5.拝謝と言われても
俺はミセス・ピークを無事に……とは口が裂けても言い難い形でどうにか見送りを終え執務室に戻ると、カーティスが通されていた応接ソファに向かい合って腰を下ろした。
給仕が俺の前にも茶を与したのを見計らい、カーティスがテーブルの上に何かをことりと置く。
細い指が去ったあとに姿を見せたのは、卒業パーティーの日に無理やり渡した男物の腕時計だ。
「お預かりしたものをお返しいたします。とても助かりました」
「役目を果たせて、こいつも喜んでるだろうよ」
少しだけ誇らしい気持ちで自作の魔道具に手を伸ばす。
するとなぜかカーティスが小さく首を傾け、色素の薄い銀の目で俺の顔を覗き込んできた。
「夜はよく眠れましたでしょうか」
はじめは何のことかわからず俺も首を傾げそうになったが、時計を押しつけたときの言い訳を思い出し、ギシリと固まる。
「ああ、まあな。ほどよく」
目的のものを手にした俺はぎこちなく後退し、ソファへと背を預ける。
ほどよくってなんだ、と自分にツッコミを入れながら。
「本日まかりこしたのはほかでもありません。ガヴァネス着任のお伺いと、あらためて、先生にこれまでのお礼を申し上げたく」
こっちはもたれてるっていうのに見事なお辞儀で切り出され、俺は慌てて姿勢を正す。
「よしてくれ、そんな畏まるほどのものでもないだろ」
面を上げるよう諭すと、カーティスはゆるりと上体を起こした。
いちいち品がよくて、対面しているだけでこっちの背筋が伸びそうになる。
「着任の件は願ってもない。腕時計の方は気にするな、俺がしたくてやったことだしな」
時計を押しつけたのだって、カーティスに知古の大人を頼りやすくさせるのと、後任のあてが目減りしていく双子の家庭教師に窮していたからであって。
ミセス・ピークの惨状を見た後でも迷いなく引き受けてくれるってだけで、こっちがお礼を言いたいくらいだ。
「先生、私の受けたご恩はお預かりした魔道具に限った話ではございませんわ。不安を取り払ってくださったことはもちろんのこと、先生の作られた【魔法制御】の魔道具には言い尽くせぬほどの拝謝の念を抱いております。おかげでこのとおり私は自由の身となり、幼馴染二人も来月には結婚の運びとなりましたもの」
にこやかに言ってのけたカーティスの言葉に、俺は自分の目と耳を疑う。
【魔法制御】に、言い尽くせないほどの拝謝?
それはつまり……。
以前ちらっとよぎった考えが浮上する。
いや、あの日もあまりのありえなさにすぐ考えを打ち払ったくらいなのだ。
何もかもこれからって妙齢の貴族令嬢が、公衆の面前で婚約破棄だぞ?
結果として再出発を臨むならまだしも、自由のためにと自分から仕組まねえだろ、普通。
だが、今しがたのカーティスの言葉を振り返ってみても、ほかのどの答えにも繋がりそうもない。
「……っ、……マジで仕組んだものだったのか?」
半眼で恐る恐る尋ねると、ええ、とすんなり返ってきた。
マジで仕組んでやがった。
「計画がとん挫する恐れもございましたので、あの場で真実を告げることは憚れましたの。きっかけは、一年次にシスカが卒業生のパートナーにと誘われた際、パーティー会場の【魔法制御】について耳にしたことでした。アレクセイもシスカもその魔法ゆえに学友との距離感を寂しく感じておりましたので、そこでなら気兼ねなく学友と語らえると喜びましたの。かねてからの私どもの願いも一度に叶うのではと思い至りまして、三人で話し合い立てた計画だったのです」
言葉を失うとはこのことか。
マジで仕組んでやがった。
それも、カーティス単独ではなく三人でだ。
「……なるほど……それで二年次に入るなり、あの堅物がおおっぴらに態度を変えたのか」
誰に対しても義理難く誠実だったエドナが婚約者をほっぽってマヌエラといちゃつきだしたことは、大事な子息令嬢を預かる学院の監督性が問われるとして、当時は教師の間でも大騒ぎだったのだ。
結局、エドナとマヌエラへの口頭注意のみで、生徒の自主性を重んじるという形に落ち着いたのだが、エドナの態度は変わることもなく。
最終的に【魔法制御】を体よく利用されて婚約破棄に至ったのだと考えていた。
それがまさか、来る日に向けて当事者全員で画策したものだったとは。
……しかも、そもそもの誘因が俺の魔道具ってか?
…………ぜんっぜん喜べねえ。
ドドドと押し寄せる後悔の波に背を押され、項垂れそうになるのを腕を突っぱって耐える。
「先生? 顔色が優れないようにお見受けしますが……もしや何か責任を感じていらっしゃるのでしょうか。本当に、自責の必要など万に一つもございませんわ。先生の魔道具がなければ私どもは今もなおすべてを諦め、家の道具として過ごしていたのですから」
俺の反応がカーティスの思っていたものではなかったのか、珍しくうろたえている。
カーティスはやれ拝謝だ、自責の必要はないと言うが、そんなわけにはいかないだろう。
晴れて自由の身になれたとしても、それは放逐された上の話で、明らかに円満ではない。
エドナたちも傍から見れば略奪婚にあたるわけで、たとえマヌエラの【魅了】によるものでないと公示できようと、周囲からの風当たりのきつさが変わることはない。
学院での生活だって、もっと違ったものになっていたかもしれないのだ。
三人のとった捨て身の戦法が腑に落ちないのは、俺が公爵家の実情を聞きかじった程度でしか知らないからか。
カーティスたちは結果が想定していたものではなかったと、勝ち得たものと引き換えに失ったものが大きすぎると、叶うならもう一度やり直したいとはみじんも思わないのだろうか。
視線の端には、静かに待機している侍従たちが映る。
カーティスを家庭教師として雇う以上、放逐だ元公爵家だなどと使用人たちに騒ぎ立てられては、わざわざこんな田舎まで招いた意味がない。
だが、せめてこれだけは確かめておく必要があった。
「……現状に、不満や後悔はないんだな?」
カーティスの表情に少しのかげりも見逃すまいと目を凝らす。
俺自身あまり目つきのいい方ではないとの自覚はあるが、カーティスは臆することもなく実に晴れやかな笑顔を見せた。
「もう二度と、心を殺して生きずともよいのです。これほどの喜びはありません」
在学中ただの一度も見せたことはないだろう、その笑みに毒気を抜かれる。
「……そりゃ幸いだ」
今のところカーティスは結果に満足している、とは思う。
この先どうなるかわからないが、幸か不幸か、俺は顛末のその後を間近で知れる立場にいるわけだ。
俺には公爵閣下とは縁もゆかりもないからいきなり詫びに来られても困るだろうが、何とか理由をつけてエドナたちの様子も覗きに行かないとなあ。
それと、元同僚へ菓子折りのひとつでも持っていくとするか。
俺が菓子折り持参だなんて、空から槍でも降らすつもりか、くらいに言われそうなのが癪だが。




