第33話「ミイラ男は萎縮する。」
ギルドから、のんびり歩けばちょっと息が上がるくらいの距離にある、賑やかな露天街。
木製の屋台が並び、熟れた果物の甘い香りや、鉄を打つ音が交じり合う。
店先には山盛りのリンゴや葡萄、磨き上げられた剣や盾が所狭しと並び、商人の呼び声と客の値切り合戦が絶えない。
そんな喧噪の片隅——人波から外れた一角に、不思議な静けさがあった。
そこに立つのは、我らが主人——ゴンギ。
低く抑えた声で、彼は依頼主の女性へ告げる。
「……今、この霊体に、おまえの祖母の魂を憑依させた。」
杖の先から、淡く白い霊体がふわりと現れる。
最初はどこか空っぽの、抜け殻のような佇まいだったが、
ゴンギが小声で呪文を紡ぐと、その輪郭に色が宿り、髪は白く、背は少し丸く、着物のような衣のシルエットが浮かび上がった。
周囲の通行人たちも足を止め、「おお……」「ネクロマンサーだ……」とざわめく。
女性は、溢れる涙を拭うことも忘れ、必死に呼びかけた。
「おばあちゃん、あの編みかけのマフラー……まだ、私の部屋にあるの」
「おばあちゃんが作ってくれたパイの味、ずっと覚えてるよ」
「私ね、この間ね……ちゃんと夢、叶えたんだよ」
老婆の形をした霊体は、ゆっくりと微笑み、頷く。
その表情はまるで「よくやったね」と言っているようだった。
──ちょうど死者葬を始めて間もない頃の光景である。
すでに日は沈みかけ、通りは朱色に染まっていた。
それからというもの、一人として客は来ない。
「死者葬行います! 相談料五百シヌ、儀式三千八百シヌ!」
そんな手書きの看板を掲げ、
「亡くなった身内と話したいそこのアナタ! いかがでごわすか!」と通行人に声をかけるザンギリ。
一方のゴンギは、椅子に腰掛けたまま肩肘をつき、ぼんやりと人の流れを眺めている。
「チッ……まったく来ないな」
低く舌打ちする声を、すぐ足元で聞いているのは──
テーブルの下、荷物のように押し込まれたミイラ男だった。
膝を抱えて背中を丸め、まるで置き去りの行李状態。
テーブルには床まで届くカバーがかかっており、外からその存在は分からない。
……にしても、ファラオをこんな扱いにするとは無礼にも程がある。
だが、反論はできない。
さっきのパフォーマンスで人々の興味を引き寄せたものの、
すべてを台無しにしたのは──このファラオ自身だったからだ。
⸻
「おイ、ゴンギィ、椅子借りテキたぞォ〜!」
元気な悪役声とともに、ファラオが姿を現した、その瞬間だった。
依頼をしようと、今まさに財布から金を出していた男は「ひっ」と声を上げ、鞄ごと財布を落とす。
それを慌てて拾い上げると、振り返りもせず駆け去ってしまった。
女も、老人も、青年も──蜘蛛の子を散らすように、通りから姿を消していく。
気がつけば、ゴンギの店からも客の姿はとうになく、残っているのは気まずい沈黙だけだった。
「全く、イライラする」
「ゴめんッテば!」
「しかも……椅子のレンタル代で三百五十シヌだぞ!?
通の奴なら、もっと安く貸す店を探して二百シヌで済ませるところを……」
「ウウ……」
「ただでさえ金がないというのに。
あのペースなら今頃、六件は依頼を片づけられていたかもしれんのに……まだたったの一件だ。
この調子だと明日も滞在する羽目になるかもしれん。まったく泥沼だ」
「何がファラオだ……これでは疫病神じゃないか」
「……」
ゴンギの愚痴混じりの独り言を、ゼロ距離で叩きつけられるファラオは、
この姿に転生したことを今になって少しだけ後悔していた。
...これ以上言えば、呪われる。そんな無言の圧を感じたのか、ゴンギの愚痴はいつしか終わった。
「ファラオどん、ドンマイ!」
「チュー!」
……お前ら。
テーブルクロスの下で姿は見えないけれど、励ましをくれる
アンデッド・メイトたちに、少しだけ目尻が熱くなる。
その光景を少し離れた場所から見ていたユーキのもとへ、ギルドの方からゴロウスが戻ってくる。
「よぉ⸻」
「どうだった?猛者は居た?」とユーキが聞く。
「何人かには声をかけたんだがな……誰ひとり、同行してくれるやつはいなかった。」
盾を仕舞いながら、ゴロウスはため息混じりに報告した。
「そうかい……まあ、ご苦労さん。」
ユーキは短く応え、すぐに視線を露天街の奥へと向ける。
「で、あのネクロマンサーの様子は?」
「見ての通り、閑古鳥さ。最初は興味本位で人だかりができてたんだが……」
ユーキは片手で後頭部をかきながら続ける。
「あの、一際不気味な包帯ぐるぐるのアンデッドが姿を見せた瞬間、全員蜘蛛の子だ。」
ユーキは口の端をわずかに上げ、半ば呆れたように言った。
「そりゃそうだ。あんなのが目の前に立ってりゃ、剣の腕より先に足が動くわな。
あれはな。熟練の冒険者でも、夢見が悪くなるレベルだ。」
ゴロウスは苦笑し、肩をすくめる。
「本当にね…アレと比較したら、オークのゾンビのほうはマスコットに見えてくるよ。」
まるで当事者の気持ちなどお構いなしの会話──当のミイラ男にとっては、なんとも散々な言われようだ。
「おーい、戻ったぞー!」
そんな時、遅れてリブキが姿を現す。
「銀行で我々の貯金をすべて確認してきた。総額──三十八万シヌだ。」
誇らしげな響きを帯びた声。
「最近は依頼も多く片づけていたから、予想以上に貯まっていたな。」
「おお、それはすげぇ! 大金じゃねぇか!」
ゴロウスが目を見開き、感嘆の声を上げる。
「それだけあれば……あの商売やってるネクロマンサーも、きっと笑うだろうな。」
ユーキは片方の口角だけをわずかに上げ、露天街の奥へ視線を流す。
「よし! じゃあよ、日が沈む前にアクションを起こすか」
三人そろった今、もう一か八か、あのネクロマンサーが協力してくれることを祈るしかない。
ゴロウスは二人に気合を入れた。
「そうだな。他に客も来ていないようだし……では行こうか」
リブキも同意し、三人は建物の影から一歩踏み出す。
──その時。
「キャーッ!」
露天街の奥、陰気な死者葬屋のさらに向こう、
薬草と瓶の匂いが漂う一角から悲鳴が響く。
ポーション屋だ。
割れた瓶と飛び散る薬液が散乱し、
血を流して倒れる店主の姿があった。
副店主の娘は、顔をくしゃくしゃにして泣き叫んでいる。
「あれは──!」
ユーキは杖を構え、戦闘の構えを取る。
「ウオオオオオ! もう一度言う! 娘! 俺と結婚しろぉ!」
声の主は、ゴロウスよりもさらに一回り大きな巨躯。
全身は濃い毛に覆われ、歪んだ牙が乱れ並び、
裂けた耳が二つ、怒りに震えていた。
「人狼……!」
リブキが低く構え、警戒する。
「人狼って、月の出てる夜にしか変身できねえはずだろ。まだ夕方だぜ?」
「たぶん月光薬だ。飲めば、月の力を得て昼でも変身できる。
本来は夜目を得るための薬だが、人狼が飲むとこうなる……」
ユーキの知識に関心している場合ではない。
人狼は娘を腹から抱え上げ、宙に持ち上げた。
「さあ! 結婚すると言え!」
「い、いやです!」
娘は涙を浮かべながらも必死に拒む。
「ぬぅ……八度も俺を振るとは……ならば仕方ない。殺してやる」
露天街は瞬く間に緊張に包まれた。
荷を放り出して逃げ惑う者、腰を抜かして震える者。
「征くぞ、お前達」
勇敢な冒険者達が駆け出すよりも早く、
人狼の前に一歩進み出たのは――あのネクロマンサーだった。
「なんだァ? てめぇは……」
「商売の邪魔だ。それに今の私は……ひどく機嫌が悪い。」
杖を、トン、と無造作に床へ打ち付ける。
その瞬間、空気がひやりと揺れ、彼の隣に三つの影がぬっと浮かび上がった。
――上級霊。葬儀霊。水死霊。




