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解釈不一致:EXORCISED EXOBRANCH   作者: 鮪屋樹聿
第一章 天忘錯史
7/10

ACT. 1 ティファレトの落日


「我々は物事をあるがままに見ず、我々の在り方のままに見ている。」

アナイス・ニン








 1

 


 〈おはようございます。チャンネル844.9、この時間は、『デイリー・ヴェスペライア』をお送りしております───────。

 本日のティファレト地区は、昨日の雨も上がり、一日を通して快晴でしょう。

 しかし、先程午後5時に更新された認知災害警戒レベルはⅣを突破しています。

 不要不急の外出を避け、武器弾薬の補充をお忘れなきようお願い致します───、─。〉

 青年、ライオネル・カーチスは、ちょっとした逃避行の最中であった。

 十代の頃から篭りっきりで研究に没頭した研究施設を飛び出した彼は、このティファレト地区にて念願だった新しい刺激に包まれていた。

 できる限り、叶うべきでは無い形で。

「くそ、くそ、くそ……!!おい、何なんだよコレは!?」

 初めは小さな振動だった。

 アイドリングもせず、完全に停止していたはずの車は次第に複雑な揺れに蝕まれ、今では運転席の計器類までもが余す所無く狂っている。

 針は不規則で無意味な往復を繰り返し、電子パネルはノイズだらけ。砂嵐の奥にチラつく文字も、引き伸ばされたように歪んでいた。

 絵に書いたようなポルターガイストの数々に襲われ、冷静さを保とうとする程に呼吸が短くなっていくのを感じる。

 ライオネルは堪らずに車を飛び出した。

 どうせ周囲は渋滞した車だらけの異常だらけだ。誰も構いやしないだろう。

 思った通りだった。周囲で渋滞に嵌っていた他の人々も、皆一様に様々な異常現象に襲われたらしく、次々と車外へ飛び出していたところだった。

 スーツを着た若者、老人、小さな子供。

 唯一、予想と違ったのは、その誰もが、焦りのない冷静な眼差しで、武器を携えながら出てきていた事だ。

 訓練された兵士、という出で立ちの者は一人もいない。外出する時に持っていく鞄のように誰もが銃火器を持ち歩いている光景は、ライオネルに強烈な違和感を与えた。

 彼を一人置いて、車を降りた群衆が次々と走り出し、道路の片側を埋め尽くすようにして展開し始めた。

 横並びになった無数の銃口が、ある方向へ向けてと一斉に向けられた。その統率された動きに視線を誘導され、ライオネルも「何が現れた」のか気付く事が出来た。

 とてつもなく大きな球体が空中に浮いていた。直径はおよそ二十メートル。混じり気のない黒色で、写真で見た宇宙の天体がすぐそこまでゆっくりと降りてきたような神秘さがあった。

 これが、外の世界を知らなかったライオネルにとって、初めて目にする認知災害となった。

 数多の超常現象に蝕まれた世界に誕生した、人類の文明を脅かす明確な敵性勢力。

 このティファレト地区は比較的安全が確保されてきた自治区であると聞いて安心していたが、これはとんだ見当違いだったようだ。

 黒い球体は、ぐるりと弧を描いたハイウェイのちょうど真ん中に現れ、四方を銃口に取り囲まれていた。

 暫くして、続いていた沈黙がついに破られた。球体を囲っていた全ての銃口が、炸裂音と共に一斉に火を吹いたのである。

 遠くの外周では、幾つかの赤く光るものが煙と共に射出されて飛んでいくのが見えた。恐らくは電子制御された地対空ミサイルの類だろう。

 即席でここまでの火力が現れたのも勿論の事だが、偽装していた訳でもない明らかな民間人がこの戦況を作り上げたという事実に、ライオネルは形容し難い不気味さを拭えずにいた。

 約二十秒後。集中砲火を浴び続けた球体の表面に、ある変化が起きた。ここからでもよく見える。常温で放置された氷のように、表面が「溶け始めた」のである。はるか下に溶け落ちた淀みからは、たちまち幾つもの人型の怪物が這い出てきた。

 ナルテクス。

 この世界────ヴェスペライアにおいて、最も死傷者を出している認知災害の産物である。ある個体は鋭く象られた片腕の爪を持ち、またある個体は頭を垂れる程の巨大な一本角を備えている。それらはまるで、人類が辿らなかった進化の道程をなぞった生物のようだ。

「顕現体の出現を確認。原因不明の巣穴は依然として上空に停滞中!」

 〈コピー。以後はV.S.(ヴァーサス)が対応にあたる。市民は緊急避難要項に従い、速やかな対比を──────。〉

 目の前で蜘蛛の子を散らすように陣形を崩していく市民たちの雑踏の中で、そんなやり取りが聴こえてきた。

 足早に離れるなら今、だろうか……?

「そっか。認知災害を目にするのは初めてでしたよね。」

 逡巡するライオネルの背後、一人で乗ってきた筈の車内から少年の声がして、思わず肩が跳ねた。

「だっ、誰だお前!なんで俺の車に!?」

「貴方がこの車を借りた所で、既に中に…。『我々』の用意した車以外だと、後からでも細工が効いてしまうので。」

 そう言いながら、目の前の少年は後部座席からするりと助手席へ身を滑り込ませた。

「僕は琉彦(るひこ)。ここまで単独での逃亡、お疲れ様でした。

 ここからは、僕がご家族の元まで直接ご案内致します。」

『緊急避難要項』に従い、車内に仕込まれた飛行ユニットを起動させた車が次々とハイウェイから飛び降りていく中、琉彦とライオネルを載せた車は来た道を逆走する形で異常の発生現場から離れていく。

「なぁ、その……コイツは飛べないのか?」

『えーっと、はい。すみません、予算の関係で…。』

「………。」

 こちらとしてもなるべく安く済み、足のつきづらそうな民間のエージェントという無理な条件で助っ人を探していたので、文句は言わない事にした。気になるのは、それよりも……。

「大丈夫なのか、さっきのアレは?」

「『パラドクス・ホール』。新型の認知災害です。都市部にはあの規模の災害が現れないよう錯圧を押さえ込んでいる『塔』があるんですが…。」

「新型は、場所を選ばずに出現する、って?」

「ええ。ですから、ティファレト地区だから絶対に安全、という事でも、最近はなくて。」

「気にすんなよ。世界が終わりかけてるって話は常識だろ?あそこを出たところでって覚悟はしてたし、なんて事ないよ。」

 正直に言わせれば、この時のライオネルはかなりのショックを受けていた。彼が人並みの人生経験を棒に振ってまで没頭したのは、都市秩序をより強固なものとする為の兵器やその基盤となるシステムの開発である。

 信じて送り出した成果の数々が糧となったはずの世界は、それをいとも簡単に破壊しうる無秩序に未だ翻弄されていた。理想ばかりを追い求めて生きてきた彼の心は、この現実をまだ上手く受け止めきれていなかった。

「そうだと、いいんですが。」

 琉彦もそれきり口を開かなかった。


 

 2


 

 数分後、車は枝分かれした道でUターンし、元の順路に戻った。非常事態とは言え堂々とハイウェイを逆走していたので、ここまで正面衝突しかける事態にならなかった事にライオネルは小さく安堵した。

 しかし次の瞬間には、新たな異常がライオネルを出迎えた。

「おい、人が立ってねぇか…?」

 前方五十メートルほど先で、誰かが路上に仁王立ちしているのが見えた。こちら側を向いているものの、動く気配はない。

 何のつもりか知らないが避けて進もう、と車のスピードを落とし始めたライオネルを琉彦が手で制した。

「何だよ?」

「大丈夫です。このまま轢いてください。」

「はぁ!?」

「敵です。実体が無いタイプの場合、近くに留まる方が厄介ですので、突っ切りましょう。」

「実体が何だって?幻覚って事か!?」

「ええ、ですので問題無いです。」

 何か無理やり会話を畳まれた気がしたが、既に衝突寸前だ。ここで勢いよくハンドルを切ればかえって危ない。よく分からないが実体が無いとか何とか言ってたし、やはり認知災害とやらが見せる幻なのだ。ほぼそうだ─────、

 

 数秒後。

 がつん、とも、ごつん、とも言えそうな鈍い音を聞いた。

 反射的にブレーキを踏むと、急停止した車の数メートル前方に、先程の人影がぐしゃりと落ちてきた。

「……いや…………アレ……?」

「轢けましたね。」

「いや轢けましたねじゃなくて!!

 どうすんだよ!!ガッツリ轢いちゃったんですけど!!?」

「見るからに異形の敵でしたので。別に大丈夫でぶ……大丈夫です。今のも舌噛んだだけなんで、これも大丈夫です。」

「見るからに動揺してんじゃねーか!大丈夫なんだよな、俺殺人犯になってないよな!?」

 そうだ。敵があの球体から零れ落ちてきたような、異形の怪物の仲間であればいいのだ。

 数刻思案した後、ライオネルは意を決して車のドアを開けた。

 近付いて、アレが何なのか見定める。それで充分だ。緊張感からなのか、何か雑音のような違和感がアタマに響いてくる感覚があるが、気にしない。ずんずん進む。みてみたいから。とてもきになる。もっと、もっとちかくで、じっくり。アレ、なんだかヘンだ。待て、本当に変だ。これじゃあまるで、眼前でむくりと身体を起こしたあの人影に、引き寄せられているような──────。

「そこで止まれぇぇぇぇっ!!!」

「な…っ!?」

 そこで漸く、ライオネルは頭に繰り返し響いていた雑音は何度も自分を呼ぶ少年の声で、それ以外が全て幻覚だったと知覚した。世界が丸ごとひっくり返ったような違和感を押し込み、慌てて足を止める。

 前方では、異形らしきモノは既に体を起こしきっていた。奇妙だ。その姿は自分と同じような人間の男にしか見えない。

 しかし、明らかに人間らしからぬ点もある。

 思わず魅入られる程に男から放たれていた存在感が裏返り、強烈な殺意となってこちらを圧倒していた。

「ハァ─────ッ、ハァ────!」

 呼吸が不規則に乱れ、心臓が痛む。

 このまま進めば殺される。一歩引いても殺される。例えではなく、吹きすさぶ殺意から本当にそう宣言されているような感覚があった。

「よォ。穴だらけな箱庭の住人。」

 男の第一声は、えらく詩的だった。

 男はローブのような長くてボロボロの黒装束に身を包んでいた。無精髭に覆われた口の端を吊り上げながら、まっすぐこちらへ歩いてくる。名状し難い恐怖に動けないでいるカーチスを守るように、琉彦はライオネルの一歩前へと出た。

 そこで男は足を止め、初めて二人の顔をしっかりと覗き込んだ。

「うん?これはこれは…。ごきげんよう、ライオネル・カーチス。ティファレト地区へようこそ。それとお前が、シアノア……?いや違うな、シアノアは女だと聞いた。」

 そう言って、男はつまらなそうに琉彦から視線を外すと、再びライオネルへ笑顔を向けた。

「ライオネル・カーチス!V.S.からの熱烈なオファーを断ったと聞いたが、そのまま行方知れずになった時は驚いたよ。

 しかし、一介の科学者が単身でネツァク地区を抜け出すなど夢物語だ。そこでお前はシアノアの手を借りた……そうだろ?」

 男の話し方は軽快そのものだが、確実に二人を足止めしに来たのだと、言葉の裏から滲む殺意が、そう伝えている。

「フン、だんまりか。遠回しな会話は苦手らしいな。なら本題といこう。」

 そう言って、男はパチン、と両の掌を打ち合わせた。

「俺は、『松島道楽』。

 かつてはコクマやビナを攻め落とし、今回はティファレトのド真ん中を手にかけた。ただの住民があそこまで抵抗したのは驚いたがな。よく訓練されていたと見える。つまり俺はテロリストで、恥知らずの売国奴。この世界、ヴェスペライア全土の敵だ。

 俺が欲しいのは、お前達人類の反撃の余地───カーチスの遺産。もとい、その名で隠された新兵器の鍵となる…博士、お前の生体情報だ。」

 朗々と語る黒装束の男───松島の言葉に、ライオネルの表情が今日一番の恐怖の色に変わる。しかしせめてもの抵抗と言わんばかりに、その口をキュッと閉じた。

 それを受け、松島の目は再び琉彦にピタリと合わせられた。

「では君に聞いてみよう。これは誰に頼まれたおつかいなのか、それを教えてくれれば十分だ。もし糸を引いているのがシアノアなら……君も俺達の同類だったり?」

 少年へ目線を合わせるようにしゃがみ込み、松島はそう尋ねた。

「随分とその、シアノアにご執心ですね。」

 対して、琉彦の返事は冷ややかなものだった。ただそこには「だったら何だ」と言わんばかりの怒気が垣間見えており、松島はそれを察するなり、再び口の端を吊り上げた。

 こいつは手玉に取れる───────。

 そんな慢心が、次の一瞬の出来事に対する松島の反応を遅らせた。

「『ルーム』!!」

 少年の背後から突如として人型の人形が飛び出し、松島に飛びかかった。

「おっとぉ───!?」

 しゃがんだ姿勢のままその初撃を躱した松島へ、ルームと呼ばれた人形は更なる追撃を連続で叩き込む。しかし、人形の手首から飛び出した細長い針によるフェンシングのような刺突攻撃を、松島は千鳥足になりながらも全て躱しきった。

「危ねぇ危ねぇ。ガキにまで『その力』を与えるたァ、ティファレトも随分追い込まれたもんだな。」

 フードが取れた事で、起き上がった松島の顔がはっきりと見えた。

 顔の半分の皮が引き剥がされたように無くなっており、その内側からは見た事もない黒ずんだ組織が露出していた。いよいよ人間ではない、そう確信できた事で、ライオネルは不思議と状況を冷静に捉えられるようになってきた。

 攻撃行動を終えた人形、ルームが浮遊しながらするりと琉彦の元へ戻り、主を守るように防御姿勢を取る。

 その全身は循環する血液のように硬質な糸が行き来しており、背中に取り付けられた糸車が立てるカラカラとした音が、静かなハイウェイの路上に響いていた。

「おい…お前まで、なんだよそれ?」

 堪らずに、ライオネルが琉彦へ尋ねた。

「『錯律痕(ミスティグラム)』。

 世界の命運を身勝手な神から押し付けられた奴らの、可哀想なギフトだよ。」

 答えたのは松島だった。しかしその直後、松島はルームに対して不可解だ、とでも言いたげな視線を向けた。

「だが妙だな。コイツからはどうにも、超能力らしい覇気を感じねぇ。

 不意打ちの剣、いや針捌きは大したもんだったが……次も同じように主人を守れるかな?」

 松島はそう言って、次はこちらの番だとばかりに姿勢を落とした。

「ライオネルさん、僕の後ろに!」

 琉彦が叫ぶ。

 ライオネルは言われるより前に自ら琉彦とルームの後ろへ逃げ込もうとしていたが、松島はそれを凌駕するスピードでライオネルに飛びかかった。

「────!!!」

 そのまま松島の手がライオネルを掴みかけた、その刹那。

 松島は突如としてその身を翻し、大きく飛び退いた。

 松島の視界の端でほんの少し閃いた光。それが自分の元へ一直線に迫ってくる何かだと気付いたものの、松島はこれを躱せなかった。

 どこからか投擲され、飛来してきた直剣(レイピア)が、身体を翻した松島の左肩を抉る。

「何だ、こいつは……?」

 松島はすぐに後ろを振り向くも、レイピアは既に背後の地面からひとりでに抜けていた。それは柄を先頭にして、飛んできた過程を巻き戻すように再び飛んで行き、持ち主の手元へと収まった。

 視線を戻した松島の前に、ひとりの女騎士がふわりと降り立った。

 翡翠色を基調とした、華やかさと凛々しさを兼ね備えた古風な装束。

 銀の直剣は雲間から差す光を反射して、涼しげな目元と共に澄んだ光を放っている。

 その姿は、馬車やシャンデリアで彩られた童話の登場人物が飛び出してきたような、時代錯誤で唯一無二の存在感を放っていた。

「綺麗な錯律痕だ…もっとタメてから来ると思ってたよ───レディ・シアノア。」

 手負いになりながらも、そう言った松島の表情はここにきて一番の活力に満ちていた。

 睨み合う両者の頭上を、何機かのヘリコプターが轟音を立てて後方へ通り抜けた。

 機体にラッピングされた隊章(エンブレム)は、彼らが認知災害の鎮圧に動いたV.S.の治安維持部隊である事を示している。

「お互い時間は無さそうだな。俺達のような能力を持つ者がこんな所で見つかれば、問答無用で粛清対象だ。それでは面白くない。」

「琉彦、こいつは?」

 松島を無視して、レディ・シアノは琉彦へ尋ねた。

「ネツァク地区からの追っ手とは別です。ライオネルさんを狙ってる。」

「このまま規定のルートで連れていって。そっちには行かせないけど、あまり時間は掛けられないから、急いで。」

 頷く琉彦へシアノアは小さく微笑みかけると、再び冷酷な騎士の目に戻り、眼前の松島を捉えた。

「逃がすと思ってんのか?」

「追えると思ってるわけ?」

 視線の上で、すでに二人の戦闘は始まっていた。

 錯律痕。

 滅びを目前に控えたこの世界を見守り、均衡を保つ守り神達が授けたギフト。

 巷で謎の女騎士、レディ・シアノアとして噂される彼女を作るのも、この錯律痕が人間に齎す超能力の一つである。

 彼女の名は琳洞冴蓮(りんどうされん)

 身辺警護、逃がし屋、傭兵……法律スレスレ、荒事寄りの何でも屋で食い繋いでいた彼女は、ひょんな事からこの能力に目覚め、以後はレディ・シアノアとして裏社会に知られ始めていた。

 彼女を知る人ぞ知る都市伝説の女騎士に仕立てあげたのは、派手な見た目と戦いぶり、それでいて極端に目撃情報が短い事にある。

 環状ハイウェイを飛び出し、レディ・シアノア────もとい冴蓮は、松島が隠し持っていた短剣と自身のレイピアとを打ち合わせながら市街地を疾走する。

 その合間に、懐にある懐中時計をチラリと見やる。

 戦闘開始からおよそ二分が経過した。

 このまま相手の出方を伺い、立ち回りを把握するまで、残り三分。

 そのまま適した戦術を練り上げるまで、更に七分。余剰三分。反撃を開始したら五分でカタをつけ、残る十分で琉彦たちの元へ帰る。

 レディ・シアノアの戦闘は、必ず三十分以内でなければならない。

 それが都市伝説の正体であり、錯律痕から齎されたこの力が併せ持つ制約である。

 戦闘開始から五分。

 ここまで防戦に徹していた冴蓮は、レイピアを握り直し、徐々に攻勢へ転じていく。

「いいぞ、来い!!!」

 咆哮する松島。

 ライオネルを狙っていた事などとうに忘れ、純粋に戦闘を楽しんでいるように見えるが、未だに底の見えない敵という印象があった。

 ここまでに奴が振るってきたのは、ヴェスペライアを侵略せんとする外界の異形(ナルテクス)と同様の瘴気を宿した短剣だけ。

 その腕前こそ油断出来ないモノではある筈だが、松島は何らかの異能を持つ者であると明言した上で、未だにそれらしいものを使ってこない。

「『装典────第二十八説───!』」

 錯律痕の出力を上げていくと同時に、冴蓮は全身に衣装と同じ色の光を纏い始めた。

『ヴェスティシア・トレスティア Opus.1:翠風騎士』。

 この力には、そんな名前がついている。

 冴蓮の内に蓄積されたある英雄の勇姿の数だけ、冴蓮はその奇跡を再現して敵を屠るのだ。

 

 攻撃が来る。

 そう松島が認識した時には、冴蓮の姿は松島の視界から消え失せていた。

 速い、と相手が感じる認識すら置き去りにする、正真正銘の神速。

 松島は判断を迫られる暇すら与えられず、先程の初撃で取れかかっていた肩口を腕ごと吹き飛ばされた。

「くッ……クククク…!今のは効いたぞ!!そうか!そうやって俺を殺すんだな!!」

 無様に地面に転がされても尚、松島は不敵な笑みを崩さずにそう言い放った。

 鮮血が吹き出してくるかと思った左半身からは、血と同じ色をした朱色の霧が、発煙筒を焚いた様に噴き出して拡がっていた。

 松島道楽は明らかに外界の異形と繋がっている────否、これは彼女にとっても初めて見るケースだったようだが、異形そのものであると判断すべきだった。

 慎重に観察する冴蓮の思考を妨げるように、松島はすかさず次の一手に出る。

 止まることを知らずに吹き上がり続けていた朱色の煙が更に勢いを増し、瞬く間に冴蓮の前方を覆い尽くしたのだ。

 直感的に、冴蓮は霧の中央目掛けて真っ直ぐに飛び込んでゆき、繰り出せる限り最速の刺突を放った。

 その一撃は周囲を漂う霧へ素早く風穴を空けたものの、松島を捉える事は無かった。

 すぐに霧の外側から、自らの死角、目に入る全ての物陰へと意識を広げていく。

 しかし、既に松島道楽の気配は完全に消失していた。

 

 

 3

 


「────ええ、こちらは大丈夫です。既にだいぶ距離を取れましたし、このまま目標へ向かいます────。」

 そんな会話の後、俺に琉彦と名乗った少年は通信を切ってこちらへ向き直った。

「それで…松島道楽と名乗った、あの男に見覚えは?」

「無いってば。俺だって何が何だか分かんないよ。」

 実にパニックだらけの数時間だった。

 レディ・シアノアとやらが応戦した事で、ひとまず撃退には成功したようだったが…やはり俺には、あんな知り合いはいない。

 ライオネル・カーチスという名もネツァク地区から逃げ出すにあたって取引用に用意した偽名だ。それが知られているという事は、先に亡命の手伝いを申し出てきたあの治安維持組織────V.S.とのやりとりがどこからか漏れたのだろう。

 やはり、暫くは用心棒──例えば、この超能力持ちの子供に守られながら、ここで隠れて過ごす事になるのだろうか。

 全く、思っていた生活と違いすぎて頭が痛い。

「というか、予定よりだいぶ遅くなっちゃったけど、『おばさん』は何か言ってる?」

「大丈夫です。『おばさん』も仕入れ作業が滞ってて、迎えに行けるか怪しくなってたみたいで。」

 少し驚いた。歳の割に大人びた言動が目立っていた琉彦が、依頼人の親族を急に『おばさん』なんて馴れ馴れしく呼んだからだ。

 いや、言動はどうあれ、いつの間にかマトモな大人や戦力としてこの子を扱ってきた俺がおかしかったのだろうか……?

「……?ああ、なるほど。」

 そんな俺の心の声を丸ごと聞いていたように、琉彦は無邪気に微笑んできた。

「本当に偶然なんですがね、今回ライオネルさんを引き取ってくれる人は、僕達もお世話になってる人なんです。」

「えぇ……?しかも、僕達、って?」

「詳しい話は着いてからにしましょう。さぁ、あと一息です!」

 琉彦に促され、俺達は夕暮れのティファレト地区を進み出した。

 

 車を乗り捨てる事になったハイウェイを離れ、災害とは無縁な程賑わった街中を抜け、ひたすら歩き続けること二時間。遂に今日のゴールに辿り着いた。

「ここが………?」

 大通りの手前、大きな歩道エリアの一角に、それはあった。

 新聞と雑貨に覆われた、小さな商店。奥には簡単な厨房が見える。店の前にはフードコートにあるような二組の小さな白いテーブルが、同じ色の椅子とともに構えられていた。

 背後には、店舗とピッタリくっついた二階建ての民家が見えている。

 そうして立ち尽くしている俺の手前に、ふいに琉彦が回り込んできた。目を合わせると、琉彦はその場で恭しく一礼してきた。

「改めまして……『エディーコラ・バスケッティ』へようこそ、お客様。」

「君、ここで働いてたのか……!」

 ここまでの一連の出来事がこの少年の裏稼業だとするならば。

 ここには少年の表の顔、日常があったのだ。

 陰湿で、時に血なまぐさい場所から距離を置ける場所があった事を知り、何故だが我が事のように安堵した。

「な〜に堅苦しい挨拶かましてんだィ、このマセガキ。主人が品のない奴だと言いふらして下剋上でもかます気かい?」

 その直後に聞こえてきた声の主が誰か、俺はその姿を見ずとも確信していた。

 忘れもしない。最後に別れた時も、この人の声だけはよく耳に残っていた。

「おばさん…!」

「久しぶりだね。アンタを忘れた日は無かったよ、ヨリヒト。」

 ミランダ・バスケッティ。

 ネツァク地区での研究生活が始まるより遥か前。両親の死後、13歳で学校の寮に入るまでの面倒を見てくれた、実の叔母だ。最後に会った日から数えると既に五十代も半ばの筈だが、誰よりも活気に溢れたその姿は今も健在だった。

「ここがアタシの店、エディーコラ・バスケッティだ。簡単な飯と紙の新聞を売ってる。で、こいつは居候兼店番の琉彦。暫く店番も品出しもサボってやがるから、今はただの居候だね。自覚はあるかいクソガキ?」

「ハイ…。」

 そう言っておばさんに頭を乱雑にこねられている琉彦は、何だかひときわ小さく見えた。

「後は金食い虫兼用心棒の居候がもうひとり……おい琉彦、冴蓮はどうしたんだい?」

「恐らく、もう部屋かと…?」

「おバカ、さっさと呼んできな!挨拶も無しで何勝手に引き篭ってんだいアイツは!」

「ハイ!!」

 二つ返事でぴゅーっと駆けていく琉彦。その様はいつか老舗の宿泊施設で見た見習いの子供のようで、先程までのニヒルさは見る影も無い。

 苦笑いを浮かべつつ、俺は彼の後を追って店へと歩いていった。

 

 店舗の奥の民家に通され、おばさんの趣味らしき骨董品に囲われた居間で茶を啜ること十数分。琉彦に促され、一人の女が二階から降りてきた。

 短く切られているが、頭の先まで無造作に乱れたままの髪に、やや傾いたままの丸眼鏡。よたよたした足取りと一切正す気のない猫背からは、歓迎する意思…というか、こちらを認識しているかすら怪しい程の興味の無さが伺えた。

「琳洞です。」

「おお…。」

 思わず「そうですか。」と言いかけた。ここまでシンプルな挨拶は滅多にしないしされないので、一周まわって若干面白くもある。

「俺は東頼人(ひがしよりひと)。おばさんの甥っ子なんだ。ライオネルって偽名を聞いてるかもだけど、それはもう忘れてくれていい。色々あって、暫くここで世話になる事になったから、これからよろしく。」

「え、あ、その、はい………。」

「……そうだ、琳洞さんは用心棒も兼ねてるっておばさんが言ってたけど、本当?」

「ぅあ、えと、いや、そん、大したすごいのじゃなくて。私は違くて……VRみたいな……そう、VR。VR………用心棒。みたいな、だから。」

「?????」

 VR用心棒?

 物理的な荒事担当じゃなくて、例えばあの店がサイバー攻撃にあった時は対処にあたるテック担当、とかそういう事だったのだろうか。

 専用のゴーグルを被り、その中でリズムに合わせてコンピュータウイルスを切断するウイルス対策ソフトとかがあれば、それっぽいような。

「ちょっと冴蓮さん、なんか話がすごい方向に飛んでってるんですけど…?」

「琉彦が説明してよ…なんでいきなりこんな…。」

 助け舟を出そうとした筈の琉彦までコソコソと話し出してしまい。完全に会話が途切れた。

 ひとまず「アットホームでイイですね」という顔をして次の展開を待つ事にする。

 コソコソすること数十秒。

 冴蓮は二階へ戻っていった。

「なんで!?」

 俺は思わずガタリと席を立った。

「すみません……!その、また明日ゆっくり話してあげてください。」

「ああ別に、いいんだけどさ。また明日ね。」

 琉彦が本当に申し訳なさそうなので、静かに席に座り直した。ノリツッコミに本気でビビられてはアイスブレイクなど夢のまた夢になってしまう。

 そこへ、店仕舞いを終えたらしいおばさんが戻ってきた。

「あんにゃろ、ま〜た適当な挨拶して戻ったろ?客人ひとりももてなせずにどうやって店番手伝うってんだィ、アイツは。」

「まぁまぁ、今日の所は良いって。俺も色々捲し立て過ぎたかもって言うか……。」

 そう言っておばさんをなだめていると、席を立っていた琉彦が何かを拾い上げていた。

「もう、ま〜た置きっぱにして……。」

 リュックサックだった。どうやら冴蓮のモノらしい。二人のリアクションを見るに、居間になるべく私物を置くなとか、そういうルールがあるのだろう。

「フン。待ちな琉彦。」

 呆れ顔でカバンを二階へ持っていこうと拾い上げた琉彦を、おばさんは制止した。

「今一度ハウスルールを叩き込んでやるいい機会だ。頼人、アンタが持ってってやんな。」

「俺が!?」

「恥かかせてやんのさ。ホラ行った行った!」

「そうですね。せっかくなのでお願いします、頼人さん。」

 もはや俺が客人として招き入れられた事実は遠い過去のモノとなっているらしい。嬉しいような、何だかやるせないような。

 ただ、一時は迷惑をかける人間にふさわしい態度で望まなくては、と考えるまでナーバスになっていた俺にとって、これは嬉しい誤算だった。

「……分かった、俺が行くよ。」

 家族の一員にして貰う儀式だと解釈して、俺は冴蓮のリュックサックを手に二階へ上がった。

 

 二階は一直線に伸びた廊下から左右に部屋が配置されており、その間取りは一本の大樹を想起させた。

 その中で、一番奥の右側の部屋に繋がる扉だけが、隙間から光を漏らしていた。

「あそこか。」

 異性の私物を手に持ち続けている気まずさも相まって、足取りは少し早歩きになった。

 扉はドアノブも無い引き戸になっていた。勿論指紋や網膜、ナノマシンなどによる電子ロックも存在しない。プライベートな空間と外を隔てるには、実に不用心で配慮の無い設計と言える。

 だからこそ。

 誰が開ける、誰の部屋なのか。そんな互いの繋がりが、この境界を強固にしたり、弱くしたりしているのだろう。

 同時に、俺はきっとそこまでの関係性は築けないだろう。という考えがよぎった。

 ここまで考えもしなかった、不思議な感情だ。

 里親になってくれたおばさん。

 俺が学校の寮へ入り、暫くは俺と同じように独りに戻っていた筈のおばさん。

 十年と少しの歳月は、彼女に新しい家族を与えていた。

 これから失われた時間を取り戻すのだと、そんな気持ちでいるのは俺だけだった。

「…そうか。寂しかったんだな、俺。」

 俺は大人になった。慈悲深く頭を撫でてくれる存在はとっくの昔に死んでいる。

 だから、心の中では死んでも言いたがらない言葉を敢えて口に出して、その代わりとした。

 さて、と気を取り直して、俺は目の前の引き戸に手をかける。

 一秒前の俺は一秒前に死んだ。

 ここに来たのは、生まれ変わる為だ。

 より不確かな俺に。より新しい俺に。

 今から、そんな自己陶酔にお前をも巻き込んでやるぞ。そう宣言するように、俺はこの上なく無遠慮に、思いっきり引き戸を開けた。

「「うわぁぁぁっ!!」」

 その直後、何か硬いものと勢いよく正面衝突し、俺と冴蓮の声がハモった。

 二人して、鏡写しのように尻もちをつく。

 同時に、辺り一面に板状の塊が大量に落ちた。

「……………………。」

 冴蓮はこちらを見たままぽかんとして動かない。

 いや違う。こちらを見るなり絶句して動けないでいる。眼鏡がするりと眼窩から滑り落ちても、固まったままだ。

「てて………悪ぃ、大丈夫か?」

 冴蓮に声を掛けながら体を起こす。それと共に、手に乗っかっていた板を無意識に拾い上げた。

「これは…?」

 それは円盤型の記憶媒体が収められた、プラスチックのケースだった。映像やソフトウェアを少しだけ収めるモノで、ヴェスペライアでは二百年以上前に役目を終えたものだ。

 ヴィンテージものにしては状態がいい。恐らくは錯史界───『辺獄』を経て流れ着いてきた、平行世界の遺物なのだろう。ヴェスペライアの再生機器がそのまま使えるのだろうか。

 パッケージの言語も翻訳インプラント無しで読める。中身は映像作品のようだ。タイトルは────『マジカル☆ナイトガール シアノアン 完全版 VOL.6』……?」

 パッケージには、翡翠色の服を着込んだ、男装の麗人、とでも言うべき女性のイラストがプリントされている。

「あ…………、あ………。」

 何かを言い淀むような冴蓮の声に反応し、咄嗟にそちらへ顔を向けた。

 先程は俯きがちな角度と眼鏡のせいでよく見えなかったその顔を見た後、俺の視線は不思議とパッケージのイラストへ戻った。

 で、また冴蓮の顔へ勝手に視線が飛んだ。

 わざとじゃない、人生初の反射的な二度見だった。

「あぅ……、ぁ……。」

 言葉にならない言葉で、冴蓮が何か訴えてくるような感覚を覚えた。言うな。それを言葉にするな、という無言の圧。

 以前の俺であれば躊躇ここでしただろう。しかし……いや、大義名分で脚色するのはよそう。

 なんか思ってたのと違った。そういう真実を、驚きのままに口に出せる世界へ、俺はやって来たのだ。

「レディ・シアノア………?」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」

 悲愴と羞恥の混じった女の悲鳴をファンファーレに、東頼人の新生活が幕を開けた。

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