表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/84

第12話「草原にて、閃光の如し」

娘は、走っていた。

ただひたすら、草原を必死に逃げ回っていた。


「はぁっ、はぁっ……!」


彼女は、街の小さなパン屋の娘だ。

街から少し離れた草原で、祖父の病気に効くという薬草を採取していた。

ついでに、祖母の好物である野いちごも。茶に浮かべると香りがいい。


念のため、冒険者を四人雇った。


連れて行ったのは、ブロンズランクの剣士、魔法使い、弓師、そして聖術使い。

この草原に出る魔獣といえば、せいぜいビッグラットや毒コウモリ、ゴブリン、夜になれば稀にゴーストが現れる程度。

それなら彼らで十分だろうと考えていた。


ただ薬草を摘んで帰るだけ。そう、容易いはずだった。


けれど、剣士の最後の言葉――


「依頼主様だけでも……お逃げください!」


その言葉に背を押され、彼女は走り出した。動揺と恐怖のままに。


本来ここに出現する程度の魔物なら、彼らで対処できるはずだった。

だからこそ、一瞬は「二人でよかったかも」と金をケチることさえ考えたのだ。

だが――


「ぐわっ!」


背後から、最後に残った弓師の悲痛な声が聞こえた。やられたのだ。


次は、自分だ。


そう思った瞬間、彼女は必死に身体に鞭を打ち、さらに速度を上げようとする。

ギルドに報告し、援軍を要請しなければ。

このままでは、彼らが無惨にエサにされてしまう。


だが、限界はあっさりとやってきた。

運動能力は平均以下、ただの市民である彼女の足は、ついに止まる。


膝から草に崩れ落ち、観念して振り返った。


そこにいた。


――グオネラ。


翼を広げれば、人間を四人並べたほどの大きさになる、巨大な魔鳥。

本来なら街近くの草原には現れず、もっと森の奥――

噂では、死霊術師が潜んでいるとも言われる辺境に生息するはずの存在。


しかし目の前のグオネラは、どこか違った。

普通の個体よりもやや小さく、嘴は欠け、羽の毛並みも乱れている。

……同族についばまれたのかもしれない。

縄張りか、メスをめぐる争いか……いずれにせよ、惨めに敗れて居場所をなくしたのだろう。


娘は、祈った。


どうか、まだ生きたい。

祖父に薬草を届けて、祖母と野いちご茶を囲んで笑いたい。

店先で焼きたてのパンにバターを塗って、お客に「今日は特別に大盛りだよ」と笑いかけたい。


娘は目を閉じる。

グオネラの低く唸るような鳴き声が、背後からじわじわと迫る。


脳裏に、記憶が流れ込んでくる。

まるで走馬灯のように。


――父の笑顔が浮かんだ。

「パンを焼くのはな、火を入れる前に、すでに勝負が決まってるんだ」

そう言って、小麦粉まみれの手で娘の頭をくしゃくしゃに撫でた。

あのときの温もりが、今もはっきり残っている。

不器用な父だったけれど、パンのことになると別人のように真剣だった。

休日、早起きして焼いてくれた蜂蜜パンの香り。

まだ陽が昇りきる前の、あの優しい時間。


「……お父さん……」


そして、もうひとり。

市場でいつも果物を並べていた、あの青年のことがふと胸をよぎる。

屈託のない笑顔で、時々リンゴにそっと紅でも塗るように触れては、『今日のおすすめです』なんて冗談を言う。

目が合うたび、声をかけられるたび、鼓動が跳ねた。

いつか、おまけの果物をもらった日の帰り道――

「今度、お店のパンと物々交換、してくれませんか?」

はにかんだその顔に、胸がいっぱいになった。


ああ、こんな風に終わるのは、いやだ――。


草に伏せたまま、かすかに震えながら呟いた。


そのときだった。


歪んだ嘴がすぐそこまで迫る――その刹那。


「ウオオオオッ!!」


街の方角から、地を割るような咆哮が響く。

振り返ると、斧を構えた一人の大男が、地面を踏み鳴らしながら突進してきていた。


髪を刈り上げた、やや蛮族めいた風貌。

上半身は獣皮に覆われ、その腕は……私が雇った冒険者たちと比べてしまうのも失礼なほど、膨れ上がった筋肉に覆われていた。


その巨体に似合わぬ俊敏さで、両手の大斧を勢いよく振り上げる。


「グギャアッ!!」


グオネラはとっさに飛び上がり避けたものの、斧の刃はかすり、翼の一部を削いだ。

羽毛が宙に舞い、青黒い体液が草を濡らす。


だが魔鳥は空中で姿勢を立て直すと、怒りを露わにして一直線に襲いかかってきた。

それを大男は横に跳ねてかわすと、

グオネラの首が草に突き刺さった瞬間を逃さず、すかさずその首へ斧を振り下ろした。


鈍い音が響き、骨の砕ける感触が空気を震わせた。

魔鳥は、目を見開いたまま、二度と動かなかった。


「早いね、ゴロウス。もう倒しちゃったのかい」


草むらの向こうから、小走りで現れたのは細身の男だった。

長衣の袖からのぞく腕には数珠をはめ、手には属性術の象徴――宝石を埋め込んだ杖が握られている。

どうやら、魔術師だ。


「おう。...で、そこの嬢ちゃん、無事か?」

ゴロウスと呼ばれた大男が、娘に手を差し伸べる。

「後ろの冒険者たちは...生きてるか!?..早く連れ帰って手当しねえとな。」

その声には意外と優しくて親しみがある。


娘は、まだ足が震えていた。うまく立てなかったが、頭では理解していた。

――ああ、助かったんだ。

この人たちが、命を救ってくれたんだ。


しかし――


「ま、まだだッ! まだ……居る!」

雇われていた冒険者のひとりが、折れた肋骨の痛みに顔を歪めながら、喘ぐように叫ぶ。


茂みを押し分け、ぬるりと現れたのは――全長五メートルを超える大蛇だった。


青緑色をした鱗のあちこちに、魔鳥の太い爪に引き裂かれた跡が残る。

おそらく、巣に持ち帰ってゆっくり食べるつもりだったのだろう。

だが、それにしても、こんな化け物じみた大蛇ですら、平和だったはずの草原に現れるとは。


「やばい!」

あの魔術師の男がわずかに動揺し、杖を握るも反応が一瞬遅れた――その隙を逃さず、大蛇がその巨体をしならせ、飛びかかる!


その時――


ザシュッ、という鈍い音が響いた。


次の瞬間、大蛇の巨体がビクリと跳ねる。

剣の切先が、頭部の天頂を貫き、地面へと深々と突き刺さっていた。

その刃には、バチバチと音を立てて雷が纏いついている。

――属性剣術。落雷のごとき一撃だ。


貫かれた頭部から、ぬらりと血が流れる。

なおも身体はのたうち回るが、やがてその動きも力を失い、地に沈んだ。


「リーダー!……間一髪、だね」

魔術師が、冷や汗をぬぐいながら言った。


立っていたのは、銀の鎧を纏った一人の女性騎士。

陽光を束ねたような金髪が、微かに風に揺れている。

研ぎ澄まされた鋼の瞳が、大蛇の死体を静かに見下ろす。


「娘よ。怪我はないか?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ