第四話_暴かれる真実
入り江を吹き抜ける風は、先ほどまでの潮の香りではなく、焦熱と鉄錆の混じった不吉な匂いを運んでいた。
「どういう状況だ…?」
後方に控える船の甲板から、アーデルミノスが鋭い眼光で戦場を射貫く。
波打ち際では、互いに強固な防御結界を張り、一触即発の睨み合いを続ける両陣営の姿があった。
距離があるため、彼らの交わす言葉までは届かない。
しかし、大気を震わせるほどの濃密な殺気は、嫌応なしに肌を刺した。
「あまり良い状況ではなさそうですね。」
清十郎が刀の柄に手を添え、低く、冷静に分析する。
「事が起こる前に止めに行くぞ!」
グレイが叫ぶなり、真っ先に氷原を蹴って戦場へと走り出した。
◇◇◇
「なんの冗談だ?貴様ら、私を殺しに来たのか?」
爆炎の余韻が残る砂浜で、リアが鋭い眼光でクライムを射抜いた。
キフィルの展開した防御結界の中で、クライムは困惑に表情を歪めて立ち尽くす。
言葉を失うクライムに代わり、女僧侶のキフィルが厳しい声を上げる。
「何を馬鹿なことを…。私には、貴女がその手紙を受け取った瞬間に爆破させたように見えましたが?」
「私が?片腹痛い。その手紙には、はなから爆破の術式が刻まれていたのではないのか。…これだから人間は信用ならん。平和の使者を装い、手紙という名の爆弾を送り届けるとはな。」
リアが毒を孕んだ声で嘲笑うと、入り江に集ったマーマンの兵たちが一斉に槍を構えた。
勇者一行と海軍、今にも本格的な殺し合いが始まろうとしたその時だった。
「ちょっと待て!落ち着けお前ら!」
割って入ったのは、野太い声とともに現れたグレイだった。
「グレイ!?なぜここにいるんだ!」
クライム一行が驚愕の声を上げ、対するリアは怪訝そうに目を細める。
「ほう…ジノーブスの勇者が揃いも揃って、我ら海軍を滅ぼしに来たか?」
「違う、話を聞け!」
グレイが叫ぶと同時に、背後からアーデルミノスが悠然と歩み寄り、戦場全体を圧するほどの圧倒的な威圧感を振りまいた。
「まあ落ち着けリア。こいつらにその意図はない。」
「アーデルミノス…貴様もそちら側か?」
「アーデルミノス!?まさか、あの魔軍司令アーデルミノスか!」
顎髭を蓄えた最年長の魔術師イルゼが戦慄し、杖を握る手に力を込める。
伝説的な魔軍の将が目の前に現れた事実に、光の勇者一行は反射的に武器を構え直した。
「貴様らも落ち着け、我々に戦う意志はない。」
アーデルミノスの凛とした言葉に続くように、メイルート、ガルーダ、清十郎が合流する。
そしてその最後尾に、虚ろな足取りで一人の少女が姿を現した。
◇◇◇
「従属の首輪…。」
リゼアから語られた首輪の力。
魔族の自我を剥奪して忠実な操り人形に変えるという、初代勇者がこの世界に持ち込んだ負の遺物。
「首輪…?操り人形…?何を言っているんだ。それに、その女性は…?」
クライムは困惑し、必死に記憶の糸を辿った。だが、目の前の女性から感じる異様な空気が、彼の持つ平穏な記憶を無慈悲に塗り替えていく。
「…わたしは、リゼア。ヘパルディア王国の勇者パーティー…だった、もの。」
リゼアが問いに答える。
首輪の説明をしていた時同様、その声には抑揚がなく、まるで冷たい石を叩き合わせたような無機質な響きがあった。
「ヘパルディアの勇者だと!?まさか生き残りがいたのか!」
イルゼが驚愕に目を見開く。
「いや、それよりもヘパルディアの連中は魔族をゴミのように扱っていたはずだ。そんな人間が魔族と共にいることのほうが驚きだぜ。」
重戦士ドルンが低く唸る。
「…わたしは、従属の首輪の影響で、すでに意思を持っていません。全ては、ご主人様の意のままに。」
彼女の瞳には、一切の光が宿っていない。
ただ虚空を見つめ、意思の介在しない言葉を吐き出すその姿は、魂を抜き取られた「生きる死体」そのものだった。
「その目…。」
クライムの顔から、急速に血の気が引いていった。
脳裏を過ったのは、アマデウス城で見た光景だ。
魔王アマデウス。
あの魔王の首元にも、豪華な宝飾品の一部として、確かに似たような「輪」が嵌められていた。
当時は王国の格式ある装飾品だと信じて疑わなかった。
だが、今のリゼアの、この「支配された瞳」は、あの時のアマデウスとあまりにも酷似していた。
「勇者様!でたらめですっ!私の分析魔法には何の異常もありませんでした!洗脳系の魔力の波動など、一切感知できませんでしたわ!」
キフィルが、自分たちの正義を繋ぎ止めるように必死に叫ぶ。
「言ったろう。それは勇者の遺物だ。分析ごときで測れるものではない。それよりも、なぜお前は魔王に分析を使ったのだ?」
アーデルミノスの言葉は、無慈悲な宣告となってキフィルを突き放した。
「それは…。」
キフィルの喉が詰まる。
アマデウスの、あの焦点の合わない目。
彼女も何かがおかしいとは感じていたのだ。
だが、魔法的な異常が検知されないという事実を盾に真実から目を逸らしていた。
その無言こそが、光の勇者一行に芽生えた疑念を、確信へと変えていく。
「…じゃあ、最初から、セルス王女は俺たちを騙していたのか…?」
イルゼの声が震える。
彼らは王女の流した涙を真実だと信じ、そのために命を懸けてこの西の海までやってきた。
自分たちの歩んできた道が、すべて血塗られた嘘の上に築かれていたというのか。
「貴様ら、あの手紙に何が書かれていたのか本当に知らずに私の元へ来たのか?」
黙って様子を伺っていたリアが、同情すら混じった蔑みの視線で口を開いた。
あの手紙の中身。
それはリアに向けた謝罪でも、理想の共有でもなかった。
クライムが、震える唇で何かを言おうとした、その瞬間だった。
何の予兆も、音も、風の揺らぎさえもなく。
入り江の空間が、まるでもともとそうであったかのように「書き換えられた」。
勇者一行とリアの間に、一人の女性が立っている。
「――大人しく首を差し出せ、だ。」
氷のように冷たく、全てを飲み込むような漆黒の深淵を感じさせる声。
入り江の気温が数度下がったかと錯覚するほどの冷気が、全員の背筋を駆け抜けた。
「…あ、が…っ!?」
鮮血が、白銀の砂浜に鮮やかな紅の軌跡を描く。
防御魔法を張る暇さえ、あるいは死を悟る暇さえ与えられない至近距離からの神速の抜刀。
肩から腰にかけて深い一文字を刻まれ、海竜将軍リアが血を吹き出しながら崩れ落ちる。
「なっ!リアっ!?」
彼女の隣にいたアーデルミノスが、ようやく何が起きたのか理解し声を上げる。
斬り伏せられたリアの見開いた瞳、そして驚愕に染まるクライムの瞳に映っていたのは――。
純白のドレスに身を包んだ金髪の美女。
「セ…セルス様…?」
クライムの絞り出した、掠れた声。
その声に呼応するように、セルス=バルハートは、ゆっくりと視線をクライムに向ける。
だが、その瞳にはかつての温もりも、慈愛も欠片ほども存在しなかった。
そこに湛えられていたのは、道端に転がるゴミを検分するような、あるいは使い古して価値のなくなった道具を冷徹に眺めるような、生物的な共感の介在しない「無」の眼光。
セルスの手に握られた、光を一切反射しない漆黒の直剣からは、リアの命の色が静かに滴り落ちていた。




