3.餞別をいただきました
ノーラッド先生はその後何を話すでもなく、じっと考えこんでいたようだった。
ほどなくしてエントランスホールに辿りつき、私は先生に勧められるまま椅子に腰を下ろす。
「あとは私一人でもかまいません。パーティーにお戻りくださいませ」
先生と話し足りない方も、先生ご自身が語らいたい相手もいるでしょうに、ここに長く留め置くのはしのびない。
そう思い手を離すと、なんとも歯切れの悪い表情と行きあう。
「いや、あー……カーティス」
「なんでしょう」
「その、なんだ。おまえ、俺の屋敷に来る気はないか?」
本日一番の驚きを、ここで得るとは思わなかった。
屋敷にと言うからには、魔道具科の教職員としてのお誘いではないのだろう。
それも、これほど意を決した様子での言葉とあっては。
「……先生とはたしか10ほど離れていると記憶しておりましたが、ご結婚はまだでしたか?」
「うん? ……ばっ、ばかな! そういう意味で誘ったんじゃねえよ」
「まあ。これはたいへんな誤解を」
「ああ、いや、まあ、そうもとれる発言だったが……待ってくれ。これでも教師なんでな、さすがにそれはねえから」
口元を押さえる掌では覆いきれず、ひそめた眉もうっすら染まった片頬も、私の位置からよく見える。
先生にも頬の赤みに自覚があるのか、視線を外して毒づいている。
「今のは単に、仕事の依頼としてだ。俺も今期で学院を辞して田舎に戻るんだよ。少し前に兄夫婦が亡くなって俺が代わりに伯爵家を継いだんだが、兄の忘れ形見の八歳になる双子がおてんばすぎるせいで家庭教師が続かなくてな」
「家庭教師ですか」
私は公爵令嬢として恥ずかしくない程度の教養を叩き込まれている。
なるほど適任と言えるだろう。
家庭教師は屋敷に食客として招かれるため、衣食住に困ることもない。
見知らぬ土地で新たなことを始めるという点でとても興味深く感じるが、懸念もある。
経験不足な者に大事なご親族を任せてよいものかという。
「私には何かを教えることも、子どもと関わった経験もございませんが、よろしいのですか?」
「無詠唱だとタイムラグなしで【防御】が張れたよな? 身を守る手段がないと、物事の善悪を教えこむ前にあいつらと対峙することすら難しくてな……」
それはいったいどのような子どもたちなのでしょうか。
私の知る家庭教師とはずいぶんと趣が異なるように思いますが。
「カーティスならどんな職でも引く手あまただろうが、顔もそこそこ知られてるだろ。状況によっては、田舎の方が都合がいいこともある。とはいえ、俺のところも勤め先として十分とは言えないからな。まあ、選択肢の一つにでも入れておいてくれ」
そう言って掌の上に乗せられたのは、ついさきほどまで先生の手首を彩っていた装飾時計。
先生の生家のものだろうか、文字盤には紋章印の刻まれた宝石がはめ込まれている。
「念のためこれを渡しておく。魔力を込めるだけで屋敷まで飛べる代物だ。家庭教師の話を受けようが受けまいが、何かで困ったらこれを使え。りゅうずの横のボタンを押せば行先を魔法学院に切り替えるられるから、ほかに頼れる教師がいるならそっちに駆け込めばいい」
公共の施設間利用でもない、個人所有の【転移】魔道具は希少だ。
それも備え付けのものばかりで、こんな小型で持ち運び可能なものなどまずお目にかかれない。
「お心遣いはありがたいのですが、このように希少なものをお借りするわけにはまいりません」
時計を先生の手に返そうとするも、すぐに押し戻されてしまう。
「こんな機会でもなきゃひきだしに埋もれてるようなもんだから気にする必要はねえよ。普段使いの時計にも同じ効果を付与させてるから、俺はそれで帰れる」
「ですが……」
先生は自作で予備もあると言うが、もしこれが負い目を感じてのものならば、そもそも先生にはその必要すらないのだ。
真実を言うべきかと戸惑うも、人目を気にして口をつぐむ。
「いいかカーティス、覚えとけ。世の中にはろくでもない奴もそれなりにいるんだ。この先おまえが自立するにあたって、妙な連中に巻き込まれないための餞別だとでも思えばいい」
身一つで放り出されるかもしれぬ生徒の行く末を案じた教師の、就職先の斡旋。
安心保証と交通手段つき。
餞別と思うには少々──
「……先生、お人よしが過ぎるとよく言われませんか?」
ほっとけ、と返したノーラッド先生の苦い顔には、大きく『図星』と書かれていた。
「それにこれは、おまえの身の振り方を知っちまった俺が安眠できるために渡すんだ。俺の目を隈だらけにするつもりがないなら持っててもらわないとな」
在学中に自立のための足掛かりをつくっておいたものの、放逐後に公爵家の名がどう作用するかしれず、家や学院の庇護を離れて本当に一人で暮らしていけるかもわからない。
道具としてだとしてもここまで育ててくれた家に歯向かったのだ、ある程度の苦難は覚悟していた。
生活水準の変化に戸惑うことも、潮が引くように人が離れていくことも、腫れ物に触るように接されることも。
どんなことがあろうと自分自身で選んだ道なのだと受け入れるつもりで。
先生は、私が受けるべきそうした苦痛を少しでも和らげようと言うのだろう。
けれどまさか、先生の安眠と隈を盾にされるだなんて。
「ふ、ふ、ふふ」
一度笑みが零れてしまうと、くすくすと止まらなくなってしまった。
「おい……笑いすぎやしないか」
すみません、先生の、おもしろくないとばかりに不満げな様子がおかしくて。
「ふふ、ありがとうございます。こちらお預かりします。……少しだけ不安もありましたの」
ほんのりと体温の残る時計を腕へと通す。
私の腕には少し余る男性用の装飾時計は、不思議と肌になじんだ。




