幕が下りる
キャロラインが秘めていた内なる狂気。
それを目の当たりにして、心臓が早鐘を打つ。
初めて語られたキャロラインの”本音“――引いたけど、退いてはいけない。
だから私も、言葉を返す。
「キャロライン。本音を語ってくれてありがとう。でも、そんなことをされても、私は全く嬉しくない」
「それはまだ、アマーリエ様が自身の本音に気付いていないだけですわ。だって、わたくしと同じになるように育てたのはわたくしなのですから」
「……そうだったのかもね。
でもね、はっきり言わせてもらう。ライニール様が死んでから、私は完全に変わったんだ。私はもう、王女アマーリエ・アーディーでも、キャロラインが育てた理想の娘でもない。
他人の私のことを、本当の子供みたいに思ってくれる気持ちは有難い。でも私はもう、親の手がないと何もできない子供じゃない。大人になるための道を必死に歩んでいるところなんだ。それを理解して、認めて、私の独り立ちを後押ししてくれないかな?」
キャロラインの笑みがぴたりと止まった。
笑みを作っていた唇が、ゆっくりと崩れていく。
返事はない。
「……なのでこれは、一人の領主として告げさせてもらう。
本来ならば、あなたは私の誘拐、毒殺未遂、傷害、職権乱用……ボヤ騒ぎが本当なら、放火もかな。それらの罪で裁かれるだろう。
だが、長年私の世話に携わっていた恩が無いわけじゃあない。
だから、私やバルカン領に二度と関わらないと約束してくれるのであれば、『私に関する罪』は、私の中に留めておく」
……本当は駄目なことだ。けど、明確な殺意があった訳じゃないし、長年の功労を思っての情状酌量措置だ。……ボヤ騒ぎに関してはさすがに庇えない。
「キャロラインにも家族がいるでしょう。夫や、子供たちが。確か、去年家を継いだ若当主に子供も産まれた筈だ。キャロラインの孫が……」
「家族? あんなもの、どうでも良いのですわ」
その瞬間、空気が変わった。
ここに来て初めてキャロラインの表情が一転する。
眉間にシワを寄せて、目を吊り上がらせて、歯をむき出しに。その表情からは、汚いものでも見たかのような嫌悪を存分に滲ませていた。
「わたくしが夫と結婚したのは、いずれお生まれになるバレンシア様の御子の乳母をする為。でなければ、ドブネズミ女の汚い身体に触れた男になど、嫁ぐ理由がございませんもの」
「ドブネズミ女……ってシャーリーンのこと?」
「ええ、さようでございます。
幼少のみぎりにわたくしを望んだ立場のくせに、あんなドブネズミ女に惑わされるような頭の悪い低俗な男との結婚など、誰が望みましょうか!
そんな男の血を引く子供も孫も、死のうが死ぬまいが、どうでもよろしい!」
あまりの変わりように、私は言葉を失った。
どうでも良い。
血の繋がった子供、そして孫に対して信じられない言葉を発するキャロライン。
時間は、彼女を癒してはくれなかった。
静かな狂気と怒り――積もりに積もり続けたそれは、歪んだ愛情に変換され、狂愛する側妃の娘に向けられてしまった。
(……そんなもの、私が一朝一夕で正せる訳がない)
そんな執念じみた悪感情を抱いたことがない私には、彼女の気持ちを分かってあげるなんて嘘でも言えない。
でも、このままじゃ、キャロラインは牢獄行き……公で裁かれれば、元王女毒殺未遂で高確率で処刑されてしまう。
彼女がやったことは、決して許されるものじゃない。
でも、長く、深く、関わってきたこれまでの全てを、無かったことにはできない。
……なんとか出来ないかな?
次の出方を考え、口を閉ざす。
そんな私を、キャロラインは見つめている。
じっと、まるで観察しているかのようだった。
「……もしかしてあなたは、アマーリエ様ではないのかしら?」
「!?」
突然の発言に、どくん、と心臓が大きく鳴る。
全身からどっと汗が溢れ出した。
アマーリエだけど、アマーリエじゃない。
隠してきた事実を言葉にされ、嘘を吐いていた後ろめたさと、この状況でアマーリエじゃないことがバレてしまうことのヤバさに、鼓動の早さとは裏腹に、身体は冷たく硬直していた。
「だって、そうでしょう。たかだか一人死んだくらいで、ここまで性格が歪んでしまうかしら? 食べ物の好みまで変わるかしら? ナッツだって、死ぬまで食べれない病気のはずよ。なのに、あなたは……もしかして、影武者なの? いつ用意したのかしら?」
やけに穏やかな口調で語られる推理。
やばい。凄い的を射てる疑問ばかりだ。
影武者ではないけれど、それでも私が偽物アマーリエという考えに行ったらかなり危険な気がする……!
なんとか誤魔化さないと……!
「キャ、キャロラ……」
「本当に、アマーリエ様にそっくりね」
そう言って私を見る目には暖かな愛情は宿っていない。
あるのは、冷たい興味の視線。
――殺される。
「……なんて、まさかね」
そんなことを思っていたら、キャロラインが苦笑しながら言った。ふ、と空気が和らぐ。
「アマーリエ様に似ている方が、この世界にいる訳ないものね」
キャロラインは自分の言葉がとても面白い冗談だったかのように、クスクスと忍び笑いを漏らしていた。
な、なんとか凌げ……
「じゃあ、中身が、違うのかしら?」
……なかった!
ど……どうする……?
ここで誤魔化……いや、誤魔化す言葉なんかすぐに思いつかない!
中身が違うと疑われている今、下手な言葉は命取りだ。
だけど、黙れば肯定になってしまう。
どうする、どうする、どうする……!!
(私は、アマーリエの身体に入っているだけの浅沼陸恵……)
不意に、光の玉に言われた言葉を思い出す。
――『陸恵様の魂を、アマーリエ様に定着させた』――
(私は、もう、アマーリエなんだ)
今ここで、この身体で、この立場で生きているのは、私だ。
キャロラインに否定されようと、揺らぐ理由にはならない。
私はもう、“お花畑王女アマーリエ”ではないのだから。
自信を持って、言おう。
息を整える。
そして、真っ直ぐにキャロラインを見た。
「……いや。私は、アマーリエ・バルカン公爵。バルカン領領主にして、あなたの主人。
私は、あなたの都合で利用していい存在でも、軽んじて良い立場でもない」
そう、断言した。
キャロラインの目が、信じられないものでも見たように大きく開かれる。
「改めて、はっきりと宣告しよう。キャロライン・アムズ伯爵夫人。あなたはバルカン公爵家の侍女を辞めてもらう」
固まっているキャロラインから目を逸らし、御者台を繋ぐ窓へ顔を向ける。
「馬車を止めなさい!!」
外にいる御者に向かって怒鳴った。
突然のことで驚いたのか、馬車が大きく揺れた後、徐々にスピードが落ちていく。
「ば、馬鹿者! 馬車を止めるな!」
ハッ、と我に返ったキャロラインが慌てて止めに入った。
——その時だった。
「止まれ!!」
外から、腹の底から響くような怒号が飛んだ。
馬が強くいななき、馬車が急制動をかける。
完全に止まり切るより先に、外から複数の足音が取り囲む気配がした。
(助けか!? それとも――)
物盗りか――期待と不安が入り交じる。
だけど、耳に届いた場違いに響いた甲高い声のお陰で、不安は一瞬で掻き消された。
「アマーリエ様ぁーっ!! ご無事ですかー!!」
「……ヨツバ……!!」
思わず立ち上がると、キャロラインに腕を取られた。
「い、いけません、アマーリエ様! 外は危のうござ……」
「キャロライン……ごめん!!」
「ぎゃあっ!」
キャロラインに向かって掛け布団を力任せに放り投げる。うまい具合に広がった掛け布団はキャロラインの視界を完全に覆う。厚みのある布団から受けた衝撃で、キャロラインは私から手を離した。
その隙に、扉を明け放ち、外に向かって飛び降りた。
――扉を開けた目の前に、人がいるとは思わずに。
「!?!?」
「わああっ!?」
既に床を蹴った私の身体は、目の前にいた誰かを押し潰した。
二人揃って地面に転がる。
「い゛っ……!!」
私の口から声なき悲鳴が漏れた。
合わせて、胸の辺りで潰れるような声が響く。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫……ニーヴェル!?」
痛みを我慢しつつ、慌てて起き上がると、そこにいたのはニーヴェルだった。
「に、ニーヴェルごめん! 大丈夫!?」
「あ、アマーリエ様! ご無事ですか!? お怪我はありませんか!?」
同時に喋り出して言葉が被る。
下敷きにしてしまったのに、心配そうに私の身を案じてくれるニーヴェル。
まさか、あの最低な出会いからここまで親密度が上がるとは誰が思うだろう。
「わ、私は大丈夫。それよりもニーヴェ」
「アマーリエ様あああっ!」
「げふっ!」
横から突っ込んできた何か……声から察するに、ヨツバが私の顔を覆うように抱き締める。
「アマーリエ様ああっ! よがっだああっ!」
「よ、ヨツバ落ち着いて、何も見えない……」
腕を軽くタップしつつ訴えるも、ギャン泣きのヨツバの耳には届いていないようだ。それどころかぎゅうぎゅうと頭を締め付けられてちょっと痛い。
「奥様! お怪我はございませんか!?」
「イーロン!?」
聞き覚えのある声は、私の護衛騎士隊長イーロンだ。視界は遮られたままなので、声のした方に顔を向ける。
「私は大丈夫! でもニーヴェルが下敷きになっちゃったから、先に彼を診てあげて!」
「彼も男ですから、アマーリエ様が潰したくらいじゃ屁でもありませんから大丈夫です! それよりも……!!」
「何をしている無礼者! わたくしはアマーリエ様の乳母ですよ! 触るでない!!」
キャロラインの怒鳴り声が聞こえる……どうやら、馬車に突撃した騎士たちに確保されたようだ。
「ああ、アマーリエ様! お助けくださ……平民どもが、アマーリエ様に何をしている! 離れよ!」
私を見て助けを懇願しようとしたが、すぐに周囲にいるヨツバとニーヴェルを見つけたのだろう。哀れみを誘う声はすぐに怒鳴り声に変わった。
(……こんな時にまで平民を蔑むのをやめないとか、どうしようも無さすぎる……)
でも、それでも、出来ることなら、穏便に済ませたかった。
「無礼者! 離せ! わたくしは……!」
「……キャロライン……」
視界が遮られていてよかった。
彼女がどんな顔で、どんな風に扱われているのか、見なくて済んだ。
「……アマーリエ様……」
いつの間にか、ヨツバは私を優しく抱き締めてくれていた。
……それが、どれだけありがたかったか。
助かった。
助かった筈なのに、胸が苦しい。
これは私の感情や魂じゃない。アマーリエの身体が嘆いている。
なんだかよくわからないけど、そんな気分だった。
私は、静かにヨツバの衣服を濡らした。
――こうして、アマーリエ誘拐事件は、私の救出と犯人確保で、無事に幕を下ろしたのだった。




