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閑話_そんな裏話

世界の命運を懸けた戦いがジノーブス北部で火花を散らしているその頃、そこから少し離れたアーデルミノスの居城では、また別の空気が流れていた。


早朝。

朝日が城壁を白く染め始めた頃、獣人の冒険者パーティーのリーダーであるリュウは、誰もいない城壁の端で北の空を見つめていた。

その耳は、遠く微かな震動を捉えるかのように細かく動いている。


「…ここからでも、ジノーブスの戦いの熱が届くようだぜ。」


彼には見えていた。

遥か彼方の地平線で、巨大な魔力と爆炎が渦巻いている様が。

物理的な音こそ届かない距離だが、戦士としての直感が、空気がひりつくような緊張感を伝えてくる。


「リーダー、俺たちいつでもやれるぜ?」


「ああ、準備は万端だ。いつでもかかってこいってんだ!」


背後から声をかけたのは、仲間のシロとクロだ。

二人は武器の点検を終えたばかりなのか、その表情には隠しきれない緊張と、それを打ち消そうとする好戦的な色が混じっていた。


アーデルミノス城には、後方の守りを固めるために数十の冒険者パーティーが集められていた。

彼らは早朝から食事もそこそこに、いつ現れるともしれぬ敵の奇襲に備え、神経を尖らせていた。


◇◆◇


正午。

太陽が天高く上り、影が足元に収まる時間帯になっても、城の周囲に変化はなかった。


「…何も起きねぇな。」


「ああ、平和なもんだ。」


シロとクロが、少し拍子抜けしたように溜息をつく。

だが、リュウは厳しい顔を崩さなかった。


「いいことじゃねぇか。だが、死角から来るのが奇襲だ。気は抜けねぇぞ。」


そこへ、別のパーティー「鳳仙花ほうせんか」の面々が歩み寄ってきた。

リーダーのモーフは、重い鎧の肩を鳴らしながら苦笑いを浮かべる。


「いつ何があるかわからないってのは、なかなか辛いものがあるな、精神が削れるぜ。」


「同感だ。…だがあんたのところも、よく気を張ってる。」


モーフの後ろでは、双子の姉妹が小声で話していた。


「お姉ちゃん、何もないのに越したことはないけどね。ちょっと肩が凝っちゃった。」


妹のユーファが言うと、姉のリーファも小さく頷く。


「そうね。でも、私たちがここで隙を見せたら、ジノーブスで戦っている人たちの背中を晒すことになるわ。」


◇◆◇


日没。

オレンジ色の陽光が城壁を赤く染め、長い影が伸び始める。


「流石に、今日はもう大丈夫なんじゃないか?」


モーフが空を見上げながら呟く。

一日中、緊張の糸を張り続けた疲れが、言葉の端々に滲んでいた。


「いや、夜が一番危ねぇんだよ。暗闇は魔物の領分だ。」


リュウは短くなった爪を噛みながら、より一層、闇が深まりつつある森の境界へと目を凝らした。


そして、ついに日は完全に沈んだ。


「…リーダー、マジで何もなさそうだから、もう寝てていいか?」


「俺も限界だぜ、腹減ったし。」


シロとクロが弱音を吐き始める。

そこにリーファとユーファが追い打ちをかけた。


「あんたたちは見張ってなさいよ!夜更かしはお肌に悪いんだから、私たちは交代で休ませてもらうわよ?」


「そうよ、女の子に夜更かしさせちゃダメなんだからね!」


「バカヤロウ!いつ何が起こるか分からねぇんだぞ!ここが抜かれたら終わりなんだぞ!」


リュウが声を荒らげるが、緊迫感のないやり取りに、どこか肩の力が抜けていくのも感じていた。


「だって~。」


ユーファが口を尖らせた、その時だった。


「――静粛に!全員、集まれ!」


城門の奥から、アーデルミノスの腹心であるジャブラが姿を現した。

その手には書簡が握られている。


「先ほど、ジノーブス北部奪還成功の知らせが入った!」


その一言に、城壁の上は一瞬の静寂の後、爆発的な歓声に包まれた。


「やったぜ!」

「ドラゴンを倒したのか!?」

「流石、連合軍だ!」


冒険者たちは互いに肩を叩き合い、安堵の表情を浮かべる。

ジャブラは声を張り上げ、詳細を周知した。


「明日、異世界の魔王との最終決戦が行われる!我々後方部隊も、引き続き防衛を強化し、一点の曇りもなく勝利を支えるぞ!」


「「「おおおおおっ!!」」」


士気は最高潮に達した。

よし、明日も頑張るぞ、と誰もが拳を握りしめる。

そんな喧騒の中で、リュウは一人、静かに綺麗に磨かれた自身の武器(爪)を見つめていた。


(…奪還成功、か。そいつはめでてぇな。)


だが、胸の奥には、わずかな、本当にわずかな「悲しさ」が澱のように残っていた。


世界を救う英雄たちが、死地を乗り越えて伝説を斬り伏せているその時。

自分たちは、ただ城壁の上で何もない空を見つめ、仲間内で言い争いをしていた。

自分たちがここで気を張っていたことも、防衛に貢献したことも事実だ。

だが、歴史に残るのは、間違いなくジノーブスの空を舞った者たちの名前だろう。


「…なんだかな。なんとなく蚊帳の外な気がしちまうな。」


ぽつりと漏らしたリュウの独り言は、騒がしい歓声にかき消されて誰にも届かなかった。


世界の命運を懸けた戦いがあったとしても、少し離れた場所では「そんなもの」なのだ。

英雄たちが血を流し、伝説を書き換えている裏側で、同じ空を見上げながら、ただ平和に「何も起きなかった」ことを喜ぶ人々がいる。

その「何も起きなかった一日」を守るために、彼らは明日もまた、代わり映えのしない城壁の上に立つ。


「リーダー!何してんだよ、祝いの酒とはいかねぇが、飯食いに行こうぜ!」


「…ああ、今行く。」


リュウは最後に一度だけ、英雄たちが眠る北の空を見上げ、仲間たちの元へと歩き出した。

明日、世界が変わるとしても。

彼の防衛戦は、まだ続くのだから。

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