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第76話

その翌日から、インナは少しずつ変わっていった。

最初は、図書室で本を探す時間が増えただけだった。

降霊術の書を直接開くことはせず、

関連しそうな神話や、魂に関する注釈、

古代ヌビトと他文明の死生観の違いを、つまみ食いするように読む。

知識として理解しているだけーーそう、自分に言い聞かせながら。

夜になると、あの本を引き出しから取り出し、

冥印ネクティル・フォルマのページを眺める。

描かない、ただ、形を覚えるだけ。

円の数や線の間隔、中心に残された空白、書かれた古代文字らきしもの。

何度も見ているうちに、不思議と「難しい」とは思わなくなっていた。

「そもそも……なんで、この城にこんな本が置いてあったのかしら?」

インナは、ふと疑問を覚えた。

城に収められている書物の大半は、

王族として生きるためのものだ。

礼式の作法、外交文書の読み方、

祝宴の献立例、保存食の管理法、

季節ごとの薬草の扱い方や、侍女への指示の出し方。

あとは、子ども向けの童話や、

徳を説く寓話集が少しあるくらい。

――どれも、“正しく生きるため”の本。

それに比べて、 降霊術について記されたこの書は、あまりにも異質だ。

まるで、最初からここにあるべきではなかったものが、忘れ去られたまま残されているような。

ある日の夜、インナは蝋燭に火を灯した。

儀式ではない、ただ、部屋の明かりとして。

揺れる炎を、ぼんやりと見つめていると、

空気が、わずかに冷たくなる。

「……風?」

窓は閉まっているのに、首元をなぞるような寒気がふっと通り過ぎた。

怖くはない、むしろ――(……誰か、いる?)そんな気がした。

視線を巡らせても、部屋は静かなままだ。

宝石箱も、ドレスも、いつも通りの位置にある。

それなのに、“見られている”という、不確かな感覚。

さらに日が経つ。

インナは、机の隅に置いた紙の端に、

ごく小さく、ネクティルフォルマの一部を描く。

円をひとつ、線を一本。

それだけのはずだった。

「……っ」

胸の奥が、きゅっと締めつけられ、息が一瞬だけ詰まった。

慌てて手を止め、紙から指を離す。

光も、音も、変化もない――なのに

描いたはずのない続きを、“知っている”気がした。

次に引くべき線、円の内側に置くべき印。

それは、ひらめきではない。

思い出そうとしていないのに、最初から知っていたかのような確信だった。

「……おかしい」

そう呟き、紙を裏返す。

数日後、午後の稽古を終え、廊下を歩いていたときのことだ。

曲がり角の向こうから、ひそひそとした声が聞こえてくる。

「……ねえ、知ってる?」

「声、落としなさいよ……ここ、よく人が通るんだから」

召使たちの声だ。

インナは、そのまま通り過ぎるつもりだった。

だが、次に聞こえてきた言葉に足が、ふと止まる。

気づけば柱の陰に身を寄せ、

回廊の角から、そっと耳を澄ませていた。

盗み聞きするつもりはなかった。

ただ――聞こえてしまったのだ。

「……百二十年くらい前の女王様の話よ」

「ほら、あの……“ゴースト・クイーン”って呼ばれてた方」

その名に、胸が小さく鳴った。

「公式には病で亡くなったってことになってるけど……

実際は、遺体が見つからなかったんですって」

「城の中で、忽然と姿を消した、って……」

「死者と語り、夜ごと城を歩いていた、なんて話もあるわ」

「だから、今でも夜の城には――」

「……やめときましょ。

こういう話、口にするだけで縁起が悪いわ」

「そうね。 どうせ、昔の噂よ」

声は自然と小さくなり、

それぞれ別の用事を思い出したように、足音が離れていく。

廊下には、静寂だけが残った。

インナは、壁の影に身を寄せたまま、しばらく動けずにいた。

(何?あの話。 お父様の口からもそんな話は聞いたことがないわ?)

引き続き召使たちの話に聞き耳を立てる。

百二十年前、城から、忽然と姿を消した女王。

――ゴースト・クイーン。

(……エルアレイ)

その名に、覚えがあった。

はっきりとした記憶ではない。

歴史の授業で、ほんの一言、

「在位期間の短い女王」として触れられた気がする――それだけ。

確か、そのあとすぐに、別の女王が即位した。

理由も経緯も、詳しくは語られなかった。

王族の系譜では、そういう“空白”は珍しくない。

インナ自身、深く疑問に思ったことはなかった。

……今日までは。

(王族として学ぶ歴史の中に、

“消えた女王”なんて話は、なかったのに)

胸の奥がざわつく。

(そっか!その人が……

この城で、あの降霊術の本を……?!)

点と点が、ゆっくりと、結びついていく。

「……ゴースト・クイーン、エルアレイ」

小さく名を口にすると、

その響きは、不思議なほど自然に馴染んだ。

(どうして、消えたんだろう)

(何を、知ってしまったんだろう)

そして、もうひとつ。

(……この城に閉じ込められていた、という意味では)

胸の奥で、自分と彼女が、かすかに重なる。


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