後日談4 アラン・ド・ヴァレンヌという男の、今
昔の俺は、幸せを「落ち着いた状態」だと思っていた。
何も起きない。
誰も死なない。
それだけで十分だ、と。
今は少し違う。
朝、目を覚ますと天井があって。
屋敷の梁が見えて。
どこかで妖精が羽音を殺して動いている。
それだけで、胸の奥が温かくなる。
理由は簡単だ。
帰る場所がある。
◇
十五年という時間は、思ったより短かった。
いや、正確には「濃すぎた」。
人間だった頃の俺は、十五年もあれば人生が変わると思っていた。
仕事が変わる。
住む場所が変わる。
隣にいる人間も変わる。
でも、今の俺は。
屋敷の廊下を、裸足で歩いている。
木の床の感触は、昨日と同じだ。
庭に出ると、風が葉を揺らす。
それを見て、安心する。
変わらない。
それが、どれだけ贅沢なことか。
◇
庭の向こう。
日向に、巨大な影がある。
白銀の鱗。
ゆっくり上下する胸。
眠っているようで、眠っていない。
アルシェだ。
人の姿ではない。
でも、それでいい。
最初は正直、戸惑った。
抱き寄せるのに一工夫いるし、目線を合わせるには位置取りが必要だし、何より「手を伸ばす前に考える」癖が増えた。
俺も竜の姿で過ごす時間が多くなった。
でも。
慣れる。
人は、慣れる生き物だ。
竜の番になるくらいなら、なおさら。
アルシェの尾が、地面を軽く叩いた。
『……見てる』
「見てるだろうな」
返事をすると、巨大な瞼がゆっくり開く。
金の瞳が、俺を見る。
相変わらずだ。
何も変わらない。
十五年前と同じ目だ。
◇
俺は、もう人間じゃない。
正確には「完全な人間ではない」。
竜の姿にもなれるし、翼を出すのも難しくないし、火に触れても、昔ほど怖くはない。
何なら火口にアルシェと溶岩に浸かりに行くようになった。
でも、それが嫌じゃない。
昔の俺なら、きっと不安だっただろう。
自分が自分でなくなる感覚に。
今は違う。
アルシェが、俺を「俺のまま」扱うからだ。
竜になっても、翼を広げても、少し爪が鋭くなっても。
『アラン』
その呼び方は変わらない。
名前を呼ばれるたびに、輪郭が確かになる。
◇
昼になると、妖精たちが忙しくなる。
『日向はほどほどに!』
『温度変化に注意!』
『振動禁止です!』
「相変わらず過保護だな」
『当然です!』
即答だった。
アルシェが、少し困ったように尾を動かす。
『……大丈夫』
「大丈夫だってさ」
『信用できません!』
俺は、笑った。
この光景が、当たり前になった。
昔は、あり得なかった。
竜が家で寝ていて、妖精が家事をして、俺がそれを見ている。
あり得ないのに、不自然じゃない。
◇
時々、思う。
世界はどうなったのか、と。
神殿は静かだ。
祈りは、もう騒がない。
竜が世界に口を出すことも、ほとんどない。
アルシェは、必要な時しか動かない。
昼寝と、食事と、俺の様子を見ること。
それが優先順位の上位だ。
竜としては、どうなんだと思うこともある。
でも。
世界は、壊れていない。
なら、問題ない。
◇
夕方、竜の姿でアルシェに寄り添っていた時。
アルシェの腹のあたりが、わずかに動いた。
気のせいじゃない。
確かに、動いた。
『……おい』
『なに』
『今、動いた』
『……動いた!』
声が、少し弾んでいる。
俺は、慎重に首を伸ばした。
『触っていいか』
『いい』
寄せた頬にかすかな鼓動。
命だ。
俺たちが作った、命。
不思議と、怖くなかった。
守れると思えた。
守られるとも、思えた。
◇
夜。
寝台の横で、いつものように椅子に座る。
アルシェは、眠っている。
でも、意識は浅い。
俺が立ち上がると、すぐ気づく。
『アラン……どこ?』
「ここだ」
そう言うと、安心したように尾が緩む。
昔の俺なら、こんな生活は想像もできなかった。
でも今は、分かる。
幸せっていうのは、
劇的な出来事じゃない。
誰かの隣で、
名前を呼ばれて、
帰る場所があって。
それだけだ。
俺は、竜の額にそっと触れた。
「……愛してる、アルシェ」
『……私も』
世界がどうなろうと、神が何をしようと。
俺はここにいる。
番と一緒に。
それが、俺の選んだ人生だ。
そして。
後悔は、一つもなかった。
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