第三話_不穏な急報
ローデウス魔王城の一画、重厚な石造りの寝所に、傷癒えぬ地竜将軍クラウハルトの姿があった。
あの日、王女セルスの凶刃によって失われた右腕は、マーベルの治癒魔法とローデウス軍の精緻な手当てによって塞がってはいたものの、武人としての喪失感までは埋めてはくれない。
彼の傍らには、死線を共に潜り抜けた五十名ほどの私兵――リザードマンの精鋭たちが、ローデウス魔王軍の温情によって一時的な身を寄せている。
「…かたじけない、ジャミロクワイ殿。敗軍の将のみならず、我が兵たちまでこうして厚遇していただくとは。」
見舞いに訪れたローデウス魔王軍の丞相、ジャミロクワイに対し、クラウハルトは深く首を垂れた。
「何を仰る。同じ魔族の窮地、手を貸すのは当然のこと。それに…。」
ジャミロクワイは眼鏡の奥の鋭い知性を光らせ、薄く微笑んだ。
「貴公ほどの武人を我が魔王軍に迎え入れることができれば、これに勝る収穫はない。我らとしても、先行投資というわけですな。」
「それは…。」
クラウハルトは言い淀んだ。
たとえ精神を壊され、傀儡に成り果てていたとしても、忠義を誓った主君はアマデウスただ一人。
その主を見捨てて、やすやすと他国の軍門に降ることは、彼の武士道が許さなかった。
心の内で、忠義と現実の狭間に苛まれ、クラウハルトは苦渋の表情を浮かべる。
そんな彼の心中を察してか、ジャミロクワイは穏やかに笑った。
「貴公は少し、物事を難しく考えすぎるきらいがある。アマデウス殿がバルハートの手から解放された時、その時に改めて進退を考えれば良い。」
「…解放、ですか。」
クラウハルトの脳裏に、あの謁見の間での光景が蘇る。
魔王アマデウスが展開した、青い炎の障壁とそれに焼かれる忠臣たちの姿。
そして、その首に嵌められた従属の首輪。
(果たして、あのお方が再び我らの主として戻られる日が来るのだろうか…。)
暗い予感に支配されそうになった、その時だった。
「報告しますッ!」
静寂な廊下を、一人のリザードマン兵士が血相を変えて走ってきた。
彼はクラウハルトとジャミロクワイの前で膝を折り、砂を噛むような声で告げる。
「アマデウス領の偵察部隊より伝令あり!事態は急変しております!」
「何があった!」
クラウハルトの鋭い声が響く。
兵士は顔を上げ、震える声で報告を続ける。
「…内乱です!アマデウス領全土にて、反バルハートの火の手が上がりました!」
目を見開くクラウハルト。
そしてジャミロクワイの表情からも、余裕の笑みが消えた。
報告によれば、事態は最悪の形で動き出していた。
魔王解放の旗印の下、人間を、そしてバルハート帝国を忌み嫌う魔族至上主義の一軍が蜂起したのだ。
「首魁は誰だ?」
「…飛竜将軍、フェルディナンド閣下です!」
その名を聞いた瞬間、クラウハルトは拳を強く握りしめた。
「フェルディナンドか…。清十郎殿が放った『あの言葉』が、連中の導火線に火をつけたか。いや、そもそもセルスがアマデウス様を弄んだその時から、この結果は決まっていたのかもしれん。」
「飛竜将軍フェルディナンド…。苛烈極まる気性の猛将だと聞き及んでいるが?」
ジャミロクワイの問いに、クラウハルトは重々しく頷く。
「ワイバーンの軍団を自在に操る空の覇者。アマデウス様への忠義は私以上に厚く、それゆえに今の歪な現状に耐えきれなかったのでしょう。彼が動いたとなれば、もはや言葉での説得は不可能。」
少し間を置いて、思い出したかのように続けるクラウハルト。
「海竜将軍はどう動いた?」
「リア様は依然として沈黙を守っております。自身の領地を封鎖し、静観を決め込んでいるとのこと…。」
「狡猾な女だ。どちらが勝っても利があるよう、風向きを見極めているのだろう。」
クラウハルトは吐き捨てるように言ったが、その横顔は悔しさに歪んでいた。
祖国が燃えている。かつての同僚たちが殺し合っている。
その渦中に、自分はいない。
「…その場にいられぬことが、そんなに悔しいか?だが貴公がいたところで、残念ながら何も変わらんよ。」
冷徹なジャミロクワイの言葉が突き刺さる。
彼は視線をクラウハルトから外し、待機していた自らの配下に鋭く命じた。
「アマデウス領からの難民を受け入れる準備を急げ。国境付近の警戒を最大レベルまで引き上げろ。」
(このまま内乱だけで収まってくれれば良いが…。)
◇◆◇
その頃、南部。
魔軍司令アーデルミノスの居城の巨大な城門が、重々しい音を立てて開け放たれた。
「…ここが、魔軍司令の根城か。」
鼻を鳴らし、不遜な態度で入城するのは、ジノーブス連邦の大使。
そして、その後ろに控えるのは、「南部の狂犬」勇者グレイ率いる一行。
不穏な熱気を帯びたアマデウスの動乱を余所に、もう一つの「火種」が、ついにアーデルミノスの膝元へと足を踏み入れた。




