第一話
十九になっても嫁ぎ先の決まらぬ娘というものは、社交界という博打場において、テーブルの隅に忘れ去られた切札のようなものである。栄光の機会を逸した絵札には、もはや誰もチップを張ろうとしない。
フランツィスカ・フォン・アルテナもまた、誰の指にも触れられぬまま埃を被りゆく一枚であった。……その卓に無作法な足音を響かせ、盤面ごとすべてをひっくり返してみせる極上の悪党が腰を下ろすまでは。
◆
「友人の決闘を見届ける義理がありましてね」
応接室のソファに深々と腰掛け、仕立ての良い上着の袖口を整えながら、フランツィスカの見合い相手である男はすました顔でそう宣った。
両家の親たちが揃って絶句する中、彼は極上のヴィンテージワインでも味わったかのような笑みを浮かべる。
「いやあ、実に見応えのある道化芝居でしたよ。お互いプライドだけは一人前に高いのに、いざ銃口を突きつけ合うと膝が笑ってしまってね。引き金を引くまでに、情けない言い訳を互いに叫び合って時間を浪費してくれた。まあ、あの二人が決闘に至るよう陰で少しばかり焚きつけたのは僕ですから、結末を見届けるくらいの義理はあるでしょう?」
「っ……貴様、……! 婚約に繋がる大切な顔合わせに一時間も遅刻しておいて、なんと不謹慎な……!」
顔を蒼白にし、呻くように声を絞り出したのは男の父親であるグラープシュタイン侯爵だった。我が子の性根は痛いほど知っていたはずだが、まさかこの見合いの席で、しかも相手の伯爵家の前で堂々と悪行を自慢してみせるとは思いもしなかったのだ。
同席していたフランツィスカの父、アルテナ伯爵もあまりの無礼に顔を強張らせ、絶句している。
だが、当の息子は絶望の視線を浴びながらも眉ひとつ動かさない。むしろ、苦み切った父の顔を心底珍しいものでも見るかのように悠然と眺めている。
「何か咎められるようなことが? 退屈な見合いよりも、人間が死の恐怖に怯える様を観察する方が遥かに興味深い。これは義務ですが、あの時間は極上の愉悦だ。紳士として、優先順位は極めて明白でしょう」
両親の顔が見る間に強張っていくのが、フランツィスカにもよくわかった。だが彼女自身は、内心でほくそ笑んでいた。
これで縁談は自然消滅だわ。ここまで無礼な男を、両親が許すはずがない。
「ヴィンツェンツ。せめてご令嬢に一言ご挨拶を」
グラープシュタイン侯爵夫人──ヴィンツェンツの母──が、額に青筋を浮かべながら促した。ヴィンツェンツは優雅な仕草でフランツィスカの前に進み出ると、芝居がかった一礼をしてみせた。
「これは失礼を。フランツィスカ嬢とお見受けする。噂はかねがね」
「お初にお目にかかります、グラープシュタイン卿。お言葉ですが、私のような退屈な人間の、いったいどのような噂をご存知とおっしゃるの?」
「夜会を片っ端からすっぽかす、社交界一の変わり者だと。光栄だよ。僕もその手の名誉ならいくつも持っている。同類のよしみを感じずにはいられない」
フランツィスカは思わず扇を握る手に力を込めた。ただの嘲笑よりもよっぽどたちの悪い戯言だ。
十九歳になっても夜会をすっぽかし続け、建前ばかりの社交界から逃げ回っていたフランツィスカ。
彼女の望みはただ一つ、このまま売れ残って、生涯独身で静かに暮らすこと。しかし先日、業を煮やした父から恐ろしい最後通牒を突きつけられたのだ。
「フランツィスカ、もう猶予はやれない。……ヴァイセンブルク伯を存じているな。伯は先妻を亡くし、五人の子を抱えておられる。良い後妻を探しておいでだ」
子供嫌いで、誰かの都合で人生を塗りつぶされたくないフランツィスカにとって、それは拷問に等しい宣告だった。
絶望した彼女に提示されたもう一つの選択肢── それが、社交界から「近づいた者を骨まで呑み込む悪魔」と恐れられる令息、ヴィンツェンツ・フォン・グラープシュタインとの顔合わせだった。
フランツィスカはその名を噂話の中で幾度となく耳にしていた。賭博場の常連で、舞踏会に現れれば必ず誰かの婚約者を口説いて醜聞を作る──社交界という名の温室において、彼だけが規格外に育った棘だらけの薔薇だった。
母の遠縁にあたる侯爵夫人などは、扇の陰でこう囁いたものだ。「あの方に見初められた娘は、二度と純潔な評判を取り戻せませんことよ」と。
子持ちの後妻に押し込められるくらいなら、悪名高い放蕩者の顔でも一度拝む方がまし。そう思って出席したお見合いだったが……まさかこれほどまでの劇薬だとは思わなかった。
顔合わせはその後もぎこちなく続いたが、実質的な会話らしい会話は交わされぬまま、一時間ほどで散会となった。
馬車に乗り込みながら、フランツィスカは確信していた。格式と世間体を重んじる自分の両親だ。この不愉快な縁談など、今夜中に影も形もなく消え去るはず。
ところが、世の中というものは、彼女の思い通りにはいかぬようにできている。
「フランツィスカ。月に何度か、グラープシュタイン卿と正式な場でお会いしなさい」
自邸の執務室に呼び出されたフランツィスカは、自分の耳を疑った。
「お父様、正気でおっしゃっているの? あの男は遅刻の言い訳に他人の決闘を笑いものにし、挙句の果てに顔合わせを退屈な義務と言い放ったのですよ!」
「フランツィスカ、言葉を慎みなさい。グラープシュタイン卿は……まあ、少しばかり奔放が過ぎるお方なだけよ。侯爵家の正統な跡取りで、ご自身もたいそう優秀な身の上ですもの」
「少し奔放? お母様、どこをどう見たらあれが少しに見えるのですか!」
困り果てて溜息をつく母親を制し、父親が重々しい口調で割り込んだ。
「お前も分かっているだろう。これまで社交界を嫌って逃げ回ってきたせいで、お前の評判も決して芳しくないのだ。正直に言って、これ以上お前にまともな縁談の候補など残っていない」
「……それなら、私をこのまま売れ残らせてくだされば良いではありませんか! 誰の妻にもならず、この屋敷の片隅で静かに老いていく方が、どれほど身のためでしょう」
「愚かなことを言うな。……あちらも社交界では手に負えない問題児とされている。だが、だからこそだ。年も近く、何よりグラープシュタイン家と深いつながりを持つ絶好の機会なのだよ。あちらのご両親だって『どうか息子を正してやってほしい』と頭を下げておられる。いきなり結婚しろとは言わん。まずは二人で会い、親交を深めなさい。これは決定だ」
自室に戻ったフランツィスカはベッドに倒れ込み、枕に顔を押し当てて呻いた。
単なる反抗期や気まぐれで問題児をやっているわけではない。建前と探り合いだけの窮屈な世界から逃げ出し、いつか誰にも邪魔されない自由な人生を手に入れたかっただけなのだ。
なのに、どうしてよりによって、あの放蕩者と「お友達ごっこ」をさせられなければならないのか。
「冗談じゃないわ。あの傲慢な男の暇つぶしの相手なんて、絶対にお断りよ……!」




