第59話「脱出ゲーム Lv99」
まずは、この地下室からどう出るかだ――。
閉ざされた空間の中央にあぐらをかき、鎮座するミイラ男の周りには、
まるで食後の皿のように、読み古された本が雑然と置かれている。
古代文明やミイラの埋葬技術についての書物は、すでに何度もページをめくられていた。
もともと読書が好きだったわけではない。
ただ、他にやることがないから読んでいるだけだ。
だがそのおかげで、いい具合に精神が疲労し、眠気がやってきてくれる。
こんな閉じられた空間で、「寝る」という"暇つぶし"すら許されず、24時間ずっと置きっぱなしだったら、
気が狂って、自分の乾いた身体をバラバラにしかねない。
アンデッドにも睡眠の仕様があってよかった、と、
この数日ばかりはとみに思う。とはいえ適度に疲れないと眠ることができないので、脱出方を考えたり本を読んだりというのは半ば強制的でもある。
「うーン……この岩サえどかせレば、楽ニ出れルのダが。サすがニ、包帯で巻きつけてひっパるなドも考エたが、入口全体を覆ってるもノなノで、巻きつケらレないナ。仮に巻きつケたとシて、俺ノ力ジャ無理そうダし...」
すでに何度も試してはいるが、入口をふさぐ巨岩は、どうやっても動かせるサイズではない。
それはゴンギも同じようで、杖から召喚した霊体を憑依して動かすとかなんとか言っていたハズだ。
奴のネクロマンサートークは、自分に関係のある部分以外は適当に聞き流していたのが悔やまれる。
あの岩が簡単に動かせるようであれば、そもそも入口としての意味をなさないわけで。
……ゴロウスのような大男なら、アレを押しのけることができるのかもしれない。
ふと、あの広い背中を思い出す。
ここに居るのはヒョロガリどころか――その言葉すら対比にすらならないレベルの、
ほとんど骸骨なミイラ男。
「となルと、あトはアレか。天井部分のガラスを破るしカナい。」
もし、あのガラスを割ることができれば――あるいは……。
だが、何でどうやって?
武器も鈍器もない。
せいぜい、マンガの単行本くらいの厚さの本があるだけだ。
それを何度も投げつけて砕く? 現実的じゃないし、そもそも本にそんな仕打ちをするのは気が引ける。
中身はミイラとか古代の遺物の話で、めちゃくちゃ興味深い。
何度も読んで愛着もある。なんなら、ゴンギ探しの旅をする時も持って歩きたい。雑には扱いたくない。
ちなみに、あれからさらに数日が過ぎている。
「ゴンギがそのうち戻ってくるだろう」という楽観的な選択肢は、彼の中からはほぼ完全に消えた。
「急にガラスがパリーンと割れてくレタり……そう、こウ……不思議魔法現象的なアレで。そレか、急にビッグラットの親玉が、シチューの残った匂いヲかぎツけてヤってきテ、突進しテ岩ヲどかしてクれルとか...」
……精神がすり減りすぎて、まともな思考回路が死んでる。
突飛すぎる希望的観測。
「さすガにナメすぎか。じゃア……あれだ、あソコに見える木が倒れてキて……」
視界の先――分厚いガラス窓の向こう、一本の奇妙な木があった。
幹が不自然に湾曲し、どこか歪んだ関節のようにも見える。
あの木に雷でも落ちて、倒れてきて、地下室のガラスを割ってくれるとか。
どれだけの確率だよ。天文学的ってレベルじゃない。
今回ばかりは、ファラオに宿る古代の呪いですら、どうにもならない。
これがまだ「クジラの胃の中」だったら、ワンチャン脱出の希望があっただろう。
クジラがミイラ男を捕食して少しでも消化液をかけた時点で、おそらくは"攻撃判定"となり、クジラは死ぬ。そうしたら、やがてその死骸は別の生物に食べられたりでなんなりで朽ちて、出られるというわけだ。待てば解決する。
それか自分の肉体が消化液で消滅すればまた棺のある場所にリスポーンできるので、楽だろう。
常識的には「消化される」より、密室に閉じ込められる今の方がマシってことになるんだろうけど……俺は逆だ。
結局、どうしようもない現実が嫌になって、
床に大の字になった。――音がしないのは軽すぎるからだ――
「どうしタもノかネ...ハぁ。強クなる事にナど、興味が沸かなカッたが、あいツらのヨウな魔法とか、怪力とカが、俺にも欲シくなルよナぁ。」
ゴロウスやザンギリのような怪力、ユーキのような魔法、リブキのような剣技、シグのような野生、ゴンギのような死霊術。ミイラ男にもどれか一つでもあれば、この盤面をひっくり返せたかもしれない。
自分にも古代の呪いがあるが、それは今は何の役にもたたない。無いものねだりではあるのだろう。
しかし堂々巡りの思考。繰り返しても結論は出ない。地下室という名の石の棺に閉じ込められ、もはや限界なのだ。
ファラオだ、アンデッドだと言っても、中身は人間の魂。
「でモアの角度、重さがかかレば……いヤ、無理カ。デも、他ニ俺ガできルことナんテ無いシな」
たとえば、雷が落ちるでもなく、誰かがぶら下がるような負荷がかかれば――
木は、そのカーブの付け根からポキリと折れ、もしかしたらガラスの天窓に直撃するかもしれない。
――かもしれない。
希望というにはあまりにも頼りなく、根拠は夢にも満たない。
「だめダな、これモ無理か」
外に誰かがいる気配もない。仮にいたとして、声は届かないだろう。
身振り手振りで説明しようにも、この距離では何の意味もない。
――と、そのときだった。
「あレ?」
脳が乾いた軋みとともに、ふと停止する。まるで何かにぶつかったかのように、思考が真っ白になった。
「これ、ひょっとシて……?」
はっとした次の瞬間、ガバッと上半身を跳ね起こした。もはや芝居じみた過剰な動きで、むっくりと起き上がる。
そして、ガラスの向こう――あの木の方向へと、ゆっくりと左手を伸ばした。
その手には、時の砂に埋もれていたはずの古代の遺物。あの腕輪に埋め込まれた“力”が眠っている。
シュルル……
ガラス扉を隔てていても、包帯はまるで意思を持つかのように、静かに空を裂いて伸びていく。
その先端は滑るように枝へと巻きつき、ピタリと固定された。
「おおオオお!!!!!」
思わず歓声を上げた。乾いた喉から漏れた声が、地下の密室に反響する。
両足で踏ん張り、両腕を構え――引く。
その瞬間、地上の枝がぐいん、としなった。
もちろん包帯がガラスを物理的に貫いたわけではない。
先端は明らかに――ガラスの外に存在している。
伸びた包帯の先は、半透明から透明に透けゆき、揺らぎながらも、確かに左腕の遺物とつながっていた。
紐を直接手に取って引っ張るには、この朽ちた身体では力が足りない。だが、「引っ張る」という"姿勢"さえ取れば、包帯はそれに応じてくれる。
彼は試した。
この意志が形をなす道具で、朝が来れば、陽が落ちるまで。
何度も、何度も包帯を射出し、引き、戻し、そしてまた伸ばす。
アンデッドらしく、飲まず食わずで続けた。
そんな日々が、何日か過ぎた頃。
メキイ!
ガラス越しにも聞こえる鈍い音が、地下室の中へ響いた。




