第3話 攻略と帰り道
イオに詳しく話を聞いたところ、浅野には好きな物が無いらしい。
そして、彼女が口に出す「好きな物」は周りの評価に依存しているだけ。
つまり、周りに同調しているだけ。
そして本人も、それでいいのかと苦悩しているという。
その悩みを聞き、共感することで、一気に親密になるというのが、イオの作戦だった。
「また、クラスの女子生徒内でのマスターの評価を上げるために現在行動中です。周りの評価に依存している浅野に影響が予想されます。」
「それで…成功するんだな?」
「成功確率は91.2%です。」
「高いな。よし、いつ浅野に悩みを聞けばいい?」
「今日の放課後です。詳細なタイミングはイオが指示を出します。」
いくら何でも急すぎない?
その日、帰りのホームルームまでイオからの指示はなく、そわそわしながら 普通の一日を送った。
放課後になり、浅野が荷物を持って教室から出てもイオから指示はない。
仕方なく学校内をうろうろしていたところ、イオから「今、昇降口に向かってください。」と連絡があった。
急いで向かうと、丁度、浅野が靴を履き替えている最中だった。
すぐに右耳にイヤホンをつける。
「〈話しかけてください。〉」
「よう、今帰りか?」
浅野が振り向く。
「あ、深瀬くんじゃん。そ、今から帰るとこ」
「遅いな。帰宅部だろ」
「それ、深瀬君もでしょ」
浅野がケラケラと笑う。
「ねえ、一緒に帰る?」
浅野が少し冗談めかして言う。
浅野の急な提案に、俺は少し驚いた。
イオの、評価を上げる作戦が生きているのかもしれない。
「ああ、帰るか」
靴ひもを結ぶ間、体育館からは、バスケ部がドリブルをする音が聞こえた。
グラウンドからは、野球部がノックをする音が聞こえた。
爆発しそうなほど早く動く自分の心臓の音が、他のどの音よりも大きく聞こえていた。
「浅野って家どの辺だ?」
「駅の向こう側の方」
「じゃあ、方向は一緒だな」
「知らんかったん?私、登校するとき、よく見るから知ってたけど」
「よく見るって俺を?」
「うん。マジで気づいてなかったんだー。悲しー」
「え、いや、その…」
「〈対象は本気で怒っていません。謝っておけば大丈夫です。〉」
「…ごめん、大体音楽聞いてるから、そっちに集中しちゃってて」
「あはは、怒ってないってば。言い訳してんのおもろい。確かに、普段は音楽聞いたり、スマホ見たり、自分の世界で生きてるって感じだよねー、深瀬くんって」
「一人で過ごす方が楽なだけだよ」
そう、楽をしてるだけ。
「そういうの、結構すごいなって思ってる」
「ううん、いろんな人と話せる浅野さんの方がずっとすごいよ」
「そうかなー。てかさ、今日の朝、話しかけてくれたっしょ?すごい意外だったかも。深瀬くん、私みたいなのとはつるまないと思ってた」
まあ実際昨日までは、これからも関わることないと思ってた。
「なんとなく、そういう気分だったんだよ。話してみたいって思ったんだ」
「あーでも、ちょっとわかるかも。話したこと無い人と、話してみよーみたいなとき、あるかも」
あ、今、俺の話に合わせた?
たぶん事前に浅野のこと聞いてなかったら気づかなかった。
そうか、彼女は、同調することに慣れているんだ。
「深瀬くんってさ、休日何してるの?」
「家でゲームしてること多いな」
「いいじゃん。私も家で過ごすの好き」
「浅野さんは休日何してる?」
「友達と遊んだりって感じかなー」
「結構アクティブなんだな」
「あーでも、家も好きだよ?」
まただ。
俺の話に合わせてる。
「趣味とかあるのか?」
「なんか私たち、お見合いみたいな会話してる」
浅野が笑い出して、俺もつられて笑う。
「趣味かー、ドラマ見るとか、服買うとか、カラオケとか、そんな感じかなあ」
「どれが一番好きなんだ?」
「え?うーん、どれも好きだよ?」
違う、どれでもいいんだ、君は。
「〈そろそろ悩みを聞いてください。〉」とイオが告げる。
「なあ、浅野」
「んー?」
「お前、本当に好きなもの、ある?」
浅野が少しだけ目を見開いた。
まるで、見透かされたみたいに。
「え、なにそれ」
「ずっと、俺に合わせてくれてるんじゃないかって思ったんだけど、違うか?」
浅野がうつむく。
「…」
「朝の話も、俺に合わせてくれてたよな」
「…なんで、わかったの?」
「俺も、浅野に似てるから」
「え?」
うつむいていた浅野が一瞬顔を上げた。
その表情には驚きが映っている。
俺は少し間を置いてから話を続ける。
「俺、嫌われるのが怖くて、ずっと人と関わらないようにしてた。浅野も、嫌われるのが怖かったんだよな。でも、浅野はすごいよ。それでも人と関わっててさ」
「……うん、ありがと」
浅野の声が、さっきよりも少しだけ震えていた。
彼女はまた俯いて、今度はスカートの裾をぎゅっと握りしめている。
「誰もね、わかってくれないんだよ。明るいとか、ノリがいいとか、みんなそう言ってくれるけど、私はそんなんじゃなくて、私には何も無いだけなのに」
彼女の口から零れたのは、予想以上に深い本音だった。
「俺さ、これからも誰とも関わらないように生きていくと思ってたんだけどさ。最近、いろいろあって、ちゃんと間違えずに人と話せるようになったんだ。…だから、きっと浅野も好きなもの見つけられるんじゃないかな。」
「そうかな」
「〈彼女が本当の自分を出せる『逃げ場所』になることを約束してください。〉」
イオからのアドバイスが聞こえる。
浅野の心を見透かした、人工的に温かい残酷な約束。
俺はそれを理解っていて、浅野を騙す。
「浅野、俺の前では無理しないでいいから、本当に好きな物、一緒に探そう?」
浅野がゆっくりと顔を上げる。
その瞳は潤んでいて、今まで見てきたどの表情よりも、ずっと人間らしく、そして弱々しく見えた。
「…ずるい」
浅野が小さく何か言った。
「え?」
「何でもない」
「そうか」
少しずつ浅野の顔に明るさが戻ってくる。
「じゃあ、その代わり、深瀬くんが人に話しかけるための練習台になってあげる」
「?」
「私はあんたが人と関わるための練習台になって、あんたは私の好きな物探しを手伝う。これで貸し借り無し。どう?」
「いいね。それ」
「契約成立!!」
浅野が俺の手を無理やり掴んでブンブンと振る。
クラスの誰もが見ている「明るい浅野玲奈」の笑顔。それが今は、俺一人に向けられている。
「〈……解析完了。対象は「自分を理解してくれる対等な相棒」という認識を形成しました。心理的障壁、一時的に解除。好感度は緩やかに上昇しています〉」
右耳のイヤホン越しに、イオの無機質な分析が届く。
俺は偽物の言葉で、絶対的な信頼を得た。
俺は彼女の笑顔を見つめながら、罪悪感を隠すために小さく笑った。
「じゃあ、明日からよろしくな、練習台さん」
「えへへ、任せといて! 深瀬くんを立派なコミュ強にしてあげるんだから」
浅野は楽しそうに笑いながら、歩き出した。
その背中を見ながら、俺はポケットの中で拳を握りしめる。
俺は彼女を救おうとしているのか、それとも、彼女が自分自身の「本音」にたどり着けないように、イオが作り出した箱の中に閉じ込めるのか。
『〈マスター、次のステップです。彼女の「練習台」という役割を最大限利用し、明日以降、より密接なコミュニケーションを指示します。……彼女は今、あなたを「味方」だと思い込んでいます。ここが最も脆い部分です〉』
イオの声には、温かみも、悪意すらもない。ただ効率的な提案だけがある。
俺は「……ああ、わかってる」とだけ呟き、彼女の背中を追いかけた。




