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ACT. 5

錯律痕。

人類が授けられた、滅びゆく世界からの最後のプレゼントを、私達はそう呼んでいる。

それは世界のカタチを定義しうる程の奇跡。

この力に選ばれた者は、それが誰であれ例外なく救世の運命へと足を踏み入れるのだという。そんな、既に幾千もの希望が潰えたこの世界では呪いめいたその烙印スティグマを、ある時私も刻まれる事になった。

ただ幸いにも、私には戦う理由があった。

戦う為の武器、死なない為の鎧、限界を超えるための奥の手。錯律痕は、私にとってその全てとなったのだ。


ナルテクスの攻撃が地面へ到達し、先の咆哮を上回る轟音とデタラメな破壊による地響きが空間を埋め尽くした。

私は攻撃が届く前に『変身』を済ませ、紙一重で落下攻撃の射程外まで逃げ切っていた。

「フゥ......間一髪だね。」

内側に跳ねた髪をさらりと流して、私は不敵な笑みを浮かべてみた。

...。

いや、こっっっっっっっっわ。

帰りたい。死ぬかと思った。背骨は凍りついたみたいに悪寒がへばりついたままだし、空間の定義すらユルユルのこんな場所で超能力なんて使い続けたら、何が起こるか分かったものじゃない。

しかしもう選択の余地はない。決めたとか決めてないとか、覚悟があるとかないとか、そういう葛藤の問題では無い。

『レディ・シアノア』が現れた。ならば、既に私の『琳洞冴蓮』としての時間は終わっているのだ。

剣を構え、改めて爆発めいた破壊の余韻を注視する。どうやらあちらも身体を起こして、次の一手を繰り出さんとしているようだ。

視界を塞ぐ霧らしい霧は既に充分散ってくれた。散々惑わされた分、ここからは思いっきり振り回してやる。


「 阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿!!!」

ナルテクスが咆哮と共に突進してくる。遂に完全に顕になったその姿を、私は可能な限り分析するべく凝視する。

やはり特徴的なのはあの巨大な頭部だ。ハンマーのように振り下ろすだけで甚大な破壊力を生み出し、少しの反動ではかすり傷すら入らないだろう分厚い表皮が、それらを覆っている。

四肢を補強する筋肉は必要最低限のサイズに細く硬く絞られ、極めて効率的に膂力を発揮する事に特化しているようだ。あの一見アンバランスそうなフォルムは、肥大した頭部を弾き出す発射台、そして軌道修正用のブースターユニットを担うパーツとして最適化された結果だったのだ。

対して今の私───もとい私の錯律痕の能力には、あの大顎と正面切って打ち合える手札が無い。そもそも、アレが身体のどこかを掠めただけで、無事でいられるかどうかといった所だ。

「泣き言は………言ってらんないか!」

無限にも思えた演算の時間を放り出し、私は前方へ走り出す。

アレをしてもダメ、コレをしてもダメという判断材料は貴重だ。死なない為の大事な保険だ。

しかし、今すぐ動くことで生まれ得る可能性を潰してまでハッキリさせる事じゃない。

死なずに済んでも、それでは勝てない。

走りながら、剣を握り直す。

今出来る最大の機動力で巨体が持つ弱点と思しき部位を全て切り刻み、最後に何処へも動けなくなった頭部ごと、隠れた急所を穿つ。

敵にこれ以上の隠し球が無く、かつ敵の攻撃を躱し切れることが前提の無茶な作戦だ。しかし今は勝率が圧倒的に違う。レディ・シアノアが戦うという事が絶対的な優位性(アドバンテージ)を生む。

『レディ・シアノアはこんな事で失敗しない』

|ヴェスティシア・トレスティア《VT》────私の錯律痕は、この理不尽な願いを叶えるために生まれたのだから。


「阿阿阿……阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿!!」

一撃目。正面から大きく弾き返され、走ってきた方向へ身体が宙を舞った。全身の関節が外れそうな衝撃に耐えながらも何とか着地する。

あの剛腕を片手剣一振りのみで両断する。物理的には無理な話だと分かっている。

実際にその力を受け、その強さを知った。理不尽さを知った。

以て、どのくらい無茶苦茶な奇跡が起きればそれを成し得るか、それを知る事が出来た。

「いける。」

あとは確信するだけ。「レディ・シアノアなら、それができる」と。

実在しない英雄への陶酔、並外れた想像、例外を許さない強力な暗示。

これがピタリと嵌った時、琳洞冴蓮はあらゆる奇跡の代行者となる───!


「阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿!!!!」


咆哮は悲鳴となった。

足元するりと潜り込んだ影が踊るように這い回り、そこから次々に放たれた斬撃が、滑らかに全ての四肢を断ち切っていく。支えを失った頭部はそのままどすん、と真下に崩れ落ちた。


頭部にもまだ攻撃手段が残されているかもしれない。弱点を探るべく剣を構え直していると、その結論は意外な形で表出した。

天を仰ぐ形で沈んでいた頭部の額部分を突き破り、人影らしきものが這い出てきたのだ。機体が使い物にならなくなり、緊急脱出を試みたパイロットを見ているようだった。

「─────────────は?」

なんだ、コレは。

〈冴蓮さん、大丈夫ですか?〉

殆ど決着がついたと判断し、琉彦が無線で声を掛けてくる。

「人が……いる。」

〈え?〉

半ば上の空でそう返事をした。

勿論そんな筈は無い。象徴的な体表はナルテクスのそれだし、アレも外界からの侵略者の一体と見て間違い無い。その筈なのに、どういう訳か、その動きには奇妙な人間性が感じられたのである。形、サイズ、印象。どれを取っても既存のナルテクスには当て嵌らない個体だった。

人型と目が合った。目と呼べそうな器官は無いが、頭部でこちらを認識し、姿を捉え合っているという確信があった。

数秒後。

人型はそっぽを向いたかと思えば、頭部から飛び降りて一目散に走り出した。

「おい────待て!!」

私は沈黙した頭部を飛び越え、その背中を追った。再び見た時には、既に距離を取られつつあった。とてつもなく足が速い。

腰のホルスターに刺さったフリントロックを引き抜き、前方へと発砲した。レディ・シアノアの全身を満たすエネルギーを変換した光弾は、重力による偏差の影響を受けない。一直線に飛来する光弾に右大腿部を貫かれ、人型はその場で倒れ伏した。

銃を構えながら駆け寄っていく間、人型はピクリとも動かなかった。

糸車の駆動音を響かせながら、背後からルームも追い付いてきた。糸を自在に操るこの人形がいれば、拘束も選択肢となる。

〈待って。このナルテクス......変だ。〉

ルームの視覚越しに状況を観測していた琉彦が、怪訝そうにそう言った。

「確かにね。今まで見てきたヤツの動きじゃなかった。」

〈それもあるけど......それだけじゃなくて。〉

「え?」

琉彦からの返答を聞く前に、倒れた人型に異変が起こった。全身が大きく痙攣した直後、体表の組織がみるみるうちに形を失い、溶け出したように柔らかく伸びていく。

やがてそれらは全て剥がれ落ち、人型の異形が隠していた『中身』を露出させた。

〈にん...............げん.........?〉

思わず息を飲む。

出てきたのは、異形なんかじゃない、生身の男の死体だった。しかも、作業服を着たこの男の顔には見覚えがある。

私はすぐさまVTヴェスティシア・トレスティアを解除し、携帯端末を取り出した。センサーを起動し、男の右の首筋に埋め込まれたデバイスを検知させると、既に生体反応を失った男のプロフィールが眼前に浮かび上がった。


アーノルド・ギース。

それは、この辺獄周辺で行方不明になっていた工場作業員の名前だった。

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