第50話「崖っぷちャーズ・アッセンブル!」
轟音に負けじと、ゴロウスが地を裂くような咆哮を上げた。
その巨腕が持つ斧が、岩をも断ち割る勢いで振り上げられ、地面に突き刺さる。
刹那、足元の大地がうねり、地鳴りが響いた。
蓄えた力で掘り起こされた巨大な岩塊が、まるで弾丸のように空を裂き、ベヒーモスの顔面めがけて飛ぶ。
ドゴォン!
地が震え、あたりに土煙が舞い上がった。
「やったか!?」とゴンギが叫ぶが、ゴロウスは一瞥すら寄越さず、岩を砕いた煙の向こうを睨み続ける。
わかっているのだ。あの程度で終わる相手ではないことを。
土煙が薄れ、ベヒーモスの禍々しい顔が現れる。
剥き出しの牙が光り、蒼緑の目がギラリと輝き、傷ひとつ負ったようには見えなかった。
「挨拶代わりだぜ。」
ゴロウスは淡々と呟き、次の動きを見据える。
その土煙の中を、リブキが疾風のように駆け抜ける。
剣先に青白い稲光を宿し、飛び上がると同時にベヒーモスの顔面を狙って突き立てる。
「雷鳴剣!」
バジュウウウ!!
剣先から雷が弾け、ベヒーモスの皮膚に火花を散らせる。
だがその巨獣は、首をひねり、剣先を受け流すかのように回避した。
「……くっ。」
リブキの眉がわずかに歪む。鋭い一撃ですら、皮膚の表面をかすめただけだった。
「アイス・スピアー!」
今度はユーキの番だ。杖を掲げると、宙に無数の氷の槍が現れ、一斉にベヒーモスの側頭部へと飛ぶ。
——ドドドッ、と氷の雨が襲いかかるが、ベヒーモスの牙がまるで意志を持つように跳ね返し、砕け散った。
「……ダメか。」
ユーキの呟きが平原に溶ける。
しかし、攻撃は止まらない。
「おおおぉぉぉおおお!」
ザンギリが、かつて俺を叩き割ったあの戦斧で右前脚に斬りかかる。
ブシュウ! とわずかに切れ込みが入ったが、出血はない。
その瞬間、苛立ったベヒーモスが脚を振り払う。
「ぐわっ!」
ザンギリの巨体が軽々と吹き飛ばされ、草地を削って転がった。
「いでよ」
低く、地を這うようなゴンギの声が、霧の中に響いた。
杖の先から、黒い霧がどろりと溢れ出し、地面に広がっていく。
――ヒュウウウゥ……
闇が大地を駆け抜けたかと思うと、そこから、半透明の影が二体、ぬうっと現れた。
人の形をしてはいるが、輪郭は溶けるようにぼやけ、顔も感情のない仮面のようで、悪意の詰まった壺のようだ。
それが二体、黒く不気味な霊体がーー無言でゴンギの背後に浮かび上がる。
「上級悪霊……」
ゴンギがぼそりと呟き、指を鳴らすと、今度はおまけのようにーー俺も見慣れた、あの小さなプチゴーストたちが次々とポコポコ出現した。
重々しく、威圧的なダークスペクターの二体とは対照的に、プチゴーストたちは風船のように軽やかにふよふよ飛び回る。
「……遊びじゃないぞ」
ゴンギがぼやくものの、プチゴーストたちはベヒーモスの巨大な鼻先で輪を描いたり、くるくると回転したりして好き勝手に飛び回る。
その光景に、ベヒーモスの青緑の瞳が、苛立ちに燃えるようにギラリと閃いた。
次の瞬間、ダークスペクターたちが無言のまま、ふわりと宙を漂いながらその視界に割り込み、狙いを定める。
「……撃て」
ゴンギの命令もいらぬ、とばかりに、二体の影が一斉に頭部めがけて冥力の弾丸――冥弾――を連射し、轟音が響く。
――ドガァァン! ドゴォォォン!
黒い閃光が弾けるたび、ベヒーモスの巨躯が少しだけのけぞり、歪に生えた角のひとつが弾け飛び、破片が青白い軌跡を描いて宙に散った。
冥弾の残滓が煙のように空を裂き、黒い影の砲火は、獣の巨体に確かな亀裂を刻んでいく。
巨大な魔獣と、無貌の亡霊がぶつかり合うその光景は、まるで地獄の序章。
そして次は、ゴロウスの番だった。
全身の筋肉を軋ませながら、渾身の力で斧を振り上げる。
その視線は、ただの獣狩りではない。10年かけて積み上げた因縁を、この一撃に込めるためのものだ。
「ぬぅぅおおおおッッ!」
裂けるような叫びとともに、巨斧がベヒーモスの顎と頬の間、わずかに露出した肉の間隙を正確に叩き斬る。
ブシュウッ!
岩のような皮膚が裂け、血飛沫が舞った。
ほんの僅か、だが確かに――人の力が、伝説の災厄に血を流させたのだ。
だが、それで終わるはずがない。
怒りに燃えたベヒーモスが、獣じみた咆哮をあげ、顎を振り上げる。
巨大な牙が、雷鳴のごとくうなりを立ててゴロウスを貫こうと迫った。
その瞬間、ゴロウスの表情が変わった。
「読んでるぜ……ッ!」
力強く地を蹴り、足裏で草地をえぐるようにして、華麗に後方へ飛ぶ。
ベヒーモスの牙がほんの数センチ前で空を裂き、代わりに大地が深くえぐられる。
地に残った爪先のわずかな踏み跡だけが、そこにいた証だった。
10年もの間、幾度も頭の中でシミュレーションした動き。
あの牙がどこに来るかも、どれだけ速いかも、何度も夢に見て、そして何度も避ける練習をしてきた。
背後に着地したゴロウスは、なおもベヒーモスの蒼緑の眼を睨み据えたまま、血に濡れた斧を構え直し、吐き捨てる。
「……いい顔になったじゃねえか。まだまだ、終わらせねえぞ。」
その声には、積み重ねた執念と誇り、そして次の一撃への意志が宿っていた。
——そして、その時、リブキが静かに姿を消した。
ゴロウスの後ろの茂みから、彼女は音もなく現れる。
まるで霧に溶ける影のように。
その瞳は鋭く、そして深い怒りに燃えていた。
悔しさと無力感の記憶が、今も剣を握る手を強張らせる。
狙うは、ゴロウスが傷をつけた、その一点。
あの傷口に、全ての怒りと祈りを込める。
剣が氷の霊気をまとい、霧の中で青く輝く。
その刃先は、彼女の因縁そのものだった。
「……氷攻剣!」
ズバアァァァァ!!
刃がベヒーモスの頬を切り裂き、ピキィイイイン、と空気が裂ける音と共に血が氷結する。
白い霧の中で、赤黒い血が一瞬にして蒼い氷柱へと変わり、巨体が震える。
その青緑の目が、爛々と怒りに燃える。
そして、あの巨獣が、この世のものとも思えぬ悲鳴を上げた。
ギャアァァァアオオオオオオオオ……!!
その声に、渓谷が、森が、大地が震え、鳥や獣たちが一斉に飛び立つ。
リブキは、剣を振り抜いたまま低く構え、鋭い視線で巨獣を睨み据えた。
「これが、私たちの、誇りだ……!」
——青い剣先が、なおも冷たい光を放ちながら、次の一撃を待つ。
「……すゲえ」
ミイラ男は思わず声に出してしまった。感嘆、としか言いようがない。
こいつら、本気だ。
古代の呪物がいようがいまいが関係ない。
自分の命なんざ最初から勘定に入れてねえ顔で、ただこの化け物を討つために剣を振るい、叫び、傷を刻む。
俺に頼るどころか、全員が自分の持ち場を全うしていた。
あの連携、あの殺気、そして絶望に屈しない意志。
痛みにのたうつベヒーモスが、ついに歩みを止めた。
地を割るような足音が一度、二度、そして止む。
首をブンブンと振り、牙を剥き出しにし、
ゴロウスを睨み、リブキを睨み、
そして周囲を走り回るシチューまでをも睨みつける。
……その目だ。
俺達を、確かに「敵」として認めた目だ。
風の止んだ大地に、そんな空気が重く張り詰める。
「……くるぞ」
ゴロウスの声が低く響く。
「うん」
ユーキも、瞳の奥に冷たい光を宿し、杖を強く握る。
ザンギリもすでに体勢を立て直し、斧を構え、息を整えている。
全員の視線が、青く燃えるその目に集中していた。
ーーあの、俺は?
作戦だと、一応俺が前線に出て呪いで仕留める、みたいな流れだったよな……?
でも、なんかこう……見てると、みんなすげえ真剣だし。
もう全員が命張る気満々で、目なんかギラついてるし。
俺もやる気がないわけじゃないんだ。ないんだけど……
数千年も年上の、偉大なる先輩として、ここはこう……若手に譲るのも大切じゃねえか?
俺ばっかり目立つのもよくないし。チームプレイって大事だしな。
うん、そうだ。
これは決してビビってるとかじゃない。譲ってるんだ。優しさなんだ。
だから一歩後ろに……いや、二歩くらい下がっとこうかな。




