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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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第11話「来訪、天空国の外交官」

◆朝 市役所屋上と空の影


 ひまわり市役所の庁舎は、朝の光にまだ少しだけ眠たげな色を残していた。開庁前の廊下には清掃の水の匂いが薄く漂い、窓口の番号札だけが整然と並んで、これから始まる一日の忙しさを先取りしている。

 その「いつもの空気」が、ふっと押しつぶされるように薄暗くなった。


 屋上に上がっていた美月は、手すりに置いたタブレットの画面から顔を上げた。まばたきを一回して、見間違いじゃないことを確かめてから、声が裏返らないように努力して言う。


「……空、でかいです。いや、空が、でかいんじゃなくて……上に、都市がいます」


 うまく言えない。うまく言えないけど、見上げれば分かる。

 雲を押し分けるように巨大な影。影の輪郭には、金属の稜線と、円環状に回り続ける魔導機構がある。塔がいくつも突き出ていて、塔の間を光の筋が走るたび、空気がかすかに鳴った。


「……天空国アルセリア、だね」


 勇輝は屋上のドアを押して出てきた瞬間に、足が止まった。声は落ち着いているのに、目だけが「現実と相談中」になっている。隣で加奈が息をのんで、髪が風に揺れるのを押さえた。


「浮いてる、っていう言葉が軽く感じるね。街ごと浮いてる」


 その下のひまわり市は、いつもの朝だ。小学生の登校班は歩き、商店街はシャッターを半分上げ、温泉街の看板は今日も昭和の勢いで「いらっしゃいませ」を主張している。なのに上空だけ、別の世界の重量が乗っている。


 市長は資料を抱えたまま屋上に現れ、やっぱり、そこで固まった。

 数秒間、口を開けない。市長が言葉を探している時間は、だいたい厄介ごとが確定している時間でもある。


「……来る、って書いてある。正式な外交使節団。目的が……」


 市長は紙面を指でなぞって読み上げた。読み上げるほど、眉間の線が深くなる。


『目的:異界転移発生源の調査、および関連エネルギー源の評価。必要に応じ、技術連携協定を提案する』


 勇輝が小さく息を吐き、加奈が「協定」という言葉だけ拾って苦い顔をする。


「技術連携って……こっちは事故でここに来ただけなんですけどね」

「事故を、技術だと信じ込む勢いが怖い。怖いというか、面倒の匂いがする」


 美月はタブレットを抱え直し、画面に表示されている「異界通信」の電波強度を見た。ここ最近、少しずつ安定してきたはずの通信が、上空からの影で妙に波打っている。


「上から圧をかけられてる感じします。通信も、なんか……“空の国仕様”に引っ張られてません?」


 リエン監査官が屋上に上がってきたのは、そのときだった。黒いスーツ風のローブ、髪をきっちりまとめた銀髪。背中の「秩序」の刺繍は、今日も遠慮なく主張している。


「引っ張られている、という表現は適切。アルセリアの観測網は広域だし、干渉も強い。彼らは“測れるものは測ってしまう”」


「言い方が怖いです、監査官」


 美月が思わず返すと、リエンは肩をすくめただけだった。けれど視線は、上空の都市から少しも離れない。彼女にとっても、これはただの“観光の来客”ではないのだ。


「……ひまわり市。今日は、手続きの勉強会じゃ済まない。来訪者の“目的”を、最初にきちんと定義しておくべき」


 市長が頷き、勇輝が即座に頭の中で段取りを組む顔になった。


「了解です。受付、導線、会議室、通訳、条例の持ち込み確認。あと、勝手に測定させないための注意書き……いや、注意書きで止まる相手じゃないな」


 加奈が小さく、でもきっぱり言う。


「止まらない相手ほど、最初の線引きが大事。曖昧にすると、あとで“了解した”って言われるから」


 その言葉に、市長が静かにうなずいた。市長の目は、いつもの“やってやろう”の光と、今回ばかりは隠しきれない慎重さが混ざっている。


「よし。受ける。受けるが、町は町のルールで守る。自治体の矜持ってやつを、今日はちゃんと使おう」


◆午前 異世界経済部 準備が始まる音


 庁内に戻ると、異世界経済部の部屋は、いつも以上に紙の匂いが濃くなっていた。資料が増えると、空気が乾く。誰かがプリンタの前で「お願いします」と祈りながら紙詰まりを直している。


 勇輝はホワイトボードに大きく書いた。


「本日の来訪対応 優先順位」


 その下に、番号を振っていく。


「1 “勝手に観測しない”を先に合意 2 転移技術は“無い”を明確に 3 協力できる範囲を具体化 4 見学ルートは限定 5 相手の上層部の意図を探る」


 書き終わると、美月が手を挙げた。学校みたいだけど、今はそれでいい。


「質問です。1って、合意取れるんですか? ああいう国家って、合意というより、宣言しそうです」

「取れなかったら、取れなかった事実を残す。議事録に。録音も。あと、こちらの条例を先に渡す。読むか読まないかは相手の自由、でも“提示した”はこっちの防具になる」


 リエンが静かに補足する。


「提示と記録は、現場の盾。法の力が届かない場所ほど、盾は紙になる」


 美月が妙に納得して、タブレットにメモを打つ速度が上がる。


「盾が紙。今日の名言ですね。SNSに書きたいけど、書けないやつだ」

「書かないで。ほんとに」


 加奈は通訳の席順や、紅茶の種類を確認している。異界対応は、壮大な戦いのように見えて、最後はこういう細部で決まる。


「相手が冷たいとか怖いとかじゃなくて、違う文化が来るだけ。だから、こちらの“当たり前”を先に見せる。それで、相手の当たり前も引き出す」


「加奈さん、今日やけに頼もしい」

「いつもだよ。勇輝が慌てると、私が困るから」


 そのやり取りに、市長が机を軽く叩いた。笑いを入れるというより、空気を整える合図だ。


「よし。今日は“観光”だけじゃなく、“自治”の宣伝をする。ひまわり市は、温泉だけで出来てるわけじゃない。暮らしがある。それを見せよう」


◆午前十一時 市庁舎前 空から降りる整列


 庁舎前は、少し前のテレビ取材のときとは別の緊張で満ちていた。報道はいる。観光協会もいる。商店街の代表も、市議会議員も、なぜか町内会長までいる。誰もが「今日は見逃せない日だ」と顔に書いてある。


 上空の影から、まっすぐに光柱が降りた。

 光は眩しいのに、熱を持たない。風だけが、ふわりと押されるように動く。


 光がほどけると、そこには整然と並ぶ使節団がいた。

 銀白の制服、魔導翼装置、情報端末。王国の騎士とも、魔王領の武官とも違う。きちんと“規格”で作られた装備だと分かる。


 先頭に立つ女性が一歩進み出た。

 長い金髪を後ろで留め、白い外套を着ている。動きは無駄がなく、視線は人の表情より先に、空間の配置を測っているようだった。


「天空国アルセリア外務省、技術連携局。外交官、セリア・ヴェルドライン。本日、転移発生源の調査許可をいただきに参りました」


 名乗りが簡潔で、隙がない。隙がないけど、威圧ではなく、習慣としての硬さだ。


 市長が前に出て、深く一礼した。


「ようこそ、ひまわり市へ。市長です。歓迎いたします。ただし、いくつか確認をさせてください。ここは国家ではなく自治体ですが、住民の暮らしを預かる場所です。ルールがあります」


「理解します。では、あなた方の“ルール”を提示してください」


 言い方は丁寧だ。けれど、提示を要求するテンポが速い。勇輝は、そこで「最初から主導権を取りに来ている」と理解した。


 勇輝が条例の束を差し出す。厚い。紙が重い。ひまわり市の行政の重みがそのまま紙になっている。


「こちらが、個人情報保護条例と、庁舎内撮影に関する規定、それから観測行為の制限についての臨時要領です。必要なら英訳……いえ、異界共通語版もあります」


 セリアは束を受け取り、ざっと目を通す。読む速度が速い。速いけど、流し読みではない。必要な部分だけ、抜き取る読み方だ。


「なるほど。観測の制限、という概念は興味深い。ですが、我々の観測は防衛上の手続きでもあります。安全確認のためのスキャンは、入域前に必須です」


 そこで、セリアの部下が魔導術式を展開した。

 光の網目が空に広がり、庁舎の上を覆う。街全体をそっと撫でるように、薄い光が走っていく。


 美月が一歩前に出かけ、勇輝が手で止めた。止めながら、勇輝は声を荒げないように、しかし通る声で言った。


「待ってください。今のは、合意前です。条例上、無断観測は認められません。安全確認なら、こちらの消防・警備と連携して、範囲を限定して行ってください」


 セリアの視線が、勇輝に移った。冷たい、というより、焦点が鋭い。


「自治体の条例が、国家の安全手続きより優先されるのですか?」


 問いは淡々としている。挑発のようにも聞こえるが、たぶん彼女にとっては純粋な疑問だ。そこが余計に手強い。


 加奈が、勇輝の隣に立ち、言葉を継いだ。


「優先、ではなく、共存です。私たちは“止めたい”のではありません。住民が不安になることを避けたい。安全確認の必要性は理解します。だから、やり方を一緒に決めたいんです」


 リリアが、少し遅れて前に出た。浴衣姿で、頭には角を隠すヘアバンド。手には、なぜか町のゆるキャラ「ひまリス」のぬいぐるみが抱えられている。


「ようこそ。緊張してるなら、これ、持つといいわよ。笑うのって、意外と大事」


 場が一瞬だけ、止まる。セリアの部下が「外交の場でぬいぐるみ?」という顔をした。以前の来客のときにも、似たような顔を見た気がする、と勇輝は思う。


 セリアは、ぬいぐるみを一瞥して、少しだけ口元を緩めた。ほんの一瞬の揺れだ。


「……第二魔王。あなたがここにいることは、報告で把握しています。ですが、その格好は」


「この町の“普段着”よ。人を怖がらせないための装備ってやつ。あなたが装備を着るのと、同じ」


 言い方はさらりとしているのに、ちゃんと刺さる。リリアの声には、魔王の妹の気高さより、町内会デビュー済みの生活者の強さが混ざっていた。


 リエンが一歩前に出る。


「観測は、範囲と目的を明示して行う。これは、あなた方が嫌う“曖昧な規定”を避けるためでもある。アルセリアの記録にも、ひまわり市の記録にも、同じ文言が残る。それなら、秩序の趣旨にも反しないはず」


 セリアは少し考えるように視線を上げた。上空の都市を見ているのではなく、頭の中の規定をなぞっている目だ。


「……分かりました。観測は一時停止。入域後、共同で安全確認を実施します。範囲は庁舎と周辺二百メートル。目的は危険物と空間歪曲の有無の確認のみ。これで」


 勇輝が即答する。


「はい。議事録に残します。こちらも協力します」


 その瞬間、庁舎前の空気が、少しだけ呼吸を取り戻した。報道のカメラが、遠慮がちに回り始める。市長は、見えないところで小さく拳を握った。


 美月が、ほっとしそうになってから、すぐ顔を引き締めた。今日はまだ、入口を越えただけだ。


◆正午 会議室 スライドと現実のすり合わせ


 会議室は空調が効きすぎて少し寒い。壁にはひまわり市の観光ポスター、そして「がんばろう異界対応」と手書きされた横断幕が貼られている。誰が貼ったのか。たぶん防災課だ。気合いはいつだって現場が早い。


 勇輝はスライドを映した。まずは、ここ数週間で整えた“共生の実績”を、相手の言葉に合わせて説明する。


「こちらが“魔物共生区域マップ”です。スライムは下水の浄化に協力してくれて、ドラゴンは温泉の加温に……協力してくれている、というか、結果的に資源になっている、というか」


 言い回しが難しい。協力、と言えば綺麗すぎる。災害、と言えば角が立つ。ひまわり市は、その間をずっと走ってきた。


 セリアはメモを取りながら頷く。頷き方が機械的ではなく、要点が理解できている頷きだ。彼女は話を聞ける人だ、と勇輝はそこで少しだけ安心した。


「次に、こちらが“通貨対応”です。円、魔石、ルビア、王国通貨を一括換算できる端末を導入しました。導入費用は……ええと、補助金と、寄付と、あと、いろんなご縁です」


 美月が小さく咳払いをして、補足に回る。


「この端末、使い方を動画にして配信したら、意外と高齢の方も覚えてくれて。難しいことは、短く、同じ言葉で。これ、異世界でも効きます」


「興味深い。情報設計の工夫。あなた方は、技術ではなく運用で問題を解いている」


 セリアがそう言ったとき、勇輝は一瞬だけ「褒められた気がする」と思った。けれど次の言葉で、ちゃんと元の緊張に戻る。


「では、本題です。あなた方の転移。発生源はどこに」


「分かりません」

 勇輝は即答した。即答しないと、相手は“言葉の隙間”を解釈してしまう。


「観光イベント中に、空が裂けて、光が降って、町が……ここに来た。それが事実です。私たちは、再現できる技術も、制御できる装置も持っていません」


「偶発的転移。再現性なし。ならば、観測で“核”を特定できれば」


 セリアの言葉の中で、“核”という語が少しだけ重く響いた。

 リエンが目を細める。リリアが、机の下で拳を握ったのが、勇輝には見えた。


 市長が落ち着いた声で言う。


「調査そのものを否定するつもりはありません。ただし、町は研究施設ではない。住民の同意が必要だし、生活が壊れる方法は受け入れられない。ここは、まず“観光協定”の延長で、相互の利益になる形を探したい」


 セリアは市長を見た。その視線の奥に、計算が走っているのが分かる。


「利益。具体的には」

「例えば、アルセリアの技術で、医療や通信や防災が改善するなら協力したい。逆に、こちらの温泉や食文化、運用ノウハウは提供できる。町の形を保ったまま、互いの役に立つことは可能なはずです」


 美月が小さくうなずき、加奈は紅茶を注ぎながら、会話の温度を落としすぎないように気配りする。


 セリアは紅茶を一口飲んだ。そこに感想はない。でも、飲んだという事実が、少しだけ場を柔らかくした。


「……理解しました。あなた方は、技術ではなく暮らしを守る。では、調査は“暮らしを壊さない範囲”で、段階的に行う提案をします」


 勇輝は、その提案を聞きながら、胸の中で小さく息を吐いた。

 少なくとも、この場では、彼女は話が通じる。


 ただし、問題はいつだって「この場の外」にいる。


◆午後 庁舎食堂 カレーと文化の温度差


 昼食は、市役所食堂だった。異世界の来賓を食堂に通すのか、と議員が眉をひそめかけたが、市長が「うちの食堂は、ひまわり市の縮図だ」と言い切って押し通した。


 今日のメニューは、ひまわり特製カレー。

 どこが特製かと言えば、地元野菜が多い、ルーが少し甘い、それから、なぜか辛さが後から追いかけてくる。毎年、祭りのときに「辛いの苦手な人向け」と言いながら、結局ちょっと辛い。


 王国から来た随行員が、一口で目を潤ませた。


「……辛い。舌が熱い。これは、訓練用の食事なのですか」


 魔王領の来賓を相手にした経験がある職員たちは、「訓練用」という言い回しに妙に納得しかけたが、勇輝が咳払いで止めた。


「ただのカレーです。日本の家庭料理です。たぶん、ちょっと、ひまわり市の店主の“サービス精神”が入りました」


 すると、セリアの部下の一人が、平然とスプーンを進めて言った。


「辛味成分、許容範囲。体温上昇。集中力増加。合理的」


 合理的の使い方が怖い。美月が目で「この人たち、普段どんな食事してるの」と訴え、加奈は「今日は無事に終わるかな」と祈る顔になる。


 リリアが横から、カレー皿をのぞきこんだ。


「辛いなら、牛乳入れれば? あ、牛乳はこっちの世界の文化か。じゃあ、ヨーグルトでもいい」


 セリアが、そこで初めて少しだけ驚いた顔をした。


「第二魔王が、料理の助言を」

「町内会で学んだのよ。料理って、世界征服より人を動かすから」


 それは冗談っぽいのに、妙に真理が混ざっていて、食堂の空気がふっと笑いに寄った。緊張が緩んだのが、勇輝にはありがたい。行政の会議は、笑いがないと固くなりすぎて割れる。


 ただし、笑っている間に、セリアは静かに周囲を観察していた。

 食堂の掲示板、献立表、利用者の動線、ゴミ箱の分別表示。彼女の目は、暮らしのディテールを拾っている。


「……この町は、統制ではなく合意で回っている。情報の提示が多い。住民の行動を誘導しているが、強制ではない」


 セリアの独り言のような分析に、勇輝は「それは、うちの良いところです」と言いそうになって、飲み込んだ。褒められているのか、観測されているのか、まだ判断できない。


◆午後 再協議 商館と市場の提案


 午後の会議で、話題は一気に現実の形になる。

 アルセリアは“王立商館”のような拠点設置を示唆し、ひまわり市の空間歪曲の観測拠点にしたいと提案してきた。


「拠点があれば、長期の観測が可能。あなた方の負担も減る。必要な資材と人員は我々が持ち込みます」


 市長は頷きかけて、止めた。市長の顔は、修学旅行の引率ベテランではなく、自治体の長の顔になっている。


「持ち込みは、こちらの許可制に。資材の安全基準も、建築基準もある。国と国の話じゃなくても、建物は建物だからね」


 セリアの目が細くなる。怒っているのではない。計算が一段深くなる目だ。


「あなた方は、国家ではない。それでも“基準”を盾にするのですね」

「盾じゃない。暮らしの道具です。雨漏りしたら、住民が困る。だから基準がある。異世界でも同じでしょう」


 勇輝が言うと、セリアは一瞬だけ口元を緩めた。


「……確かに。空に浮かぶ都市でも、水は漏れる」


 それがちょっとした共通点になった。

 加奈が、そこを逃さずに言葉を繋ぐ。


「拠点そのものは、検討できます。ただし、町の中心じゃなく、研究区画として指定した場所に。住民説明会も必要です。ここは、住民が“自分の町だ”と思えることが大事なんです」


 セリアは頷いた。頷いたが、部下の一人が口を挟む。


「説明会は時間がかかる。次の満月までに、核の所在だけでも特定すべき」

「次の満月?」


 勇輝が反射で聞き返すと、部下は口を閉じた。閉じたということは、何かがある。


 リエンが目だけで勇輝に合図する。「今の言葉、覚えておけ」。


 セリアが、部下を制するように視線を向けた。


「……失礼。日程の話です。観測条件に天体の位相が影響する場合がある。あなた方に危害を加える意図はない」


 危害を加える意図はない。そう言われて、安心できるかと言えば、できない。意図がないなら、結果の責任は誰が取るのか。その話になるからだ。


 市長が穏やかに、しかし線を引く。


「危害が起きる可能性があるなら、事前に説明してください。説明なしは、どんな意図でも受け入れられない。これは、ひまわり市のルールです」


 セリアは視線を落とし、短く「理解」と言った。

 その表情が、わずかに硬く見えたのは、勇輝の気のせいではないと思う。


 この場のセリアは、交渉する外交官だ。

 でも、その背後にいる“上層部”は、別の顔をしている。


 それを確かめるように、会議が終わったあと、セリアは一人で廊下の窓際に立ち、上空の都市を見上げていた。

 その横顔は、冷たい壁ではなく、何かを押し込めている人の横顔だった。


◆夕方 応接室 非公式の静けさ


 セリアが「少しだけ、非公式に話したい」と申し出たのは、夕方のことだった。

 会談の形式を外す。形式を外すというのは、相手の本音が出る可能性が上がる。勇輝は警戒しつつも、断る理由がないと判断した。


 応接室はコーヒーの香りが濃い。加奈が淹れたものだ。香りがあるだけで、場の硬さが少しやわらぐ。


 同席はリリアと、リエン。市長は「非公式なら、現場に任せる」と言って席を外した。市長は時々こういう判断が的確だ。出しゃばらず、逃げず、任せる。


 セリアは椅子に座り、真っ直ぐに言った。


「あなた方の転移が、偶発であることは理解しました。ですが、偶発ほど危険なものはない。再現できない現象は、制御できない。制御できない現象は、国家にとって不安定要素です」


 リリアが、ゆっくり首を傾げた。


「だから、奪うの?」

「奪う、という語は……好ましくない。共有し、管理し、被害を防ぐ。そう言い換えることはできる」


 言い換え。リエンが小さく息を吐いた。

 リリアは、怒鳴らない。目を細めて、静かに言う。


「言葉を変えても、町が消えるなら同じ。ここには人がいる。暮らしがある。町内会も、学校も、食堂も。全部、誰かの“毎日”なのよ」


 セリアは一瞬、目を伏せた。伏せたということは、言葉が届いている。


「あなたたちの“毎日”は尊い。だからこそ、守るために」


「守るなら、守り方を一緒に作ればいい。管理する人だけが強くなって、管理される側が消えるのは、守ったことにならない」


 リリアの言葉には、魔界で生きた人の重さと、町内会で学んだ生活者の温度が混ざっている。


 セリアは、少しだけ困ったように笑った。


「……あなたは、想像以上に“人間の町”に馴染んでいる」

「馴染むのが強いって、ひまわり市が教えてくれたの」


 そこで、セリアは視線をリエンに向けた。


「転移管理省の監査官。あなたも、この町を“観測保留”にした。なぜ」

「現場を見たから。現場は、紙の上より複雑で、紙の上より尊いことがある」


 リエンの言葉は飾りがない。飾りがないから、余計に重い。


 セリアはコーヒーを一口飲み、静かに言った。


「……私は、上層部の命令を受けている。調査の名目で、核を特定し、次の位相で抽出する計画がある。私は、外交の枠内で止めたい。でも、止まらない可能性が高い」


 勇輝の背筋が、すっと冷える。冷える、というより、覚悟のスイッチが入る感覚だ。


「位相って、さっき言ってた満月のことですか」

「ええ。満月は、空間の結合が弱まる。彼らは、そこを狙う」


 リリアが、ゆっくり息を吐いた。


「……上層部は、奪う気なのね」

「奪う、という語を嫌う人ほど、奪う」


 その小さな皮肉に、セリア自身が少しだけ苦い顔をした。彼女だって、きっと分かっているのだ。


 そして、セリアは言葉を続けた。


「私は、選びたい。国益より、秩序より、目の前の暮らしを。あなたたちが、それを守ると決めるなら、私は協力する」


 応接室の空気が、静かに張りつめた。

 勇輝が目で市長を探しそうになって、踏みとどまる。今ここで決めるのは、現場の責任だ。


 リエンが、短く言った。


「協力の形は」

「内部情報の提供。上層部の計画書。移動経路。術式の構造。できる範囲で、全部」


 リリアが、微かに笑った。


「それ、裏切りって言われるよ」

「言われるでしょうね。でも、裏切りと呼ばれる覚悟がないと、秩序は守れない」


 その言葉は、セリア自身が自分に言い聞かせている言葉でもあった。


◆夜 アルセリア内部通信 月光作戦


 夜。庁舎の外に出ると、上空の都市は、灯りを落としていた。

 落としているのに、完全に暗くならない。都市そのものが、淡い光を含んでいる。


 セリアは、アルセリアの通信端末を手のひらで起動した。

 映像は、半透明の光の板として浮かび、そこに厳格な声が響く。


『座標固定、完了。ひまわり市の転移結合部、月光位相で解離可能』

『外務省の交渉は続けろ。だが、抽出は転送軍が担当する』

『必要なら、地上の抵抗は排除する。秩序維持だ』


 言葉は淡々としている。淡々としているほど、怖い。

 セリアは、映像を見つめたまま、拳を握った。爪が食い込む痛みで、揺れそうな心を固定する。


「……秩序の名で、暮らしを踏む」


 その呟きが、夜風に溶ける前に、彼女は端末を閉じた。

 そして、庁舎の屋上へ向かった。


◆夜 市役所屋上 空に近い場所の相談


 屋上には、すでに勇輝とリリアとリエンがいた。市長も少し遅れて上がってきた。市長は肩に薄い上着を羽織って、空を見上げている。


「さっき、空からの影が少し濃くなった。あれは、準備だろうな」


 市長の声は低い。落ち着いているが、楽観ではない。


 セリアが屋上に姿を見せたとき、誰も驚かなかった。今日は驚きが多すぎて、驚きの感情が節約されている。


 セリアは、手のひらに小さな魔導球を浮かべた。

 それは、紙の束よりずっと軽そうなのに、重い情報を抱えている気配がした。


「これを渡します。転送軍計画書。通称、月光作戦。次の満月の夜、ひまわり市の転移結合部を解離し、核を抽出する。町は……空に引き上げられる可能性が高い」


 美月が屋上のドアを押して遅れてきたところで、その言葉を聞いて、息をのんだ。


「空に……さらわれる、って、ほんとに言葉のままですか」

「言葉のまま。アルセリアは、街を運べる。だから、町を運ぶこともできる」


 勇輝が口を開く。声は震えない。震えないように、現実を数字に変える人の声だ。


「満月はいつですか。日付」

「三日後」

「三日……」


 市長が、短く息を吐いた。


「準備期間としては短い。でも、やるしかない。町は、町の手で守る」


 リリアが、ゆっくりと頷いた。


「今まで、暮らしの中で守ってきた。今日は、それを空に向けるだけ」


 リエンが、計画書を受け取り、目を走らせる。読む速度が速い。必要なところだけ抜き取る。


「術式の構造が分かれば、妨害は可能。問題は、資材と人員」

「資材は、町の得意分野です」


 加奈が屋上に来た。手には、なぜか折りたたみ椅子が二脚。屋上で会議するなら座る場所が必要だと思ったのだろう。こういうところが、ひまわり市の強さだ。


「人員は、役所だけじゃ足りない。消防団、青年団、商店街、学校……町内会も。説明しないと」


 美月が拳を握る。さっきまでの緊張ではなく、決意の握り方だ。


「説明なら、私がやります。怖がらせないように、でも、誤解が出ないように。短く、同じ言葉で、行動を一つに絞る。最近それ、得意になってきましたから」


 勇輝が、思わず笑いそうになって、堪える。


「……頼もしい。じゃあ、俺は、対策案を組む。相手の術式に対して、町のインフラをどう使うか。防災課とも繋ぐ。観光課の人も巻き込む。観光は、こういうときだけは役に立つ。人が動くから」


 市長が頷き、セリアを見た。


「君は、ここまでしてくれる理由があるのか。国に戻れなくなるかもしれない」

「戻れます。戻る場所は、あります。でも、戻ったあとに自分の顔を見たくない。私は、そういう生き方をしたくない」


 その言葉は、強い宣言ではなく、静かな選択だった。

 市長は、深く頭を下げた。


「ありがとう。ひまわり市は、恩を忘れない。いや、忘れないというより、協定にする。記録に残す。そういう町だから」


 セリアが、少しだけ笑った。今日いちばん柔らかい笑いだった。


「……本当に、行政ですね」

「褒め言葉として受け取ります」


 空を見上げると、上空の都市がゆっくりと位置を変えていた。

 まるで、町の上に影を落とす角度を測っているように。


 その影の下で、ひまわり市の屋上は、小さな会議室になっていた。

 小さな会議室だが、ここで決まったことが、三日後の夜の空を変える。


 勇輝は、ホワイトボードの代わりに、屋上の床にチョークで書いた。

 役所の外でチョークを使うのは、避難所訓練で慣れている。


「満月までの行動」


「1 町内説明 2 術式妨害の準備 3 避難導線 4 通信確保 5 最後に、笑顔の確保」


 美月が目を丸くする。


「最後、笑顔ですか」

「笑顔がないと、町は動かない。怖い話ほど、顔が固まる。固まると、間違える。だから、最後は笑顔。これは、ひまわり市の防災」


 リリアが、ふっと鼻で笑って、でも目は真剣だった。


「ずるい。そんなこと言われたら、頑張るしかないじゃない」

「ずるいのは、町の技術です」


 夜風が、少しだけ強くなった。

 その風は冷たくない。むしろ、次の三日間を走るための、合図みたいな風だった。


 こうして、天空国アルセリアの影は、ひまわり市に新しい課題を落とした。

 相手は空を支配する国家。こちらは地上の小さな自治体。

 けれど、守る理由なら、こちらのほうが多い。


 そして、その理由は、いつも通り、暮らしの形をしていた。

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