
勇輝の言葉に、スライム局員は「うーん」と悩むように揺れたあと、納得したように小さく跳ねた。
「わかりました~。ふえるのは、そうじのときだけにします~」
「そうじで増えるの、頼もしいけど怖いな」
美月が笑いをこらえつつ、手元のメモに「スライムさん掃除戦力」と書き足しているのが見えた。たぶん後で広報に混ぜる。
勇輝は資料をめくり、次の議題へ。
「魔力干渉対策。投票箱は透明ケースにして、中身は封印袋に入れる。投票用紙自体に、簡易の干渉検知を入れる」
ミーネが指を上げる。
「それ、私が作れますわ。甘い香りをつけましょう。干渉があると香りが変わります。嗅いだ瞬間に分かるように」
「……嗅がせるの?」
「ええ。投票箱を開ける前に、立会人全員で一度嗅いで確認しますの。魔界の方も、天界の方も、香りは共通言語ですわ」
ロッソが興味深そうに頷く。
「香りの監査、良いな。魔界でも通じる」
「ただし、舐めないでくださいね。確認のために舐める人が必ず出ますから。甘くしておけば口に入れたくなる心理、分かってます」
ミーネがさらりと言い、加奈が慌てて手を振った。
「しません! 私は絶対しません!」
美月が小声で言う。
「……でも、誰かがやる。たぶんやる」
「広報は、その誰かを撮らない。ここ重要」
勇輝が釘を刺すと、美月は素直に頷いた。意外と線引きはできる。
次に議題は、候補の扱いへ移る。
「候補者は二体。まんまるんと、マオーン様。敬称はどうする?」
会議室がざわつく。議題が政治的だ。ゆるキャラなのに政治的だ。
加奈が書類を取り出し、冷静に読む。
「推薦状に、『名称はマオーン様と表記し、様は固有名詞の一部として扱うこと』とあります。公的文書に書いてあります。……丁寧すぎて、逆に怖いです」
「固有名詞に様が含まれる、か」
勇輝は頭を掻き、結論を出した。
「分かった。候補名はそのまま表記する。まんまるんと、マオーン様。呼び捨ては禁止。相手を煽るのも禁止。ツッコミは、俺が引き受ける」
「課長、それ、公式役職にしちゃいましょうか。『ツッコミ担当』」
「余計な役職増やすな」
市長が、椅子に深く座り直して口を開いた。
「いい? 今日のルールを、ポスターと公式サイトに載せる。短く、分かりやすく。『魔力での票操作は禁止』と書く時は、言い方を工夫して。魔界の方の誇りも傷つけない。『みんなの一票を大切にするため』と添えて」
「了解です。言葉は刺さるからな」
勇輝が答えると、市長は頷いた。
会議は細部へ潜っていく。
投票時間、会場動線、着ぐるみ接触の安全距離、写真撮影のルール、子どもの投票の扱い(保護者と一緒に投票所へ、投票自体は本人の意思を尊重)、そして何より、推し合戦が喧嘩になった時の対応窓口。
書類が増えるたび、加奈のメモが増え、美月のタブレットに下書きが増え、ミーネの付箋が増えた。庁舎という場所は、こういう時に力を出す。派手じゃないけど、崩れない。
最後に、勇輝は一枚の紙を掲げた。
「これ、当日の運用方針。『かわいいも、かっこいいも、両方ひまわり市の資産』。この一文を、会場の入口に貼る。挑発的な言葉は、ここで一回落ち着かせる。異論ある?」
誰も手を上げなかった。
そして、現場は動き出す。
◆昼・温泉街 特設ステージ ゆるキャラPRタイム
温泉街の中央広場は、相変わらず湯気が濃い。
今日はそれに、紙の提灯の光と、甘い蒸し饅頭の匂いが混ざって、空気がふわっと柔らかくなっていた。
ステージの前には、子どもが最前列を陣取り、その後ろに大人が立ち、さらにその後ろに異界の人たちが混ざる。誰がどこにいるかより、誰がどんな顔をしているかの方が分かりやすい。みんな、期待の顔だ。
司会の観光課・柳田がマイクを握り、声を張る。
「皆さま、本日は第1回・異界ゆるキャラ選挙、PRステージにお越しいただきありがとうございます! 投票は夕方まで。会場投票もオンライン投票もありますが、まずは候補の魅力をしっかり見てください! 誹謗中傷は禁止、推しは誇りを持って、でお願いします!」
この町の司会は、最初から注意事項が多い。でもそれが、ここの優しさでもある。
ステージ横で、勇輝は腕を組みながら人の流れを見ていた。加奈は受付の最終チェックをし、美月はカメラを構えつつも、公式配信と個人投稿を分けて動いている。今日は遊びじゃない。遊びだけど、仕事だ。
「エントリーNo.1! 温泉街のぬくもり担当、まんまるんです!」
歓声が上がる。
まんまるんがステージに飛び出し、ぴょこぴょこと弾む。湯けむりのように見える薄い布をふわりと揺らし、両手を大きく振る。子どもたちが真似をするように手を振り返した。
まんまるんは、途中で一度止まり、胸の「湯」を指差してから、ゆっくりと深くお辞儀をする。よく見ると、タオルの端に小さな刺繍で「安全第一」と書いてある。誰が入れたのか、すごくひまわり市らしい。
加奈が小声で解説する。
「中の担当さん、昨日までリハーサルでずっと『お辞儀の角度』を練習してたんです。かわいいのに礼儀がいい、って言われると票が伸びるそうで」
「分析が生々しいな。ゆるキャラにも戦略があるんだな」
ステージ上で、まんまるんは小さなタオルを取り出し、前列の子どもたちに配り始めた。ひとりひとりの目を見て、渡す。言葉はないのに、空気があたたかい。
その空気が、次の瞬間に一度ひっくり返る。
照明が落ちる。
提灯の光が闇色に変わる。風が吹いたわけでもないのに、湯気が一瞬だけ逆流するように揺れた。
観客が息を呑む。
そして、ステージの上に、黒い影が降り立った。
マントが翻る。足音が重い。けれど動きは無駄がなく、どこか芝居がかっているのに嫌味がない。むしろ、舞台慣れしている。
柳田が、声のトーンを必死に明るく戻す。
「エントリーNo.2! 魔王推薦キャラ、マオーン様です!」
ざわり、と波が走る。
マオーン様は、ゆっくりと観客を見渡した。目が赤い。なのに、視線の当たり方が意外と丁寧で、子どもがいる場所を避けているようにも見えた。
「我こそは、魔界ゆるキャラ連盟代表……マオーン様。ひまわり市の民よ、票を捧げよ」
声が響く。低くて通る。背筋が伸びるタイプの声だ。
ただし、その瞬間、勇輝がステージ脇から手を上げた。
「マオーン様、すみません。お願いが一つ。ここ、子どもが多いので、声の音量を半分にしてもらえますか。怖がってる子が出ると、イベントの趣旨から外れるので」
会場が凍る。
ゆるキャラのPRステージで、堂々と音量調整を依頼する行政。ひまわり市の職員は、躊躇がない。
マオーン様は、一拍置いた。
そして、驚くほど素直に頷いた。
「……了解した。子どもは、未来。恐怖で縛るのは、統治として下手だ」
「統治って言葉が重いけど、分かりました。ありがとうございます」
勇輝が返すと、客席の緊張が少し解けた。子どもたちも、親の顔を見てから、またステージを見上げる。
マオーン様は、今度は声を落とし、言葉を選ぶように続けた。
「我が役目は、闇を怖がらせることではない。夜にも湯気が立つ町を、守ること。闇は、休むためにも必要だ。光だけの町は……眩しすぎて眠れぬ」
その言葉に、大人たちが静かに頷いた。
怖いだけではない。考えている。意外と真面目だ。
まんまるんが、横で小さく手を振った。マオーン様がそれを見て、一瞬だけマントの端をぎこちなく振る。ゆるさが、出そうで出ない。そこが逆に面白い。
美月が小声で呟く。
「……このぎこちなさ、刺さる層います。絶対」
「広報は煽るな。平和に行け」
勇輝が言いながらも、心のどこかで同意してしまう。分かる。そういうの、いる。
ステージは、質問コーナーに移った。
最前列の小さなスライムが、ぷるぷると手を上げる。柳田がマイクを向けた。
「しつもん、あります~。まんまるんは、ぬるぬるしても、だいじょうぶですか~」
まんまるんは一瞬止まり、胸の「湯」を指し、タオルを広げる仕草をした。ぬるぬるしても拭ける、という意味らしい。かわいい。
次に、マオーン様の方を見て、スライムが続ける。
「マオーンさまは……こわいけど、なでてもいいですか~」
会場が息を止める。
その質問、ある意味で一番核心だ。
マオーン様は、ゆっくりと片膝をついた。子どもの目線に合わせて、手を差し出す。鋭い爪が見えるのに、動きは慎重で、触れたら痛くない位置で止めている。
「良い。ただし、力加減を教えてやろう。触れるのは、相手を壊さぬためでもある」
スライムが恐る恐る触る。ぷに、と音がしそうなほどの柔らかい感触の手の上に、黒い指先が乗った。スライムが嬉しそうに跳ねた瞬間、会場の空気が一段柔らかくなった。
勇輝は、気づかないふりをして息を吐く。
(うん。これは……悪くない。たぶん)
◆午後・ひまわり市庁舎 広報室 オンライン投票監視
庁舎に戻ると、現場は別の熱気に包まれていた。
投票受付が始まった瞬間から、投票数のカウンターが勢いよく回っている。回り方が、イベントのそれじゃない。勢いが、選挙という言葉に見合ってしまっている。
美月がタブレットを叩きながら、勇輝に状況を投げる。
「今のところ、オンライン投票が全体の六割。魔界側の投票が速いです。通信のレイテンシーが少ないっぽい。たぶん向こう、投票に全力の回線引いてます」
「投票に全力の回線って、何だよ。行政の仕事より優先順位高いのか」
加奈が別端末を見て、眉を寄せた。
「でも、件数の伸び方がちょっと……一分で三千票増えるの、早すぎません? 投票札は配布済みですけど、本人認証の段階で詰まるはずなのに」
勇輝は、すぐに選管の連絡網を開いた。
「検知ログ、見せて。ミーネ、干渉反応は?」
ミーネが、嗅覚よりも正確そうな顔で首を振る。
「投票用紙の干渉はなし。ですが、投票札の入力に、同じ署名結晶が何度も使われていますわ。つまり……同じ人が、同じ札で投票しようとしている」
「単純だな」
勇輝は苦笑し、しかし声は落ち着かせた。
「対処はシンプル。投票札は一回で無効化。二回目以降は受付で弾く。悪意がなくても、システムのルールとして」
ロッソが不満げに腕を組む。
「だが魔界では、熱が高まると何度も投票したくなる。それも情熱だ」
「情熱は、拍手で表現してくれ。票は一回」
美月が笑いながらも真面目に指を動かし、画面に告知文を打ち込む。
「『投票は一人一回です。応援は何回でも歓迎です』。これ、柔らかいですよね」
「いい。攻撃しない文章。責めない。お願いだけ。こういうのが効く」
加奈が頷き、続けて言う。
「あと、コメント欄が荒れそうです。『闇が勝ったら町が終わる』とか『かわいいだけで町が守れるのか』とか、煽り文が出てます。これ、放置すると分断になります」
勇輝は迷わず言った。
「コメント欄は、公式は閉じよう。質問フォームだけ開く。自由な場は、民間の空気に任せるしかない。行政が全部を抱えたら、燃える」
美月が素早く切り替える。
「了解。公式は『安全運用』『投票方法』『結果発表の時間』だけ。感想は市民の場に任せます。あと、ハッシュタグは推奨するけど、相手を下げるのは禁止って、短く固定します」
勇輝は、広報室の窓から外を見た。
庁舎前の掲示板の周りにも、人が集まっている。投票率が上がるほど、空気も熱くなる。熱は良い。だが、熱が刺さる形になると痛い。
その時、内線が鳴った。受付の職員の声が、少し困っている。
『選管へ。魔界側の応援団が、ロビーで膝をつく練習を始めました。ええと……候補のPRだそうです』
勇輝は目を閉じ、一度だけ深呼吸した。
「……分かった。すぐ行く。加奈、美月、来て」
◆午後・ひまわり市庁舎 ロビー
ロビーは、いつもの庁舎の顔をしていなかった。
チラシが舞い、応援の旗が揺れ、そして何より、魔界の応援団が真剣な顔で膝をついていた。練習している。練習しているという事実が、逆に面白いのに笑えない。
人間側の職員たちが、遠巻きに見ている。驚きと、少しの不安と、少しの好奇心。
勇輝はゆっくり歩き、応援団の前に立った。
「皆さん、応援ありがとうございます。熱意は伝わってます。……ただ、ここは市役所です。膝をつく文化を否定はしないけど、強制みたいに見えると、他の人が参加しにくくなります。今日は『一緒に楽しむ』日です」
応援団のリーダーらしい魔族が、顔を上げた。目が鋭い。しかし、話は聞いている。
「我らは、マオーン様への敬意を示しているだけだ。強制ではない」
「強制じゃないなら、なおさら、別の表現に変えられます。たとえば、手を胸に当てて一礼、とか。ここの町の人も、異界の人も、同じ動きで参加できる。そういう形にしてくれたら、マオーン様の評価も上がると思う」
リーダーは迷った。
迷ってから、後ろを振り返り、仲間に一言だけ告げた。
「……立て。礼は、礼で示す」
魔族たちが一斉に立ち上がり、胸に手を当てて一礼する。確かにかっこいい。強制の匂いが消え、尊敬の形だけが残る。
ロビーの空気が、ふっと軽くなった。
美月が小声で言う。
「課長、今の、映えます。でも公式では出しません。市民が撮って出すやつです」
「その判断、好きだ」
加奈が安堵の息を吐き、勇輝の袖を軽く引く。
「勇輝さん、あそこ。まんまるんの応援団もいます。あっちは、タオル回してます」
見ると、人間側の応援団が、湯上がりみたいにタオルを回していた。勢いがある。勢いがあるが、これも行き過ぎると危ない。
勇輝は苦笑し、手を上げた。
「タオルは、頭の上で回すな。目に当たる。腰の高さで回して。あと、通路は空けて。役所のロビーはステージじゃない」
応援団が「はーい!」と素直に返事をする。ひまわり市の住民は、こういう時だけ素直だ。たぶん楽しんでいる。
市長がロビーに現れ、全体に向けて短く言った。
「応援は歓迎。だけど、誰かを怖がらせない。誰かを置いていかない。今日だけは、そこだけ守って。頼むよ」
その声に、自然と拍手が起きた。
拍手は、魔界の応援団にも、人間の応援団にも、同じように届いていた。
◆夕方・温泉街中央広場 結果発表会場
日が傾くと、温泉街の湯気が少し青く見えた。
昼の賑やかさとは違う、夕方の柔らかさ。けれど広場の空気だけは、逆に張り詰めている。結果発表の時間だ。
ステージの横には、透明の投票箱が並べられていた。封印袋は、ミーネの香り監査済み。立会人は、候補側の代表と、選管の職員と、異界側の監査役。ここまでやるのか、というほどやる。やるから、最後に笑える。
勇輝は壇上に立ち、マイクを握った。
口の中が乾く。でも声は落とさない。ここは行政の現場と同じだ。誰かの不安が集まる場所は、声の質で安心が決まる。
「皆さん、本日は投票にご参加いただきありがとうございます。会場投票、オンライン投票ともに、締め切りました。これから結果を発表します。……その前に一つだけ。今日の選挙は勝ち負けのためだけじゃない。町が混ざって、同じ笑い方を覚えるための企画です。結果がどう出ても、相手を責めない。ここ、お願いします」
会場のあちこちで頷きが起きた。少しだけ、空気が緩む。
柳田が、スクリーンの前に立つ。指先が少し震えている。観光課はこういう時、妙に人間らしい。
「それでは……表示します!」
スクリーンに、数字が浮かぶ。
最初はゆっくり。次に、一気に。
1位:まんまるん 49.8%
2位:マオーン様 49.7%
差は、0.1%。
会場が揺れた。歓声と悲鳴が混ざる。喜びと悔しさが同時に湧く。こういう時、人は乱暴な言葉を口にしやすい。勇輝は、その前に動いた。
「落ち着いて。差が小さいので、再集計をします。これはルールに書いてある通り。誰のためでもなく、全員の納得のためにやる」
その宣言に、ざわめきが少し収まった。
立会人たちが投票箱へ向かい、封印袋を確認する。香りが変わっていないことを、全員で確認する。妙に儀式っぽいが、こういう儀式は案外大事だ。
再集計は、短い時間で終わった。
結果は変わらない。差は差のままだった。
勇輝がマイクを握り直す。
「再集計の結果も同じ。まんまるん、当選です」
まんまるんが、ステージの中央へ出て、深くお辞儀をした。湯けむりタオルがふわりと揺れ、子どもたちが歓声を上げる。
その横で、マオーン様が、静かにうつむいた。
黒いマントが、夕方の風で少しだけ揺れる。会場が息を止める。
マオーン様は、ゆっくりと顔を上げた。
そして、まんまるんの前へ進み出た。
「……負けた、か。だが、良い戦いであった。貴様のぬくもりは、軽く見れば弱さに見える。だがこの町では、それが強さなのだな」
声は低いが、さっきより柔らかい。
「ゆえに、敗北は受け入れる。……ただし、闇も退かぬ。夜があるから朝がある。ならば、共に立て。光と闇の並びは、美しい」
勇輝が思わず口を挟む。
「マオーン様、その発言、たぶん票が増えるやつです。終わった後で言わないでください」
会場が笑いに包まれた。
緊張が一気にほどける。
まんまるんが、小さく手を差し出した。
マオーン様がそれを見て、一拍置いてから、ゆっくり握る。握り方が強すぎない。さっき子どもに触れた時と同じ、力加減。
拍手が広がった。
拍手は、勝者にも敗者にも同じように降った。
市長が壇上に上がり、短く締める。
「まんまるん、おめでとう。マオーン様、素敵な立候補をありがとう。二体とも、ひまわり市の財産です。これからは競うだけじゃなく、一緒に町を盛り上げていこう」
その言葉に、観客がまた大きく頷いた。
ここまで揉めそうで揉めないのが、ひまわり市の不思議だ。危なっかしいのに、最後はちゃんと同じ方向を見る。
◆夜・温泉街 屋台通り
結果発表が終わると、温泉街はふたたび祭りの顔に戻った。
屋台の鉄板の音、湯気、甘い匂い。さっきまで数字に張り詰めていた人たちが、今はまんじゅうを頬張って笑っている。人の心は、切り替えが早い。だからこそ守るのが難しいのに、今日はうまくいった。
勇輝と加奈は、屋台の端で紙コップの甘酒を持って立っていた。甘酒と言っても、異界仕様でほんのり魔力が入っている。飲み過ぎると眠くなるやつだ。今日はちょうどいい。
「……すごかったですね。まさか0.1%差になるなんて」
加奈が息を吐く。緊張が抜けた顔だ。頬が少し赤いのは、寒さか甘酒か、どっちか分からない。
「差が小さい方が、後が楽ってこともある。負けた側が『惜しかった』で終われるからな。大差だと、分断が残る」
「なるほど……行政っぽいです」
「行政っぽいって言うな。俺は今、ただの疲れた人だ」
加奈が笑い、紙コップを両手で包む。
「でも、今日のマオーン様……意外でした。怖いだけじゃない。ちゃんと、町の空気を見てました」
「そうだな。あれはたぶん、本気で『ゆるくなろう』としてる。方法が極端なだけで」
その瞬間、遠くで小さなどよめきが起きた。
視線を向けると、屋台の一角で、マオーン様が金魚すくいに挑戦している。
より正確に言うなら、挑戦しているつもりで、金魚が逃げている。
黒いマントを背に、真剣な顔でポイを構える姿は、妙に絵になる。なのに、動きが慎重すぎて、水面がほとんど揺れない。金魚が余裕で避ける。周囲の子どもたちが、くすくす笑いながら見守っている。
マオーン様が低い声で呟く。
「我が覇道……金魚の道より始まる……」
勇輝と加奈は、顔を見合わせた。
「そこからなんだ」
「そこからなんですね」
加奈が笑いながらも、少しだけ真面目な声になる。
「でも、ああいうの、いいですね。怖い人が、怖くない場所で、ちゃんと下手をやるのって」
「下手をやる、って言い方。まあ、分かる。完璧な人より、ちょっと不器用な方が、近づける」
美月が、いつの間にか隣に来ていた。タブレットを胸に抱え、画面を見せてくる。
「見てください。『#まんまるん当選』も伸びてますけど、『#マオーン様も推す』が同じくらい伸びてます。あと、『#金魚すくい覇道』が出ました。誰だよ付けたの」
「誰かが付けると思った。うちの町は、そういう町だ」
美月が肩をすくめ、でも嬉しそうに言った。
「荒れなかったです。『闇が勝ったら終わる』系の投稿は、自然に流されていきました。代わりに、『どっちもひまわり市っぽい』が増えました」
勇輝は、少しだけ胸の奥が軽くなるのを感じた。
言葉は、確かに刺さる。でも、刺さり方は選べる。今日の町は、刺す方じゃなく、繋ぐ方を選んだ。
◆ラスト・温泉街中央広場 花火
夜空に花火が上がると、湯気が光を受けて、ひまわり市の空全体が柔らかく揺れた。
広場の中央には、巨大なホログラムが浮かび上がる。まんまるんとマオーン様が並び、同じ方向へ手を振っている。たぶん演出だ。たぶん誰かが仕込んだ。けれど、こういう仕込みは嫌いじゃない。
勇輝は少し離れた場所で、それを見上げた。
隣には加奈。少し後ろには美月。さらに後ろに、市長が立っている。みんな、同じ空を見ていた。
花火の音が、胸の奥まで響く。
「力も、可愛さも、世界を動かす」
勇輝が、ぽつりと言う。独り言のつもりだったのに、加奈が小さく頷いた。
「でも結局、最後に残るのは……一緒に笑えたかどうか、ですよね」
「そうだな。票は数字で、でも投票した気持ちは数字じゃない。今日の町は、うまくそれを守れた気がする」
加奈は、花火の光で少し眩しそうに目を細めた。
「まんまるんも、マオーン様も。どっちも、町のことを考えるきっかけになりました。……次は、二体で何をやるんでしょう」
「予算が溶けない範囲で頼む」
勇輝が言うと、加奈と美月が同時に笑った。
その笑い声が、湯気の向こうへ溶けていく。温泉街の夜は、やっぱりあたたかい。




