第六話_光の勇者と深淵の王女
ジノーブス連邦の南部勇者グレイたちがアーデルミノス城へと足を踏み入れていたその頃――。
遥か北方の地、アマデウス魔王領の国境付近にも、また別の「嵐」が吹き荒れようとしていた。
銀髪の青年、光の勇者クライム率いる一行は、数日間に及ぶ強行軍の末、ついにアマデウス領の重要拠点である城郭都市の正門へと辿り着いた。
だが、彼らの眼前に広がっていたのは、想像していた「人と魔の融和」が進む平和な光景ではなかった。
「…これは、一体どういうことだ?」
クライムが呆然と呟く。
見上げるほどに巨大な黒鉄の門は固く閉ざされ、城壁の上には弓を番えた魔族の兵たちが、殺気立った眼差しで眼下を睨みつけている。
かつては活発な交易の拠点だったはずの街道には人っ子一人おらず、ただ不気味な風の音だけが平原を吹き抜けていた。
「バルハート帝国の王女を迎え入れ、共存の道を歩み始めたと聞いていたが…。この殺気、まるで全面戦争の前夜じゃないか。」
魔法使いのイルゼが、整えられた髭を弄りながら眉をひそめる。
隣に立つ巨漢のドルンも、愛用の大斧を握る手に力を込めた。
「旦那、様子がおかしいぜ。歓迎の宴どころか、一歩間違えりゃ串刺しにされそうな空気だ。」
クライムは慎重に歩みを進め、門兵に向かって声を張り上げた。
「私はジノーブス連邦の勇者、クライム!アマデウス王、ならびにセルス王女との公式対談のために参った!門を開けていただきたい!」
その声に、城壁の上の兵たちがざわめく。
しばらくの沈黙の後、重厚な音を立てて門の一部が開き、数名の武装した魔族が現れた。
彼らの表情には疲労と焦燥が色濃く刻まれている。
「…今は厳戒態勢の最中だ。貴様らが何者であれ、易々と通すわけにはいかん。」
門番の言葉に、クライムは食い下がった。
「厳戒態勢何が起きているのです。バルハート帝国との婚姻により、この地は平和に向かっているのではなかったのですか?」
門番は苦々しげに吐き捨てた。
「平和だと?笑わせるな。人間との融和を説くアマデウス様に反旗を翻し、バルハートを、そして人間をこの地から叩き出そうという不逞の輩が内乱を起こしているのだ。」
「内乱…!?」
一行に衝撃が走る。
僧侶のキフィルが、不安げに胸元で手を組んだ。
「それでは、アマデウス様とセルス様はご無事なのですか?」
「…お二方とも、現在は魔王城にて指揮を執っておられる。だが、反乱軍の勢いは増すばかりだ。」
門番が訝しげに一行を追い返そうとしたその時、奥から一人の上級将校らしき男が姿を現した。
彼は鋭い眼光でクライムたちを凝視し、不意にその表情を和らげた。
「待て。…もしや、北部の守護神と謳われる『光の勇者』、クライム殿の一行か?」
クライムが力強く頷くと、将校は短く息を吐いた。
「話は伺っている。セルス王女殿下より、もし貴殿らが現れたならば直ちに城へ通せとの命を受けている。…事態は一刻を争う、付いてこられよ。」
◇◇◇
案内された城内は、まさに戦場そのものだった。
負傷した兵たちが次々と運ばれ、軍馬がいななき、至る所で怒号が飛び交っている。
反乱軍は、空からの猛攻でアマデウス直轄領を焼き払っているという。
「…ひどい。共存を望む心が、どうしてこんな争いを生んでしまうの…?」
キフィルが痛ましげに目を伏せる。
クライムの瞳には、強い決意の光が宿っていた。
自分たちが来たからには、この悲劇を止めなければならない。
正義と慈愛の名の下に、人と魔が手を取り合う世界を、何としても守らなければならない。
やがて一行は、アマデウス魔王城の最深部――謁見の間へと辿り着いた。
高い天井、冷徹な静寂。
その奥に鎮座する玉座には、魔王アマデウス、そしてその傍らには、純白のドレスを纏った一人の女性。
バルハート帝国第一王女セルス=バルハート。
「…光の勇者、クライム。よくぞ参った。」
アマデウスの声は重く、大気を震わせる。
その眼光は未だ爛々と輝いているが、首元に光る「従属の首輪」は、クライムたちの位置からは影になって見えない。
クライムたちはその場で膝を屈し、深々と頭を下げた。
「門兵から事情は伺いました。人と魔の共存、それこそが我々ジノーブス、そして私の理想とするところです。…魔王アマデウス、そしてセルス王女。どうか、我々にお力添えをさせてください。この不当な内乱を鎮めるために!」
クライムの純粋な言葉に、アマデウスは小さく、短く頷いた。
その沈黙を埋めるように、セルスがしなやかな足取りで一歩前に出る。
「光の勇者様…。その貴き志、心より感謝いたします。アマデウス様も、貴方の到着を待ちわびておられましたわ。」
金色の髪が月光のように輝き、透き通るような白い肌がドレスに映える。
そのあまりの美しさに、クライムは一瞬、息を呑んだ。
彼女こそが、魔王に愛され、魔族の地へ嫁いできた平和の象徴。
クライムは疑いもしなかった。
彼女がこの地で受けているであろう苦労と、それを乗り越えようとする高潔な精神を。
「…して、反乱軍の首魁はどのような人物なのですか?私が直接赴き、説得の道を探ることも辞さない覚悟です。」
クライムの瞳は、真っ直ぐに、そして汚れなき「正義」の色でセルスを見つめていた。
自分の信じる平和が、目の前の王女を救い、この国を救うのだと、欠片ほどの疑いもなく信じている。
その輝き。
自分こそが「光」であり、「正義」であると信じて疑わないその真っ直ぐな眼差し。
セルスの唇が、うっすらと弧を描いた。
それは救済への感謝ではなく、極上の玩具を手に入れた子供のような、あるいは美しい羽を毟り取ろうとする残酷な愉悦を孕んだ笑みだった。
「――首魁は、飛竜将軍フェルディナンド。アマデウス様を敬うあまり、私の存在が彼を狂わせてしまった。…勇者様、貴方のその『光』で彼を、そしてこの国を導いてくださるかしら?」
クライムは気づかない。
セルスの瞳の奥、その美貌の下で蠢く、底知れぬ「深淵」に。
そして、彼が守ろうとしている「平和」が、すでに王女の手によって無残に壊されていることに。
アマデウス領の夜は、飛竜の羽音よりも静かに、しかし確実に絶望へと染まっていった。




