第3話『バールさん、強すぎるだろ』
「……悠?」
アイは僕の名前を口にしたまま、動かなくなった。
「うん。帰ってきた」
「帰ってきたって、八年もどこに――」
「おい、再会の感動は後にしろ。こっちは撮影時間が押してんだよ」
デスDが僕たちの間へ割り込んだ。
アイは言い返しかけ、ダンジョンの入口を見て息を吐いた。
「……分かった。仕事が先。でも悠、終わったら絶対に逃げないでよ」
「逃げないよ」
「昔、一回いなくなってるから信用できない」
反論はできなかった。
アイは僕の袖をつまみ、指先に力を込めた。確かめるように一度引いてから、すぐに手を離す。
「本物、なんだよね」
「たぶん」
「そこは言い切ってよ」
呆れた声も、僕が覚えているアイのものだった。聞きたいことはたくさんあるはずなのに、アイはそれ以上問いかけなかった。
「知り合いなら話が早え。今日はこいつがカメラ。俺も現場OJTで横につく」
「今日から? 未経験で?」
「人手がいねえんだよ」
デスDは僕へカメラを渡した。両手に重さがかかる。
「落とすな。ぶつけるな。レンズに触るな。俺が死んでもカメラは守れ」
「最後だけ優先順位がおかしくないですか?」
「俺の現場じゃ合ってんだよ」
アイが小さくため息をついた。
「それで、今日の企画は悠も聞いてるの?」
「エロトラップ攻略だ」
「今初めて聞きました」
「新人に余計な先入観はいらねえ」
「出演者には余計どころか重要なんだけど」
アイは嫌そうな顔をしたものの、仕事を降りるとは言わなかった。罠に捕まっても自力で抜けられる範囲だと事前に確認しているらしい。
「こんな企画、普通なら断るからね。今日は番組を立て直すための特別回なんだから」
「なら笑って数字取れ。危険管理は俺がやる」
「分かってる。引き受けた仕事はやる」
不満を口にしながらも、アイの返事には迷いがなかった。
「衣装が少し乱れるくらいが数字になる。危なくなったら俺が止める」
「危なくなる可能性があるんですか?」
「だから俺がついてくんだろ。お前はまず撮れ」
危険なら企画自体をやめればいいと思ったけれど、今日から来た僕が口を挟むことではないらしい。
ダンジョンへ入ると、岩の通路が地下へ続いていた。壁の隙間から淡い光が漏れ、足元には細い溝や小さな穴がいくつもある。
『よい場所である。実に壊し甲斐がある』
「仕事中だから、勝手に壊したら駄目ですよ」
「誰に言ってんだ、お前」
「バール様です」
「もういい。カメラ回すぞ」
デスDが合図すると、アイの表情が切り替わった。
「みなさん、こんばんは! 今日もアイのダンジョン配信、始まるよー!」
さっきまで僕を問い詰めていた人とは思えないほど明るい声だった。
僕はカメラを向ける。
「もっと寄れ!」
「はい」
「寄りすぎだ! 顔しか映ってねえ!」
「難しいですね」
「悠、真顔で近づいてこないで。怖いから」
「ごめん」
僕が下がると、デスDがカメラの向きを直した。
「出演者だけ見んな。進行方向と足元も入れろ。ダンジョン配信は何が起きるか分からねえんだ」
それは戦うときの周辺警戒と同じだった。アイ、通路、足元、左右の壁。危険があれば全部を視界へ入れる。
「急にマシになったじゃねえか」
「見る場所が分かりました」
「そのまま撮れ。余計なことはすんなよ」
アイが歩けば、僕も距離を保って進む。足元の段差では画面が揺れないよう膝を使い、曲がり角では先に通路の奥を確認した。
「お前、本当に初めてか?」
「撮影は初めてです」
「その答え方、別の何かは初めてじゃねえな」
何度も隊列を組んで危険な場所を歩いたことはある。ただ、いま説明すると撮影の邪魔になりそうなので黙っておいた。
通路の先で、アイが床の石板を踏んだ。
壁の穴から半透明の蔓が飛び出した。
「きゃっ――!」
蔓はアイの手首と足へ巻きつき、両腕を頭上へ引き上げた。別の蔓が上着の裾を絡め取り、じわじわと壁の方へ引っ張っていく。
配信画面のコメントが流れ始めた。
『きた』
『今日の企画これかよ』
『デスD分かってる』
「ちょ、待って! 聞いてたより締めつけ強いんだけど!」
アイの声から、配信用の明るさが消えた。
「デスD、これ本当に安全?」
「動くな! 無理に抜けると締まる!」
デスDの顔から笑いが消えた。
アイの足が床を離れかけている。蔓が身体を奥へ引き込み、その先の壁がゆっくり開き始めた。暗い穴の中で何かが動いていた。
救助が必要だ。
僕はカメラを地面へ置いた。撮影するものがいなければ、これで止まるだろう。
「おい! カメラ置くな!」
「アイを助けます」
「待て、罠を止める手順が――」
「壊せば止まります」
『ようやく我輩の出番である!』
腰からエクスカリバールを抜く。
地面に置いたカメラは少し傾き、低い位置から僕の背中とアイを映していた。配信が続いていることには気づかなかった。
まず、蔓が伸びている壁の付け根を殴る。
石壁に埋め込まれていた仕掛けが、乾いた音を立てて砕けた。蔓から力が抜ける。落ちてきたアイを片腕で受け止め、床へ下ろした。
「アイ、怪我は?」
「ない、けど……何で壁まで割れてるの?」
「罠が埋まってたから」
開いた穴から、硬い外殻に覆われた魔物が這い出した。僕より大きい。前脚を振り上げ、アイへ叩きつけようとする。
間に入り、振り下ろされた脚を避ける。
頭が無防備になった。
一歩踏み込み、エクスカリバールで普通に殴った。
鈍い音が一度した。
魔物は床へ沈み、その身体が内側から淡く光った。硬い外殻が光の粒へほどけ、あとには掌に収まるほどの結晶だけが残った。
「終わりました」
『つまらん。脆すぎるのである』
背後が静かだった。
振り返ると、デスDが口を半開きにしている。
「……は?」
「アイは無事です」
「いや、見りゃ分かる。お前、今何した?」
「罠を壊して、魔物を倒しました」
「何でそれで死ぬんだよ!」
「僕は死んでませんけど」
「そっちじゃねえ、魔物の方だ!」
デスDは叫んだ直後、はっとして地面のカメラへ走った。
「配信は!?」
「カメラは置きました」
「置いただけで切れるか!」
デスDが確認用の画面をのぞき込む。そこではコメントが、読めない速さで流れていた。
『誰だよ、あのカメラマン』
『バールで倒した?』
『罠ごと壊したぞ』
『助け方が雑すぎる』
『いや一撃っておかしいだろ』
『バールさん、強すぎるだろ』
『バールさん草』
『もう一回見たい』
バールさんというのが誰なのか分からなかったけれど、デスDは画面と僕を何度も見比べた。
その日の配信は、そこで終了になった。
入口へ戻るころには、さっきの場面だけを切り出した映像が作られ始めていた。画面の数字が止まらず増えていく。
「おい……これ、回ってるぞ」
デスDの声は、さっきまでより低かった。
「撮影、失敗しましたよね。すみません」
「そこじゃねえ!」
デスDは僕を指さした。
「お前、何者だ?」
「今日からカメラマンです」
この回は、「カメラマンなので画面には映らない」という立場を、どうやって主役の見せ場へ変えるかに一番悩みました。
カメラを置いて助けに入る。それだけなら撮影失敗ですが、地面に置かれたカメラだけは一部始終を捉えている。悠にとっては当たり前の救助が、視聴者には正体不明の超人登場として見える構造です。魔獣が光になって消え、結晶を残す描写も、この回から入りました。
次回、第4話「元勇者、バズる」。
本人が知らないところで、地面すれすれの映像がどんどん広がっていきます。




