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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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第23話「魔導商会ブラック残業事件!」

◆朝・ひまわり市商工会議所


 商工会議所の朝は、だいたいコーヒーと紙の音から始まる。

 窓口に立つ会員事業者は増え、相談内容も増え、提出される帳簿はなぜか年々分厚くなる。景気が良いほど書類は増える、というのはこの町に来てからも変わらなかった。


 転移してから半年。ひまわり市は、どうにか「観光」と「生活」を両立させつつ、異界との取引を少しずつ形にしてきた。

 その象徴みたいに語られているのが、市内最大規模の異界企業・フォルミナ魔導商会だ。


 商工会議所のホールに貼られたポスターには、黒曜石の塔を背景にした企業ロゴと、でかでかと「雇用創出」「税収増」「異界輸出」と、景気のいい単語が並ぶ。

 市役所だって、この商会からの法人市民税や寄附、協賛金に何度も助けられている。


 だからこそ、資料の隅に挟まっていた数字が、妙に目についた。


「……勇輝さん、これ」

 加奈が資料を指で叩いた。会議所の会計担当から回ってきた、協賛企業の労務状況の集計表だ。

「平均労働時間、えっと……一日十四時間、って書いてあります。しかも“繁忙期平均”じゃなくて、直近の四週間平均です」


 勇輝は椅子の背にもたれかけて、すぐには返事をしなかった。数字だけを見るなら、ひまわり市でも繁忙期の観光業はきつい。だが、ここは魔導商会。営業時間が長い業種でもない。しかも、福利厚生が手厚いという評判まである。


「十四、ね」

 勇輝は口の中で一回だけ繰り返した。言い方を探すみたいに。

「……これ、集計の単位が違うとか、何かの換算ミスじゃないか?」


「私もそう思って、元データ見ました」

 加奈はファイルを開いて、別紙を差し出す。そこには「魔導加速勤務」の欄があり、労働時間の列には「0:00」と書いてあるのに、別の列に「加速係数」「施術回数」「魔力消費量」という項目が並んでいた。


「時間が、ゼロ……?」

 勇輝の眉が上がる。


「そして、こっちは“実作業量”」

 加奈が指を滑らせると、処理件数、出荷件数、製造数が、普通の会社では見ない跳ね上がり方をしていた。


 横で、美月がタブレットを覗き込んで、思わず顔をしかめた。

「うわ……これ、広報的にはかなり危ない匂いがします。『異界企業、時間停止で働かせる』って、見出し一発で燃えますよ。いや、燃えるだけならまだ良くて、延々と残ります」


「美月、言い方」

 加奈が小声でたしなめるが、美月の指はもうメモアプリを開いていた。頭の回転が速いのは助かるけど、目の前の案件が火種っぽいときほど、その速さが怖い。


「……でも、隠しても良くならない」

 勇輝は資料の束を閉じると、会議所の受付に立つ職員に声をかけた。

「フォルミナ魔導商会の労務担当、今日ここに来てる?」


「はい。午前中、設備補助金の件で打ち合わせ予定です」

 職員が予定表を確認して答えた。


 勇輝は加奈と視線を合わせる。

「まず、話を聞こう。数字だけで決めつけるのは良くない。でも、数字が出てる以上、見なかったことにもできない」


 美月が小さく頷く。

「撮影は……今日はやめときます。代わりに、議事録っぽくまとめます。万が一の時、時系列が命ですから」


「頼む」

 勇輝は、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

 この町は、いまや「前例のないこと」を前提に回っている。だからこそ、まずは足元のルールが壊れてないか確かめる必要がある。


◆午前・商工会議所 小会議室


 小会議室に通された労務担当は、人間の青年だった。胸元にフォルミナ魔導商会の徽章。姿勢が良く、言葉遣いも丁寧で、いかにも「対外対応に慣れている」雰囲気がある。

 ただし、目の下に薄い影があり、笑顔が、どこか“上手に作ったもの”みたいに見えた。


「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。労務担当の石動と申します」

 青年は名刺を差し出し、こちらの名刺も受け取った。


 勇輝は名刺の文字を確認しながら、穏やかに切り出す。

「こちらこそ。補助金の件は別途担当が詰めるとして、今日は労務の数字について、確認させてください。提出いただいた資料に“魔導加速勤務”という項目がありますね」


「はい」

 石動は迷いなく頷いた。

「当社の生産ラインは、異界の魔導技術と人間の工程管理を組み合わせたものです。繁忙期に限り、時間の流れを調整することで、納期と安全を両立しています」


「時間の流れを調整、ね」

 勇輝は、できるだけ淡々と聞き返す。


「正確には“加速”です。労働者の主観時間を圧縮しないよう、一定の休息を挟みながら、作業の連続性だけを確保します。ですので、時間外労働には該当しません」

 石動はそう言って、資料の該当ページを開く。そこには、いかにも説明用に整えた図があり、「外部時間」「内部時間」「休息帯」「加速帯」が色分けされている。


 加奈が言葉を選びながら質問した。

「その……内部時間というのは、実際に働いている時間ですよね? 体感として、長く感じる方もいるのでは」


「体感は個人差があります。ただ、当社の制度では“疲労”は計測しており、一定値を超えると自動的に加速が解除されます」

 石動は、机の上に小さな金属プレートを置いた。指先ほどの薄い札で、表面に微細な魔法陣が刻まれている。

「魔力残量と、精神疲労を測るタグです。社員は全員、勤務中に装着します」


 美月が思わず身を乗り出す。

「精神疲労、数値化できるんですか?」


「当社の得意分野です。加速は“健康のため”でもあります」

 石動は笑顔を向けた。けれど、その笑顔がほんの少しだけ硬い。


 勇輝は、資料の別ページに目を落とす。

「加速解除の基準は、どのくらいで設定してる?」


「標準は……」

 石動が口を開こうとした瞬間、加奈が先に手を伸ばして、資料の欄を指した。

「“解除基準:社内標準値”って書いてあります。具体的な数値が、資料にありません」


 小さな沈黙が落ちた。

 石動は、笑顔のまま目を伏せる。ほんの一拍遅れてから、丁寧な声で答えた。

「社外秘の部分になります。競合に知られると、当社のノウハウが流出しますので」


「労務の基準がノウハウ扱い……」

 美月が言いかけたのを、加奈が肘で軽く止めた。口に出すと角が立つ。今日の目的は喧嘩じゃない。


 勇輝は、少しだけ椅子を前に出した。

「石動さん。ここは商工会議所で、補助金や協賛の相談もある。つまり、市の公的な支援とも繋がっている。支援する側として、働く人が安全かどうかは確認したい。数字が曖昧だと、こちらも説明できない」


 石動の表情が、ほんのわずかに揺れた。

 その揺れは、怒りじゃなくて、困りごとを抱えた人の揺れだった。


「……承知しました」

 石動は一度だけ深く息を吐き、言い直す。

「社長に、面談の場を設けるよう伝えます。加速勤務そのものについて、誤解があるのは事実ですし、最近は外部からも問い合わせが増えています」


 勇輝は頷いた。

「ありがとう。こちらも、事実確認を丁寧にする。必要なら、市役所の労働基準課とも連携する」


 加奈が追い打ちのようにならないよう、柔らかく付け足した。

「現場も一度、見せてもらえますか? 制度が紙だけで回ってるのか、それともちゃんと運用できてるのか、そこが大事なので」


 石動は少し迷ってから、はっきり言った。

「本日午後、見学枠を取れます。ですが……可能なら、撮影はお控えください。社員が萎縮します」


 美月が即答した。

「今日は撮りません。メモだけです。私、空気が荒れるの嫌いなので」


 その言い方は美月らしくて、場が少しだけ和らいだ。

 けれど、勇輝の胸の奥では、数字の違和感がまだ消えないままだった。


◆昼・フォルミナ魔導商会 黒曜石の塔


 塔は、町の中心に立っていた。

 黒曜石の外壁は昼の光を吸い込み、代わりに細い光の筋を内側から滲ませる。壁に刻まれた魔導陣が呼吸みたいに淡く明滅し、通りを歩く人の足取りまで、少しだけ速く見えるような錯覚がある。


「ここ、近づくと時間の感じ方が変わるって、観光客が言ってました」

 加奈が小声で言う。


「観光なら“不思議だね”で終わるけど、職場だと話が変わる」

 勇輝はそう返しつつ、入口の回転扉を見上げた。


 受付のホールは美術館みたいに静かだった。床は黒い石で磨かれ、天井からは細い光の糸が垂れている。人が歩くたび、その光がふっと揺れる。


 案内役についた石動が、こちらに礼をして言った。

「通常の執務フロアをご案内します。加速帯は、安全管理の都合で、立ち入りを制限していますが……本日は、担当の監督者が同席します」


「ありがとう」

 勇輝は、言葉の奥にある“本当は見せたくない”を感じ取りながらも、押し込まないように歩を進めた。


 執務フロアに入った瞬間、空気が変わった。

 音が少ない。キーボードの打鍵音や紙の擦れる音があるはずなのに、どれも遠い。まるで、水の中で聞いているみたいに輪郭がぼやける。


 社員たちは机に向かっていた。人間、獣人、エルフ、魔族。種族は多様で、服装も様々だ。けれど、共通しているものがある。

 目の光が薄い。顔色が悪いわけじゃない。表情が硬いわけでもない。ただ、目の奥に「余裕」という灯りが見えにくい。


 勇輝は、遠慮がちに声をかけた。

「お疲れさまです。市役所の異世界経済部です。今、労務制度の確認で来ています。差し支えなければ、勤務の感想を聞かせてもらえますか」


 人間の女性が、ゆっくり顔を上げた。

「……感想、ですか」

 声は丁寧だった。だが、言葉の出し方が、どこか慎重すぎる。


 石動がすぐ横で補足する。

「任意です。無理に答えなくて大丈夫です」


 女性は一度だけ頷き、言った。

「加速帯があると、確かに納期は守れます。製造の段取りも崩れません。だけど……帰宅した時に、今日が何曜日か、分からなくなる時があります」


 加奈が小さく息を呑んだ。

「曜日が……?」


「自分の中では、仕事が長い日が続いてる感覚になるんです。外の時計を見ると、まだ夕方だったりして」

 女性は手元のタグを見つめる。

「それが、最初は得した気分でした。でも最近は……家に帰っても、頭が切り替わらない。寝ても、夢の中で仕事してるみたいで」


 美月は、メモを取る手を止めた。書くと冷たくなる気がしたのだろう。目線だけで、話を聞く。


 勇輝は、慎重に言った。

「解除基準は働く人に説明されてる?」


「“大丈夫です”って言われました」

 女性は、困ったように笑った。

「私は、制度そのものが悪いとは思いたくないです。ここで働いて、生活が安定した人も多いから。でも……“大丈夫”って言葉は、理由がないと不安になります」


 その言葉が、妙に重かった。

 勇輝は頷き、深く頭を下げた。

「話してくれてありがとう。あなたの言葉は、制度を良くするために使います。個人が特定される形では出しません」


 案内は、次の区画へ進んだ。そこは「加速準備室」と書かれた扉の前だった。

 扉の脇に、緊急停止用のレバーと、赤い札が貼ってある。


【加速帯運用中 立入制限】

【体調異常を感じたら即時申告】


 監督者として同席していた魔族の男性が、淡々と説明した。

「加速帯は、空間内の時間の流れを調整します。外部から見ると、社員は短時間で作業を終える。内部の体感は、休息帯を挟むことで過度に延びないよう制御している」


「“過度に延びない”の定義は?」

 勇輝が聞くと、男性は一瞬だけ言葉を探した。

「……社内規程です」


 また、そこだ。

 勇輝は扉の向こうの気配を感じる。ほんの少しだけ冷たい。湯気のない温泉みたいな、温度だけが残っている空気。


 加奈が、さらに踏み込まずに、別の角度から質問した。

「加速帯の利用は、本人同意ですか? 強制ですか?」


「基本は同意。繁忙期は、同意を前提に契約している」

 監督者ははっきり言った。


 美月が、思わず口を挟む。

「“前提”って、断ったら働けないやつでは」


 石動が慌てて笑顔を作る。

「いえ、部署によります。もちろん、断っても評価に影響しないよう配慮しています」


 その“配慮しています”が、いちばん曖昧で、いちばん怖い言葉だと勇輝は思った。

 ただ、今ここで詰めても、社員が守られない。必要なのは制度と運用の両方を、外から見える形にすることだ。


 見学を終える頃、廊下の端で、背中を丸めて立ち止まっている獣人の青年がいた。

 肩が落ちている。呼吸が浅い。手元のタグが、赤く点滅していた。


「大丈夫ですか?」

 加奈が声をかけると、青年は、慌てて背筋を伸ばそうとした。けれど、その動きが間に合わない。力が抜けるように、膝が揺れる。


 勇輝がすぐに支えた。

「無理しない。ここで座ろう」


 青年の腕は熱かった。汗の質が、ただの暑さじゃない。


 監督者が言う。

「……加速解除ラインに近い。休息帯に回せ」


「休息帯って、どこですか?」

 加奈が問うと、監督者は指で示した。扉の向こう。加速帯の裏側にある休憩室。


 青年は小さく首を振った。

「すみません……僕、やれます。今日、締め切りが」


 その言葉に、勇輝はきつく言い返したくなった。

 けれど、ここで責めると青年が傷つく。責めるべきは、青年が「やれます」と言わないといけない空気だ。


「やれるかどうかじゃなくて、倒れないかどうかだ」

 勇輝は、声の温度を落としたまま、はっきり言った。

「締め切りは制度で守れる。君の体は、君しか守れない。いま休もう」


 青年は、目を伏せた。

 その瞬間、青年の輪郭が、ほんの少しだけ薄く見えた。光のせいかもしれない。けれど、美月が目を見開いているのを見て、勇輝は自分だけの錯覚ではないと悟る。


 石動が青ざめた顔で言った。

「……すぐ医務室へ。市立病院とも連携しています」


「連携、してるなら、なおさら説明が必要だ」

 勇輝は、石動にだけ聞こえる声で言った。

「“過労魔力”ってやつ、もう出てるんだろ」


 石動は返事をしなかった。沈黙が答えだった。


◆夕方・市役所 労働基準課


 労働基準課の部屋には、いつもより人数がいた。

 課長の山下、係長、相談員、そして市立病院から結城医師が来ている。机の上には、労働法関連の資料と、魔力関連の医学報告が混在して並んだ。


 勇輝が状況を共有すると、山下は腕を組んで、静かに頷いた。

「時間操作による労働……ついに来たか」


「ついに、って」

 美月が小さく聞き返す。


「異界企業が増えれば、いつか当たると思ってた。問題は、想定より早かった」

 山下は、紙を一枚引き寄せた。

「日本の考え方では、労働時間は“使用者の指揮命令下にある時間”だ。時計がどう動くかは本質じゃない。拘束されてるなら、労働だ」


 加奈が問いかける。

「でも、異界法では“外部時間”で判断してるんですよね? 加速中は日付が変わらないから残業じゃない、って」


「そこを橋渡しするのが、俺たちだ」

 山下は、きっぱり言い切った。声は強いが、怒鳴る感じじゃない。現場を守るための強さだ。


 結城医師が、医学報告書を指で押さえた。

「問題は、身体が“外部時間”だけで回っていないことです。加速帯に入ると、心拍や代謝の変化が出ます。睡眠の質が落ちる人もいる。体感時間が伸びれば、脳はその分“働いた”と認識します」


「魂が透けるって話、あれは」

 勇輝が聞くと、結城は少しだけ眉を寄せた。


「医学的には“魔力消耗性の輪郭希薄化”って呼んでいます。魂というより、生命エネルギーの外層が薄くなる。異界の人は魂って言うけど、表現が違うだけで現象は似てる」

 結城は紙をめくりながら続けた。

「軽度なら休養で戻る。けれど、繰り返すと回復が遅くなる。最悪、意識が切れやすくなる」


 会議室の空気が沈む。

 美月が、そっと手を挙げた。

「それ、広報で言うと……怖くなりすぎませんか。『魂が薄くなる』って言葉が一人歩きすると、変な噂になりそうで」


「だから、言葉を整える」

 加奈が即座に返した。真剣な声だ。

「怖がらせるためじゃなくて、守るために伝える。そこ、広報の腕の見せどころだよ」


 美月は、頷きながらメモに「輪郭希薄化→体調不良(魔力疲労)」と書いた。


 山下が、資料をホワイトボードに貼りながら言う。

「ここからが行政の仕事だ。まず、商会に“労務管理の改善要請”を出す。次に、加速勤務を含めた労働時間の算定を明文化する。さらに、労使協定に相当するものを整備する」


「三六協定、みたいな?」

 勇輝が聞くと、山下は頷いた。


「ただし、この町は異界だ。数字も形式も、そのまま持ち込めない。だから、ひまわり市の条例で“時間操作勤務の取扱い”を定める。企業側にも、従業員側にも分かりやすく。監督もできる形で」

 山下は、ペンで大きく書いた。


【時間操作勤務=外部時間ではなく、内部体感時間と生体反応で評価】


「……これ、通る?」

 美月が小さく言う。


「通す」

 山下の声が短い。短いが、冷たくはない。

「通さないと、現場が守れない」


 勇輝は、ゆっくり頷いた。

「市長にも話す。支援してる企業だからこそ、余計にちゃんとする必要がある」


 加奈がファイルを閉じる。

「それと、相談窓口も。社員が“言っていい場所”がないと、制度は形だけになります。異界語対応も要ります」


「やる」

 山下が答える。


 美月は、指先でタブレットを叩き、広報案を組み立て始めていた。

「怖がらせない。でも軽くしない。『働く人の魔力を守る』って言い方なら、異界の人にも伝わるかな……」


 勇輝は、そんな美月の横顔を見て、少しだけ救われた気がした。

 この町は、問題が起きる。でも、誰かが「整えよう」と動く。そこに希望がある。


◆夕方・フォルミナ魔導商会 社長室


 社長室は、塔の上層にあった。

 窓の外にはひまわり市が見える。転移門の光、温泉街の湯気、浮遊島へ伸びる道。混ざり合った景色が、夕陽に染まっていた。


 フォルミナ社長は、椅子に座ったまま、こちらを迎えた。

 魔族の女性。艶やかな黒髪、背筋の伸びた姿勢。威厳というより、仕事ができる人の落ち着きがある。


「ようこそ。市の皆さま」

 声音は柔らかい。だが、目は鋭い。


 勇輝が挨拶を済ませ、率直に切り出す。

「本題に入ります。貴社の“魔導加速勤務”について、労務上の懸念が出ています。現場で体調不良も確認しました」


 フォルミナは、驚いた顔をしなかった。むしろ、少しだけ肩を落とした。

「……やはり、表に出ましたか」


 加奈が一瞬だけ目を見開く。隠すつもりがない。むしろ、どこかで限界を感じていた顔だ。


「当社は、従業員を傷つけたいわけではありません」

 フォルミナは、言葉を丁寧に選びながら続けた。

「異界の商会は、納期に遅れると取引そのものが切れます。信用は、魔法よりも脆い。だから、間に合わせる仕組みを作った。それが加速です」


「間に合わせる必要があるのは分かる」

 勇輝は、肯定から入った。

「でも、加速で働く人が削れていくなら、結局、会社も町も続かない。ここは“前例のない町”だけど、働く人の体は前例だらけだ。疲れるし、壊れる」


 フォルミナは、指先を組んだまま黙って聞いていた。

 美月が、あえて柔らかい話題を挟む。

「社長、最近……社員さんの笑顔、減ってません? 広報素材にするとき、ちょっとだけ気になって」


 言い方が、ぎりぎりだった。

 けれどフォルミナは怒らなかった。小さく笑って、目を伏せた。


「減っています。分かっています」

 フォルミナは、まるでそれを認めるのが悔しいみたいに、言葉を吐いた。

「私も、塔の中で“早く回る光”を見ていると、安心するのです。仕事が進むから。でも……安心の代償が、あまりに大きい」


 加奈が、前に出る。

「なら、運用を変えましょう。加速勤務を“残業ではない”で済ませるのは、もう無理です。外部時間がどうでも、体は働いています。だから、働いた分だけ休む仕組みにする」


「休むと納期に遅れますわ」

 フォルミナの声が、少しだけ硬くなる。


 勇輝が、机の上に資料を置いた。

「遅れないための仕組みを、企業だけに背負わせない。市も一緒に考える。例えば……繁忙期の補助金を“魔力休養枠”に付け替える。加速勤務に入った人には、翌日に強制休養を入れる。休養中の賃金の一部を、市の雇用安定基金から支える」


「行政が、休ませるお金を出す?」

 フォルミナが眉を上げる。


「雇用が守られて、税収が安定するなら、十分に投資だ」

 勇輝は、言い切りすぎないように、少しだけ柔らげて続けた。

「もちろん、条件を付ける。加速の基準を公開すること。労使協定を結ぶこと。外部監査を受けること」


 フォルミナは、しばらく黙っていた。

 窓の外で、夕陽が沈んでいく。街灯が一つ、また一つと灯る。


「……基準を公開するのは、怖い」

 フォルミナが、ぽつりと言った。

「競合が真似をします。それで価格競争になります。けれど、公開しないままなら、もっと大きなものを失う」


 美月が、そっと言う。

「失うの、会社じゃなくて“人”ですよね。ひまわり市、そこは守りたい」


 フォルミナは、ゆっくり頷いた。

「分かりました。市役所と協定を結びます。けれど、従業員が納得しなければ意味がない。労使の場を作ってください」


「作る」

 勇輝が答える。


 加奈は、ほっと息を吐いた。ここからが本番だ。決めた紙を、現場に落とし込む。そのための言葉と仕組みが必要になる。


◆夜・フォルミナ魔導商会 社員食堂


 食堂は、外の景色とは違って、どこか家庭的だった。

 木の机、温かいスープの匂い、異界の香草を使ったパン。人間の味噌汁と、魔界の滋養茶が同じカウンターに並んでいる。


 勇輝たちは、石動の案内で、社員の数人と短い懇談の場を設けた。

 “短い”と言っても、働く人にとっては貴重な時間だ。だから、話す内容よりも、話せる空気を作ることが大事だった。


 獣人の青年が、スープを口に運びながら言った。

「加速帯があると、外の世界が進んでないみたいで、家族と過ごす時間が増えると最初は思ったんです。でも、実際は……増えたのは“空白”です。頭が仕事から離れない。ぼーっとして、気づいたら夜」


 人間の女性が頷く。

「外の時計は早く帰れてるのに、心だけが遅く帰ってくる感じ。帰宅しても、“まだ今日の途中”みたいで」


 美月は、ゆっくり質問した。

「言いにくいと思うんですけど……加速帯、断れます?」


 沈黙が落ちた。

 誰も、すぐに答えない。答えが出ない沈黙ではなく、“答えたらどうなるか”を測る沈黙だ。


 やがて、エルフの青年が小さな声で言った。

「断ることはできます。でも、断ると“次は任せられない”って雰囲気になる。誰も直接は言わない。でも、分かります」


 加奈が、胸の奥が冷えるのを感じた。

 制度の問題は、紙より空気に出る。空気は見えないから、放置されやすい。


 勇輝は、できるだけ責めない声で言った。

「その雰囲気を、変える。断っても、働ける。加速帯に入らなくても、評価される。そういう仕組みを、協定に入れる」


 獣人の青年が、疑うように眉を寄せた。

「そんなの……紙に書いて、本当に守れるんですか」


「守るために、紙に書く」

 勇輝は答えた。

「紙は魔法じゃない。でも、紙があると、守れって言える。守られなかったら、直せって言える。言える場所があるのが、いちばん大事だ」


 美月が、ぽつりと補足した。

「あと、広報もやります。会社が“休むのが当たり前”って言えるように。休む人が悪者になる空気、嫌いなので」


 その言葉に、社員たちの肩が、ほんの少しだけ下りた。

 信じきれない。でも、誰かが言ってくれるのは嬉しい。そんな顔だった。


 石動が、食堂の隅で頭を下げた。

「……すみません。私が守るべきだった」


 勇輝は、石動を責めなかった。

「いま気づいたなら、間に合う。ここからだ」


◆深夜・フォルミナ社前 市民と従業員の集会


 その夜、塔の前には人が集まった。

 デモというより、集会に近い。声を荒げる人もいるが、ほとんどは不安と怒りを抱えたまま、どう言えば伝わるのかを探している。


 プラカードには、文字と絵が混ざっていた。


「働きすぎ反対」

「休む権利」

「時間操作は便利だけど、身体は置いていかないで」


 スライムの子どもが、ぷるぷる震えながら「おしごと、はやくおわっても、ねむれないの?」と書いた札を抱えているのを見て、勇輝は喉の奥が詰まった。


 市役所は、警備を厚くしながらも、集会を止めなかった。

 止めたら、怒りが別の形で噴き出す。今日は“対話の場”にする。


 加奈が、拡声器を持って前に立つ。

 普段なら、窓口で柔らかく笑っている人が、夜の街でこうして人の前に立つのは、勇気が要る。声が震えているのが分かる。でも、逃げない。


「皆さん。今日は集まってくださって、ありがとうございます」

 加奈は、一息で言い切ろうとせず、ゆっくり言葉を置いた。

「この町は、仕事が増えました。チャンスも増えました。だけど、働く人の余裕が削れてしまったら……町は続きません。観光も、商売も、税収も、全部“人”が支えてます。人が笑って働けない町を、私たちは作りたくない」


 人々が、静かになる。

 怒りが消えたわけじゃない。けれど、耳を向ける空気が生まれた。


 勇輝が続ける。

「市は、フォルミナ魔導商会と“労働協定”を結ぶ準備に入りました。時間操作勤務を、労働として扱う。休養を義務にする。基準を公開し、外部が監督できるようにする。相談窓口も作る」


 「本当にやるのか」と言いたげな視線が飛ぶ。

 その視線を受け止めるために、勇輝は言い足した。


「ここから先は、働いている人の声が必要です。会社だけでも、市役所だけでも決められない。だから、三者で話します。今夜、この場に社長にも出てきてもらいます」


 ざわめきが起きる。

 そして、塔のバルコニーに、フォルミナ社長が姿を見せた。


 街灯の光を背に、フォルミナは、ゆっくりと頭を下げた。

 あの威厳ある社長が、頭を下げる。その事実だけで、場の空気が変わる。


「皆さま」

 フォルミナの声は、夜に通った。

「本日、私は市役所と協定を結ぶことを約束しました。加速勤務を、外部時間だけで“無かったこと”にしていた運用は改めます。私の責任です」


 誰かが、叫ぶ。

「じゃあ、今までの人はどうなる!」


 フォルミナは、逃げずに答えた。

「医療と連携し、魔力疲労の検査を全社員に実施します。休養が必要な者には、休養を与えます。賃金も守ります」


 加奈が、拡声器で補足する。

「市も支えます。企業支援の枠組みを、休養と安全に振り向けます。働く人が守られなければ、支援はできない。そこは、はっきり線を引きます」


 その言葉に、集会の中の怒りが、少しだけ形を変えた。

 “聞いてもらえた”という感覚が、怒りを次の行動に変える。


 そして、塔の入口付近で、さっきの獣人の青年がふらついた。

 人混みの中で、誰かが支える。結城医師が駆け寄る。美月が、撮影しそうになって、すぐにスマホを下ろした。


 この瞬間は、映像に残すより、守る方が先だ。


 フォルミナは、その光景を見て、唇を噛んだ。

「……私は、速さを誇りすぎた」

 小さな声だったが、夜風に乗って届いた。


◆翌日・市役所 労使協定締結会議


 翌朝、市役所の会議室には、フォルミナ魔導商会の代表、従業員代表、労働基準課、市長、異世界経済部、そして医療側の担当が集まった。


 机の上に置かれた協定書は、分厚い。

 条文は多いが、読めない言葉で飾られていない。ひまわり市が大事にしてきたのは、難しくすることじゃなく、守ることだ。


 山下課長が、要点を読み上げる。

「第一条。時間操作勤務は、外部時間にかかわらず、労働時間として算定する。第二条。時間操作勤務の実施基準を公開し、従業員が確認できる状態にする。第三条。従業員の同意は、個別で取得し、拒否による不利益取扱いを禁止する。第四条。魔力疲労の計測結果に基づき、強制休養を付与する……」


 フォルミナが、少しだけ顔を上げた。

「公開は、正直痛い。けれど、痛い方が治るのなら、痛みます」


 従業員代表のエルフの女性が言う。

「私たちは、速さを否定したいわけではありません。誇りを持って働きたい。帰ったら、家族に笑って『ただいま』と言えるように」


 勇輝は、その言葉を聞いて、胸の奥が静かに熱くなった。

 こういう言葉が、制度の芯になる。


 市長が、最後にペンを取る。

「ひまわり市は、企業を歓迎する。だけど、働く人を置いていかない町にする。ここに署名します」


 筆記具の先が紙を走り、魔導の印章が押される。

 印章は光を放ち、条文の一つひとつに淡い線が走った。魔法は、飾りじゃない。守るための仕組みとして使われるべきだ。


 美月は、会議の最後に、広報用の短い文案を読み上げた。

「『働く人の魔力と時間を守る協定を締結しました。ひまわり市は、速さよりも、続く未来を選びます』……どうでしょう」


 誰も、笑わなかった。真面目に、頷いた。

 言葉が飾りではなくなる瞬間だった。


◆夜・市役所屋上


 その夜、屋上に上がると、街の灯りが穏やかに揺れていた。

 フォルミナ魔導商会の塔も、いつもより光が柔らかい。明るさが落ちたのではなく、光の脈が穏やかになっている。呼吸が整ったみたいに。


 加奈が、手すりに肘をついて言った。

「今日は……時間がちゃんと流れてる気がしますね」


 勇輝は、夜風を吸い込んでから答えた。

「速く進むのが悪いわけじゃない。でも、速さだけが価値になると、誰かが置いていかれる。俺たちは、置いていかない方を選びたい」


 美月が、スマホを構えた。今度は撮影していい。記録として残すべき夜だ。

 けれど、シャッターを切る前に一言添える。


「タイトル、どうしよう。『時間が止まらなかった夜』とか、変にドラマにしない方がいいかな」


 加奈が笑う。

「美月、それはあなたのセンスが試されてるやつ」


 勇輝も、少しだけ笑った。

「普通でいい。普通に、働いて、普通に休める。それがいちばん難しいけど、いちばん大事だ」


 屋上の下で、夜の市役所が静かに動いている。窓口の明かりが、少しだけ残っている。誰かが、まだ仕事をしているのだろう。けれど、その明かりは“止めた時間”の光ではなく、確かに流れる時間の中にある。


 ひまわり市は、また一つ、前例を作った。

 速さのための前例ではなく、続けるための前例を。

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