閑話_船上での思い出話 part1
心地よい波の音が、木造船の船体にぶつかっては消えていく。
西への航路。
時はリアの使者と出会う前の静かな航海中。
一行を乗せた船は、今はまだ穏やかな海を滑るように進んでいた。
夜の帳が下りた船室。ランプの灯火が、壁に掛けられた武器を鈍く照らしている。
ベッドの一つでは、南の勇者パーティーの一員、ガルーダが丸くなって深い寝息を立てていた。
その無防備な寝顔は、戦場での狂気じみた笑顔とは裏腹に、どこか幼さすら感じさせる。
「…なんか久しぶりね、こういうの。」
メイルートが、ガルーダの寝顔を見つめながら静かに口を開いた。
「あ?」
傍らで大剣を丹念に磨いていたグレイが、ぶっきらぼうに視線を上げる。
「最近は『南の勇者パーティー』なんて呼ばれて、どこへ行っても注目される仕事ばかりだったでしょ?でも今、こうやって自分たちの目的のために海を渡っているのは、なんだか新鮮だと思って。」
「まあ自分たちの目的ってかお前の目的だけどな。ま、俺たちにゃあ勇者なんて小綺麗な肩書きより、こういう泥臭い旅の方がお似合いだぜ。」
グレイは鼻で笑うように応じると、再び剣に視線を落とした。
「それにしても…この子が、殺し以外でこんなに大人しくしてるなんてね。」
メイルートが、ガルーダの野性味溢れる髪を指先で優しく撫でる。
「もう何日も、誰も殺してないでしょ?禁断症状でも出るんじゃないかって、少し心配だったんだけど。」
「全くだぜ。まあ最近は、出会った頃よりは幾分マシになっちゃいたがな。」
二人は、皮肉な笑みを浮かべながら、かつて自分たちが「南の勇者」と呼ばれる以前――三人が出会った日のことを思い出していた。
◆◆◆
それは、まだ南の大陸が今以上に混沌としていた頃の話だ。
グレイは、その圧倒的な実力をもって「聖剣」に選ばれる以前から、冒険者ギルドで「一匹狼の狂犬」として知られていた元S級冒険者だった。
誰ともパーティーを組まず、ただ己の腕一本で難依頼を片付ける彼は、周囲から敬遠されつつも、その武勇だけは誰もが認めるところだった。
一方、メイルートはエリート魔法学校を高い成績で卒業した、自尊心の高い魔法使いだった。
しかし、彼女の心は常に焦燥感に焼かれていた。
かつて学校でライバル視していた少女、リゼア。
彼女がヘパルディアの勇者に見初められ、勇者パーティーのメンバーとして華々しい活躍をしているという噂を耳にしたからだ。
「リゼアなんかに…負けてたまるもんですか。私の方が、ずっと…!」
嫉妬と焦燥。
彼女が東の森に群生する希少な薬草を求めたのも、より高度な魔法研究の成果を上げ、世間に認められるためだった。
運命が交差したのは、東の森の入り口だった。
冒険者ギルドから「東の森で頻発する、冒険者のみを狙った不審な魔物被害」の調査・討伐依頼を受けていたグレイと、研究のためにその森へ踏み込もうとしていたメイルート。
「足手まといだ。消えろ。」
「あら、誰が守ってくれなんて言ったかしら?私の調査の邪魔をしないで。」
偶然同時刻に森の入り口に至った二人。
初めは最悪の相性だったが、森の深部へと進むにつれ、お互いの実力を認めざるを得なくなった。
利害の一致――効率的に依頼をこなし、安全に薬草を回収するために、二人は一時的な協力関係を結ぶ。
だが、森の奥で彼らを待ち受けていたのは、魔物ではなかった。
「…待って。何か来るわ!」
メイルートの高度な探知魔法が、濃密な殺気を捉えた。
「魔物か?」
「いいえ、違う。これは――意志を持った殺意よ!」
次の瞬間、鬱蒼と茂る樹上から、一筋の銀光が降ってきた。
ガキィィィィン!!
グレイが大剣を反射的に振り上げ、それを防ぐ。
金属音が森を震わせ、火花が暗い視界を照らし出した。
そこにいたのは、獣の毛皮を纏い、瞳に狂気の色を宿した一人の少女だった。
彼女が握っているのは、かつて彼女が殺した冒険者から奪ったのであろう、数振りの短剣。
彼女こそが、魔物による被害と言われていた事件の真犯人、「冒険者狩り」の正体だったのだ。
「キャハハっ!耐えた!防いだぁ!あんた、強いねぇ!」
少女は歓喜に口元を歪め、地面に着地するなり再び弾かれたように跳躍した。
人を殺すことに快感を覚え、より強い者との死合いだけを渇望する狂人。
彼女にとって、グレイとメイルートという「実力者」との出会いは、まさに至上の贈り物だった。
「なんなのよ、この子!狂ってるわ!」
メイルートが魔力を収束させ、風の刃を放つが、少女は重力を無視したかのような動きで木々を蹴り、それを回避する。
「キャハッ!もっと、もっと熱いのちょうだい!」
縦横無尽に駆ける彼女の動きは、密林という環境下で最大限に発揮されていた。
グレイの剛剣も、変幻自在な機動力の前では決定打を与えられず、じりじりと体力を削られていく。
「ちっ、ちょこまかと…!メイルート、やれ!」
「言われなくても分かってるわよ!」
メイルートが杖を高く掲げ、詠唱を完了させる。
「焼き払いなさい、紅蓮の劫火!」
彼女が放ったのは、敵に当てるための弾ではなく、周囲の木々を一掃するための広範囲焼却魔法だった。
轟音と共に森の一部が紅く染まり、視界を遮っていた巨木たちが次々と倒れ、一気に空間が開ける。
「見えたぞ…!」
逃げ場を失い、宙に浮いた少女の影。
グレイはその瞬間を逃さず、大剣の腹で叩き伏せた。
地面に激突し、バウンドする彼女の体に、すかさずメイルートが幾重もの魔法の鎖を巻き付ける。
「…はぁ、はぁ。なんなのよ、この子は…。」
メイルートが肩で息をしながら、拘束された少女を見下ろした。
「まさか、俺ら二人掛かりでここまで手こずるとはよ」
グレイもまた、苦々しく吐き捨てる。
だが、拘束され、全身に傷を負った彼女の反応は、二人の予想を遥かに超えていた。
「キャハハハハッ!負けちゃった! 負けちゃったよ! すごい、すごいよあんたたち!」
彼女は痛みに顔を歪めるどころか、負けたことそのものに歓喜し、狂ったような声を上げていた。
「ねぇ、殺すの?殺すんでしょ?早くしてよ、ねぇっ!!」
…その瞳は、純粋だった。
ただ「強さ」のみを信仰し、そこに善悪の入り込む隙間など一ミリもない。
その歪んでいながらも真っ直ぐな生き様に、グレイとメイルートは、得体の知れない戦慄と、奇妙な興味を抱いてしまったのだ。




