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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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第1229話「財務局の海は、帳簿でできている」

◆王都行政庁舎・財務局前の廊下


 王都行政庁舎の廊下は、同じ建物の中なのに、歩くほどに匂いが変わっていく。


 さっきまで漂っていたのは、石と木の匂いと、書庫の乾いた空気だった。けれど、少し曲がって奥へ進むと、そこに混ざるものがある。インクの匂い。新しいインクじゃなくて、長い時間、紙に染み込んで、乾いて、また重ね書きされてきた匂いだ。


 紙の匂いというより、紙に積み重ねられた“時間”の匂い。


 勇輝は歩幅を変えずに、心の中だけで警戒レベルを上げた。背筋が自然に伸びる。何かを言う前に、いったん頭の中で言葉を並べ直す癖が出る。ここはそういう場所だと、空気が先に教えてくる。


「……この先、たぶん、手続きが増える」


 ぽつりとこぼすと、隣の加奈が肩をすくめた。笑ってはいないけれど、表情がやわらかい。緊張をほどく“ほどよさ”を知っている顔だ。


「増えるだろうね。今日のきつさは、体力じゃなくて、頭の方に来そう」


「そう。頭の方がじわっと疲れるやつ」


 前を歩くレフィアは、いつもより口数が少ない。手帳の付箋が揺れているのに、視線はぶれない。昨日までの“歓迎の条”をくぐり抜けて、次は“数字の条”が待っていると分かっている人の歩き方だった。


 その後ろで、美月は緑の紐の研修者証を指で軽く弾きながら、封印箱を恨めしそうに見下ろしている。箱の中には、封蝋で封じられた端末。美月の生活の中心が、いまは木箱の中で静かにしている。


「端末がないと、世界が急に不便……。色はあるのに、道がない感じ。地図がないって、こういうことなんだね」


「地図はあるだろ。紙で」


「紙の地図、今どこにあるの?」


「……荷物の中」


「荷物の中って、“どこ”なの? 今、“どこ”の話をしてるの? ねえ主任」


 言葉が続いてしまうのは、不安を笑いに変えたいからだと分かる。勇輝は息を吸って、少しだけ声の角を丸くした。


「今は、箱は箱で任せる。ここで慌てると、余計な手続きが増える」


「増えるんだ……手続きって、増えるんだ……」


 そこへ、またしても書類運搬用の小型ゴーレムが通りかかった。


 本の山を抱えてよちよち歩いている。前に見たときより、山が高い。足元の小さな脚が、ちょっとぷるぷるしているように見えて、加奈が思わず足を止めた。


「あれ、大丈夫かな。重そう……」


 レフィアが足を止めずに、淡々と答える。こういうところの淡々は、冷たいのではなく、確信がある。


「潰れそうな重さのときは、上に“追加の足”が生えます」


「生えるの……?」


「生えます。必要に応じて、です。運用として組み込まれています」


「運用の言葉、今日なんか無敵だね……」


 美月が小さくうなだれた瞬間、目の前の扉にプレートが見えた。


 王都財務局。


 扉そのものは重厚なのに、飾りは控えめで、ただ実務だけが詰まっている気配がする。しかも扉の横に、小さな札がもう一枚。これが怖い。


『財務規程第八条:訪問者は靴底を清めよ』


「靴底を……清めよ?」


 勇輝が読み上げた瞬間、床の隙間から、しゅっと細い噴射が足元に走った。水ではない。霧でもない。ひんやりした透明な膜みたいなものが、靴底に触れた瞬間だけ、感触として存在を主張して、それからすっと消える。


「うわっ、冷たい!」


 美月が小さく跳ねて、慌てて声を抑えた。加奈も靴をそっと動かして感触を確かめる。


 レフィアは、静かに頷いた。


「帳簿庫に砂を入れないための結界霧です。靴底に付いた粒を、ここで落とします。財務局は、砂を嫌います」


「砂がそんなに……?」


 加奈が首をかしげると、レフィアは言葉を選んで説明した。


「砂は、誤差の象徴として扱われます。小さな粒が残ると、棚の滑りや扉の噛み合わせが狂う。狂うと記録が傷む。傷むと信用が揺れる。そういう考え方です」


 美月が目を丸くする。


「砂って、ただの砂なのに……ここでは、全部“意味”になるんだ」


「意味が勝手に生える場所だな……」


 勇輝が小声で言うと、扉の向こうから鍵の音がして、ゆっくり開いた。


◆王都財務局・受付と公開帳簿室


 扉が開いた瞬間、匂いの濃度がもう一段上がった。


 インクの匂いに、紙の粉と、乾いた革の匂い。そこへ、金属の擦れる微かな音が混じる。筆記具だけじゃない。留め具、鍵、封印、分類札。記録を守るための道具が、この部屋の空気を作っている。


 奥まで続く机の列。机の上に積まれた本、本、本。誰かがめくるたびにページが擦れ、羽根ペンが走り、計算のつぶやきが途切れず流れている。


 まるで、帳簿の海。


 海といっても波立ってはいない。静かに、淡々と、同じ動きが延々続く。静けさの中にある反復が、かえって圧を生む。


 加奈が、言葉を飲み込んでから小さく漏らした。


「ここ……役所というより、工房みたい。数字の工房」


「工房だな。音も匂いも、手が動いてる感じも」


 勇輝が返したところで、受付から声が飛んできた。


「研修者の方々ですね。財務規程第八条により、まず用途区分を申告してください」


 声の主は男性。背筋が真っ直ぐで、笑顔はない。でも敵意もない。あるのは、手続きの精度だけだ。


 胸章には「ベンディス」。肩章の並びで、局次官補らしいと分かる。


 レフィアが一歩前へ出る。いまの彼女は、喫茶ひまわりでプリンを頼んでいた人ではない。空気を整えて、言葉を整えて、場を滑らかにする人だ。


「王国外務省連絡官、レフィア・ルーミエルです。本日は研修として、予算運用と会計制度の基礎を学びに参りました」


「よろしい。用途区分は“研修”で登録します」


 ベンディスが淡々と記帳しながら言う。ところが、その手が止まらないまま、次の問いが来た。


「“視察”では?」


 言葉が短い。短いほど刺さる。


 勇輝は息を吸って、昨日までの学びを頭の中で引っ張り出す。ここで言い淀むと、疑念が“記録”になる。


 レフィアが迷いなく言い換えた。


「研修です。制度の学習と、運用改善のための情報整理が目的です。監査ではありません」


 ベンディスの視線が一度だけ上がり、レフィアの言葉を測るように見て、それから少しだけ柔らかくなる。


「監査ではない。重要です。歓迎します」


 歓迎、という言葉が出た。


 でも財務局の歓迎は、笑顔ではなく線引きだった。


「研修者証、緑紐。入れるのは公開帳簿室まで。内部帳簿室へ入る場合、追加許可が必要です。黄色紐を発行します」


 美月が、堪えきれずに小声を漏らす。


「黄色……なんか欲しい……」


 勇輝は横目で制止する。怒鳴るつもりはない。ただ、ここで“欲しい”は言葉の意味が増えすぎる。


「欲しがるのは、もう少し後にしよう。ここは言葉が重い」


「重い……。財務局は、言葉も重い……」


 加奈が笑いそうになって、でも飲み込んだ。代わりに、目で“分かる”と伝えてくる。こういう目配せがあるだけで、チームは崩れない。


 案内された公開帳簿室は、“公開”の名に恥じない整い方だった。


 壁面いっぱいに棚。棚には分類札が並び、札の文字は読みやすい。読みやすいのに、量が異常に多い。


 歳入。歳出。基金。特別会計。災害備蓄。文化保全。道路維持。城壁修繕。市場運営。井戸管理。


 読める。読めるけど、読める量じゃない。


 ベンディスが一本の本を抜いて、どん、と机に置いた。音が重い。中身より、存在感が重い。


「これが王都の一般会計の概要。研修の最初は、ここからです」


 勇輝は厚みを見て、思わず率直に言ってしまった。


「……概要で、これですか」


「概要です」


 即答。揺れがない。揺れないのが財務の正しさなのだ、と言われている気がする。


 加奈がページをめくる。目が丸くなる。


「歳入の項目、細かい……。市場通行料、井戸使用税、城壁修繕協力金、門の開閉手数料……生活の全部が、項目になってる」


 ベンディスが淡々と言った。


「誰が、何のために、いくら払ったか。それが信用の骨格です。曖昧にすれば、骨が折れます」


 比喩が怖いのに、筋は通っている。


 レフィアが小さく頷いた。声が少しだけ低くなる。ここでは軽さを足さない。


「財務は、外交より先に信用を作ります」


 勇輝は、その言葉に背筋が伸びた。財務が嫌いなわけじゃない。ただ、財務は容赦なく“現実”を突きつけてくる。現実は、甘い言葉で逃げられない。


 ベンディスが、今度はひまわり市側の資料に視線を落とす。


「次に、貴市の仕組みを説明してください。歳入の柱は?」


 来た。こちらの番だ。


 勇輝はファイルを開き、頭の中で、説明の順番を組み立て直す。日本の自治体制度を、そのまま持ち込むと誤解が生まれる。誤解は手続きになる。手続きになると、ここでは本になる。


「ひまわり市は自治体です。主な歳入は住民からの税、土地や建物にかかる税、それに上位の行政からの配分金に近いもの……」


 言いながら、説明の途中で自分の言葉に引っかかった。上位行政。配分。国と地方。こちらの王国に、そのまま当てはまる構造があるとは限らない。


 レフィアが、横から短く補う。短いのに、要点が落ちない。


「王国の補助に近いものです。目的は地域格差の補正と、最低限の行政サービス維持」


 ベンディスが顎に指を当てる。


「補助。つまり王国が支える。自立性は?」


 ここで虚勢を張ると、あとで詰む。勇輝は、正直の出し方を選んだ。


「高くはありません。だからこそ、観光や産業で税源を広げる必要があります。外からの人の流れを作り、地域内の循環も整える。その両方が課題です」


 ベンディスの目が、少しだけ評価に変わる。評価といっても、人を褒める顔ではなく、資料に丸をつける目だ。


「正直ですね。財務は正直を好む」


 褒められているのに、喜び方が分からない。喜んだ瞬間に軽く見えそうで、喉の奥に言葉を飲み込む。


 そこへ、美月がつい口を挟んだ。悪気はない。良い話をしたくなる癖が出ただけだ。


「うち、異界からの“ふるさと納税”みたいなのもあって……」


 空気が一瞬だけ硬くなる。


 ベンディスの眉が上がった。上がり方が静かなのに、はっきり分かる。


「納税? 寄付で返礼品? それは“献上”では?」


 献上。王国の言葉としては自然だ。だからこそ、こちらの制度の説明を間違えると、意味が別物になる。


 レフィアがすっと前に出た。声の温度を下げて、言葉の揺れをなくす。


「献上ではありません。制度として明文化された支援です。寄付者は産品を受け取り、自治体は財源を得る。相互の利益を、公開の枠内で扱います。取引ではなく、制度化された支援です」


「支援……」


 ベンディスが言葉を口の中で転がすように吟味する。


 勇輝も追いかける。ここで任せきりにしない。責任者は自分だ。


「一方的な贈与や便宜供与にならないよう、上限、手続き、公開、内部点検を整えています。誰がいくら支援し、何が返ったかを公開することで、透明性を担保します」


「点検?」


 ベンディスが反応した。言葉に、何か嫌うものが含まれている。


 勇輝は慌てず、でも急いで言い換える。


「……内部の確認です。第三者の介入ではなく、こちらで整えて確認する。必要なら改善する」


 レフィアが小さく頷いた。合図があるだけで、心が落ち着く。


 ベンディスは指で机を軽く叩いた。


「制度化、公開、確認。筋は通っている。面白い」


 美月が小声で震える。


「面白いって言われた……財務局で……」


 勇輝は肩をすくめるように息を吐いた。


「褒め言葉というより、興味だと思う。たぶんだけど、興味は次の質問を呼ぶ」


「質問は、だいたい増えるよね……」


 加奈が小さく笑って、資料の端にメモを足した。笑いながら手が動くのが、彼女の強さだ。


◆研修・分類の時間


 研修の次は、“分類”だった。


 ベンディスが黒板に項目を書いていく。文字が美しい。美しい文字で書かれると、内容の容赦なさが増す気がするのは、たぶん気のせいじゃない。


 必要経費

 投資

 消耗

 贈答

 儀礼

 予備費


「財務の最初は、言葉を揃えることです。言葉が揃わなければ、数字は比較できない。比較できない数字は、ただの記号です」


 勇輝は頷く。ひまわり市でも同じだ。言い方が揃っていないだけで、同じ支出が違う顔をする。違う顔をした支出は、会議で揉める。


 ベンディスが視線をこちらに向けた。


「貴市が持参した“産品サンプル”は、どれに該当しますか」


 罠、という言葉が頭に浮かんだが、罠と言うのも雑だ。これは財務の訓練で、財務における落とし穴を教える問いだ。


 加奈が紙袋をぎゅっと抱える。美月が口を開きかける。勇輝が先に言葉を組み立てた。


「研修資料です。制度説明の一部として携行しています。したがって研修経費、必要経費に分類します。ただし、相手の文化によって贈答として扱われる可能性があるので、許可を取って運用します。こちらの認識だけで押し切らない」


 言いながら、自分の説明がひまわり市の実務に近づいているのを感じた。研修の言葉じゃなく、現場の言葉になっている。


 ベンディスが少しだけ頷いた。


「よろしい。認識が二重であることを理解している。財務は二重を嫌わない。無自覚を嫌う」


 二重、という言葉が怖いのに、否定ではない。むしろ、現実は二重だと認めた上で扱うのが財務だという。


 続いて、ベンディスは別の例を出してくる。


「では、出発式の簡易ステージ。マイク。横断幕。あれはどれです」


 急に具体的で、ひまわり市の風景が頭に浮かんだ。夕方の広場。拍手。揺れる幕。


 加奈が先に答えようとして、言葉を選び直してから言った。


「……儀礼、だと思います。市の意思を示す場だから。必要経費でもあるけど、目的は儀礼に近い」


 ベンディスが頷く。


「良い。目的で分類できる。物ではなく、行為で見る。それが財務です」


 美月が控えめに手を挙げる。


「じゃあ、士気を上げるためのお茶とか……」


 勇輝が横で、“お茶”の言い方は悪くないと頷いた。甘味や茶は、場の空気を整える。整える行為は、財務的にはどう扱うか。


 ベンディスは少し考えてから答える。


「研修中の茶は、必要経費。だが、誰のために、何の目的で、どの範囲に提供したかで、儀礼に寄ることもある。範囲の線引きが重要です」


「範囲……」


 美月が小さく呟いた。歓迎の範囲外、という言葉が頭をよぎったのだろう。


 勇輝は、そこで一つだけ質問を挟んだ。こちらも学ぶだけではなく、ひまわり市に持ち帰るための問いを作る。


「砂を嫌う、という話がありました。誤差が嫌われるというのは、どの程度まで……」


 ベンディスは、言葉を変えずに返す。


「誤差はゼロにできない。だから許容幅を決める。許容幅を決めることが、誤差を管理するということです。管理できない誤差は、信用を削る。削る速度は遅くても、戻す速度は遅い」


 遅い、という言い方が重い。焦らせないのに、逃がさない。


 レフィアが静かにメモを取っている。付箋の一枚に、すっと書き足すのが見えた。


 “許容幅=信用の線”


 勇輝はその言葉を見て、頷いた。ひまわり市にも必要な線だ。勢いで走るときほど、線が曖昧になる。曖昧が続くと、後で整えるのが苦しくなる。


◆レフィアの質問・観光と歳入のつながり


 分類の話が一段落したところで、レフィアが小さく手を挙げた。彼女が手を挙げると、場の空気がさらに整う。質問が“質問として成立する”予感がある。


「一点、質問を」


 ベンディスが頷く。


「どうぞ」


「王都では、観光による歳入はどの項目に整理されますか。宿泊、入域、文化施設……それぞれの扱いを知りたい」


 その言葉の中に、レフィアの“好き”が少し混ざった。あからさまではない。でも、ほんの少しだけ目が明るくなる。


 勇輝は内心で笑いそうになって、飲み込んだ。ここは財務局だ。笑い方まで慎重になる。


 ベンディスは淡々と答える。


「宿泊税、入域通行料、文化保全協力金。分類はそれぞれ異なる。宿泊税は歳入の柱として扱う。入域通行料は門の維持に紐づく。文化保全協力金は、財務局が集計するが、管轄は文化局寄りだ」


「文化局……」


 レフィアが小さく息を吸った。口に出した“文化局”が、少しだけ弾む。


 勇輝は、声を低くしてツッコミを入れる。刺さる言い方ではなく、場を戻すための針。


「今は財務局だ。顔がそっちに行ってる」


 レフィアは咳払いして、表情を戻した。


「……業務です。財務を通さずに文化は守れません」


「その言い方は正しい。正しいけど、余計に説得力があるから困る」


 美月が小声で笑い、加奈が資料の端に“文化保全協力金:文化局管轄”と書き足した。手が動く。学びがその場で形になる。


◆休憩・財務局の茶室


 昼過ぎ、休憩に入った。


 財務局にも茶室がある。想像していた“休憩室”とは違って、そこは静かに整えられた小部屋だった。椅子の足音が響かない床。湯を沸かす音が控えめに聞こえる。壁には、茶葉の種類と“提供範囲”が丁寧に掲示されている。誰にでも出していい茶、研修者までの茶、職員限定の茶。ここでも範囲だ。


 加奈がひまわり茶を一口飲んで、ようやく肩の力を抜いた。


「……あ、落ち着く。やっぱり、うちの匂いって安心するね」


 美月は封印箱を机に置き、箱を見つめてから、ひまわり茶を両手で包むように持った。


「端末がない時間、こんなに長いの初めてかも。目が落ち着かないっていうか、手が落ち着かないっていうか」


「手が落ち着かないなら、手に仕事をさせるのが一番だ。メモ取れ」


 勇輝が言うと、美月は素直に紙を出した。紙を出す動きが、ちょっと大げさなのが面白い。端末がないだけで、道具が“貴重品”に見える。


「うん、紙メモ。今日の私、紙の民」


「紙の民、言い方が雑だよ」


「でもこの庁舎、みんな紙の民だよ。しかも本の民」


 加奈が笑い、レフィアが手帳を開いて確認した。付箋が増えている。増え方が、“増えるのは手続きだけじゃない”と言っているみたいだった。


 そこで、机の上の魔法通信札が淡く光った。紙片みたいな札が、温かい明かりを持ち、文字が浮かび上がる。


「……市長だな」


 勇輝が札を開くと、市長の声が軽快に飛び出した。


『おーい! 王都の財務局、どう? 怖い? 楽しい? どっち?』


 質問が雑なのに、気遣いが入っているのが分かる。軽口にして、こちらの緊張をほぐしに来ている。


 勇輝は、正直に答えた。


「怖い、というより、真面目に気が抜けないです。ずっと記録されてる感じがして」


『それは財務局っぽいね! ちゃんと“数字の礼儀”があるやつだ』


「礼儀って言い方にすると、妙に納得してしまうのが悔しいですね」


『納得できたなら研修は進んでる。で、黄色紐、欲しくなってきた?』


 美月が思わず札の方を見た。ばれてる。


「欲しいって言うと、ここでは言葉が別の意味になりそうなので……必要なら取ります」


『いいねぇ、その言い方。主任、どんどん王都に染まってる』


「染まるというより、合わせてるだけです。合わせないと進まない」


 市長は一拍置いて、少しだけ声の調子を変えた。軽さは残したまま、要点を落とす。


『でもね、合わせるだけじゃもったいない。学んだら、ひまわり市に戻して“うちのやり方”に整えてね。王都のまま持ち込むと、市民が息苦しくなるから』


 その言葉が、妙に胸に残った。市長は軽いだけじゃない。重い話を、重くしすぎずに伝えるのがうまい。


『あと、みんなに伝えておいて。まんじゅうは……分類にないかもしれないけど、旅のテンションは上げる。現地で元気が落ちたら、遠慮せず食べていい。身体の話じゃなくて、気持ちの話ね』


「市長、言い方がちゃんと行政っぽくなってますよ。分類の話、覚えたんですね」


『覚えた覚えた。“気持ちの維持費”。ね?』


「その項目は……帰ってから検討します」


 通信が切れた。最後まで市長だった。


 美月が、ぽつりと言う。


「市長、遠くからでも場を整えるの、ずるいね」


「ずるいって言い方はやめとけ。あれは技術だ」


 勇輝が返すと、加奈が頷いた。


「でも助かる。息をつけた感じがする」


 レフィアが小さく言った。


「良い市長です。言葉の温度が、適切です」


 褒め方がレフィアらしい。適切、という評価が、ここまでの研修を経た今だとやけに重い褒め言葉に聞こえる。


◆追加許可・黄色紐への準備


 休憩が終わる時間が近づく。勇輝は封印箱を横目で見て、それから資料を閉じた。


 学びは多い。公開帳簿室だけでも、分類、線引き、許容幅、記録の扱い方。持ち帰れるものはすでに山ほどある。けれど、ひまわり市の課題に直結する部分は、もう少し奥にある気がした。


 異界という特殊な環境で、どう税源を作り、どう制度を守り、どう説明責任を果たすか。表の帳簿だけではなく、内部の運用の仕組みまで見ないと、“整え方”が半端になる。


「……黄色紐、取る」


 勇輝が言うと、美月が目を見開いた。


「追加許可って、ここでいきなり取れるの? 申請本、また来る?」


「来るだろうな。でも申請も研修だ。やり方を覚えれば、ひまわり市でも使える」


 加奈が頷く。笑いは消えていないけれど、目が真面目だ。


「内部帳簿室って、怖そう。でも、怖いから見ない、ってやると、帰ってから困るのも分かる」


 レフィアが静かに立ち上がり、手帳を閉じた。彼女が閉じると、次の動きに移る合図になる。


「許可の取り方も研修です。財務局は、手順を踏めば門を開きます。先ほどの国境と同じです。ただ、鍵の形が違う」


「鍵が帳簿でできてる感じがする」


 美月が苦笑すると、レフィアが短く頷いた。


「帳簿は鍵です。数字は扉です。言葉は取っ手です」


「比喩が全部、実務に寄ってる……」


 勇輝は深呼吸して、言葉の順番を整えた。頼むのは“見せてください”ではない。理由と範囲と責任者を、先に出す。そうすれば、相手は判断できる。判断できれば、許可か不許可かが出る。曖昧にしない。それが財務局の礼儀だ。


「よし。範囲を明確にする。目的は、制度の理解と運用改善のための情報整理。持ち出しはしない。記録は、紙のメモのみ。責任者は俺とレフィア。……これでいけるか」


 加奈が、メモ帳を差し出す。


「言い方、整えよう。主任の言い方は現場寄りだから、財務局向けに少し固めた方が伝わる」


「助かる。加奈の“固める”は、固くしすぎないから」


 美月も、紙を握り直して言った。


「私、口が滑りそうになったら、紙を噛みしめる。紙は噛めないけど」


「噛めないなら、握れ」


「握る。握って静かにする」


 レフィアがほんの少しだけ笑った。その笑いは短くて、すぐに消えたけれど、確かに“人”の笑いだった。


 帳簿の海は深い。深いなら、潜り方を整える。

 ひまわり市のやり方は、怖さを消すことじゃなく、怖さを抱えたまま手順を作って前に進むことだ。


 勇輝は緑の紐を指で一度だけ直し、封印箱の位置を確認してから立ち上がった。


「行こう。増える手続きは、増える学びでもある。増えすぎたら……そのときは整理して帰る」


 財務局の扉の向こう、内部帳簿室へ続く道は、たぶん今日一番、言葉の精度が求められる。


 でも、その精度は、ひまわり市に持ち帰れる。

 それが研修旅行だ。


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