第34話「醜き男。」
彼はブラッデインで生まれ育った、齢三十六の男、シグ。
生まれも育ちも特に波乱はない。だが、ひとつだけ――人目を引くほど残念な容姿をしていた。
生い立ちはこうだ。幼い頃は王都の外れで商人の父と仕立て屋の母に育てられ、
読み書きと計算はそこそこ得意になったが、家業を継ぐほどの器用さはなく、
成人してからは雑用や荷運びで糊口をしのぐ日々だった。
そんな彼は、生まれてこの方、一度も異性と交際したことがない。
理由はただ一つ――その、あまりにも冴えない見た目のせいである。
鼻は押し潰されたように低く、目つきは本人の穏やかな性格とは裏腹に、
常に誰かを睨みつけているかのような険しさを帯びていた。
頭頂部はすっかり寂しく、腹は年々重力に逆らえず前へとせり出す。
加えて声は、まるで洞窟で唸るトロールのような重く低い響き――
耳にした者を思わず一歩後ずさりさせるほどだ。
とはいえ、彼なりに努力はしてきた。
帽子で薄くなった頭頂部を隠し、食事を制限して腹を引っ込め、
肌にはスライムの体液から作られた安価な化粧水を塗ったりもした。
でも結果は変わらない。
異性へ思いを伝えては、顔を引きつらせながら拒絶される――
そんなやり取りを繰り返すうち、彼の胸には「この顔さえ変えられれば」という執念が根を下ろしていった。
そしてある晩、酒場の隅でふと耳にした噂。
「人狼の呪いを受けた者は、獣のように力強く、そして恐ろしくも魅惑的な眼光を得る」
その言葉が、彼の心を強く掴んだ。
力と存在感さえあれば、誰も自分を笑わなくなる――そう信じたのだ。
翌日、彼は裏通りの奥にいるという呪術師を訪ねた。
乾いた血の匂いに満ちた狭い小屋で、
差し出された杯の中身を一息に飲み干す。
それは薬ではなく、呪いそのものだった。
その晩、息を吐くたびに喉から獣の唸りが漏れ、気づけば彼は人ならぬ姿――人狼となっていた。
やがて、なるほど――人狼となった彼の眼光は確かに何人かの異性を惹きつけた。
力強き者に惹かれる女、闇を抱え寄り添う相手を求める女……そんな者たちが、一時は彼の傍にいた。
だが、人狼の姿は夜にしか保てない。
朝日と共に呪いは解け、元の醜い容貌を見せた途端、その眼差しは失望と嫌悪に変わり、女たちは去っていった。
そんなある日、彼は一人の薬屋の娘――シーミアに心を奪われる。
人狼の姿で四度、人間の姿で四度、計八度の告白。
だが返ってくるのは決まって「ごめんなさい」の一言だった。
拒絶の痛みに蝕まれた彼は、やがて歪んだ結論に至る。
「ならば、この世からシーミアを消してしまえばいい」
その日、彼はシーミアを剛腕で掴み上げた。
レザーアーマー程度なら紙のように裂ける自慢の爪を、今すぐその喉元に叩き込める。
だが――心の奥に、ためらいが残っていた。
この姿で、これまで何人も殺してきた。
自分を笑った者、侮辱した者、皆その爪で引き裂いてきた。
けれど、この女だけは……まだ好きだった。
「ぐぬぬぬ……」
葛藤が喉に詰まり、唸りとなって漏れる。
変身した人狼は、強い。
ヴァンパイアと並ぶ強力な人外。
ギルドはここからでは遠く、冒険者が到着するまで時間がかかる。
この間も、Aランクのパーティー「不死鳥の加護」が全滅したと聞いた。
ならあとは、俺のやりたいようにやるだけ…
視線の先、すでに事切れているであろうシーミアの父。
喉を裂かれ、血が脈打つように溢れ出し、石畳の上に暗い池を広げていた。
その傍らで、最後の問いを口にする。
「シーミア……頼む、俺を受け入れてくれ。俺と結婚してくれ」
彼女は無言で、ただ涙をこぼしながら横に首を振った。
「……ここで死んでもか?」
震える肩で、それでも彼女は小さく首を縦に動かす。
「そうか……」
胸の奥で何かが折れる音がした。
人狼シグは、右手をその首にかけ、躊躇なく力を込めた。
骨が軋み、息が途絶え、彼女の身体は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
――もう、人間の世界には戻れない。
冒険者が来るまでの間、この街を蹂躙し尽くしてやろう。
目に入る者はすべて殺す。
どうせ討たれるのなら、それでいい。ああ、最初から最後まで、不遇な人生だった。
この世界を呪いながら死んでやる。
そんな時だ――目の前に立ちはだかる者が現れた。
ネクロマンサー、ゴンギ。
「商売の邪魔をするな」
そう言い、奴は妙な霊体を三体も引き連れ、こちらへ歩を進めてくる。
「お前達...陣形を...そうだ、融合しろ...」
妙な独り言をぶつぶつと唱えながら。
「ヴハハハハ!おい人間、そんな丸腰でどう勝とうってんだ?」
思わず笑いがこみ上げる。
「聞いてんだヨォ!」
踏み込む――一瞬で距離を詰められた。
「はええ!」
遠くで見ていたゴロウスが思わず声を上げる。
あの踏み込み、自分には到底出せない膂力。
ーー
「おイ! 俺の出番カ?! つイニ俺の出番ナノか?!」
テーブルの下に押し込まれ、響く唸り声と怒号。
ブラッデインに来てからというもの、呪物だの疫病神だのと散々なあだ名を付けられ、
しびれを切らしていた頃だった。
だが、ゴンギの返事は冷たかった。
「ダメだ。ただでさえ、お前の“呪物感”のせいで客が逃げてるんだぞ。
そこでお前が、あそこで暴れてる人狼を葬ってみろ――
私は、悪い意味で王都中に顔が知れ渡るだろうな」
包帯の奥で、ミイラ男は歯噛みする。
戦いの場ですら立たせてもらえないなら、自分はただの飾り物だ。
納得できぬまま、テーブルクロスの隙間から外を覗く。
――なんだ、あの化け物は。
毛並みの奥に盛り上がる筋肉、鋭い牙。狼そのものの面構えで、
体躯は二メートルを優に超えている。
「あんナノに……勝てるノカ? 俺なシで」
ゴンギは片目だけをこちらに向け、低く言い放った。
「心配無用。人狼程度なら、むしろ――良い素体になる。
お前は黙って座っていろ。私は客を失いたくない」
「……おい、マジで呪うぞ」
そう吐き捨てようとした時には、ゴンギはもう背を向け、
人狼へ向かって歩み始めていた。
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