第二話
「……というわけで、お互いに嫌々付き合わされているのですから、ほとぼりが冷めるまでお友達ごっこだけこなして立ち消えにしましょう」
後日、応接間で向き合ったヴィンツェンツに対し、フランツィスカは冷ややかに言い放った。だが向かいに座る男は、風のように自由で型破りな笑みを浮かべ、上着のボタンを外しながら囁く。
「いいね。僕も君という手札に賭ける気はない。表向きは仲睦まじい友人同士を演じ、裏ではお互い一番嫌がる嫌がらせをし合おうか。君が泣いて逃げ出したら僕の勝ちね、ツィツィ」
「……ツィツィ? 妙な呼び名はやめてちょうだい。私の名前はフランツィスカよ」
「はいはい。じゃあフラーだ。フランツィスカは長すぎる」
「なっ……」
聞く耳を持たない返事に、フランツィスカはこめかみを押さえた。だがヴィンツェンツは意に介した様子もなく、脚を組み替えながら続けた。
「しかし、正直なところ意外だったよ。君の親御さんも、よりにもよって僕を選ぶとはね。ヴァイセンブルク伯のほうが君にとっては御しやすい相手だったんじゃないか? 何しろ相手は四十過ぎの疲れた男やもめだ。多少愛想が悪くても、役目を果たせば残りの人生は放っておいてもらえるだろう」
「……どうして、そんなことまでご存じなの」
「紳士の社交場を甘く見てもらっちゃ困るな。あそこは君たち貴婦人の茶会よりもよほど下世話でね。誰それの持参金がいくらだとか、どこそこの令嬢に五人の連れ子付きの縁談が来ているとか、そういう話は肴代わりにいくらでも回ってくるのさ」
「……ご忠告どうも。ですが余計なお世話です。私、子供は嫌いなの」
きっぱりと言い切った彼女に、ヴィンツェンツは面白そうに片眉を上げた。
「なんだ、だったら話は簡単じゃないか。伯爵の連れ子たちを、行儀作法にうるさい全寮制の学校──そう、監獄と見紛うくらい厳格な所にまとめて叩き込んでしまえばいい。手元から追い払ってしまえば、君は年に数回、澄ました顔で面会に行く継母を演じるだけで済む。実に合理的な解決策だと思うけれど」
すらすらと奏でられたその提案に、フランツィスカは声もなく絶句した。
「……よくもまあ、そのような吐き気のする話を平然と口にできますのね。けれどそこまで割り切ってお考えということは、あなたご自身も、子供という存在を厄介に感じているのではありませんの? あなたが今も独身のまま浮名を流しているのは、家庭という責任を負うのが煩わしくて逃げ回っていらっしゃるからだとお見受けしますけれど」
当然、「その通りだ、子供の泣き声ほど不快なものはないからね」とでも嘲笑ってみせるのだろう──そう踏んでいた。
だが、ヴィンツェンツは拍子抜けしたように瞬きをすると、上着の胸ポケットから煙草を取り出し、くすりと小さく喉を鳴らした。
「思い違いをされているようだね、フランツィスカ嬢。僕は別に子供を嫌っちゃいないよ。むしろ自分の血を引いた我が子なら、それなりに愛おしく慈しむだろうし、家名を繋ぐ優秀な後継者は当然必要だと思っている。妻を持つことだって、条件さえ整えばごく自然な営みじゃないか」
そのあっけらかんとした正論に、フランツィスカは言葉を詰まらせた。
己の歪みを隠そうともしない悪魔のような男のはずなのに、そうした根幹の価値観だけはごくまっとうな貴族らしい。結果として、子供嫌いを公言する自分ばかりが、まるで常識外れであるかのように浮き彫りになってしまうのだ。
「……あら、それは大変結構なこと。けれど皮肉なものね。そこまでまともな倫理観をお持ちのひとが、社交界一の不名誉な悪名を背負っていらっしゃるなんて」
「悪名こそ、退屈な奴らを遠ざける最高の盾だよ、フランツィスカ。聖者として称えられて群がらざるを得なくなるより、悪魔として恐れられて気ままに毒を吐いている方が、よほど優雅で快適な人生だと思わないか?」
それから数週間、二人はおよそ褒められたものではないお友達ごっこに興じた。
フランツィスカの変貌ぶりは、退屈に飢えた社交界を大いに驚かせた。これまで届く端から暖炉の薪にしていた招待状の、少なくとも三通に一通は封を切られるようになったのだから。
もっとも、そのどれもが「あの食わせ者に負けたくない」という、いっそ子供じみた意地と、不毛な密約を成立させるための演技に過ぎなかったのだが。
かつては欠席の常習犯だったはずの令嬢が、ヴィンツェンツという厄介な連れを伴って、次々と社交の場に姿を現すようになったのだから、噂好きの貴婦人たちが色めき立たないはずがなかった。
ある夜、灯火の煌めく夜会の片隅で、フランツィスカはふと、あの「お互いが一番嫌がる嫌がらせをし合おう」という悪趣味な取り決めを思い出した。
いつも皮肉の刃を懐に忍ばせ、周囲の凡庸さを笑い飛ばすことを何より好むこの男にとって、最も耐えがたい屈辱とは一体何だろう。
答えはすぐに浮かんだ。フランツィスカはグラスを片手にヴィンツェンツへ歩み寄ると、扇の陰にそっと唇を隠して囁いた。
「ねえ、グラープシュタイン卿。今宵は私のために、社交界のお手本のような紳士を演じてくださらない? 一秒たりとも皮肉を口にせず、心にもない美辞麗句だけを振りまいて」
ヴィンツェンツは一瞬だけ瞳の奥に邪悪な光を宿したが、すぐさま息を呑むほど完璧な微笑みを貼り付けた。
「お安い御用だよ、お嬢さん」
結果は劇的という他なかった。元より神の悪戯かと見紛う容姿と仕立ての良い衣服を身に纏う男である。
彼が本気で理想の貴公子という仮面を被れば、令嬢たちは熱っぽい溜息を漏らし、貴婦人たちはその隙のない所作と甘やかな辞令に、次々と頬を染めていった。
あまりの変わりように、日頃から息子の悪名に胃を痛め続けていた彼の母親などは、感極まってハンカチを目元へ押し当てていたほどだ。
「……皮を剥ぐ前の見てくれだけは、確かに極上品なのね」
理想の紳士を演じ切る彼を遠くから眺めながら、フランツィスカは胸のうちで密かに小さな勝利を噛みしめた。だがこの食わせ者が、ただやられっぱなしで終わるはずもない。
舞踏会も終盤に差し掛かった頃、ヴィンツェンツはフランツィスカの手を取り、ワルツの旋律とともにフロアの中央へと連れ出した。他人の視線がある手前、彼女もまた、輝くような笑みを浮かべて彼の手を取るしかない。
流麗なターンの合間、ヴィンツェンツが彼女の腰をそっと引き寄せ、低く心地よい声で耳元に毒を注ぎ込んだ。
「実に愉快な提案だったよ、フラー。……だから僕からも、君が一番のたうち回りそうな贈り物を用意しよう」
「……ずいぶんと自信があるのね。笑顔の仮面を剥がされたくなければ、さっさと種明かしをしてちょうだい」
「いいとも。……あそこにいるヴァイセンブルク伯にご挨拶を。君の未来の愛くるしい子供たちを連れてきてくださる理想の旦那様だ。君が伯爵との歓談を心待ちにしていると、先ほど僕が、親切にも耳打ちしておいたところでね」
見れば、フロアの端で子持ちの伯爵が、期待に満ちた眼差しをフランツィスカへ向けていた。
「底意地の悪さはやはり一流ね」
「褒め言葉だろう。さあ、彼の胸に飛び込んで、愛しい連れ子たちの教育方針でも語り合ってくるといい」
「そうさせていただくわ。それから、『実はグラープシュタイン卿から、伯爵の資産状況について怪しい噂を伺いましたの』と涙ながらに告白してさしあげる」
「……おいおい、それだと僕の首まで飛ぶじゃないか」
「道連れよ、ヴィンツィ」
互いに優雅なステップを踏み、周りからは仲睦まじい愛の踊り手に見られながら、二人は囁くように罵り合いを続けた。足を踏みつけようとするフランツィスカの攻撃を、ヴィンツェンツは軽やかにかわし、逆の手首をすこし強く握って牽制した。




