第47話「スウィン渓谷」
スウィン渓谷 ——
風が抜けるたび、岩壁の高みから細かな砂礫がカラカラと音を立てて崩れ落ち、靄と混ざりあって淡く揺れた。
谷を渡る風は想像以上に冷たく、まるで朝そのものの刃のようだった。
――不思議だな。ミイラのこの身体でも、そういう“空気”の感触を覚えるとは。
毛穴も神経も、とうの昔に死んでいるはずなのに。
もしかすると、こういうものは“心”で感じるものなのかもしれない。
四羽のグリフォンが、一同を乗せた頑丈な輸送カゴを運んでいた。
その羽ばたきは規則正しく、空気を切り裂くたびに、カゴ全体がふわりと上下に揺れる。
遠くの岩壁には、朝日を受けて白く光る鉱石の筋が走っていた。まるで巨大な蛇が岩の中を這っているようだ。
窓代わりの開口部は帆布で覆われ、陽よけも兼ねている。
風に揺れるたび、その隙間から渓谷の深い影が一瞬のぞき、すぐにまた布の向こうへ消えていった。
「オぉ……! すげェなコレ! さすガに、テンションが上がってクるゾ!」
ミイラ男は思わず歓喜の声をあげた。
呪物だの、"ひぃっ!”だのと言われ続け、妙に醜い目で見られることが多かった。
さらに超弩級のカバ――ベヒーモスとの戦いが待っていたのだから、気が進むはずもない。
だが今この瞬間、グリフォンに運ばれ空を行くという、まるで夢のような光景の中にいる。
飛行機だのヘリコプターだのと比べるなんて、まったくの野暮だ。
これはロマンそのものだ。
魔法使いも、騎士も、オークのゾンビまでもが、同じ空を飛んでいる。
異界から来た者なら、この情景に胸が躍らない方がおかしいだろう。
……もっとも、同時に乗っているのがミイラ男というのは、なかなかにシュールだが。
ふと、彼は空っぽの頭――物理的に空洞なその中で、いつものように古代エジプトの記憶を掘り起こした。
そういえば、古代エジプトでは“移動”といえば馬じゃなくて船だった。
ナイル川こそが生命線であり、とりあえず船を漕げばどこへでも行けたという。
立派な帆とオールを備えた木造船が次々と造られ、ピラミッドの横には「王専用の船」まで埋葬されていたらしい。
砂漠を馬で駆けるより、川を船でスイスイ行くのが、当時の流行――そんな時代だったのだ。
「……空飛ぶ船モいイな。オール付きでナ。」
そう呟くミイラ男の包帯が、かすかに風に揺れた。
グリフォンとはまた違う浪漫がある。もしそんな船があったなら、死んでも一度は乗ってみたいものだ。
「ミイラさんは、グリフォンは初めてですか? ヌビトのほうだと、あまり生息していないと聞いたことがあります。」
隣でユーキが声をかける。
彼の話によれば、グリフォン便は冒険者であればギルドが何割か出してくれるので、比較的安くレンタルできるが、一般人には到底手の届かない高級移動手段だという。そんなにホイホイ呼べるものではないのだ。
もっとも今回は、完全にギルド非公式の“黙秘討伐”――当然、費用は全額自己負担。
ゴンギとリブキがすでに一度利用しているし、今回は運ぶ人数も多い。この時点でかなりの出費になっている。
財源は、リブキたちが長年かけて貯めてきた金だった。
本来なら、それはゴンギへの正式な依頼料として渡すつもりだったのだが——
「空飛ぶ屋敷がもらえるのなら、金なんざいらんよ」
と、ゴンギはいつもの涼しい顔で言い放った。
彼もまた、かつて仲間とともに名を馳せた冒険者。
若い後輩たちにまで金の心配をさせるつもりはなかったのだろう。
……あのデフォルトが無表情に見える顔つきにも、ほんのりとそんな優しさを感じたのは、ミイラ男だけじゃなかったハズだ。
谷をわたる風が、身体中に巻かれた包帯をそっとはためかせる。
やがてグリフォンが着地すると、籠の扉が開き、一同が順番に降りていく。
そこは、視界の半分を白く塗り潰すほどの霧に覆われた、ひらけた地だった。
大地はしっとりと湿っていて、石や草が濡れて光り、遠くの岩壁は影の中に沈んでいる。
「ほんとうに、こんなへんぴな場所でいいんでぇ?もう3キロくらい行けば村があるでぇ、追加料金はたいしてかからんでそこまで送るが?」
グリフォン使いが、怪訝そうな顔で振り返る。
「あぁ、問題ない。我々はこの周辺で――キノコの採取に来たのだからな!」
リブキが胸を張って言い放つが、その場の全員が(いやいや)と内心で突っ込んでいた。
ベヒーモスの討伐に来たなどと言えるわけがない故の咄嗟の発言ではあったが、
どう見てもこの人数を乗せ、グリフォン便まで使ってやることではない。
キノコ採りなんかで採算が取れるはずがないのだ。
「ちょ、超レアなライトメガキノコ!! ライトメガキノコを採りにきたんだよ、俺たちは!はは…」
と、ゴロウスが慌てて乗っかる。だがその目は泳ぎ、語るたびにどんどん嘘が深まっていく。
「……そうだ、究極にして不老不死をもたらす伝説の茸。それがライトメガキノコだ」
ゴンギがいつもの落ち着いた調子で補足を入れる。
「ひとつ見つければ二億シヌの価値がある。だが、この辺りは強力な魔獣の棲み処……
故に、大勢で挑む必要がある、というわけだ」
……いや、それも無理がある。
ミイラ男は心の中で静かにそう思った。
(不老不死のキノコなら、売らずに自分で食うだろうよ……)
とはいえ異界出身の彼には、そんなキノコが実在しているのか、真偽はいまいち分からない。
あとでこっそり聞いたところ、ライトメガキノコなるものは、どうやら“ナイルの蜃気楼”級のホラ話だった。
「へぇ……? あまり言いたくはない、冒険者特有の極秘任務ってやつですかい? ま、こっちは詮索しませんよ」
グリフォン使いは苦笑しつつ、訛り言葉のまま、小型の風話水晶をリブキに手渡す。
「帰りの便が必要になったら、これで呼んでくだせぇ。魔力は満タンですので」
受け取ったリブキがうなずくと、馭者は再びカゴに乗り込み、
軽く合図を送る。グリフォンたちは翼を広げ、風を巻き上げながらゆっくりと浮上した。
そして――羽をはためかせながら、あっという間に空の彼方へと消えていった。




