第26話「元勇者、バールを手放す」
扉の向こうには、下へ続く階段があった。
「みんな、次は階段! 階段見て!」
『見てるぞ』
『階段ガン見勢』
『こんな真剣に階段見たことない』
『見てみて♡地下迷宮』
『見てみて♡大迷宮、まだ続いてて草』
「その名前、定着させないで!」
アイは嫌がっていたけれど、作戦はそのまま続いた。
デスDが進行方向を撮り、アイが視聴者の意識を映像の中心へ集める。萌は三機のドローンで前後と横道を監視し、椿さんは過去の調査記録と映像を照合する。
道が揺らぎ始めるたび、アイが呼びかけた。
「右の通路見て!」
『見てる!』
『固定! 固定!』
『めぐ司令、次どっち!?』
『左です』
「左だって!」
現れたナイトメアは、僕かティアが片づけた。
許可された障害物は僕が壊し、広い場所ではティアが前へ出る。視聴者が同じ場所を見ている間、通路も階段も形を保った。
同じ方法は、次の階層でも、その次でも通用した。
『構造固定を確認。そのまま進んでください』
「見てみて♡大迷宮、完全攻略だな」
「その作戦名で報告書を出したら怒るからね」
『作戦名は任務の成否に影響しません』
「椿さんも否定してください!」
軽口を挟みながら、僕たちは下へ進んだ。
けれど、いくつ目かも分からなくなった階段を下りたところで、迷宮の様子が変わった。
「みんな、正面を見て」
アイが呼びかける前から、通路が動いていない。
『お兄ちゃん。地図が止まってる』
「視聴者が見てるからじゃなくて?」
『その前から。ドローンが向いてない場所も変わってない』
これまでは、目を離した場所から形が変わった。
今は違う。
分岐は一つもなく、まっすぐな道が奥へ続いていた。僕たちを迷わせるのをやめたというより、そこへ来いと示しているようだった。
「分かりやすくなったではないか。進むぞ、悠」
「うん。でも気をつけて」
ティアと並んで通路を進む。
その先に、巨大な円形の空間があった。
高い天井も、等間隔に並んだ柱も、最初から動く気配がない。中央には、これまでの個体より大きなナイトメアが立っていた。
デスDがカメラを左右へ振っても、柱の位置は変わらなかった。
黒い輪郭が揺れているのに、その位置だけは少しも変わらない。
「椿さん。あれもナイトメアですか?」
『形状は一致しています。ただし、反応は過去記録のN型に近いです』
「N型?」
『仮称です。ノルアドレナリン反応を異常増幅させることから、調査班がそう呼称しています』
「もっとマシな名前なかったのかよ」
『現場では通じています』
デスDが黙った。
N型ナイトメアが、僕を向いた。
攻撃が来る。
そう判断した瞬間、目の前が白く染まった。
世界の境界に、赤い先端を突き立てる。
ひびが走る。
僕はそれを壊した。
帰るために。
萌に、アイに会うために。
割れた境界の向こうへ、光が流れ込んでいく。
見覚えのある町の地下に、黒い穴が開いた。
そこから何かがあふれ、地面の下を走り、日本中へ広がっていく。
病院のベッドに、萌がいた。
幼かったはずの妹が、長い時間をそこで過ごしている。
家へ帰っても、父さんと母さんはいない。
僕が壊したから。
僕が帰ろうとしたから。
家族が――。
『悠』
声が聞こえた。
『悠。これは幻である』
分かっている。
僕はあんな穴を見たことがない。魔力が日本へ広がるところも知らない。
これは記憶じゃない。
それでも、違うと言い切れなかった。
ダンジョンが現れたのは、僕が境界を壊したのと同じ頃だ。
萌が長く病院にいたことも、父さんと母さんがもういないことも、本当だった。
同い年のはずのアイが年上になってしまったことも、本当だったんだ。
『悠。認識を奪われるな』
「……僕が」
手の中の重さが、急に怖くなった。
「僕が持ってちゃ、駄目だ」
『悠!』
指から力が抜ける。
ガラン、と金属が床へ落ちた。
エクスカリバールが、僕の身体から離れた。
「――悠?」
ティアの声がした。
同時に、身体の奥から何かがあふれた。
ずっと押さえ込むために使っていた魔力が、一度に僕へ戻ってくる。床の細かな砂が浮き、円形の空間全体が震えた。
「なんじゃ、この魔力は……!」
『数値、急上昇! お兄ちゃんからです!』
魔力はある。
でも、身体が動かない。
目の前では、病院の萌が僕を見ていた。
N型ナイトメアが動く。
「悠!」
ティアが僕の前へ出て、両手を突き出した。黒い塊が防壁へぶつかり、床を削りながら僕たちを押す。
「みんな、部屋を見て! そこから目を離さないで!」
アイが呼びかける。視線が集まり、円形の空間は形を変えない。
『右からもう一体! ティアちゃん、今は動かないで!』
「分かっておる!」
『増援の接近を確認。内部班は防御を優先してください』
「優先してどうにかなる状況かよ!」
デスDがカメラを構えたまま叫んだ。
僕は動けない。ティアは僕とアイを守っている。アイが視聴者の意識をつなぎ、外の二人が全体を見ている。
床にはエクスカリバールが落ちていた。
「アイ! カメラ持て!」
「え!?」
「映像切んな!」
デスDがカメラをアイへ押しつけた。アイは慌てて受け取りながらも、円形の空間を画面の中心から外さなかった。
デスDは床へ飛び込む。
「武器が落ちてりゃ、拾うしかねえだろ!」
「待って、デスD!」
伸ばした手が、青い本体をつかんだ。
『――ほう』
「……あ?」
デスDが動きを止めた。
『聞こえるか、人間』
「誰だテメエ」
『我輩である』
「知るか!」
『これはよい』
「何がだ」
『壊しても壊れぬ』
「……は?」
エクスカリバールが、デスDの手の中で大きくなった。
青い亀裂のような紋様が、握った右腕から肩へ走る。骨の砕ける音が続き、デスDの身体が不自然に揺れた。
「痛ええええええええ!!」
『素晴らしい!』
「どこがだクソバール!!」
デスDの声へ、エクスカリバールの声が重なった。
握っているだけで、腕も肩も壊れている。それでもデスDは死なない。倒れないまま、巨大になったバールを持ち上げた。
『デスカリバール爆誕』
『ガチで持てたのかよ』
『本人ずっと痛がってるぞ』
『事故だろこれ』
N型ナイトメアが、デスDへ黒い塊を放つ。
デスDは巨大なバールを振った。
一撃だった。
黒い塊も、N型の身体も、まとめて消えた。
遅れて光の粒が散り、ひびの入った大きな結晶が床へ落ちる。その向こうでは、壁と床がまとめて大きくえぐれていた。
N型が消えた瞬間、病院の萌も、町の地下に開いた穴も消えた。
円形の空間が視界へ戻る。僕は大きく息を吸った。まだ胸は苦しい。でも、さっきまで本物だと信じていた光景が、急に遠くなっていた。
精神攻撃が切れたんだ。
「悠!」
「……大丈夫。戻ったよ」
円形の空間が静まり返った。
『ナイトメア反応消失しました。あとは最奥部にビーコンを置いていただいて――死柄木さん?』
『しがらきさんって誰』
『信楽焼?』
『デスDを本名で呼ぶ人初めて見た』
「俺にも本名くらいあるわ!!」
『死柄木さん。バールを床に置いてください』
「俺もそうしてえよ!!」
『断るのである!』
『……二名分の音声を確認しました』
僕は床へ手をつき、立ち上がる。
「デスD。それ、離して」
『なぜである。相性がよい』
「だからだよ」
デスDの身体から、これまで感じたことのないほど危険な気配が膨れ上がっていた。
……ふう。僕は、ゆっくり息を吐いた。
――もしかすると、久しぶりに本気を出さないといけないかもしれない。
悠を止めるため、単純にもっと強い敵を出すのではなく、本人が抱えている罪悪感を増幅する相手を置きました。魔物が消えた瞬間に精神干渉も切れ、悠は正気へ戻りますが、その前にバール様を手放してしまいます。
そして落ちたエクスカリバールを拾うのが、危険を承知でも撮影を続けるデスDです。《生存》との相性がよすぎた結果、敵は一撃で消えたのに、もっと危険なものが残りました。ラストの悠は、久しぶりに本気を出す覚悟を決めています。
次回、第27話「バール様、デスカリバールを名乗る」。
バール様を手放した元勇者が、本来の魔力を解放します。




