第十話_魔王vs魔王
大気の震えが、もはや音の次元を超えていた。
アマデウス魔王領、その心臓部である謁見の間。
かつて秩序と威厳の象徴であった白亜の空間は、今や見る影もない。
「これが…魔王同士の戦いというのか…。」
クラウハルトが、剥き出しになった壁の残骸に身を隠しながら、呻くように呟いた。
視線の先では、二つの巨大な魔力が暴風となって渦巻いている。
魔王アマデウスの放つ魔力は、漆黒の泥のように重く、そして底知れない。
対する魔王ローデウスが纏うのは、似て非なる紫の輝き。
その二色が衝突するたび、衝撃波が大理石を粉砕し、残された巨柱を飴細工のようにへし折っていく。
一国の軍事の中核を担う将軍職にあるディゾルブ、クラウハルト、フェルディナンドの三人をもってしても、その戦場はあまりに遠かった。
「…入れん。あの場には、俺たちではどう足掻いても…!」
斧を握りしめたディゾルブが、悔しげに奥歯を噛み締める。
超級の攻撃魔法が、呼吸をするかのような頻度で連発されていた。
一撃一撃が地脈を揺るがし、千の兵を一瞬で消し去るほどの熱量。
それが物理的な打撃と混ざり合い、もはやどちらが魔法でどちらが肉体によるものなのか、判別すらつかない。
「互角…なのか。」
飛竜将軍フェルディナンドが、光の奔流に目を細めながら問いかけた。
だが、長年ローデウスに仕えていたディゾルブが、首を横に振った。
「いや…アマデウス様の方が押している。今のあの方には『制御』という概念がない。己の魔力が枯渇することなど露ほども考えず、ただ命じるままに最大出力を叩きつけ続けている。理性を捨てた王ほど、恐ろしい武器はない。」
本来、ローデウス側であるディゾルブの言葉だからこその現実味。
「いや、戦いとはそう単純なものではない。」
冷静に戦況を注視していたクラウハルトが割り込む。
「ローデウス様は、耐えている。あのアマデウス様の猛攻を正面から受け流しながら、何かを待っているように見える。」
その瞬間、空間が弾けた。
アマデウスの放った不可視の衝撃波が、ローデウスの防御結界を貫通したのだ。
「ぐおぉっ…!」
紫の光が霧散し、ローデウスの巨体が弾丸のような速度で後方へと吹き飛ぶ。
彼は幾つもの壁の残骸を突き破り、将軍たち三人のすぐ近く、瓦礫の山へと叩きつけられた。
「ローデウス様!」
ディゾルブが駆け寄ろうとする中、土煙の中からゆっくりと、だが確かな足取りで男が立ち上がる。
ローデウスの口端からは一筋の血が流れていたが、その瞳には一点の曇りもなかった。
彼は迫りくる兄の姿を見据えたまま、低い声で、背後にいる部下たちへ命じた。
「…お前たち、準備しろ。」
その短い一言に込められた、絶対的な確信。
将軍たちは直感した。この「死の防戦」こそが、勝利を掴み取るための唯一の布石であったことを。
「おおおぉぉぉ!!」
吼えるアマデウス。
足元の床を粉砕し、黒い稲妻と化したアマデウスが、最短距離でローデウスへと肉薄する。
その右手に集束された魔力は、もはや空間そのものを歪まるほどだ。
だが、それを受け止めるローデウスの口角が、僅かに上がった。
「――かかったな。」
アマデウスが拳を振り下ろそうとしたその刹那。
ローデウスが地面に突き立てていた左手から、幾重もの魔法陣が爆発的に展開された。
「虚飾の壁!」
アマデウスの背後に、魔力の残滓で練り上げられた、不可視かつ絶対的な剛性を誇る壁が瞬時に隆起した。
それと同時に、ローデウスの右手が、天を指した。
「地獄の拘束!」
虚飾の壁から、そしてアマデウスの足元から、黒紫色の禍々しい鎖が数千、数万と溢れ出し、獲物の手足に絡みついた。
本来のアマデウスであれば、このような拘束魔法は瞬時にその魔圧で吹き飛ばせるはずだ。
だが、今の彼は暴走状態。
繊細な魔力の操作を忘れ、ただ闇雲に力を振るうだけの獣にとって、絡みつく無数の鎖は、何よりも質の悪い罠となった。
ガキィィィィン!!
鎖が激しく火花を散らし、アマデウスの四肢を宙に縫い止める。
背後の壁と足元の鎖。その二つに挟まれ、数瞬の間、アマデウスの体が完全に静止し、無防備な晒し者となった。
「さあ皆のもの、力を見せよ!!」
ローデウスの激震のような声が響き渡る。
「ローデウス様、お見事でございます!!」
そう叫び、ディゾルブが斧を頭上に掲げ、全身の筋肉を限界まで膨張させる。
「冥王断頭台!!」
クラウハルトの槍が緑色に発光する。
「アマデウス様、至高なる主よ!我が忠義の槍、とくとご覧あれ!!」
纏わせた地脈の力を槍に集め、大地の怒りを具現化させる。
「地龍絶槍!!」
フェルディナンドが四本の手にそれぞれ長剣を携える。
「貴方様より受けた大恩、ここで報いる!」
一点突破の魔力を剣の切っ先へと凝縮させる。
「飛竜雷煌斬!!」
三人の将軍による、魔国最強の同時攻撃。
アマデウスという巨星を墜とすため、そして敬愛する主を支配から救い出すため。
地を割り、空を裂き、雷鳴を呼ぶ大技が、動けないアマデウスへと一点に集束していく。
閃光が謁見の間を真っ白に塗り潰し、もはや悲鳴さえも届かない爆音の渦が、王の体を呑み込んでいった。




