第12話「月光作戦、防衛開始!」
◆満月の前日 異世界経済部 対策会議
ひまわり市役所の三階、異世界経済部の会議室は、いつもより椅子が多かった。背もたれの形が違う椅子が混ざっているのは、各課から引っ張ってきたからだ。座り心地の差が、妙に現実を思い出させる。
壁のホワイトボードには、太い字でこう書かれていた。
月光作戦 対策会議
目標:ひまわり市を空にさらわせない
書いたのは美月だ。マーカーの先が少し擦れているのは、昨日から何度も書き直した証拠だった。
テーブルの端では、アルセリア由来の魔導球が淡く光り、立体映像として「転送軍計画書:月光作戦」を繰り返し再生している。満月の位相を利用して転移結合部を解離し、町を転移核ごと引き抜く。文章だけなら淡々としているのに、映像で見るとやけに生々しい。ひまわり市の地図の上に、光の枠が重ねられ、引き上げ矢印が空へ向かって伸びている。
市長がコーヒーを一口飲んでから、コップを置いた。音が、会議室の静けさにやけに響く。
「まず確認する。これは噂じゃない。三日後の満月に合わせて、町ごと持っていかれる可能性がある」
言い切ったあと、市長は一瞬だけ苦笑した。笑いで薄めたいというより、固まった空気をほぐして呼吸を作るための表情だ。
「こういうとき、深刻な顔を続けると判断が鈍る。だから、落ち着いていこう。落ち着いて、やることをやる」
勇輝は資料の束を揃えながら頷いた。机の上の紙は、もうどこからどこまでが誰の担当か分からない。だからこそ、整理する声が必要だ。
「了解です。今日の目的は二つ。町を守る段取りを具体化することと、守ったあとに揉めない形を残すこと。現場は動きますけど、記録はもっと大事です」
加奈が頷き、配布資料の端に付箋を貼っていく。付箋の色で分類しているのが、彼女らしい。
リエン監査官が、転移省仕様の端末を指で軽く叩いた。カツン、と乾いた音。
「アルセリアの月光作戦は、転移管理規定上、ほぼ黒に近い。公式には“調査”と“救済”を名目にするでしょう。しかし、手続きの順番を外す時点で、正当化は難しい」
「黒に近いって言い方、だいぶ優しいですね」
加奈が小さく言うと、リエンは否定も肯定もしないまま続けた。
「ただし、強行する側は“難しい”程度なら押し切る。彼らが恐れるのは、条文ではなく、後から動く大きな責任です。つまり、今回は情報戦になる」
その言葉で、自然と視線が美月に集まった。
市の広報担当。転移後は、いつの間にか異界側でも「ひまわり市の広報ギルド」と呼ばれるようになった、現場の発信力の中心。
「え、わたし……ですか」
美月は一瞬、肩が上がりかけたが、すぐに背筋を伸ばした。驚いているけれど、逃げない。そこが彼女の強さだ。
リリアが椅子に深く座り直し、淡い笑みを浮かべる。笑みは軽いのに、言葉はまっすぐだった。
「国家が“正しさ”を掲げるなら、こっちは“暮らしの現実”を見せる。相手が見落としているものを、見える形にするのよ」
「言葉の温度が高いです、リリアさん」
勇輝がやんわり突っ込むと、リリアは肩をすくめた。
「熱いのは温泉街の専売特許じゃないでしょ。今夜は、町の気持ちも温める必要がある」
美月はホワイトボードのペンを握り直し、口角を少しだけ上げる。その表情が「やる」と決めた合図だった。
「わかりました。やりましょう。ひまわり市らしい“防衛広報”を。怖がらせるためじゃなくて、守るために」
ペン先が走り、板に文字が増える。
【対抗方針】
1 ひまわり市の今を世界に見せる
2 強行の“世論リスク”を可視化する
3 転移省と各界に“消せない実績”を提示する
4 住民に不安を広げない言葉を選ぶ
5 後日の検証に耐える記録を残す
勇輝が小さく息を吐いて、頷いた。
「四と五、助かる。ここがあると、広報が“煽り”にならない。美月、頼りにしてる」
「はい。頼られるなら、ちゃんと頼られます」
美月は即答しない。言葉を選ぶ時間を必ず置く。最近、それが板についてきた。
市長がホワイトボードの横に、別の項目を追加した。
【現場対策】
A 転移結合の妨害 リエン、セリア、魔導班
B 空からの視界妨害 温泉街、ドラゴン温泉隊
C 非常時の避難導線 防災課、消防団、学校
D 停電と通信 総務課、商店街、ドワーフ工房
E 住民説明と放送 広報、町内会、観光協会
「今日は市役所の会議だけど、やることは町全体だ。各課も各団体も、同じ“目的”に向かって動く。ひまわり市は、それができる」
加奈が資料の一枚を持ち上げる。
「住民説明会は、今夜と明日の昼に分けます。夜はオンライン中心、昼は温泉街の集会所。子どもと高齢者に向けた説明を別に作ります。言葉は短く、同じ言い方を繰り返す。混乱を避けるためです」
「助かる」
勇輝は深く頷いた。
「説明が整ってると、現場も迷わない。迷わないと、事故が減る」
リエンが端末の画面を投影し、簡潔に言う。
「セリア外交官から、追加情報が届く可能性があります。彼女は“中止”を狙っている。しかし、転送軍は“実行”を狙う。矛先を、どこに向けるか。こちらは、その分岐を見極める」
リリアが腕を組む。
「つまり、セリアを孤立させない。彼女の言葉が“綺麗事”に見えないように、町が具体的に動く。そうすれば、彼女は“止める理由”を持てる」
美月が頷く。
「止める理由を作る。わたし、そこに全力を置きます」
会議は、いつの間にか夜の色になっていた。窓の外で、温泉街の灯が一本ずつ増えていく。あの灯りを、空に持っていかせない。そのために、町は今夜から走る。
◆満月当日 午後 広報対策本部
市役所三階の会議室は、半日で“広報対策本部”に変わっていた。壁際にはモニターが並び、ひまわり市内、温泉街、源泉地、庁舎屋上、そして上空の映像が切り替わる。普通の市役所なら災害対策本部にしか置かれない機材だが、ひまわり市では、災害と観光と異界対応がいつも同じ棚に並んでいる。
机の上は、ノートPCと魔導端末と、紙の議事録用紙と、付箋の海。美月は椅子に座る余裕がなく、立ったまま指示を出していた。声は大きくない。大きくないのに、通る。
「スライム消防団、上空の定点映像お願いします。リエンさんの端末とリンクして、アルセリア艦隊の位置変化をここにも映したいです。あと、温泉街の配信は“音”を拾ってください。人の声が入ると、暮らしが伝わるので」
若手職員が走ってくる。
「リンク、入りました。スライム隊、回線確立です!」
窓の外を見ると、ぷるぷるした青いスライムたちが、小型浮遊板の上で跳ねていた。板の先には小さな水晶カメラが付いていて、空撮ドローンのように市内を旋回している。スライムは誇らしげに、板の端でぷるんと体を伸ばし、カメラの角度を調整した。誰に教わったわけでもないのに、仕事ができる。
「かわいいけど、頼もしすぎる」
加奈が思わず漏らすと、美月が小さく笑う。
「かわいいって言葉が、いちばん強いときありますからね。守りたいって気持ちを、いちばん早く引き出してくれる」
そこへ、観光課の竹田が紙束を抱えて入ってきた。目の下に寝不足の影があるが、足取りはしっかりしている。
「温泉街の皆さん、湯気カーテンの準備できました。ドラゴン温泉隊も“位置取り”を確認済みです。あと、商店街がランタンを配布してます。停電時の導線、光で作るって」
勇輝が頷く。
「光で導線、いい。避難標識は、暗いときほど重要。写真にも残るから、後で“やった証拠”になる」
リエンが端末を見ながら、淡々と補足した。
「アルセリア側の観測は、今のところ“共同確認”の範囲に留まっている。しかし、上空の艦隊は増えている。外務省と転送軍は別組織。セリアの権限が届くかは不透明」
リリアが窓の外を見て、静かに言う。
「だからこそ、地上の姿を“先に”記録する。夜の町を、戦場に見せない。見え方をこちらで作る。今日は、町の演出が防衛になる」
「演出って言い方、ちょっと怖いですけど」
美月が言うと、リリアは首を傾げた。
「怖いのは奪う側よ。こっちは、暮らしを見せるだけ。暮らしを見せるのは嘘じゃない」
美月はキーボードを叩き始める。文章は長くしない。でも薄くもしない。行政の言葉は、感情より先に、事実と姿勢を置く。
ハッシュタグは、強く煽る言い方は避けた。けれど、伝えたい芯ははっきりさせる。
『#ひまわり市の今を見て』
『#ここには暮らしがある』
『#異界融合観測指定都市』
投稿文は、淡々としているのに、読むと胸に残る温度があった。
『本日夜、天空国アルセリアの転移調査に関連する動きが予告されています。
ひまわり市は、転移管理省の指導のもと、住民の安全を最優先として対応します。
この町には、人の暮らしがあります。
子どもが学校に通い、商店街が灯りを点け、温泉街が湯の匂いを守っています。
異界から来た方々も、同じ通りで肩を並べています。
私たちは、この町を“資料”ではなく“まち”として守ります。
状況は随時、公式からお知らせします。』
最後に、美月は一文だけ足した。
『どうか、今夜のひまわり市を見届けてください。』
送信。
その瞬間、画面の通知が小さく鳴り始める。人間界SNSだけではない。異界魔導ネット、王国の情報板、魔王領の広報ギルドチャンネル。たくさんの窓が同時に光った。
◆地上 温泉街 ナイトフェスという名の防災訓練
温泉街のメイン通りには、仮設ステージが組まれていた。横断幕には、少し硬い言い回しが踊っている。
異界防災・共生モデル都市 ナイトフェス
名前だけ見れば、よくあるイベントだ。けれど実態は、避難訓練と情報共有と、そして今夜を“町の夜景”として記録するための場だった。
加奈はマイクを握り、息を整えてから話し始めた。声の出し方が、窓口対応ではなく司会者のそれになっている。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。ひまわり市役所からお知らせです。今夜は、いつもより少しだけ“空”が騒がしい予報です。だからこそ、私たちはいつも通りの準備をします。いつも通り、というのは、大げさに騒がず、決めた手順で動く、という意味です」
通りの両側に、商店街の店主たちが並ぶ。ランタンを一つずつ手に持って、子どもに渡し方を教えている。消防団は拡声器で誘導の練習をしているが、口調は柔らかい。怖がらせないために、言葉を選んでいるのが分かる。
美月はステージ脇で、魔導カメラの角度を確認していた。映像の中に、町の灯りと、人の顔と、湯気と、そして笑い声を入れる。数字や条文より、暮らしの輪郭が先に届くように。
「続いて、スライム消防団の皆さんです」
加奈が呼びかけると、ぷるぷると震えながら、スライムたちが列を作って現れた。胸に「団長」と書かれたバッジを付けている個体が先頭だ。どこで手に入れたのかと思ったら、商店街の手芸屋が作ったらしい。
美月が説明する。
「スライム消防団は、下水の浄化だけでなく、火災時には水膜を張って延焼を防ぎます。今日は“見せる訓練”です。見せることで、次に困る町が真似できる。そういう意味でのモデルです」
コメント欄が流れる。かわいい、すごい、真面目、うちにも来て、など。
その流れの中に、異界新聞の記者アカウントが混ざった。「今夜のひまわり市、要注目」と短く投稿している。
次に、坂の上から大きな影が降りてきた。ドラゴン温泉隊だ。背中には安全ベルトが取り付けられ、避難輸送の手順が貼られている。荒っぽい絵ではなく、分かりやすいイラスト。加奈の仕事だと分かる。
ドラゴンが低く鳴き、翼を折りたたむ。背中に乗った子どもが笑い、保護者が手を振る。誰もが、怖がりながらも、怖がりっぱなしではいない。そこが、この町の空気だ。
市長がマイクを受け取った。
「ドラゴン温泉隊の皆さんは、普段は温泉街の熱の循環を助けてくれています。今夜は、視界の妨害と、もしもの避難支援をお願いしています。攻撃ではありません。町を“見えにくくする”だけです。空の目に、勝手に整理されないように」
リリアが横で頷く。浴衣姿だが、今日は町の一員としての姿勢がよく出ている。
「湯気カーテン、いける?」
リリアがドラゴンに話しかけると、ドラゴンは鼻先でうなずいた。通訳はいらない。最近は、こういうやり取りが自然になってきた。
温泉街の上に、湯気がふわりと立ち上がる。最初はいつもの湯気。けれど、ドラゴンが吐息を調整すると、湯気の粒子が細かくなり、光を散らす膜になる。街灯の光が滲み、輪郭が柔らかく溶けていく。
「……綺麗」
誰かが言った。観光客か、市民か、どちらでもいい。
綺麗だと思える景色の中で、町は守りの準備をしている。
◆上空 転送軍艦隊 作戦室の温度
雲より高い空。アルセリアの転送軍艦隊は、満月に向けて静かに配置を整えていた。艦橋には軍装の指揮官たちが並び、巨大な魔導ホログラムにひまわり市の地図が映る。
「転移座標、固定完了。月光強度、予定値まであと一時間」
「外務省との連携は」
「表向き、調査目的で通しています。地上は……騒いでいますが、許容範囲内」
若い技術士官が別モニターを見て、眉を寄せた。
「司令。地上の情報拡散が想定より速いです。王国と魔王領の公的回線も反応しています。天界の監査室がコメントを出しました」
「情報戦か」
司令は短く言い、画面に目を向けた。
そこに映っていたのは、ひまわり市の配信だった。湯気カーテン、ランタン、スライム消防団、ドラゴン温泉隊。どれも“軍事”とは無縁に見えるのに、妙に整っている。整っているのは、暮らしの中で何度も訓練してきたからだと、彼らはまだ知らない。
『ここには暮らしがある』
その文字が、映像の隅に重ねられている。
「これを、どう受け取る」
司令が問うと、技術士官は迷いながら答えた。
「……攻撃ではありません。でも、強行すると“攻撃に見えます”。それが問題です」
艦橋の空気が少しだけ固くなる。
そのとき、セリアからの通信が割り込んだ。
『転送軍司令部へ。外務省技術連携局のセリアです』
「セリア殿。今は実行前の段階だ。要件は」
『今のまま強行すれば、アルセリアは“自治体一つを消した国家”として記録されます。しかも、相手は転移管理省が観測指定を出した都市です。条約の審議対象になります』
「観測指定? それは確認したのか」
『確認しました。転移省監査局の端末ログ、そして天界監査室の通達。すでに各界に共有が始まっています。止めるなら、今です』
司令は黙った。黙ったまま、窓の外の満月を見た。
月は静かだ。静かな光が、作戦の合図になっているのが皮肉に見える。
「……情緒の話をしているのか」
司令が言うと、セリアは少し間を置いた。
『情緒ではありません。記録の話です。国の信用は、数字より先に“見え方”で傷つきます。今夜のひまわり市は、すでに“見られている”』
司令の横で、技術士官が小さく呟く。
「見られている、か……」
艦橋の空気が、じわじわと変わっていく。
この場には軍人しかいない。けれど、軍人だって国の顔の一部だ。顔を汚す作戦は、勝っても負けになることがある。
◆深夜零時前 地上と空 引き抜きの気配
深夜が近づくと、ひまわり市の空気が少しだけ張りつめた。街灯の光が湯気に滲み、ランタンの列が導線を作る。消防団の声が通りを流れ、子どもたちは保護者の手を握ったまま、でも泣いてはいない。
広報対策本部では、美月が画面を睨んでいた。モニターには上空の艦隊の位置。リエンの端末から共有される魔力波形。市内の配信コメント。全部が同時に動き、同時に判断を迫る。
「来ます」
リエンが短く言った。
「転送陣の起動前兆。波形が揃い始めた」
勇輝が、口を結ぶ。
それは緊張の表情だけれど、怖がっているというより、今やるべきことを確認している顔だ。
市長が無線に向かって言う。
「各班、手順通りに。声を荒げない。町は、町の手で守る」
温泉街では、ドラゴン温泉隊が位置を整え、湯気カーテンを厚くした。視界は霞み、空の輪郭が曖昧になる。空から見れば、町の中心がどこか分かりにくい。分かりにくいというのは、奪う側にとっては厄介だ。
その瞬間、通りの空気が少し揺れた。風ではない。地面が引かれるような感覚。軽い浮遊感が、足元に来る。
「今、引っ張られた?」
誰かが言った。
けれど、すぐに加奈の声が拡声器から流れる。
「大丈夫です。足元を確認してください。焦らず、ランタンの列に沿って動いてください。子どもは手を離さない。大人は、声をかけ合って」
言葉が短い。短いけど、優しい。優しいけど、指示ははっきりしている。
それが、町の防災の言葉だ。
広報本部の画面に、通知が飛び込んだ。王国議会の公的回線、魔王領観光局のチャンネル、天界監査室、ドワーフ連合の掲示板。さらに、転移省本部の公式アカウントからも、短い通達が出た。
『ひまわり市は異界融合観測指定都市である。無協議の転移処理は、条約上の審議対象となる』
美月はその文章を見て、息を吸ってから吐いた。
これが、紙の盾だ。昨日の夜、リエンと市長が整えた文書が、世界に届いた。
「届いた」
美月が小さく言うと、勇輝が頷いた。
「届いたなら、相手は迷う。迷った瞬間が、こっちの勝負どころだ」
そのとき、上空の艦隊からの信号が変わった。リエンの端末の波形が、揃いかけて、崩れる。
「……起動が止まった?」
若手職員が声を上げる。
リエンは画面を見つめ、断定はしないまま言った。
「停止ではなく、切り替え。転移処理から観測モードへ。まだ油断するな。だが、流れは変わった」
美月はその言葉に頷きながら、すぐに投稿画面を開く。喜びの言葉は書かない。煽りになるから。代わりに、事実と感謝を置く。
『現在、上空の動きに変化がありました。市は引き続き安全確認を行います。
皆さまは、係員の案内に従い、落ち着いて行動してください。
温かい声援と拡散に感謝します。』
送信。
コメント欄に「よかった」が流れる。よかった、と言える人が増えるだけで、町の空気が少し軽くなる。
◆上空 転送軍艦橋 中止の号令
艦橋では、司令がゆっくり立ち上がった。
目の前のホログラムは、ひまわり市の輪郭を曖昧にした湯気カーテンで、中心が掴みにくい。下からは配信。上からは各界の通達。外務省からはセリアの言葉。転移省からは公式の釘。
勝てても、国として負ける。
その計算が、艦橋の全員に共有されていた。
「全艦に通達。月光作戦は中止。転移処理を停止し、観測モードへ切り替える。映像と波形は全て記録。外務省と共同で“協定交渉”へ移行する」
号令が飛び、魔導陣の光が一つ、また一つと消えていく。
満月の光は変わらないのに、空の緊張が少しずつほどけた。
セリアは通信越しに、その様子を見ながら、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
『ありがとう、司令。あなたの判断は、国を守った』
司令は短く返す。
「国を守るのが仕事だ。今回は、たまたま町も守れた」
技術士官が小さく息を吐いた。
「……地上の町、すごいですね。武器が、灯りと湯気と、言葉だ」
「言葉は、武器にもなる。だから扱いが難しい」
司令はそう言って、窓の外の満月をもう一度見た。
◆翌朝 市役所前庭 覚書とお詫び
翌日、ひまわり市役所の前庭には簡易ステージが組まれた。式典というほど堅くはないが、場を作る意味は大きい。昨日の夜、町は確かに守った。しかし、守っただけで終わらせると、次に同じことが起きる。行政は、区切りを作って次へ繋ぐ。
壇上には市長、勇輝、加奈、美月。少し後ろにリエンとリリア。
そして、アルセリアからセリアが来ていた。制服は同じなのに、目の硬さが少しだけほどけている。
セリアはマイクを取り、深く一礼した。
「天空国アルセリアを代表して、お詫び申し上げます。我々は、ひまわり市の転移を“現象”としてしか見ていませんでした。そこにある暮らしを、十分に理解しないまま、手続きを急ぎました」
その言葉は、飾りがない。だから、会場の人たちも静かに聞いた。
セリアは続ける。
「昨夜、私は地上の配信を見ました。湯気の中で手を振る子ども、ランタンを渡す商店街、働くスライム、協力するドラゴン。そこには、“国家の計画”より強いものがありました。生活です」
会場の空気が少し柔らかくなる。
市長が受け取る形で、冗談めかさずに言う。
「うちの町は、生活の集合体です。だから、外から見れば分かりにくい。でも、その分、壊すと大変なんです」
笑いが起きる。軽い笑い。
セリアも、わずかに頷いた。
「そこで、提案です。アルセリアは、ひまわり市を“転移事故の資料”ではなく、“異界融合のモデル都市”として扱います。観測は協定の枠内で行い、住民説明と同意を前提にします」
彼女は一枚の書類を掲げた。
『天空国アルセリア と ひまわり市
異界共生・観光技術連携に関する覚書(案)』
市長が受け取り、文面を確認する。確認の仕方が、演出ではなく、行政の確認だ。読み飛ばさない。責任があるから。
「……よし。これなら、町の形を保てる。署名しよう」
ペン先が紙を走り、サインが入る。
続いて、セリアもサインを入れる。二つの署名が並んだ瞬間、周囲の空気が「危機の後」に変わった。
勇輝が小声で美月に言う。
「ちゃんと“後”に持っていけたな」
「はい。ここからが長いですけどね」
美月は笑う。疲れているのに、その笑い方が軽い。守れた実感がある笑いだ。
◆市長の感謝状 広報の功績
式典の終わりに、市長が封筒を取り出した。
市長はこういう場で、過剰に盛り上げることはしない。けれど、伝えるべきことは伝える。
「最後に、市長として感謝を伝えたい。昨夜、ひまわり市が“見られる町”になったのは、誰かが言葉を整え、映像を繋げ、事実を積み上げたからだ。広報は、ただの宣伝じゃない。町を守る仕事でもある」
美月が目を丸くする。嫌な予感というより、恥ずかしい予感だ。
「え、ちょっと、聞いてないんですけど」
「聞いてたら緊張するだろ。だから内緒だ」
市長が取り出したのは感謝状。
読み上げる言葉は、短く、でも丁寧だった。
『ひまわり市役所 異世界経済部 広報担当 美月 殿
あなたは広報を通じて本市の“日常”を世界に示し、町の存続に多大な貢献をされました。
その功績をたたえ、ここに深く感謝の意を表します。』
読み終えると、拍手が起きた。
商店街の人も、消防団も、スライム消防団も、ドラゴン温泉隊も、そして異界からの来客も、同じタイミングで手を叩いた。スライムはぷるぷる震えて拍手の代わりに体を揺らし、ドラゴンは空に小さな吐息を放って、虹色の湯気を作った。
美月は感謝状を受け取り、深く頭を下げる。言葉はすぐには出ない。出ないけれど、目が潤んでいるのが分かる。
「……ありがとうございます。わたし、広報って、ほんとは“目立たない仕事”だと思ってました。でも昨夜、目立つことが、守ることになるって知りました。だから、これからも、暮らしをちゃんと写します。大げさにしないで、でも、消えないように」
その言葉が、会場の空気をもう一段温かくした。
勇輝は横で小さく頷き、加奈は胸の前で手を組んだ。リエンは無表情のまま、端末に記録を残す。リリアは小さく笑って、呟く。
「広報ギルド長、誕生ね」
「それはやめてください、ほんとに広まりそうだから」
美月が照れながら返すと、会場がまた少し笑った。
◆夜 異世界経済部 反省会と次の課題
式典が終わり、片付けがひと段落すると、異世界経済部の部屋にまた灯りがついた。役所の一日は、終わったように見えて、終わらない。むしろ、こういう危機の後に、仕事が増える。
勇輝が議事録の束を机に置き、言う。
「さて。中止になったけど、ここからが本番。覚書の実務、住民説明、協定の条例化、そして記録の整理。昨日の配信も、公文書として残すかどうか検討が必要だ」
加奈が頷く。
「配信のコメント欄も、保存したい。住民の反応は、政策の根拠になる。もちろん個人情報は加工して。手間だけど、やる価値はある」
リエンが端末を閉じる。
「転移省にも報告書を出す。アルセリア側からも提出があるはず。双方の文言が一致しているか確認する。食い違いがあると、後で必ず揉める」
リリアが椅子に座り直し、少しだけ息を吐いた。
「揉めるのが前提なの、行政っぽいわね」
「揉めないようにするために、揉める可能性を先に潰すんだよ」
勇輝が笑って言うと、リリアは肩をすくめた。
「なるほど。魔界の交渉より、なかなか手強いかもしれない」
「それは言い過ぎです」
加奈がすぐに止める。止め方が優しい。
美月は感謝状を机の端にそっと置き、タブレットを開いた。通知がまだ止まらない。世界は、ひまわり市を見続けている。見られるということは、責任が増えるということでもある。
「ねえ、主任。次の課題、もう来てます」
美月が画面を見せる。
『異界通貨と円の換算について、市民から問い合わせ多数』
『魔導商人の露店、税の扱いをどうするのか』
『王国と魔王領の通貨、端末の換算レートが揺れている』
市長が苦笑し、椅子の背にもたれた。
「空にさらわれるより、こっちの方が“役所の仕事”っぽいな」
「だから、戻ってきたってことです」
勇輝はそう言って、資料の束を持ち上げた。
「ひまわり市は、今日も通常運転。異界仕様の通常運転」
窓の外には、温泉街の灯りが見える。昨夜の湯気はもう薄い。
けれど、町の中に残ったものは消えていない。紙と記録と、そして“暮らしを守る”という合意。
それが、ひまわり市の防衛線だった。




