第12話「月光作戦、防衛開始!」
■――満月の前日。
ひまわり市役所・異世界経済部の会議室には、いつもより多くの椅子が並べられていた。
ホワイトボードには大きくこう書かれている。
月光作戦 対策会議
目標:ひまわり市を“空にさらわせない”
マーカーの字は、美月のものだ。
テーブルの端には、アルセリアからもたらされた魔導球――
「転送軍計画書:月光作戦」のコピー映像が再生されていた。
ひまわり市を転移核ごと、満月の光を利用して“上空から丸ごと引き抜く”計画。
市長が深く息を吐く。
「……というわけで。今度ばかりは、本気で町ごと持っていかれる可能性がある」
勇輝が苦笑混じりに言う。
「いや、笑い事じゃないですよね、これ」
「笑っておかないとやってられんのだよ、こういうときは」
市長の冗談に、室内の空気が少しだけ和らいだ。
リエン監査官が、転移省仕様の端末を軽く叩く。
「アルセリアの“月光作戦”は、法律ギリギリのラインです。
正式な自治体を一方的に転送するのは、転移管理規定的にも真っ黒に近いグレー」
「真っ黒に近いグレーって、もう黒ですよね?」
加奈が思わずツッコミを入れる。
「でも、“誤った情報”が流れていれば、“救済措置だった”という言い逃れもできる」
リエンは淡々と続けた。
「だからこそ――今回は“情報戦”になります」
その言葉に、みんなの視線が自然とひとりの人物に向く。
――美月。
市の広報担当にして、異世界転移後は「ひまわり市広報ギルド」とまで呼ばれるようになった女である。
「……え、わたしですか?」
「広報戦なら、美月さんが主役です」
リリアがにやりと笑った。
「国家が“正しさ”を振りかざしてくるなら、
自治体は“暮らしのリアル”で殴り返すしかないわ」
「言い方が物騒なんですけど!?」
美月は頭を抱えかけたが、すぐに顔を上げた。
ホワイトボードのペンを握り直し、きゅっと口角を上げる。
「……わかりました。
やりましょう。――ひまわり市らしい“防衛広報”を」
ペン先がホワイトボードを走る。
【対抗方針】
1.“ひまわり市の今”を世界に見せる
2.アルセリアの強行作戦を「世論リスク」にする
3.転移省にも“消せない実績”を提示する
勇輝が感心したように頷く。
「やっぱり、美月が一番こわ……頼りになるな」
「いま“怖い”って言いかけましたよね!?」
会議室には、いつものひまわり市らしい笑いが戻り始めていた。
■ “広報本部”始動
満月当日、午後。
市役所三階の会議室は、その日だけ「広報対策本部」に模様替えされていた。
壁にはモニターが並び、市内外から送られてくる映像や投稿がリアルタイムで映し出されている。
机の上にはノートPCと魔導端末、そして大量の付箋。
美月は椅子に座る余裕もなく、立ちっぱなしで指示を飛ばしていた。
「スライム消防団には、“上空からの定点映像”をお願いします!
リエンさんの端末とリンクさせて、アルセリアの動き、本部にも共有したいです!」
窓の外では、ぷるぷるした青いスライムたちが、小型浮遊板の上で跳ねていた。
板の先には小さな水晶カメラが取り付けられ、空撮ドローン代わりに市内を旋回している。
「動画、来ました!」
若手職員が叫ぶ。画面には、夜に備えて準備を進めるひまわり市の様子が映っていた。
商店街では、店主たちが「もしもの停電」に備えてランタンを並べている。
温泉街では、避難訓練も兼ねて子どもたちが集まり、ドラゴン温泉隊の巨大な背中にまたがっている。
「ドラゴン温泉隊からも連絡入りましたー!」
加奈が紙を掲げる。
「夜になったら、上空に“湯気カーテン”を張れるそうです!
『攻撃はできんが、視界は全力で妨害しよう』って」
「最高の防衛線じゃない」
リリアが満足そうに頷く。
「空から見たとき、“何がどこにあるかよくわからない町”って、軍事的には最悪よ」
「でも下から見たら、ただの幻想的な温泉街ですよね……」
勇輝のぼやきに、美月が笑った。
「それが一番いいんですよ。
“戦場”じゃなくて、“まちの夜景”として記録されるなら」
美月はキーボードを叩き始めた。
――『#ひまわり市の夜を守りたい』
――『#ここには暮らしがある』
人間界SNS、異界魔導ネット、王国の掲示板、魔王領の広報ギルドチャンネル。
あらゆるネットワークに、ひまわり市公式アカウントからの投稿が一斉に流れ始める。
投稿文には、自治体らしい淡々とした言葉が並んでいた。
『本日、天空国アルセリアによる“転移調査”が予定されています。
しかし、ここには人が暮らし、子どもたちが笑い、
異界からの来訪者が肩を並べて温泉に浸かる日常があります。
私たちは、ここを“サンプル”ではなく“ふるさと”として守りたい。』
最後に、美月は一文を付け足した。
『――どうか、この町の“今”を見てください。』
■アルセリア側の動き
同じ頃、雲より高い空。
天空国アルセリアの転送軍艦隊は、月光を受けて静かに輝いていた。
艦橋には、軍装に身を包んだ指揮官たちが並び、巨大な魔導ホログラムにひまわり市の地図が映し出されている。
「転移座標、固定完了。
月光強度、予定値に到達まであと一時間」
「外務省との連携は?」
「表向き、“調査目的”ということで通しています。
世論は……多少ざわめいていますが、許容範囲内かと」
報告を聞きながら、若い技術士官が別モニターを見て眉をひそめる。
「……司令。これを」
映し出されたのは、ひまわり市の公式広報アカウントの投稿だった。
湯気の上がる温泉街、スライム消防団の訓練風景、ドラゴンの背中で笑う子どもたち。
そして、その上に重ねられた文字。
『ここには暮らしがある。』
司令の表情が、わずかに固くなる。
「プロパガンダか?」
「いえ……どちらかというと、“ただの広報”ですね。
しかし、各界のネットワークで拡散速度が上昇しています」
天界報道、魔界ニュース、王国の情報板。
ひまわり市の投稿は、あっという間にあちこちのタイムラインに流れ込んでいた。
そこに、セリアからの通信が割り込む。
『転送軍司令部へ。外務省・技術連携局のセリアです』
「どうした、セリア殿。
今は作戦実行前の――」
『“実験場”にするには、少し“目立ちすぎる町”になりましたね』
静かな声だったが、その裏にある意図は明らかだった。
『――このまま強行すれば、アルセリアは
“自治体一つを消した国家”として歴史に刻まれます』
艦橋の空気が重くなる。
「情緒的な問題を優先するわけにはいかん」
『情緒ではありません。
転移省の監査報告書、すでに草案が出ていますよ?』
セリアは、さらりと言った。
『“異界融合観測指定都市・ひまわり市”。
――正式な観測対象です。
ここを一方的に“修正”した場合、国際転移管理条約への違反が確定します』
「……そんなものが、いつの間に」
『現場判断です。自治体と違って、中央官庁もたまには仕事をしますので』
皮肉とも冗談ともつかない言葉。
しかし、その裏でリエンと市長たちが、夜通し文書を整えていたことを、セリアは知っていた。
『繰り返します。
――今、ひまわり市に手を出すのは、愚策です』
艦橋の窓の向こうで、満月が静かに輝いていた。
■“ひまわり市、ライブ中”
一方そのころ、地上のひまわり市。
温泉街のメイン通りには、仮設ステージが組まれていた。
「異界防災・共生モデル都市 ナイトフェス」と書かれた横断幕。
名前だけ聞けばただのイベントである。
ステージには、美月と加奈、そして市長が立っていた。
足元には、魔導カメラとテレビクルーの機材。
「――というわけで、本日は
“ひまわり市の暮らしと防災”を、世界に向けて生中継しております!」
元気よくマイクを握るのは、MC役を任された加奈だ。
いつもの事務モードとは違い、すっかりイベント仕様の声になっている。
「まずは、スライム消防団の皆さんです!
異界転移後、本市で結成された“ぷるぷるの防災ヒーロー”!」
通りの端から、ちいさなスライムたちが列を作って登場した。
先頭のスライムは、胸(?)に「団長」と書かれたバッジをつけている。
美月が笑顔で解説する。
「スライム消防団は、下水道の浄化と、
万が一の火災時に“延焼防止の水膜”を張る役割を担っています。
――はい、今ちょうど、上空のカメラに向かって手(?)を振ってくれましたね」
『かわいい』『これ本物?』『飼いたい』
コメント欄が一気に流れ始める。
「続いて――ドラゴン温泉隊!」
掛け声とともに、坂の上から大きな影が降りてきた。
かつて露天風呂を占拠していた赤鱗のドラゴンと、その仲間たちだ。
背中には、市民や観光客が乗っている。
市長がマイクを受け取り、ゆっくり言葉を紡いだ。
「彼らは、普段は“温泉加熱担当”として、
地熱の循環を調整してくれています。
災害時には、子どもや高齢者の“避難輸送隊”としても協力してくれる、
――この町の、頼れる“ご近所さん”です」
ドラゴンが、カメラに向かって大きく翼を広げる。
湯気とともに、虹色の霧が夜空に広がった。
その光景は、そのままアルセリアのモニターにも映し出されていた。
青年技術士官がぽつりとこぼす。
「……これ、本当に“実験場”にするんですか、司令」
誰も、すぐには答えなかった。
■クライマックス ――月光と、投稿と
深夜零時。
満月が、ひまわり市の上に真円を描く。
転送軍艦隊では、魔導陣が淡く光り始めていた。
「転移陣、起動まで――三十分」
そのときだった。
外部モニター用のチャネルに、異常な量の通信要求が殺到し始める。
「なにごとだ?」
「全世界の報道局と、王国の議会回線、天界の監査室――
……転移省本部も、同時にアクセスを求めています!」
画面が切り替わる。
そこには、ひまわり市の配信と、それを見ながら議論する各国・各界の様子が映っていた。
『ひまわり市を消すのか?』
『あそこ、うちのスライム職員の研修先なんだけど』
『観光地まるごと持っていくとか、イメージ最悪では?』
『ドラゴン避難輸送、めっちゃいい仕組みじゃん』
天界の監査官が、静かな声で言う。
『アルセリア。
既に“異界防災モデル都市”として、ひまわり市の事例を参考にすることが決定している。
ここを消すことは、我々としても看過できない』
転移省本部からも、短いが重い一文が届く。
『自治体ひとつを、事前協議なく“修正”した場合、
条約違反として正式な審議対象とする』
艦橋の空気が、一気に変わった。
その頃、地上の広報本部では――。
「……来た」
美月が、画面に浮かぶ通知を見て、小さく息を吐いた。
ひまわり市の公式投稿には、
各界の公的アカウントからも“いいね”とシェアがついている。
王国、魔王領、妖精界、ドワーフ連合。
そして――天空国アルセリア外務省技術連携局。
「……セリアさん」
美月は画面越しに、その名前を見つめた。
■転送軍の決断
「司令。
状況は、“作戦継続”より“撤退”の方が、
国家としてのダメージが少ないと判断されます」
セリアの声は冷静だった。
だが、その目にはわずかな安堵の色も浮かんでいる。
「……我々は、ここまで準備してきたのだぞ」
「ええ。
ですが――“転移技術”を完成させることと、
“他者の暮らしを踏みにじること”は、別の問題です」
艦橋に沈黙が落ちる。
満月の光が、窓の外を白く照らした。
やがて、司令が椅子から立ち上がる。
「――月光作戦、全艦に通達。
ひまわり市に対する転移処理を中止。
観測モードに切り替え、全映像を記録。
……これは、“実験場”ではなく、
“自治体としての異界モデル”として扱う。以上だ」
号令が飛ぶ。
魔導陣の光が、一つ、また一つと消えていく。
その光景を見ながら、セリアは小さくつぶやいた。
「――勝ちましたね、美月さん」
■アルセリアからの“お詫び”
翌日。
ひまわり市役所・前庭。
青空の下、簡易ステージが組まれていた。
市民と異界からの来客が集まり、小さな式典が始まろうとしている。
壇上には、市長と勇輝、美月。
そして――アルセリアから再び訪れたセリアの姿もあった。
セリアは一礼すると、マイクを取った。
「天空国アルセリアを代表して、まずお詫びを申し上げます。
我々は、この町の転移を“現象”としてしか見ていませんでした」
彼女の声は、前より少しだけ柔らかい。
「しかし、ここには――
ドラゴンと人間が一緒に温泉を守り、
スライムたちが下水を浄化し、
魔族も天界人も、同じ祭りで焼きそばを奪い合う暮らしがある」
会場から笑いが起きた。
「ひまわり市は、
“転移事故のサンプル”ではなく、“未来のモデルケース”です。
それを見誤ったことを、心からお詫びします」
彼女はそう言って、ひとつの書類を掲げた。
『天空国アルセリア と ひまわり市との間の
異界共生・観光技術連携に関する覚書』
セリアは、市長の方に向き直る。
「今後、アルセリアは“上から町をさらう国家”ではなく、
“下から学びに来る隣人”として、貴市と向き合いたいと考えています」
市長が受け取った覚書に、静かにサインを入れる。
ペン先の音が、やけに大きく響いた。
「――こちらこそ。
空からのお客様も、ちゃんと“観光入湯税”を納めていただけるなら、大歓迎です」
会場がどっと沸いた。
■美月の“表彰”
式典の最後。
市長は、胸ポケットから封筒を取り出した。
「最後に、市長として、ひとりの職員に感謝を伝えたい」
その場にいる全員の視線が、自然と美月に集まる。
「今回の件――ひまわり市が消えずに済んだのは、
法でも、武力でもなく、“広報”のおかげだ」
市長は照れたように笑った。
「世界中に向かって、
『ここには暮らしがある』と叫んでくれた人がいる。
そのおかげで、転移省もアルセリアも、我々を“無視できなく”なった」
封筒から取り出されたのは、一枚の感謝状だった。
『ひまわり市役所 異世界経済部・広報担当
美月 殿
あなたは広報を通じて本市の“日常”を世界に示し、
町の存続に多大な貢献をされました。
その功績をたたえ、ここに深く感謝の意を表します。』
読み上げられていく文面に、美月の耳まで真っ赤になる。
「ちょっ……こんなの、聞いてないんですけど……」
「サプライズ企画だからな」
勇輝が横で笑った。
「……ひまわり市を守った“武器”が、紙とペンと投稿ボタンってのは、
悪くないオチだと思うよ」
「かっこよく言っても、睡眠不足でクマ作ってた人ですからね、わたし」
「そのクマも、功績の一部だ」
リリアが肩をすくめた。
「誇っていいわよ、“広報ギルド長”」
「やめてください、その呼び方広まりそうだから!」
会場から、自然と拍手が沸き起こる。
スライム消防団がぷるぷる震え、ドラゴン温泉隊が空に小さな炎を吹き上げた。
――満月の夜を越えたひまわり市は、
今日も、少し騒がしくて、でもどこか温かい“日常”を取り戻していた。
「こうして、“月光作戦”は歴史の片隅に
『国家が自治体の広報に負けた夜』として刻まれることになった。
ひまわり市の戦いは――
やっぱり今日も、“暮らし”と“笑い”の延長線上にある。」
次回予告(第13話)
「異界の通貨と、税金問題!?」
異世界と現代円の為替レートを巡って、勇輝たちが大混乱!
“税務署 vs 魔導商人”の経済バトルが幕を開ける!




