4.何も今
「あいにくとわたくしには手が余りまして。本日限りで失礼させていただきます……!」
もう幾度となく耳にしたこの手のセリフを、俺が数えるのをやめてからずいぶん経つ。
つい今しがた執務室へと乗り込んできた家庭教師の出で立ちは惨憺たるもので、眼鏡にはヒビが、足元は泥にまみれ、殻付きの生卵を頭上からぽたぽたと垂らしている。
温和だと名高いミセス・ピークが怒りに身を震わせるのも納得だ。
なにせ、これが一度目ってわけじゃないんだからな。
あ、あいつら~……‼
想像の中ですらしたり顔でピースサインをよこす双子に、握った拳の中でペンがみしりと鳴る。
「ミセス・ピーク、まことに申し訳ない。すぐに風呂と着替えを用意しますので、まずはそちらへ……」
「結構ですわ。もうこの眼鏡も必要ありませんので、お返しいたします」
指示を出すべく、家庭教師を追ってきた侍従へと目を向けるが、一刻も早く屋敷から出たい彼女にはその時間すら耐えきれなかったらしい。
ヒビの入った眼鏡型の魔道具を突き返されてしまう。
いくら諫めても双子の態度は変わらず、かといって領主の仕事もある俺がずっとついているわけにもいかず、せめてこれであいつらの仕掛ける罠を避けてほしいと渡したものだった。
「お役に立ちませんでしたか」
「敷地内はどこもかしこも魔道具だらけで視界が遮られますのよ」
目にした魔道具の制作者と効果を【看破】するものなのだが、なるほど視界の右側は常に文字で埋まっている。
俺なら自作品以外に注意を向ければすむが、ミセス・ピークではそうもいかないだろう。
「……まことに申し訳ない」
問題児を何人も担当してきたミセス・ピークでも、三日と持たなかったか……。
隠し切れない落胆に項垂れながら、椅子から腰を浮かす。
「お見送りします。ドミニク、本日までの給金と旅費の用意を」
傍らで苦笑いを浮かべる管財人のドミニクも、こう何度も続けば手慣れたものだ。
すでに計算を始めていたドミニクに頼もしさを再認識する俺の耳へと、ミセス・ピークの皮肉たっぷりな声が届く。
「まあ、もう新たな方がいらっしゃいましたの。ずいぶんと用意のよいことで」
新たな方だって?
後任のあてなどない。
ただ一人を除けば。
慌てて振り返ると、扉の前を塞ぐように赤髪の女性が面食らった顔で佇んでいた。
一抱えの鉢植えと、革張りのトランクケースを手に。
あの卒業パーティーから2週間と少し。
本人の想定のとおりに放逐されたと風の噂で耳にし、ちゃんと一人でやれているのか、困ってやしないかと気をもんでいた、その相手。
ルジェリエ・カーティスだ。
…………何も今、来なくとも。
「まあおかわいそうに、これほどおきれいな方でしたら派遣先も絞られてしまいますものね。打診に飛びつかれたのでしょう」
ミセス・ピークは、俺が長くもたないと予測し早々に打診をかけたと誤解したのだろう。
『屋敷の主人との不貞を避けるため、美人な家庭教師は敬遠されがち』という話を持ち出してカーティスにまでチクチクと皮肉を浴びせ始め、ひい、と俺の顔面がひきつる。
「誤解です、ミセス・ピーク。魔法学院の元教え子が訪ねてきたようで……」
「教え子! このような家庭教師然とした装いで?」
俺へと食ってかかるミセス・ピークのご指摘ももっともだ。
年若いご令嬢の訪問着にしては少しばかり大人しい。
家からの経済的支援がなくなったからだろうと思いはするが、口に出せるものではなかった。
「あなたもどうぞお気をつけくださいまし。このような目に遭わないとも限りませんから」
そうして、よく目に焼きつけろとばかりに手を広げ、ご親切にもカーティスに忠告までして執務室を出ていった。
……残された側の空気たるや。
来て早々これなのだ、カーティスもそりゃ驚いたことだろう。
ミセス・ピークに道を譲った姿勢のまま、足早に過ぎ去る後ろ姿を眺めている。
元教師の体面なんざ脆くも崩れ去った俺には、今さら平静を装うことも叶わない。
「お、……おお。よく来たな……」
「執務室に直通とは思い至らず、失礼いたしました。少々よろしくない場面に出くわしたのでしょうか」
まあ、ちょっとな。
カーティスに渡した時計は、しばらくの間教職と領主とを兼任していた俺が、学院の研究室と屋敷の執務室を行き来するために作ったものだ。
見られて困るもんもなし、とのんきに構えていた俺が悪い。
「いや、おまえにも飛び火したみたいですまなかったな。とりあえず見送ってくるから、そこのソファにでもかけておいてくれ。……話は戻ってきた時にでも」
こんな状況を目にして家庭教師を受けてくれるのか甚だ疑問ではあるが。
自立を望むカーティスが来やすいようにと職紹介を前提に声をかけたわけだが、職探しではなく助けを請いに来たのであれば、すぐにでも手助けできる準備は整えてある。
突然の客人に戸惑う侍従に茶の用意と馬車の手配を頼むと、俺は廊下に出て……ちょっと頭を抱えてから、転々と続くミセス・ピークの足跡を追った。




