夢か現か
「……え。……り、……え……。……陸恵!」
「うわぁはいいいっ!!!」
びっくりした!!
なんだ!!?
私は、耳元で響いた大声に驚いて、返事ともに飛び起きた。
一体何が起きたのかと周囲を見渡せば、狭い室内に所狭しと置かれた家具――
「あれ?」
辺りを見回して、違和感を覚える。
なんだろう、この狭さと、まるで実家で使われていたきつい柔軟剤の匂いは。私の部屋は、高級ホテルの最上階以上の広さと豪華絢爛な家具が置かれ、ナチュラルな花の香りが漂っていた筈……。ベッドだって、こんな小さくて硬くなかったよな……?
「陸恵っ! あんたいつまで寝ぼけてんの!」
「いっだ!! 何すんのさ!」
後頭部に衝撃。不意打ちに涙目になりながら叩いてきた人物の方を見る。
そこには、御年六十一歳になられる割に毎朝ラジオ体操とマラソンを欠かさない私の母親が――
「え? か、母さん? え、な、なんで?」
「なんでも何も、あんた今日用事あるって言ってたでしょ。なのに時間になっても起きないから、起こしにきてあげたのよ。感謝なさい」
違う。そういうなんで、じゃない。
だって、私は転生してしまったはずだ。
大人気乙女ゲーム【クローバーの約束】のラスボスにして悪逆非道の女領主アマーリエ・バルカンに。
そんで、気づいたらアマーリエが処刑される要因となる子供たちが、引き取られる寸前の状況だった。だから、処刑されるのを回避する為に、アレコレ必死になって頑張ってた筈じゃあ……。
そんなことを思い出しながら辺りを見回すと、ベッドヘッドに置かれたスマホが目に入る。慌てて手に取って内カメラを起動する。
そこに写っていたのは、十六歳の黒髪赤眼の美少女アマーリエじゃない。染めた茶髪と黒眼を持つ三十七歳の浅沼陸恵が映し出されていた。
「うっわ、朝から嫌なもの見た……」
自分の顔を見るのが嫌いな私は、写真も嫌いだから化粧以外で自分の顔を見ることはない。故に、カメラに映し出された真実にうげぇとなってしまった。
……あれ? じゃあ、アマーリエ・バルカンになってたのって夢だったり……?
母さんに叩かれてじんじんする後頭部を押さえる。
痛みがあるってことは、やっぱ今ここは現実で、アマーリエになってたのは……。
「あんた、何一人で漫才やってるのよ。人の話聞いてる? もう家を出る時間過ぎてるんだけど、いいの?」
「え? 今日、なんかあったっけ?」
「だから用事がある前日に酒は飲むなどあれほど……。大学の練習試合の審判頼まれたって言ってたでしょ?」
「……あああああああああああ!!!!!」
やっべえ! すっかり忘れてた!
でも夢見が悪過ぎたのが原因! 私悪くない!
慌てて布団を剥ぎ取ってベッドから降り、クローゼットに向かうが昨日脱ぎ捨てた服に足を取られて勢い良く転んだ。いだい!!
「全く、三十八にもなるのにあんたは……」
「うっさい! ……あ」
母さんがブツブツ言いながら踵を返す。
そんな母親に文句を返そうとしたが、明け開けたれた扉の所に小さな影。
妹の一人息子だ。確か、昨日から家族三人で実家に遊びに来てたんだよね。
甥っ子はまだ二歳。不思議そうに私を見ていた。幼児になんてもの見せてんだ! と文句を言う前に、「ごめんねぇ、恥ずかしいおばちゃんだねぇ」という母の甘い声と共に扉は閉められた。
くっそ……! ここまで甥っ子連れてくんなよな……!
とにかく今は出掛けることを優先しなければ!
急いでスーツに着替え、化粧も必要最低限。デカ目のマスクを装着して、愛用の剣道道具一式を手に部屋を飛び出す。この間、約五分。新記録です。
階段を勢い良く降りていると、一階からひょこっと顔が覗き込んでくる。眼鏡を掛けた、温和なおじさん……いや、父さんだった。
「陸恵、そんなに勢い良く走ったら階段壊れちゃうぞぉ。ただでさえお前馬鹿力なんだから」
「ほんっとにデリカシーないなクソオヤジ!」
「今日の夜は、久し振りに家族みんなでご飯に行くんだからな。年も考えて、あまり張り切り過ぎて怪我しないようにな」
「わかってる! 一言余計! 行ってきます!」
玄関でパンプスを履き、からかう父さんの言葉を背に飛び出す。
駐車場では、朝から洗車している車バカこと一番目の弟。
「ねーちゃん。また寝坊かよ。だからオトコできねーんだぞ」
「うっせーバツイチ! お前は車とでも結婚してろ!」
「んだとこどおば!」
「お前もだろ、こどおじ!」
悪口の応酬をしながら、振り返り様に中指を弟に向けた。
庭付き一戸建ての浅沼家。父と母が二馬力で建てた愛の巣だ。今は両親と長女の私、二男の弟の四人暮らしをしている。
長男の兄貴と二女の妹、三男の弟はそれぞれ家庭を持ち、そっちの家で暮らしていた。
……こどおば言うな! 結婚したくても出来ないんだから仕方ないじゃん!! でもちゃんと正社員で働いてるし、お金も入れてるし!
両親は、もう孫が三人いるし、来年三男のところにも生まれるから、私と二男のことについては何も言わない。平たく言えば諦めてる。
(……もうこの年にもなると、需要が無いんだから仕方ないじゃん。あーあ、せめて夢の中ででもいいから結婚したかったな……)
アマーリエ・バルカンは未亡人ってことは置いておいて。
そんなことを考えながら、駅に向かう。
走る。走る。走る。全速力で走る。
急がなきゃならない。私を待っている人がいる。約束がある。
そう頭で理解しているのに、何故か頭の片隅で『行きたくない』と私自身の声を上げていた。
足が止まりそうになる。
無意識に振り返りそうになる。
いっちゃいけない。
でも、行かなきゃならないんだ。
私の心臓はチグハグした感情と全速力で動く身体に鼓動を早めていた。
駅前は新しいマンションを作っている途中で、工事音がかなりやかましい。早く通り過ぎたかったが、駅手前の交差点で信号に捕まった。
(んもう! 急いでいる時に限って……!!)
中途半端な田舎の地元だが、車通りはそこそこある。
だから、車が来ないのを見計らって! なんて、そんな道路交通法違反行為は出来ない。
イライラしながら、赤信号が青になるのを待っていた。
――その時だった。
頭上から、大きな音が聞こえた。
何かが壊れたような、不快な音だ。
反射的に顔を上げる。
私の視界に入ってきたのは、一本の棒。
棒――いや、違う。赤い鉄筋だ。
まるで、時間がスローモーションになったような気がした。
脳より先に危険を予測した身体は避けようと地面を蹴る。
だけど、普段はあまり履かないパンプスに足を取られる。
私の身体は、背中から地面に投げ出された。
赤い鉄骨の先端。
それが、竹刀の先に見えてしまった。
まるで、”面“だな、なんて。
場違いな想像が、頭を過って――
――オマエ、ハ……――
……だれ?
クスクス、と小さく嘲笑う声。
――オマエハ……――
…… あの時は、こんな声、聞こえなかった……。
――オ、マエハ、ココ……――
あの時……?
――オマエ、ハ、ココ、デ……――
……そうか、私は、あの時、ここで……。
――オマエハ、ココデ、シ……――
ここで、死……。
――次の瞬間、視界が真っ暗になった。




