ACT. 4
翌日。
蜃気楼に満たされた廃屋だらけの街へ、私と琉彦は足を踏み入れた。
とある郊外の工場作業員が行方不明となった。調査の進んでいない『辺獄』付近へ迷い込んだと考えられるこの工員を捜索中、新型の異形が発見されたのだという。
今回の依頼は、この新型の調査と排除、及び工員の捜索となっている。『受注手続き』を済ませ、私達は不気味なほど静かな蜃気楼の中をひたすら奥へ進んでいく。その視界の悪さは三十分近くの探索を経ても変わらなかったが、周囲の構造物に生じ始めていた奇妙な異変が、確かに目的地へ進んでいる事を示していた。
「冴蓮さん。ここから辺獄の活性地帯に入ります。装備のチェックは今のうちに。」
「了解。」
競争率の少ない特殊な依頼を請ける者たちでも、任務の遂行を妨げ得る変数が跋扈する辺獄に近付く事は殆ど無い。それは千変万化する環境であり、大小を問わず漂着する異世界の物体であり、不安定な錯圧に誘われるようにして出現するナルテクスなどである。
実際に私達の目の前でも、様々な年代で誕生したと思しき建物やその破片が、実に様々なカタチで''植わっていた''。時空が複雑に混線し、景観もへったくれもなく作られたこの光景は廃材で作った雑木林を思わせた。或いは街全体が底なし沼に嵌り、ゆっくりと沈んでいく途中で時間を止められたような眺めだった。
L字に屈折した廃液まみれの電柱。中が受話器でいっぱいになった電話ボックス。高速で点滅する錆びた信号機からは、伸びきった磁気テープから出るような歪曲したメロディが途切れ途切れに聞こえてくる。これらは恐らく元の形を歪められて流れ着いたものだろう。
漂着物は、私達が隣合った歴史を持つ異界『錯史界』として観測し、少なからず繋がりを持った世界から流れ着く事が多いのだという。
ただし、今もなお『生きている世界』から何かが流れ着く事は無いとされている。流れて来るのは、滅びて崩れ去った世界の成れの果てであり、今際の際の断末魔なのだ。
私達はこのメッセージを何と解釈するべきなのだろうか。
「 助けて」?それとも「次はお前だ」?
否、聞こえもしない声に耳を傾ける必要は無い。
ばちり。とツマミのついたスイッチを入れる様をイメージして、私は冷静な思考を呼び戻した。
ゆえに、その静寂の奥で歪な気配が現れた瞬間に、私達はすぐに気付くことが出来た。
「いる.........。」
「先程更新したマップにあったエリアとも一致しています。現状、他の異形の反応もありません。」
「オーケー、このまま接近する。」
一度その場で呼吸を正し、私は腰に下げた軽機関銃を構えた。
昨日とは違い、今度は琉彦も危険地帯へ入り込んでいる。辺獄周辺は時空の歪みによって通信機器が使えない。加えて、クライアントは指定した作戦展開地域から出た場合には供給した情報を破壊し、依頼を無かった事にするという注文を追加で設けてきた。戦闘からは遠ざけるべきだが、この濃霧の中に琉彦を置き去りにするリスクは尚犯せなかった。
彼も他の子供と同様に、市販されている一般的な銃火器は扱えるよう訓練されている。何ならそれらの分解・組み立てを目隠しして行える程の武器オタクだが、大人を差し置いて戦う事は子供の仕事では当然無い。
琉彦は鞄へ放り込んだ携帯端末の代わりに、百科事典ばりに大きな一冊の本を取り出した。
「来い────!」
そう小さく呟いて、琉彦が本を開く。
同時に、私たちの足元が雫を落とした水溜まりのように幾つもの波紋を描いた。歪んでいるのは空間そのものであり、私達の足が取られたりする事は無いのだが、いつ見ても違和感の強い光景だ。
やがてその地面をすり抜けるようにして、一体の浮遊する人形が私達の前に現れた。170センチ程ある金色に塗られた身体の背面には複雑に糸を絡げた機械が取り付けられており、それらは常にカラカラと音を立てて駆動している。
「僕はここから支援します。僕の錯律痕は戦闘向きでは無いですが、いざという時は『ルーム』が守ってくれますから、冴蓮さんは行ってください。」
「分かった。危なくなったらすぐ教える事。元々きな臭い依頼だし、いざという時は明日の飯よりアンタの命だから。OK?」
「はい!」
どこか嬉しそうな琉彦の声を背に、私は今も蜃気楼の奥で揺らめく大きな影への接近を開始した。
蜃気楼が更に深くなっていく。見るもの全てが灰色に染まり、視覚への依存を極めた人の身に、否が応でも五感の酷使を強いてくる。ただ真っ直ぐ進む為に、忘れられた動物としての本能を呼び起こす。
「 ────────。」
歪な気配の根源が近付いてくる。
カタチを得た殺気が頬を撫でるような感覚を覚える度に、全身の筋肉が微細に硬直する。
ふと、辺りを包む蜃気楼が微かに薄まるのを感じた。
漂白し損ねた小さな染み。
これだけの蜃気楼をもってしても隠しきれなかった攻撃性に、漸く視覚が反応する。
「────────コイツか。」
蜃気楼の発生源。
大型の哺乳類を思わせる骨格に、荒く削った彫像のような組織に覆われた異形の怪物が、こちらに背を向けている。
五感を妨げてきた灰色の空間は、こいつを中心に拡がっていたのだと察した。
それにしても大きい。想像していたサイズを遥かに凌いでいた。
黒曜石を思わせる、所々がひび割れた体表の隙間からは青色の組織が脈動している。
その有機的な反応が、これら異形を生物たらしめるか否か。それを真剣に考えていた人間達が居なくなって、もうどれくらい経っただろうか。
距離にして、およそ二十メートル。正面からやり合うには不利すぎる現状の最前手は『暗殺』である。このまま目の前の脚部の腱を破壊し、姿勢を崩した敵がこちらを捉え切る前に急所を探して、仕留める。
眼前のナルテクスはまだこちらに気付いていない───ように見える。
足を止め、銃の安全装置に手をかけた。
指先一つで切り替えられるそれを、親指と人差し指で丁寧に包み、ゆっくりと捻っていく。
かちん。
小さな金属音が必要以上に反響した気がして、呼吸が浅くなる。
ただ、警戒は杞憂で済んだようだ。
再び静かに、深く息を入れる。
作戦を今一度反芻しよう。必要最低限の手数で体制を崩し、露出した急所を突く。
イメージを終え、銃を低く構え直すべく右足を引き────────、
────────────その踵で、小さな小石を蹴飛ばした。
「阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿阿!!!!!」
蜃気楼が大きくうねり、奥に垂れていたナルテクスの頭部がこちらへ回されてくる。
振り向きざまに、その口からはあらゆるものを押し返さんばかりの大音量が響き渡った。
体長の三割近くを占める異常に発達した頭部が姿を現す。その形と開かれた大顎は、かつて大地の生態系を支配していたという肉食恐竜によく似ていた。
咆哮によって空気に加えられた斥力が押し寄せ、私と琉彦は為す術もなく後方へと吹き飛ばされた。
全身を侵食させられたかのような振動を受け、平衡感覚を奪われた身体は無様に転げ回る。
神経の送信機能が剥奪され、戻って来ない。
漸く身体を起こした頃には、ナルテクスが次の攻撃体制に入っていた。
「 くそ......!琉彦、VTを使う!」
〈了解、準備します。なんとか時間を稼いでください!〉
琉彦に無線機で呼びかけながら、敵前にフルオートで弾丸を浴びせて牽制する。
辺りは依然として濃い蜃気楼に支配されているが、動き回る影ははっきり見えている。つまり、私ももう逃げられなくなったという事だ。
巨頭のナルテクスは巨大な頭部を支える四肢に力を込めると、空中へ大きく跳躍した。
このまま放物線を描いて私の所へ落ちてくるつもりなら、それは、かなりまずい。
そのまま身体を丸め、怪物は投擲された砲丸のように落下してくる────。
〈『幻糸碌領────訳述せよ。』〉
だが、こちらの準備も辛うじて間に合った。
それを知らせる琉彦の詠唱が、私の背後に飛んできたルームの口元から響く。
意識を頭上の驚異から切り離し、背後の人形と意識を同調させるように集中した。
「──────────────Ready.」
琉彦の詠唱に、そう小さく応える。
それを合図に、爛々と輝く光の糸がルームの身体から一斉に解き放たれ、私の身体を包んでいった。




