第八話_魔獣乱戦
「皆のもの、うろたえるな!所詮は魔獣、貴様ら誇り高き海竜将軍の兵士ならば、ここを死守してみせよ!!」
アーデルミノスの咆哮が、混乱の極致にあった入り江を貫いた。
主であるリアを斬られ、次々と現れる魔獣の群れに戦意を喪失しかけていたマーマン兵たちが、その言葉に弾かれたように顔を上げる。
魔軍司令として数多の絶望を塗り替えてきた彼女の言葉には、死地を生き抜くための確かな熱が宿っていた。
「…リゼア、お前もその魔法で魔獣を掃討できるか? あの勇者たちを守ってくれると助かるのだが。」
アーデルミノスが、感情の消えた瞳で立ち尽くす少女に問いかける。
「畏まりました。命に従い、外敵を排除します。」
リゼアは抑揚のない声で応じると、無機質な動作で杖を構えた。
その背後では、清十郎が尻餅をついたままのイルゼを見下ろしていた。
「あなた、光の勇者の仲間ですよね?あの状態ですと足手まといなので、逃げるか戦うか、今ここで決めてもらえますか?」
「あ、ああ…すまねぇ。」
清十郎の冷徹な、しかし的確な指摘に、イルゼは震える膝を叩いて立ち上がった。
彼は杖を握り直し、未だ茫然自失のままキフィルを抱きかかえるクライムの元へと駆け出す。
一方、砕けた鎧の隙間から血を流しながらも、グレイがメイルートの元へと辿り着いた。
彼女はガルーダの、もはや「物」となってしまった遺体を抱きしめ、砂浜に顔を伏せていた。
「メイルート、今はこいつらをどうにかするぞ!立てっ!」
グレイが強引に彼女の肩を掴み、引き起こす。
顔を上げたメイルートの瞳には、ただ純粋な殺意が渦巻いている。
「殺してやる…殺してやるっ、全部!!」
彼女は怒りに身を任せ、猛烈な勢いで炎の魔法を展開した。
「うおおおおっ!!」
呼応するように、グレイもまた大剣を正眼に構え、迫りくる魔獣の群れへと突っ込んでいく。
内臓を揺さぶるダメージと、引き裂かれた脇腹の激痛。
それを強靭な精神力だけで抑え込み、彼は獅子のごとき咆哮を上げた。
入り江は瞬く間に、混沌の坩堝へと叩き落とされるた。
マーマン兵たちが笛を吹き鳴らし、深海から巨大な海獣を呼び寄せる。
波打ち際では海獣と陸の魔獣が牙を剥き出しにして食らい合い、砂浜では魔法の爆炎と剣閃が交差する。
清十郎の刀が、風を斬る音さえ置き去りにしてデスワームを細切れに刻み、アーデルミノスは流麗な所作で炎と氷を操り、空を覆うワイバーンを次々と撃ち落としていく。
その中心で、リゼアの無機質な魔法が、機械的な正確さで勇者一行に迫る魔獣を掃討していた。
地獄のような乱戦。
圧倒的な個の武力を持つ者たちが揃っていたことが、辛うじて戦線を維持させていた。
◇◆◇
「これで…終わりだっ!!」
アーデルミノスの掌から放たれた極大の火球が、最後のワイバーンを空中で焼き尽くした。
焦げた肉の匂いと、燻る煙が入り江を包み込む。
狂乱の嵐が去り、後に残されたのは、あまりにも凄惨な静寂だった。
戦場は、終結した。
しかし、その代償はあまりにも大きかった。
マーマン兵の半数以上が物言わぬ骸となり、白銀の砂浜は青黒い魔族の血で汚されている。
「…酷い有様ですね。」
清十郎が血振るいをして刀を鞘に収める。
波打ち際では、マーマン兵たちが必死に治癒魔法を唱えていた。
その中心には、意識を失ったままのリアが横たわっている。
グレイもまた、満身創痍で砂浜に座り込んでいた。
鎧はもはや原型を留めておらず、マーマン兵による応急処置を受けながら、荒い呼吸を繰り返している。
イルゼとメイルートは、限界を超えて魔法を酷使した反動で、力なく地面に突っ伏していた。
そしてクライムは。
彼は、血の海の中でキフィルを抱いたまま、微動だにせず虚空を見つめていた。
戦う意志も、怒りも、悲しみさえもが許容量を超え、彼の心は完全に破綻していた。
リゼアだけが、その惨状の中で一人、無表情に立ち尽くしている。
彼女もまた魔法を酷使し、その体は限界のはずだった。
しかし、首輪による「命令」が、彼女の肉体に休息を許さない。
魂を奪われた人形は、疲労すら感じることなく次の指示を待っている。
その様子を、アーデルミノスと清十郎が静かに見つめていた。
「…西の脅威の排除という面では、我々の目標は達成だが。これでは、ローデウス様たちへの援軍は難しそうだな。」
アーデルミノスが、遠く北の空を仰ぎ見る。
そこには、もう一人の魔王が待つ決戦の地がある。
「セルスが帰って行ったのが気がかりです。」
「ああ、アマデウス様に加えてあの化け物が加わったら、いくらローデウス様でも勝ち目は薄い…。」
呟きは、潮騒に溶けて消えた。
空は皮肉なほどに澄み渡り、沈みゆく陽光が、崩壊した正義の残骸を赤く染め上げていた。




