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第49話「メナス様、どうかご加護を──俺はまだ死にたくない」


俺たちを、重く冷たい緊張と沈黙が包んでいた。

ベヒーモスもあくまで生物であり、そしてほとんど災害のような存在だ。

現代の電車みたいに、何時何分に到着します、なんて律儀なやつじゃない。

予定より早く現れるかもしれないし、気まぐれに夜まで遅れるかもしれない。

リブキたちは、それでも戦う覚悟だ。氷のように鋭い視線が、辺りを見据える。


一同――シチュー以外は、目に見えてピリついていた。

深い霧が渓谷を覆い、獣の遠吠えや鳥の羽ばたきがやけに近く聞こえる。

自然の音ですら、今は脅威に聞こえるから不思議だ。


ユーキは数十分ごとに「魔時計」とかいう魔道具をチラチラ確認しては、握った杖の節々を白くしている。

ザンギリは戦斧――あの、かつて俺を真っ二つにしたやつ――で薪を調達してきて、

ユーキが炎の魔法で篝火にした。ぱちぱちと火花が上がるが、それすら緊張感の中では騒がしく感じる。


リブキは無言で、剣の柄に手を添えたまま何度も戦いのシミュレーションをしている。

ベヒーモスの前脚が振り下ろされたらこう躱して、顔面に飛び込み、魔眼を突く。

もし視界を奪えたら、そこからユーキが魔法をぶち込む……そんな手順が、彼女の頭の中で組み上がっているのだろう。


ザンギリとゴロウスは、誘導役だ。

あの巨体で、目の前をドタバタ走り回り、大振りな武器で攻撃して、ベヒーモスの注意を引いてあわよくば道を逸らす算段だ。

ユキミは、回復担当兼、目くらまし要員。いざというときは聖素を用いた発光魔術で、ヤツの視界を焼き切るつもりだ。


ゴンギは、もし周囲にワイバーンや大型獣の死骸でも転がっていれば、それを屍兵にするつもりだったらしいが……

この霧じゃ探しに行くのも危なすぎて、あっさり止められていた。あのゴンギが従うくらいだから、相当危ないのだろう。


討伐できる保証なんて、どこにもない。

リブキたちも、酒場で俺がリヴァイアサンを呪殺した話を聞いてから、かなり手応えは感じているらしいが……

討てれば御の字、無理なら少しでも被害を減らし、ヤツに傷を刻めれば十分。――おそらく、そういう戦いだ。


そういえばユキミは、報酬の話になるときっぱり首を横に振った。

「いらないです」

それだけ言って、こちらを見ずに剣の柄を握りしめた。

……本当に、弟の仇を取りたいのだろう。パーティーを壊滅させた、憎き魔獣への、執念だ。


それぞれの胸の内に、別々の炎が燃えているのが、篝火の揺らめきに映る顔つきからもわかった。


そして――


ズウウン……

木々の向こうから、花火を至近距離でぶっ放されたような、腹の底に響く重低音がした。

俺は思わず背筋を伸ばした。思ったより、早い。


「……来た」

ユキミが、いつもの「~っす」口調を捨て、低く呟いた。霧の向こうをじっと見つめる表情は、真剣そのものだ。

「予定より、早いな……」

普段から細いキツネ眼をさらに細め、霧の先を睨むユーキの横で、リブキは無言のまま剣を構える。

ゴロウスも大斧を握り、今にも地面を砕きそうな勢いで前傾姿勢を取る。


俺? 俺も、一応ポジションにつくよ。

最前線、任されてるからね。……いやもう、生命保険のパンフレットくらい持ってくればよかった。


まるで、映画のボス戦が始まるときのカメラワークそのままに、ズシン、ズシンと足音が重なるたび、周囲の霧がブワァっと晴れる。

一同の意識が、音のほうに一点集中する。


そして、見えた。

おおよそ200メートル先に。


ベヒーモス。


赤黒い皮膚は、干上がった大地のようにひび割れ、無数の剣傷が刻まれ、まだ赤黒く滲んでいる。

額には、岩のように不揃いに生えた複数の角が、ぐねりと空を向いている。

青緑に光る両眼は、人の頭蓋骨よりも大きくて、ただの視線ですら胸が圧迫されるような威圧感だ。

全てを踏み潰すその四本の足は、周囲にある巨岩のさらに倍はあり、地面に食い込むたび、渓谷全体が揺れる。

そして、最も恐ろしいのは――下顎から突き出た、牙。

まるで彫刻刀のように鋭く、青白い魔力がチリチリと走り、見るだけで神経が焼けるようだった。


その全身を覆うのは、ただの皮膚ではない。

無数の赤いイボのようなもの、びっしりとした古傷……おそらく、過去に挑んだ無数の戦士たちが残した爪痕だろう。

だが、それでもヤツは立ち、動き、息づいている。


……にしてもだ。


(いやーーーーー思ったより、カバだな!?)


伝説の魔獣とかいうから、もっとファンタジー寄りにリメイクされたのを想像していたが。

確かに、現代の動物園にあんなヤツがいたら、日本どころか国連案件になるレベルの魔獣なのは間違いない。

でも、よーく輪郭だけ見ると……フォルムがどことなく、カバ。うん、やっぱり、カバ。

「超・極悪仕様のデカいカバ」にしか見えん!

いやいや、ナイル川にもしこんなカバが出たら、エジプト全軍で対処するだろ!?いや全軍でもムリだろ!?


そんなツッコミを胸に抱えたまま、目の前の現実に圧されて足がすくむ。


「征くぞ!」

リブキの鋭い掛け声が空気を裂いた。

「おおおぉおぉおぉぉおお!!」

ゴロウスが大斧を振り上げ、続く。

さらにユーキ、ユキミ、そしてザンギリが斧を構え、草原を駆け出した。


そして――たぶん状況を一番理解していないであろうシチューが、なぜか一番速くて、影のように霧の中を突っ切っていった。


「ま、待っテ待って!」

俺とゴンギは、半拍遅れて走り出す。


目の前にあるのは、「災厄」としか言えない存在。

本当に俺の呪いが通じるのかもわからない、超弩級の……カバ。

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