第八話_目覚める伝説
太陽は東の空から力強く昇り、ジノーブス北部都市の廃墟を隠しようのない光で照らし出していた。
午前中の早い時間特有の、まだ少しだけ涼しさを残した風が、瓦礫から立ち上る焦げた臭いと魔獣の返り血の匂いを戦場へと運び去る。
西の破壊と北の蹂躙が轟音を響かせる中、南と東の戦線でも、それぞれの「正義」と「理」が激突していた。
◇◇◇
街の南方。
かつて商隊が行き交い、賑わいを見せていた中央大通りを埋め尽くしているのは、立ち上がれば三メートルを優に超える巨躯を誇るローグベアの軍勢だった。
鋼のような体毛と、大岩をも容易く粉砕する丸太のような腕。
並の兵士ならば、その一撃をかすっただけで肉塊に変わるであろう暴力の嵐に対し、二人の勇者が先頭に立っていた。
「このクソ魔獣どもが!よくも人様の街をやってくれたなぁ!うぉおおらぁ!!」
グレイが吼える。
その咆哮は、勇者のそれというよりは、縄張りを侵された飢えた獣のようだった。
斜めに差し込む陽光を照り返す聖剣を手にしていながら、その戦い方は英雄の美しき旋律とは程遠い。
野獣のような足取りで地を蹴り、純粋な筋力と勢いに任せて、ただひたすらに聖剣を叩きつける。
洗練された剣技などそこにはない。
だが、荒れ狂う嵐のごとき質量を伴ったその一撃は、正面から迎え撃とうとしたローグベアの太い腕を骨ごと粉砕し、強引にその巨躯を路地裏の民家ごと吹き飛ばした。
「おい、クライム!立ち止まってんじゃねぇぞ!太陽が真上にくる前に、さっさと掃除しちまおうぜ!」
瓦礫を蹴り飛ばしながら進むグレイの怒号が響く。
その後方を、静かな光を纏って追う影があった。
「分かっている…。無念のうちに散っていった人々の恨み、私が必ず…!」
対照的に、光の勇者クライムの声には、深い哀しみが混じっていた。
彼は敵を斬るたびに、その瞳に静かな、それでいて決して消えない熾火のような怒りを宿していく。
クライムが聖剣を振るい、魔獣の血を払うたびに、その刃は午前中の清涼な光さえも塗り潰すほどの純白の輝きを増していった。
逃げ惑い、助けを求め、そして無慈悲に食い殺されていった住人たちの最期の記憶。
それが、彼の聖剣に神域の力を与える。
クライムが一点を見据え、限界まで高まった魔力を聖剣の切っ先へと収束させた。
空気が震え、周囲の砂塵が光に弾かれる。
「消え去れっ!神聖なる光刃!!」
その光は、朝の戦場をさらに眩く照らし出した。
放たれた光の奔流は、正面に立ち塞がっていた数体のローグベアを、その断末魔すら許さず、細胞の一つ一つに至るまで一瞬で浄化した。
光の残滓が雪のように舞う中、南部の兵士たちはグレイの圧倒的な武勇と、クライムの放つ神々しいまでの断罪に心を震わせる。
兵士たちの闘志が燃え上がり、彼らは歓声と共に武器を握り直した。
◇◇◇
一方、街の東方。
かつて高級品が並んでいた商業区を支配していたのは、神出鬼没のデスワームと、執拗に空から急降下を繰り返すワイバーンの群れだった。
瓦礫の山から突然突き出す巨大な牙と、昇り始めた太陽を背負って降り注ぐ死の影。
混沌を極める戦場の中で、東部魔軍将ポトフォウルだけは、静止した石像のように冷静だった。
「…慌てるな。ワームの振動は足元の石畳の揺れで察知できる。槍兵は左三歩、そこだ。突き立てろ。」
感情を排した、淡々とした指示が飛ぶ。
彼に率いられた兵士たちは、もはや個人の武勇を競うのではなく、ポトフォウルという一つの意思に従う強固な集団として機能していた。
地中から兵士を丸呑みにしようと飛び出したデスワーム。
だが、その頭部が出現した瞬間、そこには既に十数本の槍が死神の鎌のように「置かれて」いた。
計算通りに串刺しにされた魔獣が、悲鳴を上げる間もなく絶命する。
「次は空だ。陽の光で見えにくいが、目を逸らすな。風の揺らぎが変わった場所を射て。」
ポトフォウルが指し示す先。
眩しい朝日を突いて奇襲を仕掛けようとしていたワイバーンに向け、一斉に放たれた矢が翼を正確に射抜く。
バランスを崩して石畳へと墜落し、苦悶にもがく魔獣。
その至近距離まで音もなく歩み寄ったポトフォウルは、自身の鋭い爪を躊躇いなく突き立て、トドメを刺した。
彼の戦いに高揚感など微塵もない。
勝利を喜ぶ心も、敵への憎しみすらも削ぎ落とされている。そこにあるのは「確実に、一匹ずつ、害獣を駆除する」という、寒気を覚えるほどの洗練された暴力だ。
「ここを魔獣の墓場にする。」
静かな声が、怒号と悲鳴に包まれた戦場に凛と響き渡る。
知将ポトフォウルの指揮下、東の戦線は一分の隙もない陣を敷き、魔獣たちを袋小路へと、着実に追い詰めていった。
南の熱き光が地上の闇を焼き払い、東の冷徹な鉄が地中の牙を封じ込める。
二つの対照的な軍勢が、ジノーブス北部都市の心臓部――伝説のドラゴンが待ち構える場所へと、着実に距離を詰めていく。
◇◇◇
四方から押し寄せる連合軍が放つ、大地を揺らすほどの進軍音。
数多の魔獣が上げる断末魔と、空を覆わんばかりの熱量。
市街地を呑み込む戦塵が、ついに街の最深部、静止していた「絶望」を揺り起こした。
かつての城郭跡、無残に砕かれた尖塔の基部に、それは鎮座していた。
伝説に謳われる巨躯。
その鱗は、周囲の火災の光を一切反射することなく深く吸い込み、ただそこにあるだけで周囲の空間を物理的に歪ませるほどの、圧倒的な質量を放っている。
街の各所で繰り広げられる攻勢が、中央広場を包囲するように迫りつつあった、その瞬間だった。
まるで世界が一度息を止めたかのように、戦場を支配していたあらゆる音が遠のいた。
巨大な岩盤が軋むような硬質な音が響き、ドラゴンの重い瞼がゆっくりと持ち上がる。
現れたのは、あらゆる生命の営みを塵芥としか見なさない、絶対的な捕食者の瞳。
陽光を浴びてぎらりと光ったその双眸には、恐怖という概念すら入り込む隙のない、深淵のような拒絶の色が湛えられていた。
ドラゴンがその巨大な顎を微かに動かす。
ただの呼吸に過ぎぬはずのそれは、大気を震わせる物理的な衝撃波となって、周囲の瓦礫に積もった塵や煤を一気に吹き飛ばす。
まだその姿を直接捉えていない各隊の兵士たちですら、肌を刺すような、言葉にできない重圧をその身に感じていた。
伝説が、ついにその翼を広げようとしていた。
ただそこに居座るだけの置物から、万物を灰に帰す「天災」へと変貌を遂げる。
ドラゴンの喉の奥から、大地を震わせる地鳴りのような咆哮が漏れ出し始めた。




