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解釈不一致:EXORCISED EXOBRANCH   作者: 鮪屋樹聿
第一章 天忘錯史
9/10

ACT. 3 幻糸碌領・霜

 


 1

 

 オフィスビル、商業施設、住宅街────。そのどれをとっても、他の地区と比べて遥かに近未来的な街並みが広がっている。

 私達を乗せたV.S.の兵員輸送車がネツァク地区へ入ってから、既に二時間が経過していた。

 かつて要人を連れて逃げ出した場所にこうして戻って来るのというは、どうも変な感覚だ。

 放火魔は必ず現場に戻って来る。そんな格言が頭をよぎり、慌てて振り払った。どちらかと言えば、今日の私はボヤ騒ぎを見越してイベント会場に待機している消防車なのだから。

「…大丈夫ですか?冴蓮さん。」

 声を掛けてきた琉彦の声と視線には、若干の呆れが垣間見える。いちいちそうやってソワソワするのはいい加減やめなさい、とでも言いたげだ。言ってないけど、そりゃ言ってるようなものだ。

「目は口ほどに物を言うんだよ、琉彦。」

「そうですね。そんなに瞬きしても目が疲れるだけですよ、冴蓮さん?」

「クソガキ……。」

 思いっきりくすぐってやろうかと思ったが、緊張感が無いので流石にやめておいた。

 備え付けられた小さな窓に視線を戻す。

 そこで遂に、今回の目的地が目に入った。

「あれがネツァク地区の『塔』…。」

 市街地のど真ん中にそびえ立つ、高さ五百メートル程の石の塊。モノリスのように飾り気のない見た目は、ティファレト地区にもあるそれと酷似していた。

 あそこで今日、恐らくヴェスペライア全体の勢力図、或いは外界の異形への対抗力を左右する大きな出来事が待っている。

 錯律痕の再誕。V.S.の内部で密かに完結する儀式といえばそうだが、妨害に遭った末の最悪のシナリオを考えれば考える程、やはり私も無関係とは言えなかった。

 ネツァク地区は他の地区にまで防衛力を提供し、頭一つ抜けた技術力を保つ為の資金を、その成果物によって確保し続けている。

 これに加え、長官ロバート・フィンチの錯律痕は、科学技術では追い付けない程強力な錯圧への耐性を指定した街や人、装備等に付与出来る。

 これにより『V.S.が駐在しているという事実そのもの』が、外界の異形や、彼らを追い越さんとする勢力に対し大きな抑止力となっていた。

 但し、この平和はV.S.が、ひいてはネツァク地区が利益さえ潤沢なら他に何も望まぬ良心的な集団であるという前提で成り立っている。

 外界の異形の侵攻以前から都市国家の乱立と紛争によって紡がれてきたヴェスペライアの四千年に渡る歴史の中でも、今は極めて異常な時代なのだ。

 理性のない異形を前に偶発的に生まれたあまりに理性的すぎる時代は、様々な脆さを抱えたまま危ない均衡を今日まで保っている。

「さ、着いたぞ。ここで降りろ。」

 浮島の声がして、私ははっと我に帰った。

 随分長く考え事をしていたようで、輸送車はいつの間にか塔の内部へ続くセキュリティゲートを越え、目的地へと到着していた。

 入っていく瞬間を見たかったなあと後悔しつつ、青薔薇部隊に続いて輸送車を降りた。

「ねぇ琉彦、塔に入ってくとこ、見た?」

「いや、錯圧が強すぎて殆ど認識出来ませんでした。意識はあったんですけどね。」

 ふと琉彦に尋ねてみると、返事は予想外のものだった。ただ呆けて時間を潰した、というだけでも無かったらしい。

「本来、塔は人間が気軽に入れる場所じゃない。俺達も何とかここまでの道を『舗装』して通れるようにしてるけど、ひとりで正しく帰れる奴は一人もいないよ。センサー頼みさ。」

 やや目眩が残っているのか、浮島はこめかみをぐりぐりと撫でながら答えた。

 改めて全員の到着を確認し、浮島が次の指示に入る。

「…では俺達、青薔薇部隊はこのまま長官を待ち、到着次第護送する。地図と無線機を渡すから、冴蓮さんと琉彦は先に所定の位置で待機を。周波数は三十分おきに手動で変更。デルタパターンです。」

「で、デルタパターン?」

「今日の日付と天候、人数とかを参照して周波数の変更するパターンが幾つかあって……ええと、私が分かるから大丈夫。」

 琉彦にそう言って、私は手渡された無線機を調整する。ちなみに習った覚えは無い。なぜ知識として入っているかは、浮島がわざわざ知ってる前提で言ってきたのが答えだ。

 確認事項を終え、各自が準備に取り掛かった。

 塔の外観を観察していた私へ、背後から声がかかった。

「冴蓮さん。」

「あ…どうも。」

 ひらひらと手を振って、浮島が歩いてきた。

「相変わらず他人行儀なんだから。うちのソーンとは、一足先に交流を深めたみたいだけど?」

「……あの、昔の事なら、まだ…。」

「ああ、違う違う。俺を覚えてなかったりしたのはショックだったけど、それはいいんです。ただ、元気にしてたかなって。」

 浮島に促され、私達は近くに設置されていた椅子に二人で腰掛けた。

「あんな事言っちゃったけど、実は俺も、あの出来事より前の記憶が曖昧なんです。」

「えっ…?」

「外界の異形と戦ってた事や、チームに貴方が居て、とても尊敬していた事は覚えてるけど、細かい所はさっぱりです。この間は、貴方の前では覚えてるフリしなきゃってハッタリかましたつもりが、実は俺も忘れられてたっていうか…もう無茶苦茶ですね。アハハ。」

 私もつられて笑う。前回はいきなりだったし、緊張感でそれどころじゃ無かったが、改めて話してみると不思議な居心地の良さがあった。

 それから、浮島は記憶に残っているこの十年間の人生について聞かせてくれた。

 精神病院を抜け出してネツァク地区に転がり込み、V.S.へ入隊した日のこと。順調に昇進し、青薔薇部隊の隊長となった日のこと。そして、忘れていた自らの錯律痕について思い出した日のこと。

 浮島が右腕に意識を集中させると、その手に一振の短刀が現れた。刀身は途中で折れている。

「それが…。」

「ええ。かつて俺が使っていた錯律痕の一部…なんだと思います。壊れてるみたいですが。」

「そっか。実は…私の錯律痕も、とっくの昔に壊れてる。」

「えっ、アレで?」

「ええと、アレは琉彦の錯律痕が無いと、自分で使えなくて。」

「……なるほど、だから見た目が違うのか。」

 浮島から返ってきたのは、予想外の一言だった。

「どういう、意味…?」

「ぼんやり覚えてるくらい、ですけどね?

 昔の冴蓮さん、性格だけじゃなくて、もっと違う姿をしてたと思うんですよね。」

「もっと……違う……。」

 では、今の自分は一体何者なのか。

 そう思いかけた時、浮島が立ち上がった。

「でも、分かんない事に振り回されてても先には進めないですよね。俺達はもう、十年かけて新しい人生を歩んできた。ヘンな事思い出しても言ってやりましょうよ、そんなのはもう、今の俺達じゃないって!」

 新しい筈の、古い友人。

 そんな奇妙な間柄だからだろうか。

 今の一言はとても、私の心に残った気がした。

「…ありがと。アンタと話してよかったよ。」

 どちらからともなく、二人で握手を交わした。

「キョドんなくなりましたね、冴蓮さん?」

「うるさい。もうそれ、私じゃないから。」

 


 2

 


 地図に従って塔の内部を三十分程移動し、私と琉彦はとある空間に到着した。

 道中は常に薄暗く、壁や天井は灰色一色だ。時折、どこぞの古代文明かと言いたくなる意味ありげな直線が、葉脈のように壁面や柱へ掘られていた。

 待機場所は、縦方向に大きく伸びた筒状の空間だった。私達は床から三十メートル程の高さに点在するキャットウォークのような足場のひとつから、眼下を見下ろす形で儀式を見守ることになっている。

 下にある出入口は一つだけだった。長官やヰ道はあそこから入ってくるのだろうが、ここより先に繋がる道は無い。しかし、本当にここが塔の最奥なのだろうかと不安になる程、この空間には何も無かった。

 隣を見ると、琉彦はやけにわくわくした表情をしていた。

「琉彦、どうしたの?」

「錯律痕……この塔が齎す力場も、外界からナルテクスがやって来る時に生まれる力場も、ヴェスペライアの空間のバランスを保っている錯圧に影響を与え、認知異常を誘発させているという点では同じモノです。だからこれら二つは、実は同じ起源を持つエネルギーなのではないか、って学説があるんですよ。」

「ああ……有力だけど、科学主義の条道派びいきの学説だって、叩かれたりもしてたっけ。」

「そうです。もしかしたら僕達、今日一日でかなり世界の真理に近付けるかもしれませんよ…!」

「まぁね。けど、ここで起きた事はどのみち他言無用だし、他人のフリして論文とか書いちゃダメだよ?」

「あははは、流石にしませんよ。僕が生きてく上で作られる世界観に新しい解釈の余地が生まれれば、それで十分ですから。」

 琉彦はそうきっぱりと言い切った。その純粋な知的好奇心に感心していると、眼下で何か動きがあったのが見えた。

 

 点滴が装着された小さな車椅子に腰掛ける老人と、長髪の女。二人ともV.S.の上級士官のものと思しき制服に身を包んでおり、老人は数日前まで危篤状態だったとは思えない程に背筋がしっかりと伸びていた。

 私は無線機を起動し、長官ロバート・フィンチと副官ヰ道麗の到着を報告した。

 

「長官、本当ならまだICUで治療中の身です。お身体に障る前に、手短に済ませましょう。」

「そうじゃな。」

 建物の構造により、下の会話は私達の元へもそれなりにハッキリと聞こえてきた。

 おもむろに、フィンチは左手を真っ直ぐ上に上げた。

「錯律よ、凱旋せよ。」

 その呟きを合図に、辺りの空間が大きな振動を始めた。キャットウォークから落ちないよう、私は咄嗟に琉彦と体を支え合って耐える。

 やがて、ここを筒状に覆っていた壁が複雑に回転を始めた。空間自体が巨大なパズルのように駆動する中で、壁から突き出た私達の足場も右へ左へと遠慮なく移動していく。

「うぉ、おおおおおおおお……!!」

 下手な遊園地を遥かに凌ぐ命綱無しのアトラクションだ。目を閉じて足場と琉彦にしがみついていると、一分程で漸く動きが止まった。

「これは…!?」

 目を開けると、たらい回しにされた筈の私達の位置は、最初の場所に戻っていた。

 しかし、目の前の光景が一変していた。

 私達のすぐ下───高さ二十メートル程に渡って壁が大きく開かれており、新たな空間が顔を出していたのである。その先では、瑠璃色に輝く巨大な鉱物の塊が仰々しい黄金の台座に載せられていた。鉱物の塊は難解な彫刻な彫刻のようで、それ自体に意味があるようにも、ただ乱雑に削り出して飾ったようにも見える。

「これが『楔』……。」

 再び静寂が戻り、ヰ道が呟く声が微かに聞こえてきた。

「ワシが錯律痕を還元してすぐ、新たな錯律痕が再誕を迎える事になる。始めるぞ、傍を離れるな。」

「ええ。そうしましょう。」

 次の瞬間、祭壇から幾つもの細長い影が飛び出し、フィンチの胸部へ次々と刺さった。

 呻き声を上げたが、フィンチは動じていない。

 目を凝らすと、それはケーブルのような紐状の構造物だった。古代の遺跡めいた空間には似つかわしくないが、アレを介して錯律痕を塔に返していると見て間違いないだろう。

「……ところで、麗よ。」

「どうしました、長官?」

「覚えておるかの?我が勝利の錯律痕について、お前がふとした疑問を尋ねて来た事を。」

「…楔神ネツァークスが齎すのは勝利。ただ、勝利とは戦いという事象が齎した結果の片方に過ぎない。そんな事を尋ねましたね?」

「そうだ。ヴェスペライア全土へ際限なく勝利を齎せば、敗北という概念は消えるのか?と。無論答えはノーじゃ。世界はひとつの勝利で飽和せん。人々はそれまで勝利と呼ばれた結果の中で、より良い勝利を奪い合うのみだと。」

「…ではその時、勝利の錯律痕は際限なく強くなり、祝福を受けた者の願いに応え続けるのか?」

「これも答えはノーじゃ。錯律痕の持ち主が、いつか期待に追いつけなくなる日が来る。或いは、そんなものは勝利と呼ばぬと反目するかもしれんのう。」

「あらゆる異能力に絶対の仕組みは存在せず、あくまで担い手の解釈次第であると?」

「そこまで言うて良いか分からんが、そうとも言えるかも知れんのう。まさに、お前が今使っている読心術のようじゃ。」

 そう言って、フィンチは少しだけ車椅子を斜めに引き、ヰ道の顔を覗き込むように見た。

「嘘は口先だけで形を変えると思っておらんか?未熟者め…一体何奴じゃ?」

「……あら、気付いたのね。ただの人間はガイド無しじゃ塔の錯圧に耐えられないって聞いたわよ?なら自ずとわかるんじゃない?」

 ヰ道の口調が変わる。有利な立場にいると確証があってか、高圧的な笑みを浮かべる。

「あらゆる認証をすり抜ける程、精巧に人間の姿形を真似るナルテクス…本当に存在したとはのう。」

「あんな雑兵と一緒にしないで貰える…?私の階梯は『遷移中等種(ファキエム)』。より効果的にお前達を消し去る上位種なのだから。」

 間違えられた事がよほど不快だったのか、ファキエムと名乗る異形はきっぱりと訂正した。

「少し遅かったようだけど、良い所でアナタは気付いてしまった。私の読心術まで完璧に…それはどういう理屈?」

「気になるかの?」

「『楔』を手に入れるまでは騙し切れるつもりだったから。綻びってのは穢れなの。何であっても。」

「なぁに簡単じゃよ。お前さんに『読ませた』のは、その場ででっち上げた嘘じゃ。あと、そもそも麗は錯律痕で哲学なんかする子じゃないからのう─────。」

 

「ねぇ、一体どうしたんでしょうか…?」

「動きが無い……何の話をしてるんだ?」

 あまりに動きがない状況に、上層で待機する私と琉彦は顔を見合せた。途切れ途切れに反響してくる会話を拾おうと試みるが、それも困難を極めていた。

 

 下では、フィンチとファキエムの探り合うような会話が続いている。錯律痕の返還にはそれなりに時間がかかる。故に、これは外敵の素性を探る余裕を欲する者にとっても、目的を遂げて憂い無く立ち去りたい完璧主義者にとってもチャンスとなる瞬間だった。

「────して、青薔薇の小僧達が見えんようじゃが?」

「気付かなかったでしょう?あの護送車を出てから、アナタは始めから私と二人きりよ。一度目が合えば、認知を阻害する事くらい造作もないわ。彼らはまだ入口にでも居るんじゃない?」

「ふむ。」

 初手から術中に嵌った愚かさを嘆く訳でもなく、意外そうに驚く事もなく、

 フィンチはそうか、という反応だった。

「……何よ?」

「うん?どうしたんじゃ苛立ちおって…ああ、何も『読めん』からか?」

 会話から異変を感じるや否や、嘘をついているという自覚を持ちながら心を騙して会話する。常軌を逸した自己暗示。

 状況は圧倒的に有利な筈なのに、何かを見落としている。永く感じてこなかった不快な感覚にファキエムは下唇を噛んだ。

「…まぁ、誰の差し金かは察しがついておるがの。いい加減に出てこんか、マーカス!」

 

「冴─────、」

 フィンチの放った大声は、上層の私達にも聞こえていた。聞かせられたと言うべきか。

 とにかく、静かな舌戦はここまでだと彼の殺気が告げている。

 私は直感で身を翻し、琉彦がこちらを呼ぶ前に足場から落下を始めていた。

 壁面を蹴り、更に落下速度を上げていく。

 落下する私に並走する形で、琉彦のルームが現れる既に糸車が高速回転を始めていた。

「悪いね、琉彦。」

 私がそう言い終わると共に、空中でレディ・シアノアへの『早着替え』が完了した。

 右手に現れた剣を強く握り、ファキエムへと迫る。

「──────!?」

 私が上空から放った刺突はすんでの所でファキエムに躱され、床にヒビを入れた。

 だが、向こうの先手よりは早かったようだ。

 ファキエムの背後に空いた唯一の出入口から次々と武装した隊員が現れ、こちらに銃を向けてきた。

「祝福を逃れる為の、自前の光学迷彩か…アイデアは悪くないが、経費では落としてやらんぞ?」

 フィンチは未だ姿を見せない最後の一人に問いかける。

「必要ないさ、長官。お前の首で十分お釣りが来るからね。」

 マーカス・沖貞が迷彩を解除し、そう言って女の傍らに姿を現した。

「マーカス、貴様…。」

「私が敵と組むのがそんなに意外かね長官殿?簡単さ、彼女らは私の敵では無いのだ。」

 マーカスはそう言うと、私たちの背後に鎮座する楔を仰ぎ見た。

「私の敵は、私の求める世界の邪魔になるモノ。V.S.が齎すべき『勝利』を定義するのは長官の仕事。そうだろう?」

「驕るな。誰もついて行きなどせんぞ。」

「ついて行く?そんな必要はない。何の為に外界の奴らと取引したと思ってるのだね?設計図はある。あとはそれを成せる力が揃えばいい。お前達はそれしきの事に時間を掛け過ぎだ。お陰で民達は生温い思考のままで、世界はこんなにも小さくなった!」

「………。」

 フィンチは言い返さなかった。

 現実として、世界はみるみるうちに滅びへ向かっている。各地区の為政者ですら、百年先の為の政策や思想を次々とゴミ箱に捨てている。

「守る為の戦いなどもうまっぴらなのだよ。今こそネツァクは新生し、あるべき理想郷へ舵を切るのだ!!」

「それが、異形共に身を捧げる理由か?」

「コイツらも一枚岩では無いのだよ。少なくとも、私はそのひとつを手に入れた。」

 そう言って、沖貞はファキエムの首に腕を回し、その喉笛を掴んだ。

 ファキエムは一瞬苦悶の声を上げたが、その表情へ次第に恍惚そうな色が混じっていくのが見えた。

「余興はここまでだ。錯律痕は頂いていく。」

 沖貞を護る隊員達が、次第に横へ拡がっていく。私達を取り囲む気だ。

「勝利の錯律痕が尊ばれるのは、錯律痕の本質にかなり近い力を持ったからじゃ。」

 だか、フィンチはそんな展開に目もくれずに朗々と話し始めた。

「勝利を司る。それはつまり、無数に分かれた運命の中で、最も利のある結果を手繰り寄せるという事なのじゃ……おいマーカス、お前さんの手駒はこれで全員か?」

「……何が言いたい。」

「…いや、ヤメじゃ。お前さんは嘘ばっかりつくからのう。

 多少やんちゃしても、まぁええじゃろうて。」

 そう言って、フィンチは再び左手を掲げた。

「錯律よ、凱旋せよ。」

「な────────!?」

 フィンチの言葉をきっかけに、私達の背後にある楔が一気に発光した。瞼を貫通する程の光に辺り一面を支配され、全ての感覚という感覚が余す所無く混濁していく。

 どのくらいそうしていただろうか。

 ふと我に返ると、周囲の状況は一変していた。

 この空間の中央。私達が囲われかけていた筈の場所で、沖貞と八人の護衛、それからファキエムまでもが無数の銃口に取り囲まれていた。

 彼らを取り囲んでいるのは、どこからともなく現れた十数人のV.S.の隊員達だ。その中には、ファキエムに引き離された筈の青薔薇部隊の姿もあった。

「何、が…起きたの?」

 何か重要なシーンを幾つか読み飛ばした小説のように、戦局が逆転している。これが勝利の錯律痕の能力だとしたら、あまりに現実離れしている。

「せっかく楔と繋がっておったのでな、いつもより無茶苦茶にやらせて貰えたわい。

 盤面を『詰み』まで進めておいた。お前達の負けじゃよ。」

 


 3

 


 フィンチは身体に刺さったままだったケーブルと点滴を引きちぎり、よいしょと呟いて車椅子から立ち上がった。そのまま何事もなく、スタスタと沖貞の元へ歩いていく。

「なぜ歩ける…何だ、何だ、コレは…!?」

 腰の抜けた沖貞の顔が、みるみるうちに青ざめていく。思い出したように腰のホルスターに手を伸ばすも、そこには何も差し込まれていなかった。

「あれ…あ、あれ…?」

「言ったじゃろう。詰みまで進めたと。」

 沖貞の目の前でフィンチが足を止めた。

 沖貞の部下達は後ろ手に拘束されており、既に武装解除されていた。彼らの目にも同じように混乱と恐怖が浮かんでいる。

 フィンチの腰から拳銃が引き抜かれ、沖貞の眉間に向けられた。

「は……は、はは…!」

 大粒の涙を流しながら、沖貞が引き攣った笑みを浮かべる。

「と、投降しろとか、言いたいんだろう…?そうはいかないぞ!あんたがそう甘いから、世界はこんな力も満足に使えないまま、だだ、堕落したのさ…!僕は這い上がってやる……僕は這い上がってやる!!こんな所で終わらないぞ、勝つんだ、僕の邪魔をする全てに勝ってやるんだ!!お前も!アイツも!皆まとめて殺────────!」

 それより先は、無骨な銃声に掻き消された。

 目を剥いたまま、ぽかんとした顔のまま絶命した沖貞が倒れ込む。

 フィンチの表情は変わらない。

 間髪入れずに、周囲の部下にハンドサインを出した。

「やれ。」

 フィンチの周囲にいた隊員達が、残された部下とファキエムへ向けて一斉に弾の雨を振らせた。蜂の巣にされた十人分の肉塊から流れ出た血溜まりが、周囲の足元を濡らしていく。

 状況が飲み込めず、私はひたすら絶句していた。彼は手段を明かさぬまま、本当にたった一人で状況を覆してしまった。

 決着が着いたと察し、浮島達がフィンチへと駆け寄る。

「すまんのうお前達。ワシが最初に騙されちまったわい。」

「いえ、そんな…!まさか貴方にここまでさせてしまうなんて…!」

「気にするでない。それに…やっぱり謝るのはわしの方じゃ。見てみよ。」

 フィンチはそう言って、楔を指差した。

 数秒後、ガラス細工を床へ落としたように、楔は大きな音を立てて崩壊した。

「そんな…楔が!?」

 浮島が驚きの声を上げた。

「元々、限界だった…というのもあるが、今の無茶がトドメになったようじゃな。歴代の長官が持っていたような錯律痕は、どの道もう生まれ得なかったんじゃよ。」

「それならどうして、貴方はここへ…?」

「それでも、新たな錯律痕は生まれるからじゃ。ほれ────、」

 ふと何かが迫ってくる気配を感じ、浮島は崩れ去った楔の方へと身構えた。

 それをすり抜けて浮島の懐に忍び込んだケーブル状の物質が、浮島の首筋に蛇のように食い込む。

「ぐぁ……!!」

 数秒後、ケーブルは浮島の首から離れ、力無く床へ落ちて動かなくなった。

「新たな錯律痕は、お前を持ち主に選んだようじゃ、浮島徹。

 その力は、お前が守るべきだと思うモノの為に使うが良い。」

「新たな錯律痕が、俺に…?」

 フィンチの言葉に耳を傾けながら状況を整理していると、背後から私を呼ぶ声がした。

「冴蓮さん!大丈夫ですか?」

「琉彦…。っていうか、今はレディ・シアノアだってば!」

「?いやいや、もうとっくに解けてますよ?」

「え…?」

 そう言われて始めて気が付いた。既に変身が解けていたのだ。記憶が正しければ、まだ起動してから三十分も経っていない筈なのに。

「……実は僕、さっきまでフィンチ長官の能力の外に居たんです。」

 何か合点がいったらしく、琉彦はそう打ち明けた。フィンチの錯律痕は、この塔全体を覆い尽くした訳では無かったのだという。

「突然、下にいた全員が動かなくなったんです。それで一時間くらいしたら、青薔薇部隊とか、塔の入口に居た隊員の皆さんがぞろぞろ集まってきて、あの体勢に……。なんていうか、僕が寝ぼけてるのか、みんなが寝ぼけてるのか、良く分からなくなりました。」

「………。」

 ぞっとした。

 あの能力の本質は理不尽な現実改変ではなく、周囲を覆い尽くす強力な錯圧を支配下において発動する、大規模なマインドコントロールだったのだ。

 ネツァク地区では、代々これ程までに理不尽で強力な錯律痕が受け継がれて来たというのか。誰一人、それを悪用する事の無いままに。

「怖い力ですよね……でもきっと、悪い人の声には応えないと思いますよ。」

 そんな私の心の内を察してか、琉彦がそう付け加えた。


「塔は、乱れた錯圧を修正して世界のカタチを維持する為に生み出された機構である、って説があります。ここを生み出した人の意志にそぐわない事は、きっと起こりませんよ。」

「そっか…。」

 

「────おい、すぐに離れるんだ!!」

 感傷に浸る瞬間も束の間、遠くで鬼気迫る怒鳴り声が聞こえてきた。

 見ると、そこにはそれまで無かった筈の────否、既にあったモノが、新たな存在に変わろうとしていた。

 沖貞と彼の部下達が、蠢きながら膨張を続ける赤黒い肉の塊の塊へ次々と飲まれていた。

 ファキエムの姿は無い。考えられるのは、奴が人間の真似をやめたという事だ。

 後退するV.S.の隊員達が次々に発砲するも、肉塊の膨張は止まる気配がない。

「アア───アア、ア───ア──。」

 蠢く肉塊の中から、声が聞こえてきた。ヰ道の名を騙っていた時とは別の声色だ。

 言葉未満の発話に意味は感じられない。次々と叩き込まれる銃弾に悶えているようにも聞こえなかった。

 とにかく、対ナルテクス用の通常兵器すら効かないのなら特別な対処が必要になる。私はVTの再起動に必要な時間を逆算しようとして────、

「──ソコニ、イルナ───!」

 突如と取り戻された敵の知性に、何か凄まじい悪寒を覚えた。

 次の瞬間、肉塊から『腕』と形容すべき物体が飛び出し、様子を伺っていたフィンチを捕らえた。

「長官!!」

 予想外の行動に隊員達が叫ぶ。そのタイミングは奇しくも完璧で、そのまま肉塊の元へ引きずり込まれるまで、フィンチに手を差し伸べられる人間は一人も居なかった。

 為す術もなく肉塊に背中から衝突し、ゆっくりとその中へ取り込まれていく。

「長官、今助けます!」

「それ以上近付くなァ!!」

 敵を威圧する時のような声で、フィンチは付近の隊員達を下がらせた。

 これが最後に見る光景となる。その確信があったのか、フィンチの視線は駆け寄ってきた浮島を捉える。何か言って欲しそうなその顔に、敢えて言葉はかけなかった。

「アア──阿、アア阿ア─────。」

 フィンチを吸収し、肉塊から響くノイズめいた声が不意に鮮明さを帯びてきた。

 肉塊は複雑な細胞分裂を始めた生物の胚のように、何かを象り始めた。

「アア─ア、哀─────哀れよね。男は新たな世界の有り様なんて、まるで見出せていなかった。哀────。」

 言葉と共に、肉体が新たな部位を獲得していく。

「─昇進、承認、ア、勝因───、疎外され、認められず、世界との繋がりを渇望した。それはいつしか、阿、世界そのものへの所有欲に変わった。」

 全長五メートル程の巨人。禍々しい角に、地面に垂れるほど伸びた尾。そして骨ばった大きな翼。あらゆる世界線において根源的な悪性を表現すべく、よくデザインされた生物だった。

「悪魔…?」

 その姿を見た隊員のひとりが呟いた。

 最後に、悪魔の顔面が形成される。それは先程激情と共に血溜まりに沈んだ、彼らの副官によく似ていた。

「『回帰せよ、色欲の朔律。』

 溶け合いましょう、ツァーカブの破壊の中で───!」

 目を覚ました悪魔、ツァーカブが歩き出す。

 その足は真っ直ぐに、壊れた楔の残骸へと向かっていく。

「撤退!撤退だ!!!」

「急げ!!遅れるな!!!」

 ツァーカブの足元から蜘蛛の子を散らしたように逸れ、私達は唯一の出口へ向けて全速力で走った。

 走りながら背後の様子を伺うと、ツァーカブは残された楔の残骸──瑠璃色の鉱石の山に跪き、これを夢中で貪り始めた。

 意図は分からない。分からないし、どの道今ここで倒す事は叶わない。

 走りながら、次の対策を考える。

 あの肉体は塔を出ても健在なのか。どんな攻撃をして、何を目的に動くのか。

 そして、VTは起動できて一日二回。次が最後となるが、正直ああいった大きな敵を相手取るのは得意じゃない。

「───────うわぁ!?」

 考え込んでいると、突如私の隣にルームが現れた。琉彦が錯律痕を起動したのだ。

「どうしたの、急に?」

「一つ考えがあります。」

 各々が対抗策を練る中、琉彦は一足先にアイデアが浮かんだようだ。

「分かった。何をしたらいい?」

「ドレスを『編み直し』ましょう、冴蓮さん。」

 



 4


 

『マジカル☆ナイトガール  シアノアン  DVD BOX vol.13』には、地上波で放送されていないエクストラエピソードが収録されている。

 このエピソードでは、柊露(ひいらぎつゆ)という女侍が登場する。彼女は主人公シアノアンの良き友でありライバルでもある存在だ。

 ある日、病に伏せった露に代わり、シアノアンは彼女が日々こなしている妖魔退治の仕事を、露に扮して引き受ける事になる。

 始めは勝手の違う妖魔退治に苦戦するも、シアノアンには武器に宿る「おもいで」から使い手の技量を再現するという得意技があった。

 彼女は借りてきた露の刀に眠る「おもいで」を解放し、最後には無事妖魔退治を成し遂げる。

 

「──────えと、うん。これかな。」

 薄暗くて広い通路を全速力で駆けながら、好きなアニメのエピソードについて場違いながらも真剣に語る。

 琉彦から急に振られた『お題』により、私は人生で何番目かの恥辱を味わされていた。

「…それで、どうなの!!使えそうなの!?」

 ちなみに語気が強いのは怒っているのでなく、意味もわからず話が聞こえているであろう周囲の隊員達へ「これは雑談じゃなくてあくまで戦略の話ですからね」と強調する精一杯のエクスキューズである。

 

「今聞いた中だと、最後のが一番良さそうですね。それでいきましょう。」

 琉彦がそう言い終わるや否や、傍らを浮遊するルームから普段では聞かないような駆動音が鳴り始めた。

 程なくして、私達は塔の外へと脱出した。

 ここへ来た時、塔の外周は内部よりも錯圧が強く、意識を失う程だった。

 しかし現在、そうした感覚がぶり返してくる気配は無い。恐らく中枢たる楔が破壊され、塔が本来の機能を失ったからだ。V.S.的には後で大騒ぎなのだろうが、今は戦い易くて都合が良い。

 兵員輸送車に戻り、更に二キロ程距離を取った。

 改めて車から降りた途端、塔の側面が大きな音を立てて爆発する。

 左目の望遠モードを起動すると、煙の中から這い出るツァーカブを捉えられた。

「奴だ…!普通に出てきて平気みたいだね。」

「ええ。楔の残骸を食った異形共の上位種…ここから先には通せませんよ?」

 塔を出てから連絡した増援が続々と市街地より到着し、私達の隣へ、そのまた隣へと帯状に集まってくる。決着は、この半径二キロの危険地帯(ホットゾーン)の中で付けなければならない。

 〈全隊、配置に着きました。浮島徹副官代理、ご指示を!〉

「ああ。作戦開始だ!」

 浮島の合図と共に、地上からは兵員輸送を兼ねた装甲車や戦車、上空からは何機もの戦闘ヘリが塔を目指し始めた。

 早速、ミサイルや機関銃が轟音を立てて発射されているのが見える。ここまで歩兵レベルの装備でしか対処できなかった分、一層頼もしく見える。

「よし…私達も行こう。琉彦、『型紙』はバッチリ?」

「ええ。行きましょう、冴蓮さん!」

 行動を開始した私たちの目の前に、一機のヘリコプターが風を切って降下して来ていた。

 乗組員の手を取ってヘリに乗り込み、ヘッドホン式の無線機を装着した。

 〈上昇開始。〉

 無線越しにパイロットの声がして、ヘリが次第に高度を上げていく。 

 煙を上げる塔を凝視しながら、私は先程輸送車の中で確認した作戦を反芻していた。

 今回私が新たに纏う衣装は、当然ながら『試作』である。一作目にあたる『翠風騎士』の衣装が様々な戦い方を取れるのは、長く使い続けた事で「こういう戦い方をする事もあるだろう」という解釈の余地を見出せたからだ。

『試作』で行えるのは、原典となったエピソードに即した一動作。一撃分の攻撃だけだろう。少しでも原典から逸れた時点で、恐らく錯律痕自体の動作が停止する事になる。

 私の出番はその一瞬だが、失敗は許されない。

 〈目標が移動中!〉

 〈逃がすな、追撃しろ!〉

 穴の空いた塔に隠れていたツァーカブが、煙の中から外へと飛び出していた。

 〈どうして外へ飛び出したんだ…?これだけの集中砲火だ、棟の外壁はまだまだ遮蔽に使えたろうに…。〉

 浮島の疑問はもっともだ。移動の自由が効くようになるとはいえ、姿を晒して逃げ回る事をわざわざ選んだという事だろうか?

 〈煙…じゃないかな?攻撃の激しさってより、あそこに留まる事を我慢してたみたいだった。〉

 そう言ったのは、別の地点からツァーカブを観察していたソーンだ。

 〈つまり、奴は運動に酸素を消費してて、常に呼吸が必要って事か…?〉

 有り得る話だ。人間に擬態して生体センサーを掻い潜り、その後は人間を材料にして、肉塊のまま膨張していた。

 作り変えた今の肉体も、人間と同じ仕組みで動いているのだ。

 〈試してみよう…総員、追撃続行!徹底的に疲弊させろ!!〉

 廃都の屋根を飛び回りながら、ツァーカブは地上と上空からの攻撃を全速力で躱していく。

 肉塊の時に見せた回復力は健在であり、銃創程度なら数秒経たずに完治させていた。

「言うは易し、ですね…。」

 琉彦が悔しそうに呟く。

 そして、ツァーカブもお返しとばかりに一計を案じてきた。

 〈……まずい、そっちへ通すな!!〉

 ツァーカブが迫ってきたのは、隊員達が押し掛けていた後方支援拠点だ。

 ヘリ部隊の警告も虚しく、拠点に飛び込んだツァーカブは隊員達を鏖殺していく。

 同士討ち(フレンドリーファイア)を警戒して空からの機銃掃射も封じざるを得なくなったヘリ部隊が、ツァーカブを正確に狙える距離まで高度を下げていく。ドアを開き、狙撃銃を構える隊員の姿も見えた。

 しかし、ツァーカブはこの局面を意図して作っていたのである。

 近くに乗り捨てられたトラックを両手で抱えると、それを渾身の力を込めて投擲した。

 〈な──────!!〉

 狙われたヘリからパイロットの驚いた息遣いが届いた次の瞬間、大きな爆発音と共に通信が途絶した。

 〈ヘリ部隊は至急距離を取れ!狙われるぞ!〉

 慌てて高度を上げたヘリの一機に狙いをつけ、ツァーカブは既にスクラップとなっていた軽自動車を片手で投擲した。

 一機目より開いていた距離も虚しく、軽自動車はヘリのテールローターに衝突した。

 〈メーデーメーデーメーデー!!こ────〉

 後ろ半分が吹き飛び、コントロールを失ったヘリは百メートル程先で墜落し、大きな火柱を上げた。

「くそ…!」

 思わず奥歯を噛み締めた。予想よりもかなり頭が回る。このままでは決定打を見いだせないまま犠牲を増やしてしまうだろう。

 せめて、錯律痕にもっと融通が効けば…。

 〈冴蓮さん。こちら浮島、一度直接合流できませんか?〉

「え……。」

 浮島から無線で直接呼び出された。

「何かあったの?」

 〈ええ。俺の、新たな錯律痕の能力が分かりました。〉

 

 私達を乗せたヘリは大きく舵を切り、主戦場から離れた廃都の広場に着陸した。

 時を同じくして、浮島の乗る四輪駆動車が到着した。

「それで、その能力というのは…?」

「これを見て。」

 浮島が錯律痕を起動すると、その右腕には大きな弓が握られ、布や革と少しの金属を紐で複雑に締め上げた防具に包まれた。

「弓…?折れた剣しか出せなかったんじゃ?」

「そう。名前はもう思い出せないけど、俺は昔、沢山の武器と堅牢な防具に身を包んで戦ってたんだ。壊れて、ただの折れた刀しか出せなかった筈が、武器を取り替えたり、防具を蘇らせたり出来るようになった。」

 浮島はそう言いながら、今度は弓を刀に取り替えた。現れた刀には傷一つ入っていない。

「つまりこれが────、」

「そう。既にある錯律痕の強化、これが新たな錯律痕の能力なのかを確認したい。二人共、急ぎ手伝って欲しい。」

 

 僅か五分後。

 あちこちで上がる火の手を潜り抜け、一機のヘリが高速でツァーカブの元へと折り返していく。

 この五分の間に空中からの攻撃を完全にセーブさせたツァーカブは、上空からの防御に回していた翼を完全に修復し、今は空中を飛び回りながら各地に展開する隊員達を手当たり次第に攻撃していた。

 ただ思うように翼を制御できず、一度に稼げる滞空時間はさほど多くないようだ。

 当然だ。人間をベースに作られたのなら、翼を勘で操れる筈が無い。

 既に殆ど日が落ちている事もあり、これが最後のチャンスだと覚悟を決めた。

 

 まずは地面と上空双方からの機銃により、ツァーカブを暗がりの多いエリアへと追い込んでいく。

 〈いいぞ。ヘリ部隊、そのまま囲め!〉

 三方から飛来したヘリコプターがツァーカブを取り囲むように飛び回り、移動を牽制する。

 そこへ更に一機のヘリが、低空飛行で敵の視界の外から滑り込んだ。ドアが開き、乗り込んでいた浮島が取り付けられたミニガンを連射する。

 この動きに対し、他の三機は呼吸を合わせて一斉に高度を上げていた為、射線上には居なかった。パイロット全員を青薔薇部隊に変えた事で初めて可能となった芸当である。

 背中の翼を執拗に狙われ、ツァーカブは堪らずに路上へと降り立つ。そこは破壊された車両の火柱によって照らされた、付近で唯一の明るい場所だった。

 車両は、予め燃やしておいた餌である。

 〈よし、一気に潰せ!!〉

 ツァーカブが降り立ったのは、四方に道路が伸びたロータリーである。その全てから装甲車が急発進し、間髪入れずにツァーカブへと激突した。

「阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿!!?」

 苦悶の叫びが響き渡る。

 天を仰いだツァーカブは、頭上を通過しようとするパラシュートを目撃した。

 横切ったのは、乗っていたヘリから飛び降りた徹と、そこへ同乗していた琉彦だ。徹に身体を縛り付け、一緒に飛び降りていたのだ。

「いけるか、琉彦?」

「充分!」

 直後、装甲車に擦り潰され続けているツァーカブの身体を、更なる圧迫感が襲った。

 先刻より特に食い込んでいた二台の装甲車が盛大に乗り上げ、身体に沿うようにピッタリとくっついて離れないのだ。

 やがてバランスを崩し、装甲車に挟まれた身体はそのまま真横へと倒れ込んだ。必死に身をよじるも、身体は既に強力なワイヤーのような物体に縛り上げられていた。

「ルームの糸がここまで頑丈になるなんて。」

「着地する。喋ってると舌噛むぞ。」

 徹と琉彦が、完全に動けなくなったツァーカブの視線の先にふわりと降り立った。

「よし……総員撤退!繰り返す、総員撤退!直ちに目標から距離を取れ!!」

 しかし装備を外すや否や、浮島はそう宣言して琉彦と共に走り去った。

 ヘリコプターの音も、軍用車両の排気音も、隊員達の足音も、全てが遠ざかって静寂へ帰っていく。

 そしてそれは、唯一残された処刑人の足音を、この上なく際立たせた。

 

「阿────────。」

 氷のように冷たい殺気が、空間を侵食する。

 視線の先に現れたのは、長刀を携えた一人の女。

 顔を出した月夜に照らされ、足元まで伸びた白い髪と、優美な衣が小さく風に凪いでいる。

 その美しさは、女による死にゆく者への餞か、死を美化せんと足掻く獲物の幻想か。

 女の目が虚ろに開かれる。女は斬るべき敵どころか、前すらマトモに見ていない。

 琳洞冴蓮は、刀を見ている。

 ただ、思い描いた一太刀を振るう、それだけに意識を埋没させている。

「『ヴェスティシア・トレスティア Opus.Ⅱ:霜天剣客』。」

 だからこの呟きにも、大した意味は無い。

 斬られる獲物にとっては、知らないが。

 

「阿阿、阿阿阿阿、阿阿阿阿阿…!!」

 吹きすさぶ風が、ものの数秒で氷点下を下回り、瞬く間に周囲を凍らせていく。

「阿───────、」

 遂に、ゆっくりと掲げられていた刀が、すとん、と真下に振られた。

 

 そこで、悪魔の記憶は終わりを迎えた。

 彼は感じられない。

 そこから遥か後方まで、あらゆるものが断ち切られて響いた音も。

 刀が呼んだ嵐のような豪雪が棄てられた街を瞬く間に覆い、悉くを凍てつかせた音も。


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