5話「人混みの中で」
提灯に火が入り始める頃、通りはさらに人で溢れていた。
屋台の呼び込みの声。
鉄板の焼ける音。
甘い匂いと、油の匂いが混ざり合う。
大和と静紀は並んで歩いていた。
「さっきより人多いな」
大和が周囲を見回す。
「……時間帯」
静紀は短く返し、視線を前に向ける。
人の流れは途切れない。
笑い声も、足音も、絶えず続いている。
——そのはずなのに。
一瞬だけ、同じ方向を向く人の視線が、揃った気がした。
子どもが、何もない空間を見上げている。
「……」
静紀はわずかに足を止めかけて、すぐに歩き出す。
「どうした?」
「……なんでもない」
言い切る前に、空気が揺れた。
人混みの隙間。
そこから現れた。
黒く歪んだ影——“悪きもの”。
「出たな」
大和が迷いなく踏み込む。
距離を詰め、一気に間合いに入る。
振り抜かれた刃が、迷いなく影を捉えた。
同時に、静紀が結界を展開する。
タイミングは合っていた。
一瞬だけ。
きれいに噛み合う。
だが——
『……ちがう』
耳元で、何かが囁いた。
「——っ」
静紀の動きが、ほんの一瞬止まる。
結界の展開が、わずかに遅れた。
その隙間を縫うように、影が揺れる。
「静紀っ!?」
大和の声。
「……ごめん」
短く返しながら、静紀は結界を張り直す。
遅れは、取り戻せる程度だった。
倒したものを封域へ送る。
「……」
今のは、何だった。
人混みの奥、考える間もなく、次が来る。
また一体。
さらに、もう一体。
数が増えている。
「チッ、まとめて来やがったな」
大和が舌打ちする。
「片っ端からいく!」
踏み込もうとする背に、静紀が声をかける。
「待って、人が——」
その瞬間。
影が、人の流れに紛れた。
一般人のすぐそばに入り込む。
静紀の結界が、わずかに広がる。
人の視線が逸れていく——はずだった。
だが、一人の子どもが、影の方を見た。
「……っ」
判断が割れる。
攻めるか。守るか。
『……いやだ』
『……えらばれた』
また、声。
今度は、はっきりと。
一つじゃない。
静紀の視線が揺れる。
どこから聞こえたのか、わからない。
「……今の、何」
思わず零れた言葉。
「何が?」
大和は気づいていない。
その一瞬。
静紀の結界の位置が、わずかにズレる。
「——っ!」
大和が踏み込む。
だが、結界との位置が合わない。
防ぎきれない。
影が弾かれ、軌道が逸れる。
その先に——
一般人。
「危ねぇ!」
大和が無理やり軌道を変える。
肩がぶつかりそうになるのを、強引に避ける。
ギリギリだった。
「さっきからズレてる!」
振り返りざまに吐き捨てる。
「……」
静紀は言葉を返せなかった。
違和感が、言葉にならない。
わからない。
でも、確かに——何かがおかしい。
その後も、数体の影を処理し封域へ送る。
戦えないわけじゃない。
倒せないわけでもない。
それなのに。
「……なんか、やりづれぇな」
大和がぼそりと呟く。
「……うん」
静紀も、小さく頷いた。
同じ感覚を、共有している。
でも。
原因は、見えないまま。
一息つき、人混みの中に視線を戻す。
景色は、変わらない。
笑い声。
灯り。
賑わい。
その中で——
『……そっちじゃない』
静紀が、ゆっくりと振り返る。
誰もいない。
「……今の、気のせいじゃない」
小さく、呟く。
夜が、深くなる。
提灯の灯りが完全に支配し、影が濃くなる。
音が、膨らむ。
ほんの一瞬だけ。
すべての音が、途切れた。
『……いけに』
「——」
静紀の呼吸が止まる。
「どうした?」
「……なんでもない」
目を逸らす。
風が吹く。
ざわめきが戻る。
何も変わらない。
何も、起きていない。
——そのはずなのに。
違和感だけが、確かに残っていた。




