第十二話_二人の将
地を這うような低い唸り。
地竜将軍クラウハルトが構えた槍から、物理的な質量を伴うほどの闘気が溢れ出した。
咆哮と共に、クラウハルトが爆発的な踏み込みを見せる。
その槍先は、瞬きする間に清十郎の喉元を幾度も穿つ、鋭い「突き」の連撃。
一撃一撃が岩盤をも砕く威力を持ちながら、針の穴を通すような精密さで清十郎を追い詰めていく。
清十郎は、柳のようにしなやかな体捌きでそれを回避し続けた。
一歩、半歩。
最小限の動きで槍の穂先をやり過ごす。
空気を切り裂く鋭い音が耳元を通り過ぎ、周囲に突風を引き起こしている。
「すごいですね、これほどとは…。」
清十郎は、激闘の最中とは思えないほど穏やかな声で感嘆を漏らす。
クラウハルトの槍術は、まさに「龍」そのものだった。
流れるような連撃から、一転して地を叩き割るような一撃へ。
清十郎はその一筋の銀光を、ある時は刀の鎬で受け流し、ある時は薄氷を踏むような歩法でかわしていく。
しかし、攻防が数十合を超え、清十郎が反撃に転じようと一歩踏み込んだ、その刹那。
「――図に乗るなよ!」
クラウハルトが槍を突き出した不自然な体勢のまま、軸のぶれない鋭い捻りを加えた。
清十郎の視界の外、死角から鎧に覆われた太く強靭な「尾」が、しなる鞭のごとき速度で迫る。
(…っ、尻尾ですか!)
清十郎の瞳が、驚きにわずかを見開かれた。
これまで対峙してきた剣客たちとは根本的に異なる、身体構造そのものを利用した未知の軌道。
回避は間に合わない。
清十郎は瞬時に判断し、刀を縦に構えてその衝撃を受け止めた。
ドォォォォォン…ッ!
凄まじい衝撃波が広場を駆け抜け、焚き火の火が吹き消される。
清十郎の足元にある石畳が粉々に砕け散り、その体は十メートル以上も後方へ、地面を深く削りながら押し込まれた。
「…ふぅ、危ないところでした。…この新しい刀じゃなかったら、今の衝撃で折れていたかもしれません。助かりましたよ、アーデルミノスさん。」
清十郎は小さく息を吐き、指先で刀身を弾いて無事を確認した。
そのあまりの余裕を目の当たりにし、クラウハルトの瞳に焦燥と怒りが混じり合う。
「…なんだありゃ。おい、あれが本当に『戦い』なのかよ。」
後方で見守るランドが、呆然と口を開いた。
A級冒険者の目をもってしても、二人の攻防はもはや残像の応酬にしか見えない。
「いや…セイジュウローさんが、あんなに苦戦しているのは初めて見たぜ。いつもなら、どんな相手でも一撃で仕留めていたのに…。あの騎士、ただ者じゃねぇ。」
リュウが拳を握りしめ、戦慄に震える。
「逃げ回っているだけか、遊撃将!」
クラウハルトが咆哮し、これまでを遥かに上回る魔力を槍に込めた。
地竜の呪力が黒い稲妻となって走り、放たれた渾身の突きが空気を爆ぜさせる。
「そうですね…。では、少しだけ。」
清十郎が呟いた瞬間、その姿が「消えた」。
突き出された槍の穂先を、清十郎は避けるのではなく、自ら踏み込んで弾き飛ばした。
刀身を滑らせ、円を描くような滑らかな動きで槍の軌道を逸らす。
そのまま流れるような一連の動作でクラウハルトの懐へと滑り込み、最短の軌道で腕を振るった。
横一文字。
クラウハルトの脇腹を狙った、淀みのない鋭い一太刀。
ギ、ギィィン…!という硬質な音が響き、漆黒の鎧が紙細工のように切り裂かれた。
「…ぐ、おぉぉっ!?」
クラウハルトが身を捩り、辛うじて致命傷を避けて後方へ飛び退いた。
だが、その頑強な鎧は無残に断ち割られ、裂けた腹部からは鮮血が滴り落ちる。
「…よく避けられましたね。今のを凌がれたのは初めてかもしれません。」
清十郎が爽やかな顔で告げる。
その態度は、激闘の最中とは思えないほど平穏だ。
「…貴様ぁ…ッ!」
クラウハルトは槍を杖代わりに突き立て、荒い息を吐きながら清十郎を睨みつけた。
将軍としての矜持を傷つけられた怒りと、目の前の男がまだ底を見せていないという恐怖が、彼の顔を歪ませる。
「…認めよう、朽木清十郎。貴様は、生かしてはおけぬ。」
クラウハルトが手にした槍が、傷口から流れる鮮血を吸い込み、不気味な脈動を始めた。
直後、夜の闇を塗り潰すような、禍々しくも鮮烈な緑色の光が爆ぜる。
「…これでおしまいだ。塵となれッ!」
『地竜絶槍』
クラウハルトの咆哮と共に、血を媒介にした魔力の奔流が槍先へと集束した。
それはもはや「突き」という概念を超えた、純然たる破壊の光軸だった。想像を絶する速度と、大気を削り取るような風圧。
「なっ!なんなのっ!!」
シャゼルが咄嗟に展開した防御障壁も、風圧の一撫ででガラス細工のように粉砕される。
吹き飛ばされるシャゼルとマーベルを、ランドとリクラットが支える。
「くそっ!!衝撃波だけでこの威力かよっ!?」
ランドが悔しそうに顔を歪める。
視界の全てが刺すような緑の輝きに染まり、轟音と共に土煙が舞い上がった。
村人たちも、冒険者たちも、ただその圧倒的な力の奔示に身を竦ませ、固唾を飲んで結末を見守るしかなかった。
「…アニキッ!」
「セイジュウローさん!!」
シロとクロの悲鳴のような叫びが響く。
リュウもまた、己の無力さを噛み締めるように、視界を覆う煙の向こうを凝視していた。
やがて、吹き荒れていた魔力の残滓が静まり、濃密な煙がゆっくりと夜風に流されていく。
月の光が差し込む瓦礫の山の中。
そこには、二つの人影が浮かび上がっていた。
一人は、荒い息を吐きながら地面に深く膝をつき、肩を大きく揺らしている。
もう一人は、そのすぐ傍らに、微動だにせず静かに佇んでいた。
どちらの剣が届き、どちらの槍が貫いたのか。
あるいは、両者共に致命の一撃を躱し得たのか。
静寂が支配する戦場に、ただパチパチと焚き火が爆ぜる音だけが空虚に響き渡っていた。




